009
この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
関わるなといわれて関わらずにいられるほど、時津静葉と殺人鬼ミラージュとの関係は浅くない。いや、浅くない程度ではないだろう。
なにせ三年前の殺人鬼ミラージュは静葉が立ち上げ、静葉が指揮し、静葉が中心となって実行に移した、静葉による殺人グループだった。
自らの過去を他人の手によって蹴りをつけられるつもりもない。静葉はどうやって今回のミラージュに関わっていくべきか、真剣に悩んでいた
「動く気にもならないわ。なんなのよ。もう三年経つってのに、いまさら――
自分でいまさら、と言っておいていまさらでなんかじゃない、と心の中で反論する。
静葉と同じ故郷、時津の街に住んでいた者たちにとって、これは羅沙が滅びるまで終わらないことだ。永遠に過去の話になどなりしない。
目を閉じただけで街の光景を思い出せる。
「それもそうよね。だって、私の街だったんだもの」
時津の街という名前の通り、静葉の父親が領主として治める街だった。領主の娘として静葉も街を愛していた。静葉の感情の大部分を占めるのは街への愛だったはずなのだ。
燃える街を見るまでは。
毎朝西の森へ鍛練のために出かけていた静葉はその地獄の業火のような火から逃れたることができた。
気づいたのは帰ろうと街のほうを見たとき。まだ朝方とも言うべき時間で、街の後ろから朝日が昇るその光景は静葉のお気に入りの一つでもあった。だが、街は朝日に照らされずとも自らで紅蓮に燃え上がり輝いていたのだ。
皮肉にも明日羅という国が国色として掲げる「夕日色」そのものだった。
急いで街まで戻った静葉を待っていたのは、「夕日色」なんてものじゃない、真っ赤、もしくは白く燃える炎だった。通常なら白などなるはずが無い。どう考えても故意的に魔法で発生させられた高温の炎だと見て分かる。
だが当時幼かった静葉にとって「珍しい炎」から敵へと考えを繋げることは出来なかった。そのとき静葉が考えていたことは家族の安否だけである。
『お父様っ!!お母様っ!!お兄様ぁぁ!!!』
出せるだけ大きな声で叫んだ。普段から声が大きいと叱られていた静葉の声はいつもなら誰もが耳を塞いだだろう音量だったはずだ。だがちらちら静葉を見るものがいる程度で、殆どのものには聞こえていないようだった。静葉の声は悲鳴やら奇声にかき消され、自分ですら殆ど聞き取れなかった。
家族を探しまわって時間が経っていた。
実際に街の中を走りまわり、炎がすぐ近くにあるのだから熱かったはずだ。そのときに出来た火傷は今だ痕が残っているほどである。だがそのとき、自分が熱いと感じていたかどうか静葉は覚えていない。ただ一人でも多く街の人と家族を救い出したかった。
女であることを悲しまれたぐらいの実力があった静葉にとって、それは可能なことだったはずだ。だが、静葉は家族を誰一人救うことは出来なかった。静葉が見たのは遺骨すら誰かに回収された跡を残す、焼けきった我が家の残骸だけだったのである。
ただその残骸となってしまった家の瓦礫の上で餓死するまで座っていようかとも思うほど、静葉にとってこの街と家族はすべてだった。それも当たり前で静葉はこの街から出たこと無いのである。
ずっとここにいよう。空腹で死ぬほうが焼け死ぬより苦しいかななどと考えつつススだらけの地面に腰を下ろす。じっとしているとこの街が無音になってしまったことがよく分かった。
暫くそうしていると、無遠慮に瓦礫を踏む音が聞こえた。
静葉は直感で街の生き残りではないと悟る。街の人たちは現状の静葉に近づこうとも思っていなかったし、なにより、瓦礫を躊躇なく踏むなど絶対にしない。
『生き残りか?でも女かよ』
静葉の目の前で下品に笑う相手は、静葉が見たことの無い紺色の髪と目をし、またもや静葉が見たことの無い青をベースとした軍服を纏っていた。
『こいつってあれじゃね?ほらここんとこの領主の娘!女の癖にすっげー強いっていう』
下品に笑いあう青い軍人二人は、静葉を品定めするかのようにじろじろと見る。今となってはこの二人が実行犯なのだから、不快だと思った感情に任せて斬っておけばミラージュなど生まれなくてすんだかもしれないと思う。
だが過去の話だ。このときの静葉はこの二人が犯人だと知らなかったし、強くなることに執着し、勉学を怠っていたので青い軍服が羅沙軍のものだという常識すら知らなかった。
『いやー、けどよく燃えたなー』
『そうだよなー。面白いほど燃えた。いやースカッとしたぜ』
だがこの会話に怒りを覚えるなというほうが無茶なのだと、それだけは今も静葉は思っている。
げらげらと笑う二人に手を出さなかったのは街の上だったからだ。愛する街を下品なやつらの血で穢したくなかった。だが静葉はその二人の顔と軍服に刻まれた国紋を忘れなかった。
その証拠に殺人鬼ミラージュの最初の犠牲者はこの二人だったのである。
こうして願ってもいない形で静葉はただ一人残された時津家の人間として、時津の街を統括する身となった。
だが街自体もない。そこに暮らしていた人々も殆どが焼け死んだ。かろうじて逃げ出してきた人々も失った故郷の残骸を見て、悲しむことしか出来なかった。
『この街をこんなことにした奴等に同じことをしてやるっ!それが何の意味の無い復讐だと分かってもそうするっ!他人にとって意味が無いかもしれない。同じことの連鎖を作り出すだけかもしれない。それでもそう思わずにはいられない!!』
生き残った全員を集め、静葉はこう宣言した。そして反論らしきものが出ないので言葉をつなげていく。
『私は学がないっ!皆も知っているはず!私は女の身でありながら強さを求め、強さを追ってきた!不幸か幸か、そのための朝の訓練により生き延びた!私には知識が無い!一人での復讐は必ず失敗に終わると分かっている。それでも私は一人でも復讐を実行すると決意した!誰も私の馬鹿馬鹿しい復讐に付き合ってくれなくていい。だから一つだけ聞いてくれ!皆はこの町の復興に全力を注いでもらいたい!私が死んだとき、私の骨は復興した美しきこの街に眠らされることを望みたい!
私も皆に誓おう!たとえ失敗すると分かっていても私は敵に必ず損害を与える!繰り返すが私は馬鹿だ!だから時間が掛かる!それだけは目をつぶって欲しい」
そして静葉一人であの青い軍服の正体を掴もうと足掻いた。
明日羅の違う街へ行き、慣れない図書館に通った。帝都に行って時津の街について領主として報告がてらに誰かに滅ぼされたのだということも伝えておいた。だが幼い静葉に出来ることといえばそこまでだったのである。
青い軍服の正体が明日羅と同盟関係にある羅沙のものだと分かると、明日羅軍は協力姿勢を崩した。言ってしまえば明日羅は羅沙との同盟によって生かされている国なのだ。羅沙の軍人が明日羅の街を燃やしたなどと抗議できないところまで立場は悪くなっているらしい。
そして滅びたといえど復興しようとしている時津の街があるため、静葉の羅沙へ行きたいという要求も却下された。領主として復興に力を注げと表向きは言われたが、実際は羅沙へ行って問題でも起こし、同盟に支障が出ると困るというところだろう。
静葉は自分が馬鹿だと自覚している。すべてを生き残った街の人たちに話し、誰かに領主の席を譲ることで自由に動けるようになりたいと頼み込んだ。
だが意外なことに街の人たちの意見は違ったのだ。
『一緒に終わらせましょう。一緒に終わらせて、一緒に街を元通りにしましょう。あなたが手を汚す道を選ぶのであれば、私たちも協力します。街はすべて終わってからゆっくり復興させればいいじゃないですか』
静葉の手を取ってそういってくれたのは、静葉の泣き父の副官でもある上田形という中年男性だった。だが形と同じ意見なのか街の者全てが大きく頷く。
『手を汚すのであれば我らと共に。静葉様』
そして、静葉の目撃証言などから犯人を確定し、殺人鬼ミラージュが羅沙帝都ラカジに現れることとなった。ミラージュとして成功を収めるごとに人が変わっていくこともまた、仕方が無いことだったのだろう。
「バカは治らないものね……。私はいつまでたってもバカのまま。でも、だから出来ることもあるのよ」
やることが決まったのなら実行するだけだ。
まだ夕食前なので人が食堂に居る。なんとか見つからないようにそっと通り過ぎた、つもりだった。
「静葉」
「うわぁ!?」
「そんなに驚くな。コレを持っていけ」
「え?キセト。これ、地図?」
「少し調べてみた。魔法も少し使ったから確かだろう。印が付けてあるところのどこかに居ると思う」
「キセト、ありがとう!夕食までには帰る!」
無表情で有名なキセトが笑っているように静葉には見えた。その笑顔が静葉の背中を押してくれたように感じる。
静葉は思う。勘違いでもあの笑顔があるなら、自分は思いっきり走れるだろう。後ろを自分以外の誰かに預けたまま。
「沙良ねーちゃん、時津様が来たよ。どーする?」
「むしろ遅い到着ですわ。すぐに案内してさしあげなさい」
「りょーかい」
沙良はこの少年を信用していた。第一回目の襲撃にもこの幼い少年を連れ、そして入口の見張りに置くなど信頼を表してきた。そして今も、入口の見張りには彼を置いていた。
沙良は仲間全員を信頼しているわけではない。ただ数が必要だったというだけである。羅沙にも三年前のミラージュと違うという印象を与えたかった。
三年前は三年前。沙良自身が尊敬する静葉が組み立てたミラージュに自分の組み立てたミラージュが匹敵するとは思っていない。それに三年前は街の生き残りの中にいた街の警備兵など、多くの実力者が集まっていた。だが今回はそのときに選ばれなかった、言わば実力不足の塊である。
指揮者の実力も届かない。部下の実力も届かない。そんな状態で三年前とミラージュと同じなど到底言えなかった。
そんなことは沙良も分かっている。たとえ自分が特別に他人から殺人術を学んだといえど、それは自分だけだ。元は剣を握ったことも無いような者が人から教えられるだけならともかく、他人にソレを伝授するなど不可能。そこで沙良は部下には火器を持たせ、実力不足を補った。お金は必要だったが街一つ分の予算があったのでそう困らなかったのだ。
今回のミラージュもまた、三年前のように失敗することを沙良は悟っている。当たり前だ。今回の敵には三年前のミラージュの頭でもあった静葉もいる。勝てる要素が無い。それでも沙良はいいと思っていた。
昔の静葉がそうだったように、失敗することを前提に少しでも羅沙に損害を与えることだけを考えていたからだ。捕まった後のことも考える。
「沙良、私が怖いのかしら?」
声をかけられて初めて、すでに静葉が部屋に入ってきていたこと、ティーカップを持つ自分の手が震えていることに気づいた。
元々敗北を予期していて、そらにその予期した敗北を認めている相手と敵として向かい合うことほど恐ろしいことはないのだと、沙良はいまさら気づいたのだ。
「驚いています。昔の本部とは場所を変えたっていいますのにすぐに発見されて。やはり時津のお姉様は私たちの行動など分かりきっていらっしゃるのでしょうか?」
声も心なしか震えている。
沙良と静葉は母親と娘のような関係だった。静葉も静葉なりに、家族を例の一件で失った沙良を妹のように娘のように大切に思ってきた。時には厳しく叱りつけることもあった。そして今の沙良の態度は叱られている子供同然である。
静葉は沙良の予想に反し、優しい声で笑顔のまま語りかてきた。
「違うわ。片っ端にあたっただけよ。ここは三つ目。移動した後もあったし小まめに移動してるんでしょ?」
「そうでしたわ。お姉様はすでに、私たちがしたことなど一度経験済みでしたわね」
手が震えてまともにお茶すら飲めない。そんなに目の前にいる静葉が怖いのか。自問してみるが答えはでなかった。記憶の中にある優しい静葉との美しい光景が怖いという答えを拒絶する。
沙良がどう切り出そうか迷っていると、静葉が優しい声のまま切り出してきた。
「悪いことをしているという自覚はある?」
「あたりまえですわ、時津のお姉様。昔のお姉様と一緒です。悪いことと分かっていても、無意味と知っていても、そうせずにはいられないのですわ」
そう。沙良の行いや、静葉の過去の行いはこの羅沙で悪以外何者でもない。いや、羅沙に限らず二人の祖国明日羅でも人殺しは悪そのものだ。悪いと分かっていてもそうしなければ、自分の怒りが収まらない。八つ当たりだといわれるかもしれないことなのだ。
「そう、ならよかった。全力で止めてあげられる。もし自覚が無かったら全力で潰さなければならなかったわ。…………まだ、救ってあげられる」
沙良は最後の言葉を聞いてなんて人だろうと思った。
捕まることも、敗北することも、殺されるだろうことも理解した上で犯罪を犯そうとする人に向かって「救う」なんて言うのだ。沙良が知る静葉とは何か違う。
一方静葉は安堵していた。
沙良に自覚があるのなら大切な故郷の仲間を殺さなくて済むのだ。
昔の、三年前のミラージュの仲間は手段から得られる感情にとらわれて目的を失ってしまった。ただの自己満足の目的だろうが静葉たちミラージュにとって目的は大切な物だった。その目的を失って殺人という極悪非道な行動を繰り返す仲間は、静葉にとって許せない対象となり、静葉自身で息の根を止めた。
そんなことは沙良にせずに済む。それだけで静葉は見て分かるほど安堵したのであった。
「時津のお姉様。なぜ変わってしまわれたのですか?」
見れば分かるほど安堵している静葉に沙良は思わず聞いてしまった。静葉もわざとらしく気にしなくていいのよと言いたげに誤魔化す。
「変わったかしら?私は相変わらず単純でバカなままよ? そうね変われたのであれば出会いのおかげかしら?あぁ、勘違いしないで。今も故郷を燃やした羅沙は大嫌いよ。機会があれば皇帝殺しにでも挑戦しようかと思うぐらいね。
でも、やっぱり思うだけね。実行はしないわ。実行したらある二人に迷惑が掛かる。それだけは私はしたくないの。羅沙にぶつけるしかなかった怒りを受け止めてくれたのよ。私の八つ当たりにあの二人は耐えた。耐えた上で手を差し伸べてくれたのよ。さすがに心臓を貫いてもけろっとしてたのは怖かったけどね」
静葉が楽しそうに語った話は沙良を大いに驚かせた。思わず沙良が声に出して、心臓をっ!?と叫んでしまったほどである。静葉も驚いている沙良を見て満足気にそうよ、なんて返していた。
「上には上がいるものね。無理だなぁ、って思ったの。あの二人がいる限りどんなに準備しても復讐は出来ないし、羅沙に致命傷を与えることも出来ないだろう、って。だから私はあの二人の部下になったのよ。羅沙に従ったわけじゃないの。あの二人が羅沙に仕えてるからそう見えるだけで。ナイトギルドってそういう奴の塊なの。羅沙に恩を感じてる奴なんていないんじゃないかな?あっ、戦火ちゃんと茂君は別ね。でもその二人だろうと、キセトと連夜が羅沙に反するっていうなら反すると思うわ。ナイトギルドっていう一つの一派でもあるのよ」
だからナイトギルドなら元殺人鬼でも受け入れてくれるのよ、という言葉は飲み込んでおいた。沙良がこの復讐を続けたいのなら、それをこういう止め方をするのは合っていないと考えたのだ。代わりに静葉は姿勢を整え、沙良と向き合った。
「沙良。一度だけ言うわ。やめなさい。この国は変わろうとしているのよ」
「いやですわ。この国が変わろうとしている?他国に犠牲だけを求めて勝手に自国は変わろうというのですかっ!?そんなの、なおさら黙って見てられませんの」
沙良がぐっ、とコップを持つ手に力を入れる。簡単な説得に動じないことなど静葉は分かっていたので、ゆったりと出された茶を飲んだ。もしここで沙良が迷いを見せる程度なら実行に移すことなど出来るはずが無い。
形だけの説得を続ける気にもならず、静葉は質問を変える。
「なぜ、今頃しようと思ったの?私がミラージュをやめてすぐでもよかったはずだわ」
「ある人に教えていただきましたの。殺人術を」
初めて沙良の瞳に迷いが生じた。沙良としては自分の力で復讐は成し遂げたかったのだ。方法を教えてもらうだけでも他人の力を借りたことに違いは無い。迷いというよりは後悔というべきだったのだろう。
「誰に教わったの?」
静葉の目には少し怒りが宿っていた。そいつが沙良に変なことを吹き込まなければ、沙良がこんなことをするはずないと思っていたからだ。
静葉が知る沙良という少女はおとなしい、人を傷つけることを嫌がる子だった。決して殺人など出来る性格ではなかったのに。
「お姉様、私は私の意志で動いておりますの。今はもう会っておりませんわ。たしか、名前は『篠塚晶哉』と言っていたはずです。お姉様の目を見ますとまるで…、そうですわね。まるで私がその人に操られて復讐を始めたとでもいいたそうでしたので」
心のうちを読まれた驚きは完璧に隠して静葉は笑いながら、そうでもないわよ?と返しておいた。ただ念のために篠塚晶哉という名前は頭に刻み込む。出会うことがあれば数発殴るために。
「その殺人術の被害者が少しでも少なくなるようにするのが今回の私の役目。容赦しないわよ、沙良」
静葉としては裏で誰かが糸を引いてくれていたらと考えていた。もしそうなら沙良たちへの刑罰も軽くなるだろうと。
だがその可能性が低いことは静葉もわかっていた。なにせ昔の自分と同じなのだ。いけないことだとわかっている。無意味だと分かっている。それでもするしかない。
「そんなところまで似なくてもいいのにね」
笑みのまま静葉がポツリと漏らす。
呟かずにはいられないほど三年前の自分と同じだった。悪だと自覚した上で復讐する。自らの目的のために。
「似ますわ。だって――
「同じ過去を持っているから、でしょ?」
「よくおわかりですわ、お姉様」
でもね、同じ過去を持っていても今は違う道を歩んでいるじゃない?
聞き取れるぎりぎりの音量の静葉の言葉を沙良は表上では無視した。心の中ではしっかりと刻み込んでおいたが。
「……じゃ、次は敵ね。沙良」
「はい。そうですわね」
一回目の沙良と静葉の再会は突然すぎて何も出来なかった。
二回目は静葉から訪れてゆっくりと話し合った。
三回目がどうなるか。もしかしたら戦いになるかもしれない相手を見つめて、静葉は考える。
相手は間違っている。昔静葉も間違っていると知ったうえで犯した間違いだ。沙良も静葉と同じように間違っていると分かったうえで犯した間違い。本来なら静葉に正す権利などない。
でも、やはり年配者として、そして何よりすでに経験している者として正してやるべきだろうと思う。
「じゃね」
軽い別れの挨拶を残し、静葉は立ち上がる。別れを惜しむように沙良も立ち上がろうとしたが、それは静葉が制した。見送りはいらないということである。
「さようなら、沙良」
「さようなら、時津のお姉様」
短い会話の後、静葉は入ってきたときと同じように音も立てず静かに出て行った。振り返りもしなかったので見送る沙良が涙ぐんでいたことも知らずに。
沙良がアップルティーを一口すする。目の前の席が空席であるというだけで、甘いはずのアップルティーが甘く感じた。
静葉が帰ったためか遠慮がちに扉が開かれ、少年が中を覗き込む。見張りの時間は終わったようだ。
沙良は自分が泣いていたことを忘れ、優しく微笑みながら少年を中へ呼ぶ。座るように進めてから少年にもアップルティーを淹れてやった。
「お姉様には味方でいてほしかったですわね。実力的にも、精神的にも」
最近野菜が高いですわねというように軽く、沙良が自分の意見を述べる。少年は小さく笑って答えた。
「沙良ねーちゃん。おれ、どうすればいい?」
「貴方の意志に従うまでですよ、ギィーリ。私は私の意志に従いましたからね」
まだ未熟な弟を見守る姉のような笑顔で沙良は答える。実際そうなのかもしれなかった。
少年はギィーリと呼ばれ、嬉しそうに笑った。
彼には違う名前がある。そもそも、この名前に漢字を使用しないことが許可されたのはここ数年の話で、今年十八になるギィーリには遠縁の話のはずだった。だが、街が燃えた事件があった年、彼は名前を失ったのだ。
彼は、事件のあった日に時津家に養子入りするはずだった。だが、時津の街に来てみればすべて燃えてしまった後だった。下の家にも戻れる立場ではなく、彼は名を失った。そこで沙良に出会い、沙良が帝都ラガジで出会った青年の名前をもじってギィーリと名づけられた。ラガジに、いや羅沙に居るはずのない、明日羅の夕日色の髪の青年だったらしい。
「……あの人、時津様って何歳だっけ?」
ギィーリは静葉を時津様と呼ぶ。自分はその名を名乗れないから、あてつけなのだろう。
事情を知っている沙良としてはとても微笑ましい質問だが、第三者が見えればなぜ急にそんな話になるのか分からないだろう。
沙良はギィーリが知りたいだろうことも含めて詳しく教えてあげた。
「ギィーリより四歳年上ですよ。今二十二歳ですわ。ちなみに事件が起こったときは十八でしたわ」
「四歳?沙良ねーちゃんの歳は!?」
「あら教えてませんでしたか?今年で丁度二十歳ですわ」
むっ、とギィーリが突然黙り込む。おそらく早く成人したいなど言い出すのであろうと沙良は想像する。
「成人になったらもっと……もっと変われる!!!」
そんなことを言っているうちがまだまだなのだと分かっていないらしい。ギィーリの中で静葉という存在は最初から邪魔でしかなかったのだから、今回はっきりと敵に回って少し嬉しいのかもしれない。そこまで考えて沙良は少し悲しくなった。
ギィーリは何も知らないのだ。時津の街で時津家の人間の存在がどれほど大きいものなのか。
「沙良ねーちゃん?」
沙良が深いため息をついたからかギィーリが心配そうに顔を覗き込む。沙良は無理矢理笑顔を作ってギィーリに笑いかけた。
「行きますわよ。私たちは止まりませんわ、ギィーリ」
ギィーリははっとした顔つきになり、そして真面目な顔で元気よく返事を返した。
沙良はほほに残っていた涙をふき取る。
ギィーリもまた、沙良についてきてくれた事実だけは変えられない。沙良にとって自分についてきてくれた部下をないがしろにするわけには行かないのだ。相手が今までずっと尊敬してきた相手であろうとも。
「ギィーリ、これからは私たちは殺人鬼でしかありませんの。よく分かって」
「わかってるっ!ギィーリって沙良ねーちゃんからもらった名前を使った瞬間から分かってるよっ!」
沙良がやわらかく微笑み、ギィーリがその手を取る。沙良はギィーリの手を引いて部屋を出て行った。