056 -化物の心と命-
この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
波の音がした。自分が乗ってきた船が港を出る。
「体が冷える。宿に戻れ」
低すぎず高すぎず、だがよく響く声が青年を呼ぶ。呼ばれた青年は微動だにせず海を見つめ続けていた。
「嫌だって言ったら?」
「担いで移動する」
「はは…」
二人の黒髪が海の前で並んだ。それだけだというのに、その空間を避けるように人がいない。
ここは羅沙国内で、ケインの港町。唯一北の森と繋がる羅沙の港。それでもここに黒髪がいることは珍しい。
この二人は人目を忍んでいるようには見えない。堂々と立って夜の海を見つめる。
「キセトが、再会したってよ。ニュースは全部そればっかりだ」
先ほどまで宿の中で見ていたニュースの内容を青年に教えてやる。もっと反応が大きいと思ってのことだったが、青年はそうですか、と返しただけだった。
「僕は明津様や雫様の再会なんてどうだっていいよ。ただ、兄さんに僕が再会したいだけだ」
キセトが誰と再会しようが、その相手が自分ではない。若い黒髪にとってそれは何の意味もなかった。
「イカイ、焦るな。お前の立場は――
「分かってるよ。僕は不知火頭領。ケインの港町に入れただけでも奇跡だ。これ以上羅沙帝都に近づけば、流石に停戦条約に関わる。でも、会いたいって言うぐらいいいでしょう。あ、だめなのな?頭領だから部下である東さんには弱音吐いちゃだめ?」
「…」
いいよ、といってやりたい。
不知火東は不知火イカイの保護者代わりだった。いや、今も保護者のつもりだ。
雫と明津の二人目の子、それが不知火イカイ。彼は現不知火頭領であるわけなのが、彼には頭領という名は重いだろう。何せ歳でいえばイカイはまだ二十歳なのだ。一国を負うには、民を負うには若すぎる。
「分かってる。僕は頭領だ。僕は長だ。僕は部下を持つ立場だ。僕は国を治める立場だ。人の命を預かる立場だ。そしてなお、非力で役立たずだ」
「…」
相手が頭領なんて名前さえ背負っていなければ、東は軽く冗談でかわせただろうと思う。なにせ赤子だったころから面倒を見てきた子供が相手なのだから。
だが実際は何もいえない。若かろうが、顔なじみであろうが、保護下に置く子供であろうが、相手は頭領なのだから。東は、不知火の民は、彼の手足でしかないのだから。手足が脳に指図をするわけにはいかない。
「…戻ろうか。いくら南に下ったとはいえ夜は冷えるから」
「あぁ」
「東さんたちは明日の朝に帝都に向かうんだね。行ってらっしゃい。どうか、怪我をしませんように」
「あぁ…」
本当に願っていることがそんなことではないっと東は知っている。
イカイは両親が嫌いだ。自分を捨てた両親を毛嫌いし、再会を拒み、存在を否定する。
だが兄であるキセトは違う。イカイが知る唯一の家族で、一時とは言えイカイに「おかえり」と言ってくれた血を分けた兄だ。温かい料理をイカイのためだけに作ってくれた兄だ。何のしがらみもなくイカイが頼っていい唯一の存在だ。
イカイが本当に望んでいることは、そんな大好きな兄を傷つけないことなのに。ただ頭領としてここに居るかぎり、イカイにキセトを想うことを口にすることは許されない。なにせ、キセトは今、不知火にとって裏切り者なのだから。不知火を捨て羅沙に付いたのだから。
「………、…ごめんね、兄さん」
「安心しろ。キセトを傷つけるのはおれたちだ。お前じゃない。お前の責任じゃない」
裏切り者は罰しなければならない。それは不知火の絶対の掟だ。いくらキセトが不知火本家の人間であろうが、例外にではできないのである。それに、不知火でのキセトの立場は特異なものだった。裏切りなど口実に過ぎず、不知火の古株たちはキセトを処分する気しかないのだ。
だが、イカイは命令するだけでいい。本来なら不知火から出てくる必要もない。だが、実際はここまで赴いた。実行する東に無理行って、兄に会える可能性に縋りついてきた。
「安心しちゃいけない。部下に実行させてさらに責任まで押し付けるわけにはいかない!背負うよ、背負わせてよ」
自分で自分の兄を傷つける命令を出す代わりに、兄が居る国へ来る。
本人の中でもその矛盾が渦巻いているのだろう。羅沙行きが決まってからというもの、イカイの表情は暗い。
「兄さん。兄さん、兄さん兄さん。………ごめんなさい」
ただただ「弟」としての黒髪が、謝罪する声が波の音にかき消されていた。
この謝罪だけは不知火頭領ではなく、弟として。