第二話・各々準備は十全に④
ライナス派の面々は何事もなくアルハブラ砦に到着した。
昔、共和国が富国強兵策によって軍事力を一気に増大させ、王都ティアーズの目の前にまで迫った時に建造されたのがここ、円形の防御要塞・アルハブラ砦である。
この砦は東側で南北に割れたスティレ川に東、南、北を、海に西を囲まれた王都と、王国北部を繋ぐ水神橋の王都側に立っている。
水神橋とは旧暦時代に造られた、スティレ川を渡す橋である。スティレ川は時間帯によっても流量の変動が激しく、また水深が深いところでは5m以上あるので、生身ではもちろん船での渡河も厳しいため、北側のスティレ川を安全に渡る唯一の手段となっている。
そしてこの橋の一番の特徴は何と言ってもその幅だ。大軍の進行を本来の目的として造られたと言われているこの橋は幅が300mを超えている。その出入り口を守護するために、橋の端との距離わずか200mに建てられたのがアルハブラ砦なのだ。
ここの建物は全て石造りであり、兵糧、武器の大量貯蔵も可能。さらには二重の城壁まで備えており、鉄壁と呼ぶにふさわしい防御力を誇っている。
そんな防御要塞は現在、千数百人の人間が維持、管理している。
通常の砦ならば兵士が管理も請け負うのだが、ここまで攻め込まれることは滅多になく、また来るかどうかもわからないところに戦力を遊ばせておく余裕はアリステア王国にはないので、数百人の兵士の他は国の信頼が厚い者達に委託されている。
砦に到着してすぐアルベルトは砦長に砦の状況を詳しく聞き、クロノスは自分の親衛隊に何か指示を出していた。
そして物資搬入の指示を終えたライナスは、砦の中を見て回っていた。
ゲームに置いて最重要地点と言えるこの砦だが、彼は一応見ておこうかな程度の気持ちしかもっていなかい。
もとより才無き身であることを自覚しているライナスは、今回の戦いに半ば傍観者のように振舞うつもりである。無能な味方は有能な敵より恐ろしいというのはライナスも分かっている。今はともかく『ゲーム』が始まってからは余計なことをして皆に迷惑をかけたくない。
そんな彼が二重城壁の間に差しかかると、アルベルトが自分たちの兵士を使って何か所も地面を掘り返しているのを見つけた。彼らの横には何かを入れた桶が置いてある。
「やあ、アルベルト。何をしているんだい?」
「ああ、兄上。これは作戦に必要なことなんですよ」
こちらに気付いたアルベルトが軽く会釈をして答えた。
「……その作戦というのは、人がたくさん死ぬのかい?」
「……なるべく死人が出ないようには心がけますが、どうなるかはやってみない事には……」
表情を曇らせるライナスに、アルベルトは言葉を濁した。
「人が、死ぬのか」
「しかし、私達が勝つためには必要なことです」
今回のように『ゲーム』と称されていても、結局は戦争である。戦争であれば人が死ぬのは自明の理だ。
「勝つためにそこまでやらなければならないのかな?」
ライナスの問いかけにアルベルトは一瞬言葉を詰まらせ、しかし今度ははっきりと答えた。
「……ライナス兄上。お気持ちはわかりますが、戦いというのはそういうモノです。そして勝たなければ自国の民が苦しむのもまた、戦いです」
「僕達が勝たなければ自国の民が苦しむというのなら、どうしてイキシア達は戦うんだい?」
「あちらにはあちらの考えがあります。それは私を王にした方が、国が安定するというモノです。しかし、私の考えではライナス兄上が王になった方が余計な争いを起こさずに済みます」
「……今更言うべきことではないのかもしれないけど、話し合いでどうにかならないのかな?」
本当に今更だ、とライナスは思う。戦うのが、人が死ぬのが嫌だというのならば、会議の時に否定しておけばよかったのに。覚悟したつもりで、いざそれを目前にすると気持ちがすくんでしまうなんて。
自分はなんて臆病で偽善的なのだろうか。
「……未来は、誰にもわかりませんからね。予測は立てられますが、所詮それは予測でしかありません。それぞれの選択がどういう結果を引き起こすか、答えはその時にならなければ出ませんよ。そしてその選択の善し悪しがわかるのは、更にその後になります。ですから、今話し合っても私達の意見は永遠に平行線を辿るでしょう」
「そうか……」
未来がわからない以上、どちらがいいともいえない。そしてどちらも譲れないのなら、力でもって未来を勝ち取らなければいけない。それは過去も現在も、人も動物でさえも変わらない不文律だ。
だから戦争。殴り合い、斬り合い、殺し合い。
意見が合わなければ傷付け合わなければならないなどという現実を理解したくない自分は、はたして子どもなのだろうか。
それとも、世の理を生み出した神へと反逆しているつもりなのだろうか。
いや、どのみち賽は投げられているのだ。自分が思い悩んだところで、過去には戻れはしない。覚悟を決めて、少しでもよき未来となるように努力しなければならない。
だが、自分に未来を選択できるほどの力などない。
「……僕が作戦を知っておく必要はあるかな?」
「作戦の発動するタイミングは私が指揮しますが……」
「ならそれは君に任せるよ」
そこまで聞くと、ライナスはアルベルトに背を向けた。
「兄上」
「僕みたいな無能が作戦に口出ししても悪影響しかないだろうからね」
ライナスは言葉に自嘲的な響きがこもるのを抑えられなかった。下手の考え休むに似たり、才も決断力もない自分は足手まといにしかならないだろう。
だがアルベルトはそうは考えなかった。
「ライナス兄上、一応知っておいた方がよろしいですよ。何も作戦に修正を加えようとしなくてもいいのです。浮かんだ疑問をぶつけていただくだけでいい。それだけで人は視点を変えることが出来るのですよ。そして視点を変えれば今まで見えてこなかったことも見えてきます。たとえばその作戦の欠点であったり、もしくはそれとは違う突破口であったり」
「……本当に役にたつのかな?」
自分の意見は本当に参考になったのかと、肩越しに尋ねる。
アルベルトは、それに変わらぬ声音で答えた。
「役に立つ時もありますし、役に立たない時もあります。ですが、城を出立前にあなたがして下さったあの提案のおかげで、私はあの作戦を思いついたんですよ」
まぁ、成功する確率は低いですけど、と苦笑しながら付け加えるアルベルト。
アルベルトがそこまで言うのなら、もしかすると世辞ではなく本当に自分の意見も役に立つのかもしれない。しかしライナスが自分に自信を持つには、無能と呼ばれた期間があまりにも長すぎたのだった。