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この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
キセトの生まれが明らかになろうと、ギルドの日々は変わらなかった。
キセト自身を含め普段どおりに仕事をこなし、バトルフェスティバルの第二回戦が始まる日まで、何事もなく過ぎていったのだ。
「今日は前川兄弟の試合ですけど…、松本さんたちはいいんですか?ここにいて」
「えーなんでなのだよー?もっちろん普通に見るのだよ?なんたってこの試合に勝ったほうは次のシゲシゲと戦火ちゃんの対戦相手なのだよー?皆で見て、それぞれ弱点探したほうがいいのだよ。それなら私なんて一回前川たんたちとは戦ってるのだし、皆より弱点見つけやすいはずなのだよ」
「ぼくたちも二回戦に勝てば、の話ですけど…」
「何言ってるのですかー。一回戦なんて戦火様だけで圧勝してたのですよー?余裕のよっちんなのですぅー」
「また古い言葉を…」
第二回戦が始まる日、さすがに観客席にも人が入るようになっていて、一角を陣取るナイトギルド隊員たちへの非難の視線が集まっていた。松本姉妹に関する奴隷云々を責める視線かもしれないし、いつも通りの銀髪黒髪に対する非難の視線かもしれない。どちらにしろ、普段とあまり変わりはしないのだが。
それらの視線をものともしない連夜・松本姉妹・キセトに対し、おどおどといった態度で茂・戦火は画面を見上げる。最終調整をする前川兄弟と、すでに調整を終わらせているフード組が画面に映し出されていた。
「おい、キセト」
「なんだ」
三席×二列を陣取る形で座っているので、前の席の中央に座る連夜が後ろの右の席にいるキセトを振り返る形となる。前列右に座る瑠莉花と後列中央に座る茂が何事かと呼ばれてもいないのに顔を寄せたが、連夜はそれを避けるようにキセトに顔を近づかせ、小声で話しかけた。
「フード。いいのか、放っておいて」
中の人物が羅沙明津と不知火雫であることを知っていることは前提の話だ。
目の前に今まで会話もしたことがない両親がいる身として、接触しなくてもいいのか、と聴いたつもりだったがキセトは違う意味に取ったらしく、こう返してきた。
「…俺が指図する人たちじゃない。指図されるならともかく、彼らの行動を俺はどうも思わない。助けが必要なら助ける。それ以上は特に何もない」
「ふーん、強がりめ」
「俺は強がっていない。訂正しろ」
「意地になるなよ。仮にも賢者の一族様がこんなとこで負けないだろーけど、歳が歳だぜ?放置してる間に死んだらどうすんだよ。素直になっとけって」
「もし会いたいと思っていてくださるなら、すでに会いにきてくださっているはずだ。俺は、必要ないということだ。なら俺は俺の目的で生きる」
「もう一回言ってやる。強がりめ」
「俺はあの人たちに――
『それでは第二回戦開始ぃぃーー!』
鳴り響く戦闘開始の合図にキセトの小さい声はかき消されてしまった。言い直すつもりはないのか、連夜からキセトは体を引かせて画面に視線をやっている。
連夜も仕方がなく、今始まったばかりであるはずの試合を見るために画面に視線をやった。
「あれ、もう終わったのか?」
連夜がもらした声に、予想してもいなかった展開に固まっていた松本姉妹たちがやっと声を出す。何が起こったのか、など客席にもざわめきが広がっていた。
「フード組の一人が前川兄の武器を弾いたんだ。そしてもう一人が前川弟のほうの足を払ってこかしただけ。スピードが異常なだけだ」
たしかに初めの動きはそれだけだったのが、説明しているうちにも展開は続いている。ぶざまにこけた前川弟改め前川後陽に一人が馬乗りになり、すでにリングを奪っている。これでまず一人脱落になり、状況は前川兄弟に不利な一対二となった。
それでも容赦する気はフードたちにはないのか、馬乗りになっていたほうも構えなおし、少しの間だけの均衡状態を経て、再び目で追うのがギリギリの速さで追い詰めていく。
「うひゃー、四十過ぎてるくせによく動くなー」
「連夜さん、あの人たちのこと知ってるんですか?」
「え、あ、まぁ、知ってるっていうか、知り合いの親っていうか…」
連夜の視線が僅かにキセトに向く。キセトはその視線を受けても微動だにせず、ただただフードの二人を目で追うだけだ。その視線には、滅多に表面に出さないキセトの感情が篭っているような気がした。
それだけで松本姉妹や戦火・茂には、フードをかぶる二人組が誰なのか、すぐにわかった。
「ふーん。帝都にいるのにキー君には会いにこないのだねー。ちょっと軽蔑するのだよ」
瑠砺花からすれば、明津が名乗り出ればいいとしか思えない。
確かに不知火雫との恋仲は反対されるだろうが、今は皇位に羅沙鐫に続き羅沙明日が就いているのだから。昔は昔、今は羅沙明津の未来に皇位など待っていない。なら反対の声も少ないのではないだろうか。
「だいたい息子もいるのにいまさら反対されてもーって話なのだよ。強行突破しちゃえばいいのにーって私は思うのだよーん」
「その息子が問題なんだよなー。どうせ国を捨てた二人がいまさら、『戻ってきました』なんていうつもりねーだろうし。あそこで戦ってるフードたちは周りの観客なんて鏡程度にしか思ってないだろうな。ずっと直視してるのは息子だけだと思うぜ」
「レー様のくせに難しい言い方するのですぅー」
「ムズカシイって…。じゃ、あれだ、言い直すと、フードたちは『認めろよ』って主張してるのはキセトのことなんだよ。自分たちのことなんかもう認められなくてもいいんだって。自分たちは否定されてもいいけど、自分の子供たちは否定されたら嫌なんだろ?そーゆーこって」
「さらに分かりません」
後ろから茂に一蹴され、連夜から説明する気が失せていくのを全員が肌で感じる。語りだした時は意気揚々としていた目がすでに面倒そうに半目になっている。
そしてその様子の変化に沿って変わった張りのない声が無理矢理締めくくるために発せられる。
「んー、まぁ、展開はどうなるのやら。ってのがオレの今のところの意見。あの人たちの人生はあの人たちが進める権利を持ってるし、オレの人生はオレが、キセトの人生はキセトが。だから振り回して振り回されて生きていくってことだろ。どーせ人間だ」
「あの某神様はキー君のこと考えてないっ!それが嫌なのだよっ!」
連夜が面倒だと思っているのは態度で明らかだったので、瑠砺花も返事を求めない言い切った形で言葉を返す。
改めて全員が画面に視線を戻した頃には、前川兄―前川前陽―が必死に逃げ回っていた。それを見る側の観客のほうが早く萎えるぐらいにみっともなく、だ。
「鹿島の野郎っ!何が『後は決勝まで問題ない』だ!とんでもねー化物いるじゃねーかっ!あいつらさりげなく、しかもカメラに映らないように嫌がらせするのうますぎだろ。絶対にあのフード商売仇だっ!おれに恨みを持ってるに違いないっ!そうじゃなきゃこんな嫌がらせうける必要なんかねーだろぉぉぉぉ!」
実際は商売仇どころか知り合いですらないのだが、前川前陽が嫌がらせを受けたのは事実だ。早々に弟が目の前でリタイアとなり、前陽としては負けを悟っていた。そしてそれが本来の実力の差による結果だったはずだ。
だがフード組は前陽を逃がし、後ろからじわじわと追い、追いつけなさそうで追いつける距離を保って遠距離の武器で攻撃してくる。前陽自身も太ももに矢を喰らい、すでに心も折られかけていた。
「気づいたかしらねー?」
「気づくわけないさ。自分が他人を追い詰めたとは思ってもいないんだからな。それに俺たちだって関係があるわけじゃない。情報屋とつるんでるみたいだけど知ってるわけがない。だって俺らが勝手にしてるだけなんだからな」
「そうねー。まさか私たちが息子のいる年齢で、その息子が所属するギルドのかわいこちゃんが人にさらしたくない事実をさらしたことで、その息子がちょっと嫌な思いして、それだけで親である私たちが逆ギレしてこんな年下いじめしてるなんて思わないわよね」
「そうそう。まさかそれだけで羅沙全国放送されてる公式大会で見っともない姿さらすことになるとは思いもしなかっただろうな。まっ、歳もそう変わらないみたいだし、いじめるけど」
瑠砺花は、この二人がキセトを愛していないのではないかと考えたが、実はそんなことは少しもない。むしろ「羅沙明津を知らない」という理由だけで子を殺す親よりかは自分たちの子供たちを溺愛している。
「それはそうと、俺、弓の命中力あがったくね?天才じゃねっ?いつまでも成長するスーパースターじゃね?」
「はいはい、ソウデスネ」
「あっ、なんか呆れてるっ!ひどいな、せっかく夫がテンションあがってるんだから、テンションあげていこうぜ」
「あなたに気分を合わせていたら身が持たないのよ」
明津が当てようとして当たった矢は全体の七割といったところで、これがもし命をかけた実践なら到底使い物にならない。そもそも弓というものは数で勝負すべきもので、味方に弓が一人なんていう状態ではほとんど使い物にならない。もしそんな状況なら、当たって当たり前の距離から当たって当たり前の的に向かって放つのが当然だ。
不知火の言葉通り百発百中の弓使いを見てきた雫の目には、明津がどう成長しようと下手糞にしか見えない。
「明津、足のひざから下にもう一本。あと胴体にも一本だけ当てましょう。五発撃ってその二発当てて頂戴」
「んー、矢があと六本なんだけど六本で二発じゃだめか?」
「敵の武器が尽きた状態と一発残っている状態の差は大きいわ。一発は残しておきましょう。まず下半身から、意外と移動速度が落ちてないの。じわじわと、じわじわとやってやるわ」
「あーこわっ。二発だな」
「連続で当てないでね。あと三発はずすとわざとらしいわ」
「了解」
一発目、できるだけ山形になるようにはずして撃つ。当然当たらない。
二発目、今度はできるだけ直線になるように。下腿に刺さる。
三発目、はずすために撃った矢が偶然腕に当たった。雫から続行の指示がでる。
四発目、今度は偶然当たることを恐れて少し遠めに威嚇用を撃つ。
五発目、きれいに腹部に刺さった。
連続で五発もうち、距離も開いたが、逃げる前陽の動きが明らかに悪くなったのですぐに追いつける距離だ。雫は小声で明津に礼を言ってから、自分の武器を抜く。
今では羅沙でも珍しくもないが北の森を象徴する武器でもある刀を使う人間は少ない。だが雫は何のためらいもなく二本の刀を構えた。体術を得意とする雫にしては、刀を使うこと自体が手加減なのだが、追われる前陽にそれは伝わらなかったようだ。雫には恐怖でその場に竦んだ前陽が見えただけだ。
「ひぃぃぃぃっ!」
思えば連夜に脅されたりかわいそうな人だが、息子と故郷を馬鹿にされた雫にはそんなこと関係なかった。
「貴方は言ったわ。『あんな北の森の民なんか』って。北の森の民だから、何なの?馬鹿にするのもいい加減にしなさい。夢を見ているのは民だけで、皇帝は気づこうとしていた。いえ、気づいていたのよ。ただ皇帝が気づいても、後継者が気づいても、民が変わらないと国は変わらないの。いつまでたっても貴方みたいなのがいるから、明津も苦しむのよ、永遠に」
「あ、明津様っ!?明津様を知ってるみたいな言い方っ……」
「知っているわ。えぇ、よーく、ね」
「刀なんて使う奴がよく言うな。嘘つきの化物っ!」
「誰の女が化物だってぇぇぇぇぇぇ!!」
刀と剣で競り合っている横から明津が割り込む。言い方が驟雨そっくりなのは、伯父だからかもしれない。明津はすでに弓を捨て、片手剣を手にしていた。そして片手に盾。剣士の王道中の王道のスタイルだ。
「雫はちょっと下がってくれ。さて、もう一回聞こうかなっ!誰の女が化物だぁ?この場で全裸土下座させてやろうかぁぁぁぁ!」
雫が一度引き、明津が戦闘を引き受ける。明津は怒っているようだが、北の森の民だからと化物呼ばわりされることに慣れている雫と、北の森の民以前に実力的に化物だと言ったつもりの前陽は、その怒りが理解できていない。
よって全裸土下座発言は味方である雫にすら引かれていた。
「それはされても嫌だけど…」
「てか何で全裸で土下座…」
「俺の家ではパンイチで土下座が一番誠意がある謝り方だと教えられたっ!」
「嘘だわ!それは嘘だわっ!というより本当だと思いたくないわ!」
明津の出身家を知る雫は頭から明津の言葉を否定し、知らない前陽は変わった家なのだと軽く受け流す。
ある意味硬直した状態で二人に見つめられ、明津が首をかしげた。
「えっと、おかしいこと言ったか?」
「貴方にしては普通かもね。でも貴方の家まで巻き込んで変にしないでちょうだい。私は貴方の家のことはとても大好きだし、変だと思ったこともないのよ。貴方の家は何もおかしくないわ。しきたりは変かもしれないけれど。貴方が変なのよ」
「俺がっ!?俺は変じゃないだろっ!」
もしかしてアレンジがダメだったのかっ!などと叫んでいるところ、とてつもなく変だと自覚していないらしい。パンツ一丁から全裸へのアレンジもだが、その行為自体が変だとは思いもしないらしい。
雫のため息を聞いて、会話を聞いていただけの前陽もおもわず雫に同情した。こんな変人とペアなんて絶対に無理だわ、と心の中だけで呟く。
「聞いてる限り変だと思うけど…」
「あぁ?テメーには聞いてませんけどぉ!てかテメーに変とか言われる筋合いねーしっ!」
前陽が雫への同情心のみによって意見を挟んでみると見事に一蹴さてしまった。
雫のみは前陽に対してではなく明津に対してため息を漏らしていた。
「では改めましてっ!皆が大好き神様のフード男ですっと。見ての通り片手剣と盾の王道スタイルで戦わせてもらうぜっ!」
「戦いにわざわざ名乗るなんてな。もしかしていいとこの坊ちゃんかよ!それならあの一回戦の奴隷女のほうが戦いを理解してる。決闘でもないんだ、勝てばいいっ!」
「まぁお坊ちゃんといえばお坊ちゃんだけどよー…。そういわれるとテンション下がるな。ただそう教わったんだ、ガキの頃に。それはもう口が悪くて態度がでかくて俺にだけすぐ暴力働く先生によぉ」
「なんだよ、その先生、最低だなっ!聞いて驚くなっ!おれはなんと、あの東雲高貴の弟子の同僚に剣技を教えてもらったんだぜっ!」
「それ赤の他人じゃないの?」
それを聞いて明津が心の中だけで笑う。
明津が言う口が悪くて態度がでかく、さらには明津にすぐに暴力を働く先生というのが東雲高貴自身だからである。
これが戦いの途中出なければ腹を抱えて笑い転げていただろう。
(そっか、東雲は今、羅沙一温厚とか言われてるんだっけ。殴られた記憶と説教された記憶しかないのに。俺以外には優しいとかだっけ?そんなこともなかった気がするけどな)
「上の空かよ。いくらなんでも舐めすぎだろ化物どもっ!」
「ゴメンゴメン。手を抜いてるけど不真面目なつもりはない。本気でやったらかわいそうだろ。今もいじめたから十分かわいそうだけどな。さらに惨めな気分になりたいってのなら進んで全力を出してやろうか?」
叫び返してやろうとした前陽だが、相手の剣にそんな隙はない。相手の剣を受けながら首を横に振って拒否の意を示しておいた。
明津の剣の動きが再び手を抜いた、テキトウなものに変わる。今度は前陽も何も言わず、その甘い剣さばきに甘えて明津の隙をうかがう。
「お前さ、おれに何の恨みがあるんだ?いや、お前ら、って言うべきか?」
「恨み?恨みっていうか、腹が立ったというべきだな。お前は俺たちの大事で大切な息子を不快にさせただろうから。ムカついた。それだけだな。他はお前の名前も顔も知らなかったってのが本音だ」
「むす、こ?え、あんた息子いる歳なのかよっ!」
フードで顔は隠れているといっても、顔すべてが隠れるほどではない。せいぜい目元が見えない程度で、口元などははっきり見えている。だが見えている肌や口元は、遠目から見ても子供がいるような歳ではなく、若々しい十代のそれそのものだ。
雫は歳相当に見えている部分も歳を取っていたので、前陽はこのフード組を親子だと思っていたぐらいである。
「俺が若いと言いたいのは分かった。だがそれは余計だ!歳相当でありたいという思いが分かるかっ!」
「い、いやっ…。人は見かけによらないものなんだな…」
やけに明津のテンションが高いせいで、前陽の態度はすでに深入りせず流そうとするものになっている。
知り合いでも直接恨みを買ったわけでもない相手に、ここまでの嫌がらせを受けたのは納得できないが、それ以上に今は目の前にいる男と関わりたくなかった、のに。
「ん?何々?息子のこと気になる?」
「そんなこと一ミリも触れてないだろ!?」
「いやー、俺にそっくりでなー?びっくりしたわ、あれは。クローンかっ!て突っ込んだからな、俺。でもやっぱり息子は息子なんでかわいいんだよなぁー。こー、無意味に頭撫でたくなるな。向こうもいい年なんだけど抱きしめたくなるな。髪がぐちゃぐちゃになるまで撫でて抱きしめて寝たくなるわ。昼寝とか一緒にしたい」
「撫でるとか抱きしめるとか自由にしとけばいいだろ…。なんでおれにこんないじめみたいなことやってるんだよ」
「そうなんだよな、なんで俺はこんなところにいるのか。まぁいじめも十分したし、ここら辺で終わらして息子に駆け寄るってのも手なんだけど…。なぁ?駆け寄って拒否されたらどうしたらいいと思う?」
「息子に嫌われてるのかよ」
前陽としては素直な感想の一言だったのだが、それまでおとなしくしていた雫も、比較的談笑ムードだった明津も、その一言で態度を一変させた。
雫はもとからだったが、あれほど話を吹っかけてきた明津まで黙りこくり、さらには、フードをかぶっていても分かるほどあからさまに前陽から首ごと視線をはずしている。
「ど、どうしたんだよ。さっきまでうるさいぐらいだったくせに…」
「…終わろうか、あんまりじめるのもかわいそうだからな」
「はぁっ!?ふざけんな!」
相手の余裕があまりにもいらだった前陽が大降りの一撃を狙ったのだが、明津は盾で受けきった。そして明津の真後ろで待機していた雫が、前陽の腕を狙って刀を舞わせる。
前陽は腕を切られたものだと思った。命をとろうとしている者の闘気だと感じ取った。自分の武器を捨て、全力で後ろに飛ぶ。避けることができたとは思っていない。むしろ何の意味もない逃避行動だったと分かっている。だが、恐怖が何もせずに受けることは許さなかった。見ることすら否定して逃げないと、自分を保てないと感じたのだ。
だが、思ったような衝撃が前陽の腕を襲うことはなかった。恐る恐る目を開けると、リングがただの残骸となっていたこと以外、前陽の腕にも、体全体にも、変化という変化は見られない。雫の斬撃はもとからリングだけを狙っていたものだったらしい。
「あんたらさ、顔隠すのなんで?そこまで強いなら名前が売れてるとか?あんまり名前出したくない売れ方してんの?」
一瞬でも死ぬかもしれないと思った前陽は、ほっとしたと同時に地面に腰をついた。司会が前川兄弟の負けを宣言して魔空間から返される間、目の前にいる二人に時間つぶしとして尋ねる。
フードの二人、明津と雫は、苦笑した口元を見せるだけでその質問には何も答えなかった。
魔空間から返され案内された出口を抜けると、明津にとってはある意味懐かしいまぶしさに襲われた。どうやら、このバトルフェスティバルを取材している記者らしい。
「あぁ俺たちは取材拒否でお願いします」
「な、何か一言だけでもっ!戦闘中でもフードを気にしていらっしゃるようでしたが、お名前等はお聞きしてもよろしいでしょうか!」
「あーん、えーっと、んー…、ダメ、かな?」
「あなた、行きましょう」
「ご夫婦なのですか!?」
雫は明津という言葉を避けてあなたと呼んだのだが、記者はその言葉一つにも食い下がった。たいした事故も起きていない羅沙で仕事が少ないのもわかるが、あまりのしつこさに雫が意図的に黙る。それを明津も感じて早々とその場を立ち去ろうとした。
「すいません」
「え、俺たち?今度は誰?」
すると記者をも押しのけて一人の女性が明津と雫の前に立ちふさがる。明津と雫が視線を交わすが、互いに知り合いではないことだけは確かだ。
「えぇっと、どちら様?」
「知らなくて結構です、今は。今後にはそれなりにお付き合いすることになると思いますが、まぁ、はい、もう一度謝っておきます、すいません」
どういうことだ?、と明津が尋ねる前に。
バチン、という女性が明津の頬を叩く音が場を支配した。すぐに女性は雫にも振りかぶったが、雫に当たる前に明津が女性の手首を捉えて止める。
何の固定もされていないフードが落ちていて明津の顔が明らかになっていることも、女性がまじまじと恨みを込めた視線で明津を見ていることも、叩かれる寸前だというのに雫が微動だにしていないことも、記者以外はすんなりと受け止める。
「俺はあんたに叩かれる覚えはない」
「私じゃなくてキセトの分です。キセトは優しいから貴方たちを恨まない。でも、恨むべきだと思います。キセトが貴方たちの名前を呼んで助けを求めた時、貴方たちは何があれば助けに現れなくともいいといえるのですか?」
「…キセトの、知り合いなのか?」
「放してください」
「もう一回しか聞かない。キセトの知り合いなのか?」
「放してください」
「………ちっ」
明津が折れ、女性の手を放す。女性は肩にかかる髪を払いながら一・二歩下がった。
記者は明津に見とれ質問するタイミングを完全に失い、明津と女性はただ睨みあい、雫は黙って明津のフードを直す。誰も言葉を発しない。
「………」
「………」
明津がため息を漏らして初めて場が緩む。
明津は雫を振り返り、かわってくれ、と雫の後ろに回る。おそらく自分では冷静に話し、相手からキセトのことを聞き出すことはできないと思ったのだろう。
溺愛する息子の知り合いからのコンタクトに、雫も冷静になれないことは同じだったが、自分を守ってくれた明津の願いでもあったので、雫は素直に受け入れた。
「……。ねぇ、お嬢さん?なぜお嬢さんはキセトの代わりに私たちを殴りにきたの?知り合いでもない人がそんなことしないわよね?キセトに頼まれたの?」
「何も分かってないのね。当然か、だって貴方たちはキセトに会ったことも話したこともないんですものね。キセトはそんなこと頼みません。誰かを傷つけてこいなんて絶対に言いません。どうしても他人を傷つけなければならない時は自分でやります。私が勝手にしたことですよ」
記者がメモ帳のようなものに必死に書き留めていく。
正体不明のフード組の一人が羅沙明津で、さらには焔火キセト関係の女性が明津を殴ったというネタを手に入れた、言えば運がいい記者なのだ。その運をつかもうと必死なのである。
が、雫や明津、女性やこの場にいないキセトという当人にとっては、そんな記者を構っていられるほど余裕が持てることではない。
「わかっていなくてごめんなさいね。それでも殴られなくてはならないようなことがあったかしら?」
「わからないのですか?馬鹿じゃないの?貴方たちはキセトを捨てたくせに」
「捨ててないっ!変なこと言わないで頂戴!」
「捨ててますよ!今だってキセトは客席にいる!ただ会いに行けばいいだけの状態で、会いに行かないってのは捨てたも同然ですっ!」
「…っ…、お、お嬢さんに何が分かるの…?ただ会いに行けばいいだけ?簡単に言ってくれるわね。本当にそれだけなら何の問題にもなっていないのよ!」
「問題にしてるのは貴方たちでしょう!キセトが悪いわけじゃないのに、キセトだけに押し付けてるのはあなぐっ――
「やめとけ。やめとけ。やめといたほうがいい。ほら、落ち着けよ」
後ろから口をふさがれて女性が強制的に黙らせられる。だがすぐに手も放された。弾かれたように女性が後ろを振り返ると立っていたのは峰本連夜である。女性がまさかキセトも一緒なのかと後ろの覗き込んだが、どうやら一人らしい。
「ほら、オレらより向こうが年上でばばぁとじじぃでどうしようもなく経験が多いんだから、口じゃ勝てないぜ?それにあんたが傷ついた顔してたら、ナイトギルドの超ウルトラ優秀な副隊長が使い物にならなくなって困るんだよ。ほら、文句なしに帰るぞ。あんな年取っただけの奴らなんて構ってる暇、若者にはねーだろ。あんた自分の店は?」
「優秀な店長に任せてきたのよ」
連夜は明津と雫と記者を完璧に無視し、すでに女性を引っ張ってその場を離れていた。早々に手は放したものの、引き換えしてまで明津や雫と言い合いしようと思わない。女性は諦めたっ!と叫んでから連夜と並んで歩く。
「まぁいいわ、帰ることにする。話が成立しないぐらい、キセトのこと知らないみたいだし」
「え、のろけてたのか?まさか?オレはのろけ話聞きたくねーぞ」
「えー聞いてよー」
「じゃのろけ話録音してキセトにっ――
「殺すっ!」
「暴言っ!最近の若い女性すぐ殺すとか言って怖いっ!」
最近の若い女性がおかしいのではなくて、静葉を代表する連夜の近くにいる女性がおかしいのだが、女性はあえてそんなことは言わず、笑ってごまかす。
ギルドの門の前まで来て、女性は連夜に別れを告げて自らの店のほうへ戻っていた。その背中を見送って、連夜が携帯を開く。
「キーセト君。亜里沙ちゃんとデートしちゃった。ごめんなー」
携帯の向こうで破壊音が鳴り響いた。




