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この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
今目の前にいる父に対して、嫌いだとか怖い人だとか感じたことはない。むしろ接点が全くないので他人と言ったほうが近い気もする。
「ナイトギルドへの入隊を許可したのは私だ。貴女の決断に口を挟む気はない。ただ他の家に対しての顔を保つために呼び戻しただけだ。明日からまた、頑張りなさい。貴族として、闘技家の顔を考えるのは成人してからでよい。貴女は外でしか学べないことを二十歳までにできる限り学びなさい。よろしいですか?」
「はい、お父様。ご迷惑をおかけいたします。醜いものをお見せするかもしれませんが、出来の悪い娘の愚行をお許しください」
夕食の間は言葉を交わさなかった。
ただ他人のような態度をとる兄たちに囲まれて、戦火はナイトギルドのにぎやかな夕食を思い浮かべてやり過ごした。この厳粛な空気こそが貴族の基本だとするのなら、戦火にはナイトギルドの空気のほうがあっている。
もしかして貴族として生まれるべきではなったのではないかと考えながら自室で休んでいたところ、父の司書に呼び出されて、父の私室へやってきたのである。
部屋に入るとすぐに戦火の父、闘技柳鬼はにっこり笑って「楽しそうでなによりだ」と言い放った。ナイトギルドに入隊してから気づいたのだが、柳鬼は戦火が貴族の暮らしより庶民の暮らしを好んでいることに気づいた上で、一般人としてのギルドの生活を送ることを許可すると言ってくれていることに。
「私は貴女が闘技家を出てどこに嫁ごうと、それも強い意志に基づくものならば口を挟む気はない。貴族としての私の意見は、貴族の家に生まれた長女としてそれなりの家へとついでほしいものだが、あくまでそれは貴族として。貴女が庶民、他国、商人。どの家のどのような男性に嫁ぐとしても受け入れましょう」
「ですが、私には驟雨様が………」
戦火が言おうとしていることを柳鬼もすぐさま理解する。
上流貴族として貴族の代表的な家の長女でもある戦火には、婚約相手として羅沙皇族でもある羅沙驟雨がいる。先代の羅沙皇帝が早くに亡くならなければ、皇族唯一の男性として皇位につく予定だったほどの相手だ。ただ、先代がなくなった二年前、驟雨は十七歳。成人していないとして姉の明日が皇位についた。
だが皇位につかなかったといえど相手が皇族であることに代わりはない。それも現状で皇位継承権を持つ唯一の人物だ。貴族としてこの婚約を蹴ることは通常なら出来るはずもない。
「そうだな。貴女には立場がある。驟雨様と言う婚姻の約束までしたお相手がいらっしゃる。羅沙皇族でもあられる驟雨様を蹴って違う男の下へ嫁いだとあれば、闘技家の立場も危うい。それでも私は、貴女を貴族に生まれたというだけで貴族という縛りをつけるつもりはない」
「ありがとうございます。ですがご安心ください。私は魅力的なものをいただけるとしても、驟雨様に勝るものはございません。とても幸運なことに、私は政略結婚というものの相手に真剣に愛を感じ、愛されていると感じているのです。これ以上の幸運がありましょうか」
「そうか。貴女がそれでいいのならそれでいい」
無表情の娘と無表情の父親。二人しかいない父の私室で、愛した人に愛されるという先ほど語った幸運以外の幸運を戦火は感じた。
自分自身を父に理解してもらい、そして父に信頼してもらい、選択を任される幸運。貴族として生まれた身、その幸運がどれほど稀なことかを考えると、戦火は自分がどれほど恵まれているのか感じずにはいられない。
同じように無言の息子と無言の父が場を占領する部屋が、同じ第一層にあった。
貴族街ではなく商人街だが、この部屋もお互いの理解に満ちていたし、お互いがお互いに敬意を払っているのがわかる雰囲気だった。
「…」
「……。楽しいかい?」
「…はい」
「そう。ならこちらから言うことはありませんよ。ナイトギルドの隊長さんと副隊長さんを信じて、君をナイトギルドに預けたのはこちらなのだから。君が不満を感じていないというのなら、こちらも文句などありません」
ならなぜ呼び出したのだろう、と茂の顔に素直に感情が表れる。普段なら人との交流を取引きだと思っている茂には、ここまで感情が顔には表れないのだが、相手が父親ということで安心して感情が出やすくなっていた。
それを父親もわかっているので注意はしなかった。一度、自分の油断で大きなミスでもしない限り、周りからなんと言われようと変わることはないタイプなのだと理解しているからだ。
「ふふ……、こちらだけにならまだいいけれど。まっ、学びなさい。信用してもらえる人間になりましょうね。自由にやりなさい。哀歌茂はまだこちらのものですから、君に心配されるようなことはありませんよ。子供の遊びひとつで揺るぐほど脆い組織ではありません。思いっきり醜態でもさらしてきてください。いい思い出になるでしょう。あぁ、くれぐれも闘技のお嬢様には粗相のないようにしてくださいよ。いくら幼馴染といえど、身分は違うのですから」
「わかっています」
戦火が茂など見ていないことはわかっている。父親も父親で、自分の息子がかなわない恋をしていることを知っている。
それでもこんな注意をしなければならない立場を、息子は恨んでいないだろうかと、父は気を揉んでいるのだ。
「父さん。導管や師管は元気ですか?家を捨てた兄を嫌っているのではないですか?捨てたつもりはありませんけど、あの二人はそう思っているのでしょう?一ヶ月以上家を空けて、久しぶりに帰ってきた兄が帰ってきた視線じゃなかったです。あんなかわいい弟や妹に嫌われてしまったのでしょうか」
「…師管は欲が強いですから。次男に生まれたことをとても悔しがっています。君が家を出てギルドで暮らすようになってから『跡継ぎはぼくだ』と言っていたそうです。導管はまだ中学生ですからね。あまり家がどうだとか気にしていないのでしょう。それよりも学校生活や友達と楽しく遊ぶことに夢中ですよ。ただ二人の兄が好きでしたでしょうから、君がギルドのほうへ行ってしまった悲しみが大きかったようです」
「師管が…、ですか。それもいいかもしれませんね。ぼくが学習してきたことはすべて、師管のサポートのために生かしましょう。それでどうですか?哀歌茂商業組合組長、哀歌茂葉脈としてどう思いますか?」
「その形がお互い納得できるというのであればそれでよろしいでしょう。自由にしなさいと言った筈です。今日呼び戻したのはただの面子ですよ。現時点で組合が跡継ぎだと公言しているのは君ですから。組合の人たちが、突然君が大会に参加しいて驚いたそうですからね。それも見ていてまともに戦えていなかったと。怪我でもしていれば大騒ぎでした」
茂はそれを聞いて無言で腕をさする。怪我というほどではないが、素人で大会に参加した以上擦り傷などは負っている。それはナイトギルドでは蓮に伝えて治療してもらったが、親族には一切説明していない。
こんな擦り傷一つでも問題になるのだろうか、と純粋な疑問を何とか飲み込んだ。目の前にいる自分の父親が、組合などを無視して、自分を息子として愛してくれていることを知っているからだ。無駄に心配させたくはない。
もういいですよ、と葉脈に言われ茂は部屋を出る。部屋を出たところすぐで師管と鉢合わせてしまい、あいまいに笑う。師管はそんな兄を睨み無言で去った。苦笑するしかなく、茂はそのまま自室へ向かった。