第四話・『ゲーム』開始~スティレ川を渡る~①
クランスター砦からアルハブラ砦へと続く道を、イキシア達アルベルト派が進んでいく。平時より前線で戦うことの多いイキシアとその親衛隊は馬に乗り、キースとオルテンシアの親衛隊は攻城兵器を運んでいる。
「砦にはカイト殿下のみを置いておりますが、大丈夫でしょうか?」
隊列を整えるため前に出ていたプラムは、馬の歩を緩めイキシアの隣に並んだ。その顔にはわずかに不安の色が浮かんでいる。
が、イキシアはそんな彼女の不安を笑い飛ばした。
「何、心配することは無い。あれは普段はあのような態度だが、有能な奴だ。相手がどのような数の兵を差し向けたとて我らが砦を落とすまでは持ちこたえられよう」
「しかし、姫と違って初の実戦です。初歩的なミスをする可能性も」
「ならばお前はだれが適任だったと思う?」
イキシアが横眼でちらとプラムを見た。その視線を受けた彼女はほんの少しの間思案を巡らすと、
「キース殿下が最良かと思われます」
と言った。それにイキシアは先ほどよりも興味深げな視線をプラムに向けた。まるで教師が出来のいい生徒に期待するように。
「ほぅ、どうしてそう思う?キースもオルテンシアも実戦は初めてだが」
「キース殿下は落ち着いた性格でいらっしゃいます。攻めより守りに適していましょう。対してカイト殿下は好戦的な方です。守戦には向かないかと」
イキシアはその答えに満足してうなずいた。
「確かにその通りだが、性格が全てを決める訳ではない」
それに、
「お前の言うとおりカイトは好戦的なんだ。同じ初の実戦でも、キースやオルテンシアよりも不確定要素が多い。まして今回の戦いは私達の攻めに重点が置かれていて、守りは保険だ。だからこそ不確定要素を出来得る限り少なくしておく意味でもカイトを守りにまわすほうが一番安全だと判断した」
プラムは彼女の考えに今一度思考すると、馬上で器用にも深々と頭を下げた。
「差し出がましい真似をしました。お許しください」
「良い。お前がいつも作戦に疑問を投げかけてくれるからこそ、私は勝利してこれたのだ。これからも頼りにしているぞ、プラム」
イキシアから微笑みとともに寄越される信頼に、プラムもわずかばかり頬笑みを浮かべて応える。
「御意」
アルハブラ砦。その城壁の上に立つライナスとアルベルトは、スティレ川を渡す水神橋に展開したイキシア率いるアルベルト派の軍を眼下に見下ろしていた。
クロノスは余所で指示を出すためにこの場にはいないが、二人はここで自分達の兵を鼓舞していた。
「私からあなた達に送れる言葉は一つだけです。冷静さを忘れないようにしなさい」
緊張に強張った兵達の顔を見る。親衛隊を務める彼らは軍の中から実力と、何より忠誠を持った者の中から更に厳選されたエリートである。
だが親衛隊が活躍する機会など早々なく、故に彼らは久しく実戦を経験していない。親衛隊となった彼らが活躍するのは、王子の命が危ぶまれる国家存亡の時のみだからだ。
だが経験が多かろうが少なかろうが、兵士である限り戦わなければならない時が来る。ちょうど今のように。
「確かにイキシアは優秀な軍人です。正面からぶつかればまず勝ち目はないでしょう」
しかし。
「戦は正面から戦うだけにあらず。策を用いるのもまた戦です。であればそこは私の領分であり、なれば我々の敗北はあり得ません。ですからあなた達は何も心配せず、自らに与えられる任務を忠実に実行しなさい」
それだけ言うと、彼は一歩下がった。
「私からは以上です。では、兄上」
ライナスはその代わりに一歩前に踏み出し、一つ呼吸を置いてから話し始めた。
「君たちにとって久方ぶりの実戦かと思う。……これから始まることに、恐れを抱いている者もいると思う。かくいう僕も怖くて、そう怖くてたまらない」
そう言って恐怖に震える手を見せる。すると、兵士たちの顔がほんの少しではあるが緩んだたように見える。
人間は恐怖の対象に出会った時、その場に自分以上に怯える人間がいれば意外と冷静でいられるものである。今の状況まさにそうと言えた。
心理学で見ればその通りなのだが、その光景はあたかもライナスが兵士の緊張を肩代わりしたかのようであった。
「でも、それでも僕達は戦わなければならない。確かに相手は相手の最良の未来を思い描いているのかもしれないけれど、それは僕達の考える未来とは決定的に違ってしまっているのだから」
震える手をぎゅっと握りしめ、胸に置く。
「僕は争いごとが嫌いだ。誰かを叩くということでさえ怖くて手が震える。だけど必要があるのなら、僕は武力を、暴力を振るおう」
……ここまではアルベルトの作った原稿だ。多少自分が言いやすいように改変したが、大筋はその通りである。
しかし、ライナスはそこで言葉を止めなかった。
「でも、忘れないでほしい。戦いというのは、誰かを虐げたり、蔑ろにしたりするために為されるべきものではないということを。相手を憎む心から行われるのではなく、相手とわかりあうために戦うのだということを」
今度こそそこで言葉を切ると、一度目を閉じた。そして数秒の間を開けて目を開くと、静かに宣言した。
「さぁ、始めよう。相互理解のための戦争を!」
対するアルベルト派の兵士たちの前には、彼らに向い合うためにイキシアがアルハブラ砦に背を向けて立っていた。
「いいか、これはある意味で実践よりも重い実践だ」
整列した兵士たちの顔を一人一人見渡しながら、彼女は檄を飛ばす。戦女神に率いられるアルベルト派の兵士たちの心持は、戦女神と対峙しなければならないライナス派の者たちと比べて格段に高揚していた。彼らの適度に緊張した面持ちに満足し、言葉を続ける。
「この戦いの勝敗が、この国の未来を決定するといっても過言ではない」
彼女はそこで言葉を切ると、腰に佩いている剣『スカーレットライン』を抜き、それを天に掲げた。
「我々は決して負けるわけにはいかない。より良き主君を頂くために、より良き未来を選択するために!」
そして振り返り、アルハブラ砦に剣を向ける。
「今だけは彼らが同じ国の仲間であることを忘れろ。敵である奴らを打ち倒し、我々の手で運命を勝ち取るのだ!!」
それぞれの檄は辺りに響き渡り。そして戦いが始まった。
ここからようやく盛り上がり。今まで長かった……