第二話・各々準備は十全に③
ライナスは廊下の窓からアルベルト派の親衛隊が動き始めたのを見ていた。
「向こうはもう動きだしたみたいだね。僕達もそろそろ行かないと」
同じく窓から彼らの動きを眺めていたアルベルトは頷いた。
「そうですね。早く着ければそれだけ準備ができますから」
「準備ねぇ……何が必要ですかねぇ?」
一人、窓の方を見もせず顎に手をやり思案するのはクロノスだ。元来外交の担当で戦争など門外漢の彼は、なるべく面倒なことはなしにしてもらいたいけど、と考えていた。もちろん考えているだけで口には出さないが。
「私達がしなければならないのは城壁、城門、貯蔵庫等の状態を砦の兵長に訪ね、必要があれば補修。他には速やかな人員配置でしょう。後は作戦に応じて適宜準備していく必要があります」
アルベルトはとりあえず思い浮かんだことを順に並べ立てていくが、まだまだ他にもやらなければならない事はたくさんある。向こうにはイキシアがいるのだ、準備はいくらしておいてもしすぎということは決してない。
「それ以前に、こっちの作戦はどうするんだい?」
ライナスが今回の『ゲーム』でキモとなるところを尋ねた。
「こちら側は基本的に守りに徹さなければなりません」
アルベルトはそこで一度言葉を区切り、人差し指を立てて説明を始める。
「野戦をしたところで現役の将軍であるイキシアに及ぶとは思いませんし、衝突を避けて攻城でもしようものならその報を受けて引き返してきたイキシアと塔側の挟み撃ちに遭います。もしくは私達が攻める前に私達のフラッグが奪取されるでしょうね」
「姉上は攻撃に出てきますかねぇ?」
クロノスはほぼ9割方答えを予想しつつも兄であるアルベルトに尋ねた。
「まず、間違いなく出てくるでしょう。今回、イキシアが着いた側には時間制限が設けられることになっています」
つまり、
「攻めなければ勝てない状況にあるのです。それは向こうも承知していることでしょう。ということは向こうもこちらが守りに入るだろうと考えているはずです。そう考えればイキシアという大戦力を攻めて来るかどうかもわからない敵軍のために砦で腐らせるより、攻めに使ったほうがいいと考えるでしょう」
「そこまで考えてあの条件を出したんですねぇ。大したものですよぉ、ホントに」
クロノスが称賛を贈るのは今回の『ゲーム』に時間制限を設けたことだ。直接的な力が戦局を大きく左右するこの『ゲーム』は、イキシアを有した方がほぼ間違いなく勝利することになる。
だが時間制限を設ければ、少なくとも一方的な展開は避けられる。
さらに時間制限はアルベルト派の選択肢を減らすことにもつながる。向こうは時間に追われ、早期の決着に臨むことになる。
そうなればイキシアとその親衛隊という大戦力は出てこざるを得ず、その上焦りを生むことにもつながる。
つまりアルベルトは、最低限の条件でゼロ近かったライナス派の勝率をグンとあげたのだ。
「一つの行動に二つ三つと意味を持たせるその知謀、まさに軍師と呼ぶにふさわしいものですねぇ」
「でもこっちが守勢に入るって予想してイキシアが出てくるんだったら、こっちも砦を攻めたらどうかな?不意を突けそうなものだけど」
人間、片方に意識がいくともう片方は疎かになりやすい。それはテレビを見ながらでは宿題に集中出来ないのと同じことだ。
故にこそのライナスの提案だったが、アルベルトはそれに首を振った。
「それは先程申しました通り、挟み打ちの危険に遭いますよ」
そのアルベルトの懸念にライナスも首を振る。
「違う違う。全員で行くんじゃなくて、少数精鋭で行くんだよ」
「少数精鋭……」
「数が少ないなら失敗しても大した損害にもならないし、こっちの守りも薄くならないんじゃないかな?」
ライナスの思い付きを聞いたアルベルトは、顎に手をやって急に考え始めた。
「……ところで二人は誰が砦の守備にまわると思いますか?」
急に話題を買える彼に疑問を感じながらなも、クロノスはそれを想像してみた。
「少なくともオルテンシアには任せないと思いますけどねぇ」
それはまず間違いないだろう。というか自分が相手なら、間違いなく彼女には任せない。
確かに彼女は利発ではあるが、いかんせん精神的に幼すぎる。これから経験を積めば化けるだろうが、今の状態では流石にないだろう。
「僕もそう思うな。守備にまわすんだったら、キースかカイト、あるいはその両方だろうね。でもカイトの性格からして大人しく砦の中にいるとは思えないけど」
二人の意見を聞いたアルベルトは、一つ頷いた。
「クロノス、あなたのところは確か……」
それから聞いた兄の作戦には驚かされたが、ハイリスクハイリターンな作戦に乗ってみるのも一興と思いクロノスはその作戦に賛同することになった。
廊下での簡易会議が終わってクロノスが去った後。ライナスとアルベルトは二人で話していた。
歳も近く、ライナスが初めての弟ということでアルベルトを可愛がっていたこともあり、二人の仲は兄弟たちの中でも特に良い。そのため、二人はよくこうして話をしているのだ。
「アルベルト」
「なんでしょうか、兄上?」
ライナスは先ほどとは反対の窓に視線を向けた。
そこから見えるのは城下町の風景だ。ある通りでは商人が声を張り上げ、それにつられた奥様方が並べられた商品を見比べ、また別の通りでは大道芸人がお手玉をし、行き交う通行人がそれに拍手を送る。
賑やかな町の風景が、そこにあった。
「失いたくないものだね、この風景は」
「……はい」
アルベルトは兄の瞳に宿る決意の色を見た。
民に対する愛情が深い故のその想いに、やはり情に疎い自分よりも兄が王になるべきだと改めて思うのだった。
「よいしょっ……」
その日、アリステア王国のメインストリート、サンクチュア通りに店を構えるジョンは仕入れに大忙しであった。
国王陛下崩御の方は既に王都全体に伝わっており、近いうちに国中に伝わるだろう。
そうなれば新国王の就任式、そして前国王陛下の葬儀には数多くの人間が集まることになる。人が集まれば消費が増える。消費が増えれば店が儲かるというのは誰しもが気付くことだ。
たとえ国のトップが変わろうとも、下々の者は強かに生きていく。そもそも王制が敷かれるこの国において、些細な陳情ならともかく、国民の意見が国政を左右することはまずない。
そんな中で彼らに出来ることと言えば、せいぜいが次の国王が自分たちの苦にならない政治を行ってくれるよう祈ることくらいである。
たとえ人気のある王でも死後数年たてば人々の記憶は薄れゆき、新たな王の評価に移る。国民とはそういうものだ。
特に生活面においてあまり余裕のない国民は稼げるチャンスは何でも利用する。敬愛する国王陛下の死も、利用できるなら利用しておこうという商魂が彼らに羽づいている。
ジョンもその例に漏れず、国王陛下の死というイベントに乗じてひと稼ぎしようと準備をしていた。
「ん……?」
荷物を運び終えた彼が体を伸ばそうと顔をあげると、サンクチュア通りを王子達と兵士達が下っていくのが見えた。兵士たちはその装備から親衛隊とわかる。
一体この非常時に何処へ行くのか、彼は考えてみた。
先述の通り国民は国政に関わることはまずできないが、それと彼らが国政に興味を持つか持たないかはまた別の話である。この国で生活する者にとって気にならないわけがない。
国の安定のために一刻も早く次の国王を彼らの中から決めなければいけないというのに、王子達は何処へ行くというのか……
そこまで考えて、彼は考えるのをやめた。もともと彼は学のある方ではないし、考えたところでどうしようもないこともわかっている。
たとえそれが、己の実を左右するものであっても。関わることが出来ないことには変わりないのだから。
「でもなんかもやもやするなぁ……」
最後の一兵まで見送った彼はつっと視線を空に向けた。そこには、今にも降り出しそうな曇天が広がっていた。