第二話・各々準備は十全に⑤
クランスター砦で砦長を務めているアラン・ジェラードは、今日も今日とて積み上げられた書類と格闘していた。
クランスター砦はアルハブラ砦と違い、攻撃のために造られた要塞である。この砦は、アルハブラ砦を落とせなかった共和国がアルハブラ砦の目の前で作り始めたものだ。アルハブラ砦を落とすための橋頭保として機能するよう建てられたこの砦は、王国の幾度もの妨害にも屈せず建築されたものである。
形は普通の方形をしているのだが、内部には砦を破壊するための攻城兵器を効率よく制作するための機関が設置されており、収容人数も10万人以上という砦である。
攻撃要塞クランスター砦と防御要塞アルハブラ砦は決戦を目前にして共和国側の勇将『ロマン・マレー』が死亡したことによる共和国の撤退をして遂に激突することはなかったが、この人類史上最強の矛と盾ともいわれるこの二つの優劣は後の軍事評論家や歴史家の間でいまだに議論されている。
ここもまた数百人の兵士と委託された千人の民間人に管理されている。
彼はそんな兵士たちの中でも全体を取りまとめる役職に就いている。砦の修繕、物資の出入りなどの報告をまとめ、それらが滞らないように指示を出したり、万が一の時には兵の指揮を執ったりするのが彼の仕事だ。
そんな彼の元に、見張りの兵士から伝令が届いた。
「王国親衛隊の旗が……?」
おかしい。軍が砦にやってくる場合、普通は先にその旨を伝える兵を派遣してくるものだ。だというのに自分は軍が、それも王族を守る王国親衛隊がクランスター砦に来るとは一度も聞いていない。
しかし、伝令の顔を見る限り嘘をついているようにも見えない。
(偽物か……?)
ありえない事ではない。賊や他国の軍が王国親衛隊を装って内部に入り込むつもりかもしれない。
「どちらにしろ様子を見に行かねばなるまい。私は城壁に行く。お前はパーク隊長を呼んで来い」
「どうですか?」
アランは隣の年老いた兵士に尋ねた。
「ん~……ありゃイキシア様じゃのう。わしはこっちにまわされる前に一度拝見したことがあるからのぉ。間違いないわい」
彼の名前はジョナサン・パーク。かつては共和国側の国境警備に就いていた者で、歳が歳だということで後方のクランスター砦にまわされていた人である。
国境警備をしていた時には何度も共和国と戦ったことのある歴戦の兵士であり、また気さくな性格もあって砦中の者から慕われている。もちろん、アランも彼を慕う一人である。
彼の確認を得られたアランはとりあえず城門の兵士に開門の準備をさせてから、眼前に迫った部隊へ大声を放った。
「ここはアリステア王国領クランスター砦である!貴公らの所属を問う!!」
あちらはその問いを予想していたのか、直ぐに返答をしてきた。
「私はアリステア王国第一王女、イキシア・R・アリステアだ!諸事情により明日より三日間、この砦を使うことになった!速やかに開門してくれ!」
なるほど確かにこの気迫、立居振舞。一国を背負って立つにふさわしいものがある。ならばあれは本物のイキシア様なのだろうか。だが、
「何か身分を証明できるものはありますか!?」
それだけでは信用できない。
ここクランスター砦は要所中の要所、もし敵に奪われるようなことがあれば喉元に突き付けられた刃となりうる。
たとえ無礼者として自分の首が飛んだとしても、軽率な行動で国を危機に陥れる訳にはいかないのだ。
こちらの不信を感じ取ってくれたのか、むこうでわずかに動きが見られた。
先頭のイキシアを名乗る女性が剣を抜き、その頭上に掲げたのだ。その剣は紅く輝いており、遠目に見ても業物と分かる。
アランがその美しさに見とれていると、横にいるジョナサンが彼に耳打ちをした。
「ありゃ国宝『スカーレットライン』じゃ……」
「え……?まさかあれが噂の?」
国宝『スカーレットライン』
一体いつの時代に造られたのか、何処からやってきたのか一切不明とされるその剣はアリステア王国の国宝に指定されている。
紅く輝く刀身はおよそ1mほどあるのだが、長さにしては異常に軽く片手で振りまわせる代物で、少しでも剣をかじった人間ならだれしもが名剣と呼ぶ程のものである。
その分逸話も多く存在し、実は神代に造られた剣であるとか、1000人斬っても全くキレ味が落ちない等、眉唾な話も多く残っている。
「あれほどの名剣はこの世にいくつも存在せんわ。間違いないわい」
警戒を続けていたアランはそこで初めて先方を信用するに至った。彼は門の兵士たちに開門の指示を出し、自らも出迎えるために城壁から降りていった。
アランとジョナサンが門に着くと、既にイキシアを先頭とした隊列が入り始めていた。彼らはその往路をふさがない位置で、左胸に右手をあてて敬礼をした。
「クランスター砦の砦長のアラン・ジェラードと隊長のジョナサン・パークです。先程の非礼、誠に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる二人に対して笑みを浮かべたイキシアは、馬から降りると同じく敬礼をして言葉をかけようとした。しかし、馬に乗ったオルテンシアがそれを遮る。
「ホ~ント失礼な奴よね!私達を誰だと思ってるのかしら?私達はこの国の王族よ?あなたみたいな木端役人の首なんて直ぐに飛ばせるんだから!」
アランはオルテンシアの非難にも黙して頭を下げたままであった。隣のジョナサンも同様である。
イキシアはそんな彼らにまだ何か言おうとしているオルテンシアを見かねて助け船を出した。
「やめろ、オルテンシア。お前は自分に都合が悪いことがあると直ぐに他人に当たる癖がある。もうそろそろ直せ」
不満そうな顔つきでオルテンシアを置いて、イキシアは二人の方に振り向いた。
「二人とも、楽にするといい」
彼女の言葉に、アランとジョナサンは戸惑うことなく面を上げた。そんな二人に彼女は笑みを濃くして告げる。
「今回私達が来ることを報告しなかったのは悪かったな。お前達を試そうと思ったんだ。後方の任地で気が緩んでいないか、指揮官の腕は鈍っていないか。まぁそんなところだな」
そこで一旦言葉を区切ると、二人の顔を交互に見た。
「結果は……合格だ。冷静な判断、用心深さ、何より貴君らは不敬罪に問われる可能性も厭わずに職務を果たした。これは素晴らしいことだ。お前たちのような者が後ろにいてくれるからこそ私のような前線指揮官は全力を出せるのだ」
イキシアはもう一度敬礼の姿勢を取った。
「お前たちの働きに敬意と感謝を!」
それを見て二人は一瞬呆気にとられたものの、直ぐに喜悦の表情を浮かべ敬礼を返した。
「ハッ、ありがたき幸せ!」
その後、やる気を出した砦の者たちと王子王女らの指示で、アルベルト派は滞りなく砦に入った。
ネーミングセンスに関してはスルーの方向で