042
この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
帝都中を走って玲を探したが、結局キセトには見つけることはできなかった。
人通りの少ない路地で、どこのものかも分からない荷物にもたれて座り込む。莫大な体力と魔力を持つキセトにとって懐かしい汗をかいていた。帝都に着てからというもの、純粋に動くことによって汗を流すことなどなかったのだ。
ギルドに篠塚晶哉が来て、キセトも驚かなかったわけではない。
だが晶哉には一度帝都で会っていたこともあり、訪ねてきても古い知り合いがただギルドを訪ねてきたとしか思わなかった。そこに動揺を露にする程の強い感情は発生しなかった。
それでも玲が帝都に来ているとなれば別だ。自分が幼少だったころから知る相手であり、自分の担当医としてだった男が帝都に来ているということは、キセトにとって驚く程度で収まることではない。
なにせキセトは彼が死んだものだとばかり思っていた。キセトを帝都へ行かせるために自分の命を投げ出した。自分のせいで死なせてしまった、自分が背負うべき存在だと思っていたのだ。
「無事なら無事だと連絡しろよ…。玲ならいくらでも方法があっただろうに」
なんとなく、誰もいない空間に声をかける。相手は石の保護を得ている人物だ。いまさらだが、しっかり考えれば不知火で彼が殺されるはずがなかった。そして、彼は医者だ。キセトの毒病が治らない限り追いかけてきても不思議ではない人だ。
ただキセトは「普通に考えて」それはないと思っていた。逃走者に厳しい不知火で、キセトという黒獅子の逃走を助けた玲は、何の例外でもなく殺されると思っていた。
結局キセトの考えが足りなかったのだが。
「無茶言わないでよ。ぼくだって目を付けられていたんだからね。ところで、久しぶりだね。元気だったかい?」
「相変わらず、なんでもありだな」
キセトは声の主を探すこともせず、視線を上げることすらせず声を返す。
声の主が不知火玲であることは分かっている。そして近くにいるわけでもないということも。
何らかの魔法で声をキセトに届けているだけなのだろう。姿を現さないあたり、キセトが知る玲らしいといえばらしい。
「なんでもありだって?そんなことないよ。ぼくは不知火の牢獄から羅沙のラガジまで一瞬で移動できるよりも、毒病を完治させる方法のほうがいいと思うし。ぼくは医者だけど君の毒病を治してあげられないじゃない?ぼくにとってはなにもできないに等しいぐらい、それはショックなことだよ」
姿も見えなければ近くにいるわけでもないので伝わるはずもないのだが、キセトには玲がどのような様子で話しているのか想像できた。
やけに自信ありげで、さらには相手を舐めきったような笑みを浮かべて、男にしては小さい体を精一杯張りながら話しているに違いない、と。
「まだ毒病について調べているのか?俺ほどの重症でなければ治していたじゃないか。それで十分世界一だよ」
「あのね、ぼくは世界一を維持したいわけでもないよ。ただ患者を治したいだけさ。ぼくはこの世界が大嫌いだから世界丸ごと嫌いになりたいんだよ。みーんな健康になればみーんな嫌いになれるでしょ。だから病人とか怪我人とか片っ端から治したいんだよ。それに必要なのが医術だったわけ。自称世界一って自信満々に名乗るのは、そのほうが患者が集まると思ったから。別に世界一になりたかったって分けじゃないんだよ、本当に」
「俺を含め、嫌いになりたいというわけか」
「安心してよー。嫌いになろうが好きになろうが、ぼくはぼく。嫌われてる奴から好かれるのは嫌じゃないよ。なんていったって心は広いほうだからねっ!
あっ、そうそう。そのあたりね、志佳っていう情報マニアがいるから気をつけてね。情報を集めるために二種類の【トレース】ともう一つの禁じられた魔法を使うひどい人だから。君に興味津々だと思うし、狙われてるんじゃない?ぼくは危ないことできないし守らないよ?怪我したら治してあげるけどねー」
「こっちは疲れているんだ。玲を探して走り回っていたんだからな」
「もー、病人の癖に元気だねー!大会まで参加してさ。安静にしてなよ?ぼくは滅多ことがないと殺されないからさ。安心して安静にしてなさい。担当医の指示だから言うこと聞くように。また必要とされれば治療しに行くよ。志佳に気をつけてね?じゃ、元気でねっ!」
いつも通りの言葉で話が締められ、辺りに満ちていた玲の気配が消える。
おしゃべりな玲にしては早い話の切り上げを疑問に思いながらキセトが立ち上がろうとして、玲がそうした理由がすぐに分かった。玲はキセトのすぐそばまで迫っていた志佳から逃げたのだ。全速力で。
「おや、今目覚めたのかい?タイミングが悪いね。とりあえず、初めまして。志佳という裏路地の住人だ」
玲の声が聞こえて気がついたらすべて夢にされていたことはあるが、目が覚めたときに見たことない人が上に座っているなんて初めてだった。
しかも掲げるその手には、明らかに魔力が関与しているだろう光の玉が輝いている。この状況からしてキセトに対して使おうとしているのだろう。
「…初めまして。まずお聞きしますがなぜ俺の上に座っているのですか?」
「ん?あぁ、安心しろ。危害を加えるつもりはない。ただ世界を知るために、記憶を見せてもらおうと思ってね」
「記憶ですか。お断りしますといえばどうなるのでしょう?」
「少し痛くなるよ」
志佳の手の中で光が強さを増す。明らかに発動直前だ。
退けようと志佳に手を伸ばす。キセトの力なら簡単なことなのだが、簡単すぎる故にキセトには手加減というものが分からない。ほんの少しの力加減の間違いで相手を殺してしまう力のせいで、一瞬だが、キセトは志佳に触れることをためらった。
「君を【トレース】して知ったのだが、人を傷つけることがそれほど恐ろしいのかい?宝の持ち腐れだね。強靭でありたいと願いながら、弱小な存在であるしかなかった。そんな人たちを馬鹿にしている行為だ。強者は強者らしくしていればいいものの」
志佳は優しく、それこそキセトがどうすればその優しさを表現できるのか分からないと嘆く、それそのものを込めて、キセトの中途半端に伸ばされた手をつかむ。
「君は、君の意志で動く人間だ。だから私は不思議だ。なぜ君が羅沙を選んだのか。君は父がどう、母がどう、といったことに振り回されると思わない。君自身の意志で決めたはずだ。私はその意志の基盤になった記憶を見たい。知りたい。己の純粋な欲求として」
キセトが言い返す言葉を探す間もなく、光が辺りを埋め尽くし、キセトは意識を失った。
志佳が降り立った世界は、本来ならキセトの記憶の中、もしくはキセトの記憶に続く「道」と呼ばれる場所のはずなのだが、どちらにしてもありえない人影を見つけ、志佳はその影を黙って凝視する。その影は、個体で意識があるように思える。実際に志佳の姿を認めると、注目するようにして視線を向けてきた。
だが、それはこの記憶の中という特別な場所においてありえない存在だ。
キセトの記憶の中に存在できるのは志佳のような侵入者か、またはキセトの意思そのものだけであるはずなのだ。
だがその影はどの形になろうか迷っているとでも言いたげに、ゆらゆらと揺れるだけで形を成そうとしない。志佳以外の侵入者がいない今、ここにいていいのはキセトの姿をとる何かだけだ。
【貴様、侵入者か。力を持たぬもの。まがい物。そして命という神秘を所有する生命体。〝ここ〟にきてはならぬはずの命あるもの】
「今まで数人の記憶を覗いたけれどそんなことを言われるのは初めてだね。なんだ、君は焔火キセトではないのか?」
【個体に付いた名前で識別するのは生命特有の現象だ。〝私〟を所有する生命が生み出した方法だ。個ではない。また、全でもない。区別も融合もない。また、存在するとは言わない。人間の言葉で言い表すなら〝力〟だ。羅沙将敬という個が所有し、命尽きる瞬間にこの身体にある効力と共に受け渡された力。この身体を所有する、お前がいう焔火キセトという個には所有権のないものだ】
「焔火キセトに関係ないということか…。ならなおさら不思議だ。侵入者ではない。だが焔火キセトに関連するものでもない。ただの力であるお前が、なぜこの記憶の道にいるんだ?ただ受け渡されただけの力が、意志を持ち、なぜこの道を塞げるのか」
いまだ形とらない影は無感情に揺れつつ志佳の言葉を聞いているようだった。
そしてしばらくの沈黙の後、かなり言葉を選んで志佳に答える。
【羅沙将敬という個が残した意志であり、またその個はこの身体を所有する個と無関係ではないからだ。羅沙将敬という個に強く影響された〝力〟がここに残っているに過ぎない】
「無関係ではない?親子だろうと兄弟だろうと心や記憶は別だ!クローンですら心が区別されるかぎり、この道には存在できないっ!羅沙将敬と焔火キセトは祖父と孫の関係のはずだ!それ以上の関係があるというのか!」
【〝力〟は所有者たる個に従う。この記憶につながる道をなんたる個も、なんたる全も、なんたる〝力〟も通さぬその意志に、〝力〟は従う】
「羅沙将敬が焔火キセトの記憶を他人に探られないようにしたというのか……」
志佳が一番に思ったことは、純粋な疑問。
実力があろうとなかろうと、羅沙将敬と言う人間は自分の利益、または国の利益を優先とした。自らの妻の遺体にすら刃を向けるような男だと志佳は知っている。
そんな男が、いくら自分の孫だといえ守ろうとしたのか。
「いや、そうではないっ!焔火キセトの記憶には不利益なことがあるのかもしれないっ!事実を知るために、私は焔火キセトの記憶という情報を求める!」
【所有者たる個に従う。羅沙将敬の身体は死を受け入れた。なら羅沙将敬という個の心に従う。その心すら死を遂げたというのなら、〝力〟に従う】
「情報屋に情報を求めるなというのかな…?」
【情報屋たる個に指図することは不可能だ。個に干渉できるのは個であり全である生命のみ。……個は、個同士争っていろ。この身体の所有者たる〝力〟を巻き込むな】
「っ!?焔火キセトが…、力…?」
この影は生命と力を別物として話していたのではないのか。まさか焔火キセトというものは人間は愚か、生命体ですらいないのか。
志佳がさらに深い思考に踏み入ろうとした時、志佳の体が大きくブレた。キセトが目覚めたのか、はたまた志佳の体に何か起こったのか。どちらであろうと時間切れを示している。
影もそれを理解しているのか、早く帰れとばかりに揺れ動いていた。影の奥にあるだろう記憶への扉すら見えない。
「今回は諦めるか。何なら本人に聞けばいい。最終手段だがな」
志佳のすべての情報の中にも存在しない〝力〟。
それが焔火キセトの中にあり、その〝力〟いわく、焔火キセトも〝力〟らしい。
「いずれ井戸は枯れる。枯らすのは、私だ」
【〝焔火キセト〟は人間だ。羅沙明津と不知火雫の血を引く子供。それは明言しておいてやろう。情報屋たる個へ〝力〟からの優しさだ】
引きかえろうとする志佳に力は今までにない優しさを見せた。思わず振り返ると影は焔火キセトのような、または羅沙明津のような、そしてはたまた羅沙将敬のような、人間らしい姿をしていた。
不思議だとは思ったが、志佳にとって情報による判断が一番だ。また膨大な情報を集め、知ればいい。志佳はゆっくり目を閉じ、道から己を撤退させた。
志佳が再び目覚めると、顔半分に猛烈な痛みを覚え、目の前にはキセトを背負って去ろうとしている篠塚晶哉の姿があった。
「篠塚晶哉…」
邪魔したのはお前か、という怨念を込めて名前を呼んで見たが、彼にしては珍しく嫌味ったらしい笑顔を見せることはなかった。
「篠塚晶哉が私の邪魔をするとは意外だね」
「馬鹿か。おれはな、あんたがキセトを守るのに丁度いいから利用してただけだ。情報屋を情報屋として、だ」
「あらあら。私が一杯食わされたってわけなのかな?」
「食わされたもなにも、おれは最初から言ってるだろ。キセトを守るために敵も、味方も、自分も利用してキセトを守る!なんの悪戯なのか、おれの大嫌いな在駆先輩と同じさ。それは今も昔も変わらない。家も血筋も何もかも知らないガキの頃、決めたこと。
守りたいっ!だから守る!それだけだっ!!」
「篠塚晶哉の過去を情報として知る私はなんと言えばいいのか。哀れだな」
志佳がたった今手に入れた情報。まだ裏づけができていない情報を広めるわけにはいかないため口には出さないが、篠塚晶哉が背負う人の姿をしたアレは、生物ですらないのかもしれないのだ。
生きていないのなら『守る』なんてどれほど馬鹿げた言葉となるのか。
「哀れか。哀れだろうが空しかろうが、キセトがまた笑えるまで守り続けるさ」
また、と強調される言葉。
篠塚晶哉は数少ないキセトの心からの笑顔を見たことがある人間だ。にっこりと笑う顔も、無邪気に遊ぶ姿も、嫌いなものを嫌がる姿も。キセトのありとあらゆる人間らしい姿を見てきた。
志佳もそれを知っているため、何も口にはしなかった。例え今手に入れた情報にどんな裏づけがあろうとも口にはしなかっただろう。そんなふうに人間としてのキセトを見てきた篠塚晶哉に、人間は愚か生物ですらないかもしれないなど、言えるわけがなかった。
情報屋としても志佳は人間なのだ。篠塚晶哉の心境を考えると、とても口にではできなかった。
「じゃぁな。おれはコイツ連れてかえる。今回のことは下手に広めたりしないことは約束しといてやる」
「帰る?君のマンションの小部屋にか?」
「あー、まぁいいか。教えとく。峰本連夜に無理矢理ナイトギルド入れられたんだよ。キセトが制御しやすいとかどうとかで。大体おれのことを峰本連夜に教えたのはおまえだろう?いちいち逃げ回るのにも面倒事が多いんでな」
「ほう、篠塚晶哉がナイトギルドに、か。それは楽しそうだな」
見送る言葉もない志佳は、別れの言葉にこんな言葉をおいて姿を消した。
篠塚晶哉もしばらくは志佳の姿を見送っていたものの、背負うキセトのことが心配なのか早々に踵を返した。