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Black Night have Silver Hope   作者: 空愚木 慶應
バトルフェスティバル編
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 この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます

 これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます


 ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります

 「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません

 

 なお、著作権は放棄しておりません

 無断転載・無断引用等はやめてください

 

 以上の点をご理解の上、お読みください


 明津あくつが思っているより人が多い。第二層を選んだのは場所の都合でもあったが、明津に政治的関心のある貴族たちが来ることがないと考えたからだ。

 貴族のプライドのうちに一般人とは違うとう自意識もある。そしてそのプライドは第二層へ向かう足を止めるに違いないはずだ。

 違いないはずなのに、


 「人が、多い。気分がさげぽよ…」


 「貴方を今すぐ殴りたいです」


 「東雲しののめに殴られたら帰ってもいい?つか帰っていい?マジでなんでこんな多いんだよ、これラガジの人口より多いって」


 「多くありません。いい加減幕の内から覗くのやめてください。長くなるでしょうから水分を取ってくださいね。日陰を選んでおきましたし椅子もありますから倒れるようなことはないと思いますが、念のためです。体調に異変を感じましたら傍にいますのですぐにお知らせください。調子に乗って民の前でぶっ倒れたりしたら、本気で殴りますよ」


 二度の殴る宣言に、やっと明津は顔を引っ込めた。渡された水を口に含んで、外からの歓声にまた気分が下がっている様子だ。


 「何がそんなにうれしいんだか。ここで俺が国政触りませーんとか言ったらげんなりするんだろ?あんまそんな姿見たくないんだけど。そろそろ羅沙らすなの民にも俺じゃなくて、今を見てもらわないとな…」


 明津は古い人間なのだ。現在の羅沙にはふさわしくはない。

 それでも、民は明津に伸ばす手を引っ込めるつもりなんてないだろう。明津が消えて、代わりというかのようにその手が伸びてくるのを見ていた東雲だって、そんなことは分かっている。


 「そろそろ私も隊長を降りるべきなのかもしれません。歳も歳ですし、私がいては明津様が下がっても同じ事を起こすだけでしょうから」


 「本当なら第一番隊隊長は軍辞めても大臣になれるはずなんだけど、ならねーの?俺なんかよりよっぽどこの国を見てきただろ?向いてるよ。優秀な人材は国政には必要なもんだ」


 「いいえ。私は前線で活躍するために軍に入りました。そして歳を取ってもその欲が消えません。大臣になんて中途半端な指示役に回ろうものなら、また前線に出たくなります。指示するより指示されるほうが合っているんですよ。今ですら副隊長に大きく任せている形になっています」


 「そりゃ皇帝補佐だってしてるし仕方がねーじゃん。隊長と補佐の仕事の両立は厳しいって」


 「言い訳ですよ。それに私は貴方の騎士ですから。貴方が手を引くことに関わり続ける必要はないでしょう。家族を食べさせていく貯金は十分にありますし、そろそろ妻との時間も必要でしょうから。愛想をつかされてしまいます」


 明津から水を受け取って簡易冷蔵庫に戻しながら、そんなことを言う。

 明津が羅沙より家族を取って逃げた後、明津の逃避によって起こった羅沙の混乱を治めたうちの一人が、明津に対してそんなことを言う。しかも明津を責めるつもりもなく、自分の非であるかのように。


 「嫌味か、バーカ」


 「嫌味に聞こえるならご成長なさっている証拠です。まぁ、嫌味ではありませんよ。私が国に残ったのは、貴方が帰ってくると言ったからです。息子を連れて、妻と一緒に。そう言っていたからです。結局帰ってきたと思ったら今回のようなことになりましたが…。私はそのほうが貴方らしいと思いますよ」


 「『俺らしい』ね。城で育った二十年も、城出て過ごした二十四年も、間反対だけどよく『俺らしい』って言われるよ。俺としては、最悪の人生だったけど。羅沙の民は裏切っちまったし、家族に対しては…守れなかった。守るって決めたのに、だ。やろうと決めたこと、何も成し遂げられなかった」


 「羅沙の民に対する裏切りには、裏切ったままでいることを決断されたのでしょう?それでいいのですよ。家族は…、これから、守るのでしょう?遅くないですよ。焔火君はまだ随分若いですから。今からでも十分守って差し上げる必要があります。ふらふらと、周りに示されるがままに進んできた彼が、今、いざ自分で歩こうとして、迷っていますから。そっと見守ってあげてください」


 「あぁ…、そうだな」


 見守るだけでよいのなら、キセトの周りにいくらでも人はいるだろうと、そう今なら思える。

 帝都に来たすぐは戸惑った。ギルドに入っていると聞いて自立していると思って安心したが、一目見て急に不安になったのだ。帝都で黒髪、さらに真っ黒の喪服を思わせるスーツ。嫌ってくださいと言っているような姿。周りからやっかみを買っているのではないかと夫婦揃って心配になるのも仕方がない外見ではないか。

 だが様子を見ているとそうでもないようで、仕事で付き合う分には友好的に思ってもらえているようだ、と。

 そして先日の戦いで、我が子を想う人はたくさんいるということは理解した。我が子を想って戦いの場にまで出てくることができる仲間がいると知った。


 「『何か』できる…。何ができる?俺に…」


 自分の息子より年下の女の子はそう言った。

 だが彼女の意見は彼女の主観を抜けきっていない。キセトのために羅沙明津を嫌いだと言ってみせたその行為も『何か』に十分匹敵するはずだ。

 だが彼女は、自分は何もできないのだと言っていた。

 何もできないのは、明津のほうではないのか。他人のために泣く少女より、自分の息子も羅沙の民の心も守りたいという欲で、逆に息子を大きく傷つけた明津ではないのだろうか。


 「時間ですね。どうぞ」


 東雲が幕をめくる。歓声が大きくなった気がした。ただ単純に布一枚で遮られていた分が追加されただけだろうけれど。


 「じゃ、行ってくるわ」


 「お帰りをお待ちしております」


 懐かしい騎士の声に見送られて、明津は自らの民の前へ進み出た。


 (懐かしいな、このプレッシャー。もう二度と、味わうことはないプレッシャーか。このプレッシャー、嫌いだったな。期待されてるっていうのが嫌いだったんだもんな)


 集まった民の前に立つ。すぐ椅子に座っては、向けられた思いに応えられないと直感で思った。椅子に座る前にマイクを取った。東雲の口が馬鹿と動くのが見えた。

 悪い。俺は馬鹿だよ。期待されるのは嫌いなのに、期待されたら応えずにはいられないんだから。


 「よく集まってくれた!俺は誠意を持って皆の思いに応えたい!これから俺が皆に言うことは、皆の思いを裏切ることだろう!先に謝る!すまない!それでも、ここで質問にもできるだけ答えたい!安心しろ!何十年経とうとも、俺は!俺だ!」


 地響きのような歓声が響いた。明津は後ろから東雲に座るように促されて椅子に座る。目を閉じて歓声を聞く。中々鳴り止まない声一つ一つを、明津は聞きたいと願っていた。民の声一つとして逃さない皇帝になりたいと思っていた。

 だが、それは過去の話だ。

 今は、ただの父親になりたい。良い夫になりたい。


 「まず、バトルフェスティバルを見ていた人は知ってるだろうが、俺が帝都に戻ってきたのは息子を探すためだ!俺は国政や軍の指揮に一切関わるつもりはない!それは宣言しておきたいんだ。俺は、皇帝になるつもりはない!」


 半分以上残っていた歓声がぴたりとやんだ。

 当然だ。羅沙明津が帰ってくるということは、彼が皇帝になってこの国に繁栄をもたらすと思っていたからだ。だから喜んでいたとも言える。

 噂など誰も信じなかった。あの羅沙明津が皇帝にならないなどありえないだろう。そう思っていた。明津自身の口から言われるまでは。


 「何度でも言おう!俺は皇帝にはならない!それだけじゃない。城にも戻らないし、国政にも一切関わるつもりはない。これから羅沙とも名乗らない!羅沙明津が持っていた羅沙大栄帝国に関する権利を全て放棄する!」


 誰も言葉を発しなかった。前列を陣取っていた根深い明津様信教徒すら黙りこむしかなかった。

 皇位を継がない羅沙明津に、どんな価値があるというのか。

 いや、待て。この人がこんなこというはずない。脅されているに違いない。

 誰に?何で?そんなの分かるものか。分かるのは目の前にいるこの人の今の発言は、本音ではないということだけだろ?


 「それにあたり、東雲高貴こうきの騎士の地位も剥奪する。俺が最後に執行する権限だ。いいな、東雲」


 「…もちろんです」


 「権利を放棄したからと言って、俺の血に存在する羅沙の力が消せるわけじゃない。俺が羅沙将敬まさのりの第一子であることは変わりない。この羅沙が伝統云々にとらわれる限り、俺一人の主張なんて受け入れてもらえないだろう。

  だが、逆に問いたい。民は、皆はどう思っている?本当に第一子でなければ衰えると思うのか?俺でなければならないと思うのか?」


 明津が一番前の列にいた男性を指名し、自分の横に並ばせる。もちろん自分も立って迎えるものだから、東雲は気が気じゃない。

 羅沙皇族に多い病弱体質は、明津も色濃く受け継いでいるのだから、話している途中に突然倒れるかもしれないのだ。そんなことがあればどんな噂が立てられるものか。東雲高貴として、騎士の地位を剥奪されても、羅沙明津を心配せずにはいられないのだから、自分も相当な変わり者だと思う。

 そんな東雲の気も知らず、明津は壇上に上げた男性に先ほどと同じ問いをぶつける。


 「俺でなければならないことか?俺を支援してくれように皆が支援してくれれば、現皇帝であっても十分に羅沙を救えると俺は思う。皆が、第一子のこだわりを捨ててくれれば。皆がこの国を真に思ってくれれば、変わることができるのではないのか。俺はそう思う。あなたは、どう思う?」


 「ぼ、ぼくは…その、やはり、明津様でなければ…」


 おどおどとした様子で答える男の答えに、明津は内心で呆れた。そこまでどうして自分にこだわるのか、分からない。

 治世という意味では明津よりも能力がある人物なんて腐るほどいるだろうに。明津に集まったのは支持率という期待だけだ。その支持率は期待に応じない明津を見ても落ちなかった。それどころか、明津の非を他に押しのけてでも、更なる支持を増やしていった。

 初期の明津を知って、それでもなお支援してくれる人物など数えるほどしかいないだろうに。明津にはこの男がそうだとは思えないのだ。


 「…そうか。それでも俺をと考えてくれるのか。一度国を捨てた俺でいいのか?国を捨てずに努力してきた現皇帝やえるや親父の流れをぶった切っても俺を選ぶ価値はあるか?それは周りから植えつけられた偏見ではないのか。俺の何が、あなたに俺を選ばせた?」


 「捨てて…ません」


 「いや、捨てたよ。俺は自分の意思で捨てようと思って捨てたんだ。二十四年前だって、同じようなことを言って羅沙を出た。俺は親父と鐫と東雲、あと二人の友人に対してはちゃんと言って出て行った。親父が判断して、それを民には伝えなかったんだ。俺は二十四年前に捨てたんだよ。国を捨てて、自分の恋に走った」


 「………」


 明津はこの二十四年間、自分が捨てた羅沙の情報を聞かないようにしてきた。それでもこの数日、ラガジに滞在すれば分かることもある。

 羅沙将敬、明津の父である彼は、民が絶望する事実を知っていたはずなのだ。羅沙明津が国を捨てて逃げたとでも彼なら公表できただろう。それでも、彼はそうしなかった。黙れば黙るほどに自分が追い詰められるはずなのに、それでも黙っていた。


 (結局、俺は親父に守られてると思うもんな。親父は逃げ出した俺を守ろうとしてくれてた。まだ国に残ってて、しかも現役皇帝だったはずなのに。俺は、ただ感謝するしかないじゃねーか)


 親に守られるということは、どこか安心する。死んでもその安心感を残してくれた父親が明津にいる。

 キセトは、どうなのだろう。守れたと明津が思ったことはない。それでも息子が守られたと思ってくれていることなど、あるのだろうか。

 明津は自分の考えに呆れた。自分が守れたと思ったことがあるないの話ではない。一度も、その手を握ったことすらない。守ったどうかではなく、キセトにどのような災難が訪れたかも、明津は知らない。


 「恋に走って、全力で恋に恋して、息子ができて…。その息子を守れなかった。二人目の息子ができて、どこか代用しようとしてた。でもそんなことできるはずがなくて、二人目も守れず一人目を探してる現状だ。俺は国を捨ててまま、国を捨ててでも手に入れたいものを追っている途中なんだよ」


 「そ、うだ…。ご子息が…」


 「ん?あぁ、俺の息子だけど、羅沙を継ぐつもりなんてないだろうさ。俺に似たのかもな。いまさら父親だなんて名乗っていいとは思ってない。それでも、一度だけでいい。抱きしめて、頭撫でてやりたい。一人にしてごめんって言わないと気がすまない。ずっと愛してた。これからも嫌がられても愛してやるって言ってやりたい。それだけなんだ」


 どこかにあるだろうカメラがこの声をキセトに届けてくれると信じて、そう断言しよう。

 俺は、お前を息子だと認めているし、なにより愛している。たとえ手の届かないところでも生きていてくれるのなら、それだけで救われると思えるほどに。


 明津の先走る思いなど知らない男は、思いを馳せる明津をじっと見る。

 間近にいた男でなくとも、その視線に何かしらの思いが込められていたのは感じ取っただろう。そしてその思いが向けられた相手であるキセトなら、テレビを通したとしても、その視線に込められたものが愛情だと分かるに違いない。


 「わざわざ前に引っ張りだして申し訳なかった。戻ってくれて構わない」


 男が元いた場所に戻して、明津は用意された席に座った。後ろから東雲の視線を感じるが気にしていられない。明津が生まれてから大きくなった歪は、今日一日で直るわけがないのだから。

 せめてその歪を次の世代に持ち込みたくないのだ。明日あす驟雨しゅううはもうすでに巻き込まれかけているが、今なら間に合うと、そう明津は信じたい。


 「息子の件についてはバトルフェスティバルを見ていたもののほうが情報が多いかもしれない。俺は自分の息子がどこにいるのかも分かっている。そしてそれを知っているのは俺だけではなく、少数のものなら知っている者もいる。代表すべきなのは、俺の騎士であった東雲高貴だ。彼は俺の息子が誰かも知っているということになる。だが決して他言することないようにと言ってあるので、東雲以外であろうとも事実を知る者が事実を他言することはない」


 「――ならいつ公表するのかという点についてだが、俺が参加しているバトルフェスティバルの優勝者に皇帝陛下と直接謁見権利が与えられる。しかもその場には会場に集まったものたちもそのまま同席するということだ。俺が優勝すれば、そこで息子と妻の名前を公表したいと思っている。もし、俺が負けることがあれば、俺の口から公表することはない」


 「――バトルフェスティバル準決勝で、闘技とうぎ家と哀歌茂あいかも家が俺の息子を知っているように話した点については否定しない。彼らは俺の息子が誰かを知っている。だが、一言断っておくと、俺から両家に対して特別通知したわけではない。彼らが個人の経験上、知りえたことだ。俺が関与したわけではない」


 「――それと、もう一つ」


 「――俺の家族を傷つける奴は誰であろうとぶっ潰す。それが何の罪のない羅沙の民でも、皇帝でも、俺に尽くしてくれた騎士である東雲でも、国にとってどれほど大事な来賓でも、俺は許さない!」


 東雲は、大衆の沈黙の声を聞いた。誰もが嘘だと言ってくださいと望んでいただろう。沈黙に込められたその声が聞こえないほど明津も民を知らない人ではない。

 ただ、明津にはその声よりも聞きたい声があるのだ。とても小さな小さな、彼の息子の呟くような声だけが、彼が今聞きたいと望む声なのだろう。

 明津が質問はないか、と聞いた。誰も、何も言わなかった。ただ次の明津の言葉を待つだけだ。

 必ず言ってくれる。冗談だ、俺は今も羅沙が大好きで、なによりも一番だよ。そんな言葉が聞こえるはずだ。待とう、待つしかない。


 「…俺は、羅沙を捨てた。拾うつもりはない。今、羅沙を引っ張ろうとしてくれている人々と共に生きてくれ。それは、俺じゃない」


 「やめてくださいっ!」


 誰かの叫び。だが全体の叫びでもある。その証拠に、叫んだ男を誰も止めなかった。

 この羅沙で、羅沙明津が行おうとしていることを遮っているにもかかわらず、だ。結局、明津が好まれたのは、民の理想通りになりそうだったからだったということなのだろう。


 「やめないさ。これは事実だ。受け入れられないのか?それでも俺はすぐに姿を消すぞ。そうすればまた他人にそのやるせない思いをぶつけるんだろう?俺を知らない我が子が成人になるから殺した?ふざけるなよ、それは紛う方無き犯罪だ。俺への想いを俺が裏切ったからって他人を傷つけるな。俺を真っ向から非難しろ。それができないなら、この国は滅びるしかない」


 「ほ、滅び…」


 「そうならないように親父や鐫が導いてきただろ?今は鐫の娘だっけ?俺以外にちゃんと目を向けて見ろ。そこにはちゃんと繁栄できる道がある。俺を踏み台にして成長するのだって、その道のうちの一つだ」


 明津が示す道も、東雲なら見える。

 だが、今まで明津に依存することで自分たちの他力本願思考から目を背け続けてきた民に見えるだろうか。民にとって、それは茨の道に見えるのではないだろうか。そして明津という人間は、苦しみを前にひるんでしまった弱者を保護することしか知らないような、優しさしか知らないような、そんな人間ではなかったか。


 「…明津様」


 そしてこの辺りが限界だろうと、東雲は考えた。明津の、ではなく民の、だ。

 まだ民への説得を続けようとする明津は、なんともいえない表情で東雲を振り返っていた。止めるなと主張しているようでもあり、止めて欲しいと懇願しているようでもある。

 今にも暴走しそうだと思った。昔なら、こんな表情をした子どもに説教臭いこともした。東雲高貴は羅沙明津の騎士であり、兄であり、教師であり、師匠だった。


 『そう焦っても無駄だ、クソガキ。お前もおれも、たった一人なんだから、身の丈以上のことはどうしてもできないんだよ。一人でこの場に立っている以上、コレが限界だ。分かったらちゃんと挨拶して下がれ』


 いつぞやの式の挨拶の時、そのような言葉を言った覚えがある。

 昔はそれで済んだ。昔にそれで済ませたから今がこじれているとも言える。止めていいのかすら、東雲には分からない。だが、東雲だからこそ明津に伝えられることがある。明津の騎士として羅沙皇族に最も近い、羅沙の民の一員として。


 「俺の言っていることは大きく間違っているか?」


 「いいえ。………いいえ、間違っていません。ですが、正しさは苦しみを伴うものです。貴方が背負ってくださっていたその苦しみを、これからは民や羅沙に住まう者全てで背負うことも、また、正しいのでしょう。でも、時間が必要なのです。正しい貴方を信じている自分もまた正しいと、そう信じてきた者たちが大勢いますから」


 「………時間、か。そうだな、すぐ終わっていいことでもないしな。今日はお終いにしよう。あと、俺は正しくない。ただ、間違っていても愛した人と一緒に居たいだけなんだ」


 丁重に民たちへ向かって頭を下げてから、明津はその場を後にした。帰るときに、東雲にすら声をかけなかった姿は、民たちがしる慈悲深い神の姿とは到底かけ離れているものだったのだろう。

 その日から羅沙明津は、民の目の前で羅沙の名を捨てた。


 


 テレビが違うニュースを取り上げてからも、しばらくナイトギルドに沈黙が残っていた。

 食堂にいたのは数名である。明津が何かを発言するたびに、驚きや呆れをあらわにして各々の自室へ撤退した。一度も画面から視線を逸らさないキセトの心情を思い、遠慮したのだ。

 当のキセトは、インタビューの生中継が終わっても視線を逸らしていない。すでにアナウンサーが見当違いの感想を述べているシーンに変わっているが、キセトの目が映すものが変わっていない。

 キセトの瞳に映る光景は、変わらず明津のあの姿なのだろう。


 「愛してるってさ」


 「聞こえている」


 「良かったじゃん」


 「あぁ」


 食堂に残っていた数名も、キセトの声を聞いて席をはずした。

 誰が聞いても分かっただろう。それがただの泣き声であることが。


 「なーに泣いてるんだよ」


 いつもの連夜れんやなら。相手がキセトでなければ。

 思いっきり肩でも抱いて、泣いている姿を周りから見えないように腕を回して…。いや、見ている者もいないのにそれは無意味なことか。

 なにより今のキセトは触れられない脆さがあった。連夜が人間を脆いと嘆く、その脆さと同じもの。人間独特の脆さだ。

 親に愛されて泣く姿が、人間らしい。


 (あれ?なんでだろ。駄目だ。こんなキセト、存在してるのなんか、駄目だ…)


 人間らしいキセト。それは、今までのキセトを全て否定しているのではないだろうか。

 人間らしいキセト。それは、今までにないキセトだ。

 人間らしいキセト。それは、これからもありえないキセトではなかったのか。


 「嬉しくて泣くのはいけないことか」


 「んー。そうだよな、嬉しいと泣くよな。泣くまで嬉しいことなんて滅多にないだけで、それは普通だよなぁ。別に悪いことじゃない」


 キセトが普通。

 それのどこか、悪いことじゃないんだ。

 キセトが普通になって、オレはどうなんだ。


 「あー…、嬉しいんだ。そっか、嬉しいのか。ん、オレももう今日は寝るわ。おやすみ」


 「まだ日が高いぞ」


 「いーじゃん。明日ちゃんと起きるからさー」


 テキトウに言い流して、連夜は食堂を出た。食堂を出て数歩で崩れ落ちなかったのは、目の前に人の存在を感じたからだ。

 無駄にプライドの高い連夜だからこそ、他人の前で弱みとなる自分の姿はさらせない。

 そんな連夜を、帰ったばかりの様子の篠塚しのづか晶哉しょうやが不思議そうに見ていた。


 「何やってるんだよ。馬鹿隊長」


 「別に。いや、キセトのことはお前に聞こう!あいつが人間らしいってどういうときだ?」


 「はぁ?あいつはいつだって人間だし、人間が人間らしいのは当然だろ」


 「はぁはこっちの台詞だ。あいつのどこが人間だよ」


 「人間と人間の子だ。人間以外に何が生まれるんだよ。キセトが人間らしいのなら、それは戻りつつあるということだ。人間を兵器として育てたあの人の呪縛が解けたってことだろ」


 静葉しずはが仲間になる時に心臓を貫かれても死ななかった。それぐらいしか今のところは化物たる正体を表していないと思われるキセトだが、実はそうでもない。毒病もその一つにかぞえてもいいかもしれないが、そんな話ではないのだ。

 羅沙と不知火しらぬいの賢者の血筋を継いでいて、平然と生きていることが化物たる由縁だ。

 人間と人間の子が、賢者の血筋や力を二つ分受け継いで、それでも生きている。爆弾を抱えて生きているなんてものではなく、常に爆発ほどのエネルギーを押さえ込みながら生きているということだ。

 そのくせに、そんな人生を当然だというキセトは狂っていると。人間であるなんて信じられないと、連夜はそうとしか考えられない。


 「お前とオレの感性が違いすぎて話がかみ合わない!」


 「キセトは人間。喜ぶし悲しむし楽しむし苦しむ。その傾向が出てきたのなら総出で祝ってやればいい」


 「まぁ、うん、そうなんだけどよ…」


 キセトが人間らしくなっていくことは連夜だって一向に構わないはずなのだが、どこかスッキリしない。何が連夜にそう思わせるのか。連夜のはずさない勘なのか、それとも連夜個人の嫉妬に近しい感情なのか。

 連夜のハッキリしない顔を見て、逆に晶哉は笑い声を上げる。


 「…なるほど。峰本みねもと連夜は困るわけだ。焔火ほむらびキセトが一人だけ人間になっていくことが、とてつもなく困るわけだ。一人ぼっちで置いていかれるのは嫌ってか?わかりやすくていいね。どうだ?交渉しだいではお前も人間にしてやるけど?」


 「そうやって田畑たばた沙良さらに付け込んだのか。その結果が死じゃ、オレは乗るわけにはいかねーな」


 「復讐女か。石家の術は死者をも蘇らせる。その言葉で釣れた。実際あの術式はうまく使えば死者を蘇らせられからな。まぁ、あいつらが成功するとは思ってなかったけど」


 失敗すれば蘇らせようとした対象は死ぬ。分かっていて止めなかったのは晶哉で、分かっていて術を教えたのも晶哉だ。そこまでして晶哉が「殺人鬼ミラージュ」で何がしたかったかは、晶哉がギルドに入隊した後も語られたことがない。


 「田畑は切り捨てかよ。それでお前の役に立ったわけ?」


 突然晶哉の顔つきが厳しくなった。どうやらそれは触れられたくない所らしい。

 だがその表情を上から塗りつぶすように、晶哉は再び笑顔を貼り付け、連夜の発言を鼻で笑う。


 「役に立つかどうかなんてレベルで試してないさ。あくまで実験の一つだからな。成功しない場合はその場合でまた意味はある」


 「失敗して人一人死んで、そいつを慕ってたガキ一人を大きく傷つけて、静葉に大きく恨まれるぐらいの意味か?」


 「…お前、まるで人間みたいなことを言うな。キセトを人間じゃないっていうお前のほうが、よっぽど人間からかけ離れてるくせに」


 「そうだな、オレも優しくなったんだよ。人と共存してやろうと、化物なりに頑張った結果だ」


 「それがキセトとお前の差だ。キセトは自分を化物とはいうが、人間より上だとは言わない。してやろうとかあわせてやろうなんて言ったことがない。逆だ。認めて欲しいだの愛して欲しいだの、そんな願いを時々もらすだけ。人間を上から見てる限り、キセトのことはわからねーよ、化物」


 それだけ言って入れ違うように晶哉は食堂へ入る。

 連夜はその空っぽの頭で晶哉の言葉の意味を考えて見たが、やはり分からなかった。人間が自分より上などどうして思えるのか。自身が何の力のない存在でも自己中心性と言ってもいいほどの性格をしている連夜にとって、自分以上など存在しない。

 晶哉の言葉も、静葉や瑠砺花るれかの言葉も、やはりこの男の芯には届いてすらいないのだ。



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