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Black Night have Silver Hope   作者: 空愚木 慶應
バトルフェスティバル編
28/90

024

 この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます

 これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます


 ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります

 「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません

 

 なお、著作権は放棄しておりません

 無断転載・無断引用等はやめてください

 

 以上の点をご理解の上、お読みください


 キセトが機能しなければ、ナイトギルドが半分も機能しない。そのため、ギルドに残った隊員たちの独断で入っていた仕事をすべて中断した。

 その対応は物腰の柔らかいしげる戦火せんかが担当し、れんは付っきりの治療に当たり、残りは食堂で待機するしかなかった。


 「こんにちはー」


 電話の対応を戦火に任せて、茂は玄関で依頼者を追い返していた。

 殆どの仕事は書類で済ましているが、時々ギルド本部へ直接やって来る依頼者がいるのだ。その対応をしているところにまた一人、依頼者が来たらしい。


 「すいません、今日はギルド閉めてまして…」


 「あぁ依頼とかじゃないから。ぼくね、根無し草の医者なんだけどさ?ここに患者がいるような気がしてね?ちょっことだけ大嫌いな奴の力を借りてまでやってきたんだよ。治療させてほしいなあ、ぼくは根無し草だけど世界一の医者だよ?任せてみない?」


 「えっ、えぇ?」


 茂の制止を無視して、フードを深く被った女が進んでいく。


 「あっ、ぼくのこと疑ってる?じゃもう暴露しちゃうけどここにキセトいるでしょ?わざわざ不知火しらぬいから治しにきたんだよ。ちなみに顔隠すとよく間違われちゃうけど男だよ?在駆ありく君がわざわざ知らせに来てくれてね。在駆君より早くこっちにきちゃったのは失敗だったなぁ。これならぼくも船と電車で帰ればよかった。ちょっとした旅路を楽しむのもいいよね。でもそんなことしてたらキセトが手遅れになっちゃうかもしれないじゃない?だから急いできたんだよ」


 「…えぇっと、お名前は?」


 「あうぇ、そんな事聞くの?まいったなー…、ぼく自分の名前大嫌いなの。できれば名乗りたくないんだけど……、うん、でも仕方が無いな。キセトのお気に入りさんに聞かれたら答えてあげるよ。あっでも君健康そうだね。やっぱりやめようかな。ぼく健康な人大嫌いだから」


 言葉数は多いのにつかめない人だと茂は感じた。むしろ実態を掴ませようという気が無い気がする。

 健康だというだけで人が嫌いだとか、その癖に世界一の医者だと自称するとか、茂の中の疑いが話せば話すほど深まっていく。

 それを感じてか、女に見えた男は、男にしては少し高すぎる声で付け加えた。


 「あー…、キセトが不知火にいた頃に担当医をしていたんだ。コレは本当。だから在駆君も知っているし、キセトのことだってよーく知ってるよ。なんでもいいからキセトについて質問でもしてみなよ?たとえば体調が悪くなっている理由なんかでもいいよ?知りたそうな顔してるもんね」


 「いいえ、知らなくていいです。キセトさんが話さなかったことを他人から聞くのはぼくの信頼の形ではありません。知らないほうがよかったのでしょう」


 「知らないほうがよかった?それは知らないほうが君にとってよかったの?それとも知らないほうがキセトにとってよかったの?それで君の言葉の重さは倍ぐらいかわるよ?あっ、そういえば名前ね。ぼくに名乗らせたいのなら君が名乗ってよ。まぁ緑の髪してるんだから哀歌茂あいかもだろうけどね。哀歌茂が扱う医療品はぼくも使わせてもらってるよ。やっぱり性能がいいんだ安いしね。世界一の医者でも無名だし、ぼく、どこかで人に嫌われやすいらしくて一部の人しか来てくれないんだよね。来てくれないといっても診療所ぐらいの大きさだし不知火にある病院自体無名なんだけど」


 茂をペースを崩しさらに自分のペースに乗せるのが上手い。誰も彼が経営する病院の話など聞いていないのにそれついて、茂が沈黙の間ずっと話していた。


 「あの…」


 「おや?話の途中で質問かい?まぁいいよ、憎たらしいけど答えてあげるよ。あぁでも本当に憎たらしいね。健康体のガキなんて相手にして何が楽しいんだろう。いや、でも君だって考えようによっては精神科なら入院させられるかもね、病人かもね。なんたってこんなギルドに望んでいるんだもの。隊長さんは詳しく知らないけど、キセトが副隊長をやっていけるギルドを好むなんて、キセトと同じ類の化物か心に病気抱えてる子だけだね。君がキセトと同類の化物なんてことはありえない。だって君は哀歌茂だから」


 最後にいたっては茂に理解してもらおうという気も無いのか、言うだけ言って彼は黙り込んでしまった。茂も同じように黙っているとなんと彼から催促されてしまった。先ほどまでのように永遠に一人で話していると思っていた茂は少々驚きながら、先ほどの言葉の続きを発する。


 「え、えっと、キセトさんが倒れたってこはアークさん知らないはずなんですけど、それでもアークさんに聞いてきたっていうんですか?」


 「あれ?倒れたの?じゃこんなふうに話してる余裕ないじゃない。そういうことは早く教えてよね。ちなみにぼくが在駆君から聞いたのは『キセトは元気でない』程度のことだよ。倒れたなんて彼は一言も言ってない。でも、そうだね。とりようによっては、ニュアンス的に、言外に、彼は倒れるかもしれないと言っていたのかもね。あっ、死ぬ可能性があるとは絶対考えてたよ。でないと彼がキセトに関してぼくをたよるはずがないもの。彼はぼくらを嫌っているから」


 「ぼく、ら?」


 「そんなところ、いちいち気にしてたら禿げるよ。育毛剤とかならぼくじゃなくてもいいだろうから頼らないで欲しいところだけど、なんといってもぼくは世界一の医者だからそんな些細なことでも面倒見てあげるよ、禿げたらおいで。ちなみにそんなことに答える気はないし時間もない。だってキセト倒れてるんでしょう?このギルドにも医者はいるかもしれないけど、そんな生半可者には対処できない病気なんだ。キセトの部屋に案内して。どうせキセトのことだから必死に隠そうとして自分の部屋で倒れてたりするんでしょう?まったく、こんなに手の焼けるあたり全く変わってない。本当に本当に、医者として治してあげたくて、ぼくとして大好きな化物だね、キセトは」


 「え、えっと…とりあえず食堂にお通しします。キセトさんに会わせていいかは皆さんに聞いてください」


 茂が必死に搾り出した答えを聞いて、玲は何か微笑ましい物を見ているかのように優しく笑った。だが繰り出される言葉は心をえぐるためのナイフかと思うほどとげとげしいものに変わっている。


 「正直言って君を相手に話すつもりなんてないし、それは他の隊員さんでも一緒だよ。まぁ心に重大な病気があるんだから治療の一環としてお話してあげてもいいんだけど、キセトのほうが重症だよね?医者ってのは他人のために他人を犠牲にできて、自分を含めた生物に順序をつけることが出来る生き物なんだ。すべてを治せる世界一の医者でも順序は必要なんだよ。ぼくが世界の人口ほどいれば全員同時に治してあげれるけど、そんなの不可能でしょ?いまぼくは君たちと話してるよりキセトの治療をしたい。君なんかにぼくの時間を消費されるのは我慢ならない。もう一回正直に単刀直入に言うと、今ぼくの視界の中にはキセトしか必要じゃない。それ以外は失せろよ」


 言うだけ言って彼は食堂の入口ではなく、二階への階段に向かって歩いて行った。

 その背中が見えなくなってから茂の硬直が解ける。茂は慌てて食堂内への隊員たちへと先ほどの男の存在を伝えた。全員急いでキセトの部屋に行こうとして動きを止める。いや、自然に止まってしまう。

 自分たちがあの部屋でキセトに対して無力であることは分かりきっている。治せると言い切る男を止めるために動くのは本当に「キセトのため」と言えるのか、それを考えるとそうなってしまうのだ。



 一方階段を上って二階の部屋から順番に調べていこうとしていた男は、かすかな鳴き声をその耳に拾った。

 押し殺しているのにそれでも漏れてしまう、そんな泣き声が聞こえてくる二階のある一室をゆっくりと開ける。その中には目的であるキセトがベッドに横たえられていて、そのそばに少女が控えていた。泣いているのは少女らしい。


 「どぅわぁたーー!!」


 音を立てないように部屋に入った男だが、少女とキセトに集中するあまり足元を見ていなかった。扉を開けてすぐにつまれている本に見事につまずき、大声を上げて本の中に倒れこむ。


 「なっ、だ、誰ですか!?」


 「あいたたたた…。えっと世界一の医者なんだよってマント脱げちゃった。あぁ黒髪だからって驚かないで怖がらないで。ぼくは医者だし君を傷つけるつもりはないしキセトを治すつもりできたんだよ!あぁだからお願い!追い出そうとかしないでね!ぼく本当に弱いから!!」


 「…」


 ぼくという言葉に違和感を感じるほど声が高く、女顔で身長もさほど高くない。だが確かに白衣を着ていて、れんにとっては嗅ぎ慣れた数種類の薬の匂いもした。


 「キセトさんを治す…?できるんですか?キセトさんの病気は――


 「『毒病』でしょ。これでも四年前まではキセトの担当医だったんだよ?ぼくは優秀な世界一の医者だから、不治の病で手もつけられない呪いとすら呼ばれる毒病の悪化を防げたんだ。だからキセトの担当医を務められたわけ。色々あって性格も多少歪んでるからキセト的にも一緒にいて心地悪くなかったんじゃないかな?いまもね、在駆君に知らせを受けてやってきたんだよ。ぼく自身の力じゃないけど不知火と羅沙らすなの間をひとっとびしてまでね」


 さらりと口にされた「毒病」という単語に蓮は構えずには要られなかった。

 蓮がギルドに入隊して直後、キセトと連夜から「治療法を探して欲しい」といわれてきた病。そしてキセトを日々蝕んでいく病気。冷静にその病名を他人の口から聞くことすら出来ないほど、蓮にとっては関わり深い単語。


 「んー…、君すごいね」


 男がキセトに近づき、軽く右腕や右頬などを触る。それだけで進行度などが分かるはずないのだが男は素直に蓮の腕を褒めるような発言を続ける。


 「いやぁ本当にすごい。毒病は北の森の地域病だから、羅沙じゃ毒素に対する設備すらないのに悪化をかなり遅らせてる。ぼくとしては二年も持たないと思ってたけど実際四年持ってるし、さっき倒れたって聞いてもっと悪い状態を想像してた。この環境でこの状態を保てた君の実力は褒めるしかないね。しかも治療痕とか見ると分かるんだけど注射とかできるだけしてないでしょ。出来るだけ飲み薬でなんとかしてるって感じだね。あとは魔力治療かな。本当にすごい」


 蓮を褒めながら男はキセトを診察していく。それも時々手に魔力を宿らせているので詳細も診ているはずだ。

 いくら気を失っているとはいえ、あの警戒心の高いキセトを遠慮なく触れることには純粋に誰だって驚く。キセトが他人に触れられることを嫌っているのはギルド隊員でなくとも、ただキセトの外見に釣られただけのミーハーでも知っていることだ。キセトに触れようとするなど本当にキセトを全く知らないか、ギルド隊員以上の関わりがあるかだ。


 「…担当医、でしたっけ?」


 「ん?あぁ、キセトに触ったから疑問に思ったの?ぼくはキセトが三歳だったころから知ってるからね。うん、それに今君が言った通り担当医でもある。三歳というとキセトが他人に触れるのを嫌がる前だし、今みたいにむっつりじゃないし、むしろよく泣いてよく笑う子だったんだよ?泥団子が上手に作れただの転んだなのいちいちぼくに報告しにきてくれて。今も本質的にはそういう男の子だと思うよ、キセトは。ただ無意識のレベルで心を閉ざしちゃったわけ。生存本能なのかな?心を開いていたら自分は壊される。そう思ったんだろうね」


 「壊される…? キセトさんは強いです。簡単に壊れたり負けたりしません」


 「そんなものは過信だよ、お嬢ちゃん。医者の立場から見てるかい?それとも仲間として見てるのかな?キセトはボロボロだし、今すぐ息を引き取ってもおかしくない。このまま目が覚めないかもしれない。目覚めてそのまま元気なように振舞うかもしれないけれど、中身は今このベッドで力なく横たわっているキセトと何も変わらない。医者はね、患者を信じなければならないけれど、患者を疑わなければならない。大丈夫なんて言葉は一番信じてはいけないんだよ」


 正体不明の医者の一言一言が蓮の心に突き刺さる。

 心のどこかでキセトは無敵だと思っていた。キセトが大丈夫だといえば大丈夫なのだと思っていた。不治の病といわれる毒病でも、キセトを殺せるはずないと思っていた。

 だがそんなのは蓮の過度な盲信で、現実はこの医者が言った通りなのだと、今やっと気づいたのだ。

 蓮の視線が医者から外れ、ゆっくりキセトへ向けられる。今すぐ失うかもしれないと気づいたら直視することすら難しい。さっき訪れていた不安など偽物だったのではないかと思うほど、重苦しい恐怖が蓮の心を支配し始めていた。


 「はいっ」


 だが医者が蓮の視界を手で多い、少しだけ恐怖が遠ざかる。キセトを直視せずともいいという謎の安心感が生まれる。


 「ごめんよ、そんなふうに傷つけるつもりはなかったんだよね。ただキセトの近くの人にもそれを知ってもらわないと、助けられるはずなのに助けられないでしょ」


 「ふぇ…助ける?」


 「当たり前でしょ。ぼくは世界一の医者。君は…まだ幼いけれどぼくに褒めさせたほどの医者だ。助けないつもりのはずないでしょう。助けるし救うし生きさせるよ。

  まず人工呼吸機付けたほうがいいね、これ。毒病ってね?麻薬とかの依存と同じで症状が重くなればなるほどもう一度毒素を取り込もうとするの。呼吸乱れたりしなかった?落ち着いたってことは空気中の毒素を取り込んだってこと。症状は収まっても病気的には悪化してるんだよ?だからここは心を鬼にして吸うものを制限しなきゃ。呼吸を保護するんじゃなくて制御のために付けるの。わかってくれた?」


 「わかりましたけど…、このギルドに人工呼吸機なんてありませんよ」


 「あーそれはそうだと思ってねぇ。ぼくはコンパクトなもの持ってきてあげたんだよ。これこれ、まず一般的なのと同じようにマスクを付けて、パイプの先に鉄の棒みたいなのあるでしょ?ここに魔力を送りつづけると人工呼吸機の代わりになるの。酸素量とかも意識したら変えられるんだよ。今は毒素ゼロにしてね、はいこれ」


 説明中に手早くキセトにマスクをつけ、魔力注入部分は当たり前のように蓮に渡す。いきなり渡された医療道具に蓮があたふたするのも気にせず医者は言葉を続けた。


 「いやぁ便利なんだけどね?魔力ゼロで生まれてくる北の森の民には使いにくくて広がってないの。ぼくはまぁ…話すと長いから省略するけど、色々あって魔力自体はあるんだけど、量が少ないんだよねぇ。さっきの診察で結構使っちゃって。これから長時間魔力を込めつづけるのも無理だしお願いね。しばらくキセトの様子を見るしかないや。あっ、その間に最近のキセトの近辺で起こったこと話してくれない?」


 蓮に笑いかけるその笑顔が何かに似ている気がする。だがいくら探しても重なる笑顔はなかった。もしかしたら幼少時代からの知り合いだったと言っていたので、キセトの笑顔はこの男の笑顔をもとにしているのかもしれない。ただキセトの笑顔と言えるほどの笑顔を見たことがないのでよくわからないが。

 蓮は言われた通り、魔力を込めながらキセトについて少しずつ話し出した。この男なら話してもいいと、キセトについて本気で心配している存在だと大体悟っていたからだ。


 「この前も倒れてました。その時は一晩眠って治られましたけど…」


 「――そのあとすぐにギルドの仲間の過去に関わる事件が起きて、その事件の解決を担当されました。その事件は結局、一言では言えないような結果になりましたけどね。それから暫くはいつも通りの雑務と始末書の催促をされていたと思います」


 「――そういえばキセトさんはその事件の黒幕とお知り合いだったとか。黒幕ではなく深く関わった人でしたっけ?確か名前は………篠塚しのづか晶哉しょうや、だったはずです」


 「――連夜さんが言うにはアークさんも知り合いみたいだから元不知火人だろうって。連夜れんやさんは何か知りたいことがあってその人を探しているとか」


 「――キセトさんはそれを知ってても止めることも助けることもしないと。キセトさんにとって篠塚晶哉という人は大切な人なんだそうです」


 「――それで………、そう、もうすぐバトルフェスティバルが始めるから帝都への人の出入りが激しい、と。キセトさんの黒髪も連夜さんの銀髪も、帝都へ初めてやって来た人には邪険に扱われるから外を歩きにくいって」


 「――昨日はキセトさんもバトルフェスティバルのことが今日正式に発表されるから人がさらに増える、ってちょっとうんざりした様子でした。それで、それで…」


 おやすみなさいと挨拶して、他人には絶対にわからないだろう程度だけ表情を動かし笑ってくれた。次に見たら荒い呼吸を繰り返し、脂汗をかきながら必死に痛みに耐えていた。

 いつも通りの朝が来て、いつも通り変化の分かりにくい笑顔でおはようと言ってくれるはずの彼はどこにもいなかった。


 「ありがとう。もう十分だよ。そう、キセトはここできっと笑えていたんだね。やっぱり君は素晴らしい医者だ。キセトを笑わせられる。任せるよ、キセトのこと。暫くしたらキセトは苦しみだすはずだけどマスクを外させたらダメだからね。生きようとする本能はキセトにもある。理性も感情もないキセトはすごい力で暴れるだろうけどマスクだけは外させないでね?いい?キセトがどんなに苦しそうでもだよ?毒素が吸えないのは酸素が吸えないぐらい苦しそうなんだ。それでも耐えてね、医者として。

  それで落ち着いて来たら右手中心に医療魔法かけてあげて。キセトの毒病は右手から発症したから。知ってるかもしれないけど毒病は繋がってる。癌みたいに転移するけど癌みたいに独立じゃない。右手に魔法かけ続けたら症状も収まるだろうし。じゃぼくは去るよ」


 男が立って窓に歩み寄る。何をするのかと見つめていたが男が窓によじ登ろうとした時点で流石に蓮が制止する。


 「あの!ここ、二階です!」


 自分を弱いと言った男は、驚いた顔つきで蓮を振り返り暫く見つめていたが、突然ふやけた笑みを作った。


 「心配するだけじゃなくて心配されるのも悪くないねぇ。でも大丈夫。ぼくには変なやつがいてね。ぼくは大嫌いなんだけど、そいつは何をしてもぼくを助けてくれるんだよ。二階から飛び降りるなんて朝飯前さ。なんたって不知火の田舎と羅沙帝都ラカジを一瞬で移動させてくれるぐらいだしね。帝都には結界があるから普通の魔法でもそんなの無理なのに。しかも見張り兵にもばれずに。便利なんだよ、そいつ。そうだ!マント被らなきゃっ!髪染めてないしね!本当にキセトをお願いね。

  ぼくは世界一の医者として世界をまわるよ!元気でね!」


 言うだけ言って、こちらの言うことは聞かず男は窓から飛び降りた。地面に重いものが落ちる音がして蓮が窓から覗き込むと、尻餅を付いている男がいる。だが男は軽傷なのかすぐに立ち上がって裏の林の中に消えて行った。


 「あっ、放しちゃいけないっ!」


 蓮が慌ててキセトのそばに戻り、男から貰った医療器具の金属部分を握る。魔力を取り戻して医療器具は僅かな光を再び発しはじめた。


 「…」


 「ん…」


 「キセトさん!?」


 「…」


 目覚めたのかと思ったがすこし呻いただけらしい。先ほどの男は酸素を吸えないほどの苦しみだと言っていたが、今のキセトを見る限りそんな苦しみは訪れてなさそうだった。

 蓮としては治すためとはいえ出来るだけキセトには苦しんで欲しくない。それが本音で、先ほどの男がいうようにキセトが本気で暴れたらどうするかなど全く考えていなかった。力で勝てるはずもなければ拘束系の魔法が使えるわけでもない。キセトがあばれだせば蓮は抵抗も出来ず見守るしか手段はない。


 「…ボロボロなんて知ってたはずなんですけどね。だってキセトさんと連夜さんは私には比較的に話してくださいましたから。私だけは何も知らなかったなんて言い訳させないって言いましたよね」


 蓮は知らなくていいと言った。知らないままのほうが楽だと思ったからだ。

 だが蓮のあとにギルドへ入隊した静葉や瑠砺花は知らされないことを悔しがり、自分の力が足りないからだと自分を責めていた。それを見て蓮も考え方を変えたのだ。

 知っているということは覚悟ができる。何も知らず何かが起こるのを待つしかないよりも、知ったうえで起こるだろう事を待つことが出来る。その差は大きいのだと。


 「十分気づけたはずなんです。キセトさんが限界だって。でも嫌だから目をそらしたんですね。何も変わってないんですね、私」


 キセトが眠るベッドにそっと腰かけ、キセトの顔へと手を伸ばす。あの男のように躊躇なく触ることは出来ないけれど、そっと、普段は隠されている右顔に、今も髪で見えない右目の傷跡を触れた。

 過去に蓮がつけた傷で、嫌なことから逃げないようにと治せる傷を治さずに残してくれている切り傷。片目が使えない以上に心の負担がある傷をキセトに背負わせておいて自分はまた逃げようとしていたことを蓮は後悔した。


 「入るぞー、って蓮はここにいたのか」


 「れ、連夜さん!?わっ、えっと…」


 「あー慌てるなって。なんか勝手に入ってきた男の事も蓮がずっと治療してることも聞いてる。ただ貼り付け状態だとは思ってなかっただけだつーの。それで?副隊長殿はどーだ?」


 「落ち着いたんですけどそれが駄目だったみたいです。ほら…麻薬の依存症患者を治す方法と同じらしいですよ。薬を絶ってその依存性に勝つ、みたいな…。つまりこれから暫くキセトさんは苦しまないといけないらしいです」


 「ふむふむ」


 「丁度良かったです、連夜さん。キセトさんが暴れたら連夜さんが抑えてください。キセトさんと純粋に力で勝負できるのは連夜さんぐらいなんですから」


 「おっけー。まっ、今オレはお前がこのギルドの医者でよかったと思ってる。他のやつらならそう坦々とは話せないぜ。オレは詳しくはわからねーけど医者ってそういう割り切る決意も必要なんだろ。適任だったな」


 「…そうですね」


 連夜はそばにまで寄ってきて、やっと蓮がキセトの傷に触れていることに気づいたらしく、後でそうでもないか、と自分の言葉を撤回した。その撤回にも蓮はただそうですね、と答える。


 「連夜さん。一晩ぐらい徹夜してくださいね」


 「うげー、徹夜は肌に悪いぜお嬢さん」


 「連夜さんが気にしてるのは自分の肌でしょう?意外に綺麗好きで髪とか服とか拘りますからね」


 キセトの傷を触っていた手を今度は連夜の髪に伸ばす。キセトの髪ほどさらさらではないが見た目のクセ毛に反してやわらかい。拘っていると知っているからこそくしゃくしゃにしてやりたくなるような、キセトとは違うタイプの綺麗な髪の毛の一つだろう。

 髪の毛を触られるのが嫌なのか、連夜が蓮の手を避けるようにベッドの反対側へ移動する。ベッドに膝をつき、ぐしゃっとキセトの髪の毛を掴む。


 「んー…。病持ちでしかも仕事とかで徹夜しほうだいのこいつのほうが髪質がいいってのが気に食わないんだよ。どう考えてもオレのほうが努力してるってのにな。生まれつきてのは恐ろしいもんだ」


 「キセトさんは異常です。ですけどクセ毛ですよね、キセトさんも。くるりんとはなってませんけどよくはねてます。はねっ毛とでもいうんですか?」


 「いや、言わねーだろ。さらさらー、まじでさらさらー。瑠砺花とかがもっと手入れしたいっていうのも分かる気がするな。もったいねーの」


 「連夜さんがしたらどうなんですか?キセトさんも連夜さん相手に断りきれないでしょう。最終的には力づくですし」


 「オレはオレの手入れしかしない派なんで。他人まで知るか」


 そういいながら髪を触っていた手をさりげなく肩に移動させている。蓮がなぜか質問しようとした瞬間、急にキセトの体が跳ねた。


 「えっ、あ、うぁ…」


 「静かに、な。意識もない、理性も感情もへったくれもない状態で暴れるななんて言ってやるなよ?」


 「は、はい…」


 冷静に返事が出来ているか自信がない。

 他人の前では弱みを一切見せないキセトが、今蓮の前で力のあらん限り暴れている。連夜が押さえつけていても苦しそうに宙に伸ばされた腕が、堪えるようにシーツを掴む手が、八つ当たりのように宙を蹴る足が、キセトを襲っている苦しみを表していた。


 「いってーな。これで気ー失ってるとかまじ洒落になんねーよ」


 「だ、大丈夫なんですかっ?血が…」


 キセトが連夜を引き離そうとして連夜の肩を押す。力が入りすぎているのか爪のせいで、真っ赤な連夜の上着に服とは違う赤がにじみ出ていた。だが連夜はいつも通りの呑気な口ぶりで平気だと繰り返す。


 「いま心配するべきなのはキセトだろ?少々の怪我ぐらい慣れてるから平気だって。首刎ねられてもしなねー丈夫さなめるなよ!」


 それは丈夫というよりは連夜の化物らしさの一つとして数えるべきだろうが、そんなことを注意する余裕は蓮にない。

 キセトが暴れる原因が自分が握っている金属部分だと分かっていても放すわけにはいかない。これは治療の一環なのだと自分に言い聞かせる。それでも今すぐ手の中のものを放り投げたくなる衝動に駆られた。これがキセトを苦しめているのだという事実が蓮に襲い掛かってくる。


 「連夜さんっ!一回マスクはずしてくださ――


 「ふざけんなっ!『治せる』方優先に決まってるだろ。キセトだって苦しいとか痛いとかぐらい慣れてるんだよ!蓮もそれ放すんじゃねーぞ!」


 「うぐっ、ですけどっ!」


 「けどもあーもこーもないんだよ!放すなっ!」


 連夜がやっとキセトの手首を捕まえベッドに叩きつける。片腕だけではまともな抵抗も出来ないはずのキセトは、片手だけで連夜の首を性格に捉え、逆に連夜をベッドに叩きつけた。

 すでにその時点ではキセトはうっすらと目を開けていたのだが、瞼の奥にある目の輝きはナイトギルド副隊長のものではなく、黒獅子時代のものに近い。


 「きーせとくん。痛いぞ」


 「…」


 「き、キセトさん?」


 「…悪い」


 キセトはすぐに連夜の首を開放し、それと同時に再びベッドにその体を沈めさせた。

 収まったと蓮が胸をなでおろしたのを見て連夜がにやりと笑う。


 「どうした?一回で疲れたか?」


 「えっ?一回…?」


 「そりゃ依存を取り除くのに一回だけじゃないだろ?蓮が言ったんだぜ?徹夜ぐらい覚悟しろってな。一晩で何回来るかな。次までに肩の治してくれ。あと首もちょっとだけだが食い込んで血が出てる。こっちも頼むわ」


 「は、はいっ!!」


 言われて医療魔法を発動させようと片手だけ金属から離す、が発動しない。何度省略コードを唱えても、フル詠唱しても全く発動する気配がなかった。


 「あ、あれ…?」


 「あっ、その機械でかなり魔力使っちまったか?なら自分でやるけど…」


 「す、すみません!」


 「まっオレもたまには自分の魔法使う感覚思い出しとかないとなー。その機械に魔力注ぐのも交代のほうがいいか?」


 連夜が自分で肩と首に手を当て順に治す。

 連夜は、省略コードや詠唱を唱えない上級者向きの治療魔法を使うので蓮としては気に食わなかった。医療魔法を専門としている蓮のほうが負けている事実を突きつけられたからだ。

 それが化物たる連夜と、凡人たる蓮の差なのだが、悔しいものは悔しい。


 「これぐらい自分でやります!キセトさんがまた暴れたらお願いですよ!もう怖がったりしませんからねっ!」


 「そーでないと。まだ日が高いうちから徹夜の話するぐらいなんだからなっ!腹減ったぜ!なんか戦火に頼むか」


 キセトがいつ暴れるかわからないので片時も離れられない。なので携帯で一階にいる戦火に食事を運んで欲しいことを蓮が頼み、食事を持ってくるという口実でキセトの様子を見に来た静葉と茂を扉の前で連夜が門前払いする。

 その日は夕食もそうして蓮と連夜は次の日の昼までキセトに付きっ切りで看病することとなった。






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