エピローグ・そして世界は動き出す
これで第一部完です。
赤。
その場を一言で表すならば、それが何よりもふさわしいだろう。
なぜなら、そこにある何もかもが赤く染まっているのだから。人も、建物も、大地も、空でさえも。
「鎮圧、完了しました」
「ふん、飼われるしか能のない雑魚が。小賢しく反乱など企てねば長生きできたものを……」
狂おしいほどの赤の中で、一際美しい金の髪が輝いた。何もかもが染まってしまいそうな赤の中で染まらぬ金は、持ち主の芯の強さを知らしめているようであった。
深紅の鎧に包まれたその人は、一見しただけでは性別も判断できぬほどの美麗さを誇っていた。ただ胸元の鎧が大きく膨らんでいることだけが、その人が女性であることを誇示していた。
「陛下。わざわざあなた様が出てこられずとも我々だけで十分でした」
「そう言うな。我もたまには運動せねば鈍る」
まぁ、もう少し手ごたえが欲しかったものだが。
そう続ける主君に、横に並んだ将はひそかにため息をついた。
男性特有の低い声を持つ彼は主君と同様に深紅の鎧を身に付けており、しかしフルフェイスの兜をかぶっているため表情までは見えなかったが。
ローゼン帝国の皇帝陛下であるペオーニエ・V・ローゼンブルートがこんな辺境の小さな反乱の鎮圧に出てくるなど、普通では考えられないことだった。そしてそのことが、反乱を企てた者にとっての不運であった。
反乱を起こそうとしていた辺境伯の城の目前に布陣した彼女は、送られてきた使者を一応は迎え入れた。しかし証拠があるにもかかわらず愚にも付かない言い訳を繰り返した使者をその場で叩き斬ると、瞬く間に景色を血の色で染め上げてしまったのだ。
他の誰が出てきても、ここまで悲惨なことにはならなかっただろうに。生憎と彼女は反逆者を許すほど甘くはなく、むしろ徹底的に叩き潰すことを信条としていた。
これだけの光景が噂でも伝われば、軽々に反乱を企てる者はいなくなるだろう。そういった意味では、最高のデモンストレーションと言えた。
「伝令!」
「どうした?」
布で頬に付いた血を拭っている彼女のもとに軽装の、しかしやはり赤を身にまとった兵士が駆け寄った。
「アリステア王国の国王、リチャード・O・アリステア陛下が二日前に亡くなられたそうです」
「なんと……」
「ほう……」
将は驚きの声を上げ、一方で皇帝は口の端を吊り上げた。
「あの賢王が死ぬとはな。いくら優秀でも寄る年波には勝てぬか」
そして、それは次第に獰猛な笑みとなる。
「面白い事になったな。これで世界が動くぞ、ヘクトール」
ヘクトールと呼ばれた将は先程と同じようにため息をつき、兜の中で眉をひそめながら自らの主君を諌めた。
「お言葉ですが陛下、リチャード陛下は人格・才覚ともに素晴らしく、自国の民どころか他国の民にすら慕われております。あまりそういうことは口にしないほうがよろしいかと」
そう言われたペオーニエはしかしそれを聞き流し、世界の未来に思いを馳せていた。
(さて、共和国は、皇国は、そして当の王国はどう動く?そして我々はどう動くべきだ?あぁ、本当に面白い事になってきたなぁ)
「賛成7、反対6でこの法案を可決します」
円卓の、扉と正反対の位置から宣言がなされた。それはまばらな拍手とともに受け入れられる。
「いや、よかった。これでますます国がよくなりますぞ」
「まったくですな。反対派の動きも盛んになってきたことですし、否決されればどうしようかとひやひやしましたが……」
随分と歳のいった二人の男性が、円卓を挟んで対面にいる比較的若い男性をチラリと見ながら話している。
「……チッ」
それに対して彼、パトリック・ルロアは舌打ちを一つこぼし、立ち上がった。
(そんな法案を通してどうするというのだ。これでは共和国の貧富の格差がますます広がるばかりではないか)
今回評議会で決議された法案は、一定以上の収入を持つ者の所得税を免除するというものだ。もちろん免除するだけでなく年間一定以上の金を消費することを義務付けられる。評議会員達はこれで経済の循環が良くなるというのだが……
(確かにそれで経済はまわりやすくなるだろう。それによる消費税も増える。しかし国としての収入は圧倒的に減ってしまうではないか)
国としての収入が減れば、評議員たちも苦しくなるのが道理だが。
(いや、そんなことは奴らには関係ないか。何しろ奴らが大企業からのわいろをもらっているのは確実なのだから。むしろそういった人間に受けがいい法案を通した方が、奴らも潤うという訳だ。まったく、腐っている)
国民の政治意識がもう少し向上してくれたら、いやせめて評議会に若い人間が後一人でも入ってくれれば。残りの5人を説得して過半数が取れ、悪しき法案を排除できるのに。
(現実はそううまくいかない、か。何か、新しい風でも吹いてくれればな……)
心の中で深いため息をつきつつ、しかしそれを表面に出さずにドアノブに手をかけようとすると、それより先にドアが開き、
「失礼します!」
一人の年若い青年が小さな紙切れを片手に入室してきた。
「何かね?ここは最高評議室だ、君程度が入っていい場所ではない」
先程パトリックに向けて厭味ったらしい視線を向けてきた老人が、入ってきた青年を慇懃にしかりつけた。
「も、申し訳ありません!ですが一大事ですので一刻も早くお耳にお入れしたく……」
「もういい、早く用件を言いたまえ」
その用件を遮ったのはお前だろうと言ってやれたならどれだけ気持ちいいだろうか。しかしただでさえ四面楚歌の自分がそれを言ったところで何の得にもならない。その思いだけで、彼はなんとか自制してみせた。
「アリステア王国の国王、リチャード・O・アリステア陛下が、二日前にお亡くなりになられました!」
「なんと……!」
「それはそれは……」
その報告は、その場にいる全員に驚きの声を上げさせた。パトリックもその内の一人だが、彼はすぐにそれを飲み込んだ。
「それは、確かなのか?」
「は、はい。詳しい事までは分かっていませんが、少なくとも暗殺や謀殺をされた訳ではないとのことです」
それが自然死か他殺か、どちらにしてもリチャード王が亡くなったのは揺るぎない事実なのだろう。
その才覚で以て長らく世界の均衡を保ち続けていた王の死が何を意味するのか。そのことに思い至った瞬間、パトリックの体は歓喜と恐怖に震えた。
(これは、時代が変わる……良くも悪くも、世界に風が吹き抜けるぞ!)
大聖堂。八神皇国の首都にあるこの建物では今、年に一度の大祈祷の準備が為されていた。
大勢の人間が忙しなく動く中、一際壮麗な衣服をまとった男性が、大聖堂内の祭壇付近であちらこちらに指示を出している。
この人物こそ八神皇国において唯一『八神』を名乗ることを許された教皇、八神 御白である。その透き通るような白い肌と、艶やかな黒の長髪は見る人間にある種の神性を感じさせる。
その彼に、一人の少年が話しかけた。
「教皇様、こちらの杯はどちらに……」
「それは八神が一柱、水神様に捧げる純水で満たす物です。水神様の像の前に置いてください」
彼は手で示してから、少年の肩に手を置いて語りかけた。
「物事には全て意味があるのです。意味を理解していれば、為すべきことは自ずとわかるはずです。特に神事においては、それを理解した上で為すことがより深い信仰に繋がります。この杯のことも、形式を覚えるだけでなくその意味まで理解するのですよ?」
教皇であり、それこそ神の使いであるかのような容姿を持つ彼に諌められた少年は、その頬をリンゴのように染めて頭を下げた。
「も、申し訳ありません。八神様にお仕えして日が浅く、まだまだ浅学なもので……」
彼はそれに微笑みで返し、優しい声音で諭す。
「いいのです。無知は罪ではありません。神ならぬ人間が学べる知識の量は限られています。そして自分に何が必要なのかということは、経験を通してでしか知ることができません。ですから、たとえ必要な知識であったとしても、それを知らぬことに罪などないのです」
しかし。
「必要であると知った知識を学ぼうとしないのは、これは罪に当たります。必要だとわかっているのにそれを得ないのは、怠慢であるからです。ですから、無知を恥じ入ることなく、学ぶ努力をしなさい。そして分からなければ恥ずかしがらずに誰かに聞きくことです。わかりましたか?」
「はい!」
目を感動にキラキラさせながら頷く少年に、彼はもう一度微笑みかけた。そして次の指示を出すために大聖堂から出ようとしたところ、
「教皇様」
司祭の一人に呼び止められた。
「どうしました?」
「たった今、アリステア王国の国王、リチャード・O・アリステア陛下が、二日前にお亡くなりになられたとの報告が入りました」
「リチャード王が?それは確かなのですか?」
「はい」
(あのリチャード王が……)
教皇になる以前に何度か会ったことがあるが、その平和を求め続ける人柄には神に仕える者として感服したものである。
(心よりご冥福をお祈りいたします)
彼は尊敬もしていた人物の死に一人の人間として心の中で弔うと同時に、教皇としてこれからの時代の潮流に思考を巡らしていた。
(世界が揺れ動くことは避けられませんか……八神よ、せめてどうか世界の穏やかならんことを)
全ての国に新王ライナスの就任と四カ国会議開催の知らせが届いたのは、それから更に二週間後のことだった。
どうも、ぞなむすです。
この物語は第二部に続く予定ですのでよろしければそちらもご覧ください。一応予告のような物を。
キースの死によって無事王位継承を終えたアリステア王国に新たな難題が降りかかる。それは王位継承の『ゲーム』の最中に発覚した人材不足だった。アルベルト達が国を上げてその問題に取り組む傍らで、ライナス王は新たな王のお披露目と不可侵条約の継続を目的とした四カ国会議に挑む。次章、「四カ国会議」お楽しみに。