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第九章『扼殺ルチフェル』

第九章『扼殺ルチフェル』

said:かの異形の上に立つ異形

或いは、皇を護りし月の輝き


 夏の訪れが身に知らされる頃、原宿の街は少しずつ変化していた。原宿は段々と着実に元々の原宿の姿に戻りつつあった。先日悠夢の核兵器達が大量のゾンビを排除し、増殖の元を断ち切ってくれたお陰で夜の街を出歩く屍は殆ど目撃されなくなった。そして、六月を終え七月に入った頃、約五年に渡って掲げられていたゾンビ警戒注意報がついに解除された。原宿は夜の活動も開始しはじめた。原宿にあるコンビニは漸く二十四時間営業になったし、レストランカフェ、デパート、その他各店舗が夜まで営業されるようになった。定員にとっては良い迷惑かも知れないけれど、それでも夜まで楽しめる原宿となって生まれ変わる事が出来た喜びは尊いものだろう。たった五年でのこの回復ぶりは世界中で注目された。ただ、何故いきなりゾンビが街から消えのかは人々の謎を産んだ。まさか原爆被害国の平和主義の日本が核兵器を密かに保有していて、しかもそれは人間の屍から作られた最新鋭の核兵器だなんて教えられる筈も無い。しかし人間核兵器の発案者の紀伊悠夢はご満悦だった。自分の手で原宿を完全復帰させたような物なのだから。しかし其処に行き着くまでどれ程の犠牲を産んだのだろう。ホロノイドを完成させるまで何人もの生きた人間を実験台にしては無惨な死を味わせた。失敗作のホロノイドだって沢山いる。その者らは一度生き返り、自分の体を異形にさせられては同じ運命を辿った者に殺された。だが、やはり一番の被害者は彼の実の息子の憂だろう。しかし悠夢は微塵も負い目を感じているように見えない。罪悪感だって、彼は少しでも感じた事があるのだろうか。それ程までに彼は何処までも剽軽で軽薄。それどころか、彼はホロノイドとして生き残った者らに更なる追い風をたてる。苦しみながら永久の命を持つ人間の顔を愉悦に見詰めるように。悲劇の祭典という名のこの戦に関わる人間全ての悲哀のキャンディーを螺旋巻く舌で甘味を楽しむように。

 そうは云っても、最近はそのキャンディーを貰えていない。彼は退屈だった。しかし退屈を退屈と思うのは負けで、今は良い時代なんだと思う事にした。異形の息子とその友人はごく普通の高校生として高校生ライフを楽しんでいる。友人も友人で今は忙しく人間としての仕事をこなしている。妖魔界からの移住者達も人間界の生活を楽しんでいる。みんな楽しそうだ。自分の人生を、あった筈の人生を難なく過ごす。それは彼らにとって至上の幸せ。悠夢にとっては、至上の退屈。

「みんな楽しそうだねぇー、うらやましー。」

 悠夢は全く進まない新作夏服のデザインスケッチを眺めながら呟いた。彼もまた、最近は普段の紀伊悠夢としての仕事ばかりだった。この通り今は平和ボケ最中の日本、ついこの前まで怒濤の戦争があった事など当事者の彼らですら忘れてしまいそうな状態。ゾンビ襲来事件を起こした人物は、或いは国は未だ判明しない。何の目的でやったのかも解らない。だから恐いのかも知れない。またいつ事件が起こるのか解らないのだから。ただ一つ解る事は、此方が下手な動きさえしなかれば相手も攻撃して来ない事。だったらこんな研究も、こんな発明もやめてしまった方が早いのでは無いだろうか。そう云ってやめていく研究員が続出した。今となってはこんな研究所無きに等しい。しかし研究所が無くなってしまっても悠夢はそう困る事は無い。何故なら彼は仮にも支点をいくつか持つ売れっ子デザイナーでもあるからだ。だからさっさとホロノイド研究者なんていつ辞退しても良いのだろうけど、それは平和というぬるま湯に浸かるという結果を招く。そのぬるま湯は悠夢にとって至上の退屈。眠たくなる程の退屈。何か起きないものか。またホロノイド全員送出させなければならない程の刺激的な戦争が起こらないものか。解っている、平和が良い事なんてよく解っている。だから自分から戦争を起こそうなんて思っていない。何故ならゾンビ襲来事件を起こした人間の事は憎く思っているから。矛盾しているなんて自分が一番解っている。しかし正しく言い換えるなら、ゾンビ事件を起こさせてしまった自分が一番憎い。それ故彼は大切な物を沢山失った。だから彼はその悲しさを紛らわす為に常に戦禍の中に居る事を決めたのだ。退屈なんて云うのは語弊がある。退屈なのでは無く、退屈になってしまうと思い出してしまう事が沢山ある。思い出したく無い事も沢山ある。自分が生きている価値の無い人間だと自覚してしまう。こんな生ぬるい平和にいつまでも浸かっていたら。

 ふと時計に目をやる。時刻は深夜の二時過ぎ。何か静かだと思ったらそうだ、憂と射光が居ないからだ。確か彼らは今、クラスメート達を肝試しに行っているんだっけか。千駄ヶ谷トンネルの上にある霊園で。今頃到着した頃か。

「良いねぇ、リア充爆発すれば良いのに。」



「肝試し?」

 訝しげに魔が聞き返す。夜の神社も十分な肝試しスポットになるけれど、彼らが向かうのはもっとよからぬ魂が集まっている場所だ。

「はい。千駄ヶ谷トンネルの辺りでやるそうです。なので僕、そろそろ出かけますね。」

「待て依月、」

 颯爽と立ち去ろうとする依月を呼び止める。其処は流石に妖魔皇として止めるだろうなとは予想ついていた。肝試しという行為は妖魔に喧嘩を売るような行為。

「貴様、何をしに行くのか解っておるのか。」

「解っていますよ。ていうか、僕だって本当は行きたく無いですよ。寧ろ肝試しに行く事自体も止めようとしましたよ。でも・・・何か今の若者はどうも昔より聞き分け悪くて・・・僕の警告なんて全然聞いちゃいないし。」

 そうやって常識の無い若者に対する愚痴をこぼす姿は見た目よりずっと年老いて見えた。というより、幼い姿で若者がどうのこうのと云うのはどうも違和感がある。

「だから、心配だから僕も一緒について行くんです。」

 依月は妖魔にも臆せず攻撃出来る数少ない人間。しかもその戦闘能力の高さは人間でありながら核兵器級だ。確かにもし万が一の事があっても彼さえ居てくれれば安心なのは間違い無い。しかし彼はあくまで人間だ。完全に妖魔を消滅させる事が出来るのは妖魔皇ただ一人。

「千駄ヶ谷霊園か・・・いや、あそこは前々から危険な場所だと思っていた。貴様だけで行かせるのも不安だというのに、其処に普通の人間も紛れるとなると、」

「危険だと思ったらその時にどうにかして下さいよ。」

「まぁ儂がついていくというのも問題だな。やはり何かあったら貴様に任せるとしよう。」

「聞いてるんですか。おい、ニート皇。」

 魔お得意のスルー機能を発揮し、やはり依月と友人達のみで肝試しに行く事になった。魔みたいな人を一緒に連れて行くのもまた違う意味で恐いので仕方無いかも知れない。不安要素は多々あるものの、魔はああ見えていていざと云う時には決めてくれる。そうやって長年の間彼といくつもの戦乱の中を生き抜いてきた。だから依月は心の何処かでは安心もしていた。いい加減そうに見えて、やはりあの人は誰よりも妖魔皇としての責任も持っているし自信も持っている。夏の夜の心地よい涼風を感じながら、雪柳神社鳥居前で待っている四人の友人と落ち合った。



 丑三つ時の夏。あの日本の夏特有のじめっとした暑苦しさは無い。しかし霊園に繋がるトンネルに入った頃から、五人は異様なこの空気を感じずにはいられなかった。特に射光と依月は。特に大した心霊経験も無く、霊感も無い憂と愛音とゆんにはきっと聞こえていないだろう。後ろからついてくる一つ多い足音に。

「いるみん、大丈夫?」

「あ・・・うん、平気」

「顔色悪いよ?」

「そうかな?ああ、此処暗いから・・・」

「確かに暗いな。こんなに暗かったっけ・・・このトンネル・・・」

 憂のぼそりと呟く独り言も誰も居ないトンネル中に反響した。本当に彼らには聞こえていないのだろうか。話声よりも深く反響する素足の足音。素足の足音なんてする訳が無い。みんな靴なりサンダルなりちゃんと履いている。だから、この素足の足音は、紛れもなく人間では無い者の足音。射光は異常な恐怖で高鳴る鼓動を抑えるのに必死だった。

しかし同じ音が聞こえている依月は特にそれほどの恐怖は感じていなかった。数え切れない程の俗悪妖魔と戦ってきた依月なら解る。彼は悪質な妖魔では無い事。既に背後から感じる雰囲気で解るのだ。悪意を持って自分達についてきている訳では無い。まるで今から危険地帯に行く自分達を後ろから見守るような視線を感じる。というか、後ろからついてきている彼がトンネルと霊園に居る妖魔から自分達を護ってくれているみたいだった。不思議な事に、後ろの彼以外の妖魔の気配を感じない。まさか、あの妖魔が自分達に結界を貼ってくれているのだろうか。多数の妖魔からこの大人数を包みこむ事が出来る結界を貼るという芸当をこなす人物なんて限られている。

皇・・・?皇なんですか?



 学生男女五人がトンネルを抜けて霊園へと向かう階段を上り始めた頃、今まで全く人気の無かったこのトンネルに一台の車が入った。暗くて普通の人間の目には解らないだろうけれど、その車は明らかに高級そうな黒い外国車だった。この辺をよく通る高級な外国車に乗っている人物なんて、原宿に住む者なら大体予想はつく。

「かーなーでー」

「・・・・何?」

「起きとる?」

「寝てた。」

「あっそう。」

 左側の運転席に座る愛煌はそれから何も言わなかった。隣の席で眠っていた奏を起こす以外の目的を持たずに話しかけた。今日も朝からこの時間までハードなスケジュールをこなした奏は今極限の睡魔に襲われている。家路まで車であと二十分程、わずかでも睡眠時間を取りたいところ。

「何で起こしたの」

「何で寝たんや」

「質問してるのはこっち。僕は眠たかったから寝ただけ。」

 奏は明らかに不機嫌を顔に出すと、今度はシートをさげて更なる眠りにつこうとした。愛煌は片手で奏がシートをさげようとする手を押さえそれを阻止した。片手、脇見運転は危険だと察知し車は一旦止まった。

「ちょっと、何するのっ」

「お前だって、何人に運転任せて寝ようとするねん。」

「僕は疲れているの。眠いの。どっかの馬鹿が全然寝させてくれないから今寝たいの。」

「そんなん眠いのは自己責任やん。俺関係無い。」

「眠いのに寝れないのってどんだけ辛いと思ってんの。拷問だよ。」

「俺なんて眠いのに運転してるんやで、ちったぁ見習えっ」

「お前が僕の為に身を削る事なんて当たり前だろ。僕の犬なんだか、ら、ちょっとやだ・・・っ離してよっ・・・」

「お前だけ楽になんかさせへんで。楽になりたいならそれなりの頼みの姿勢ってもんを・・・」

「お願いします寝させて下さい。」

 エベレスト山脈並のプライドの高さを持っている奏が、こんなにもあっさり愛煌の言葉を聞いたのは何年ぶりだろうか。そして奏が愛煌に敬語を使ったのも何年ぶりだろうか。いや今まで無かったかも知れない。しかし愛煌より十以上も年下の奏が敬語を使うというのは道理的には全く間違っていない。それにしても、それ程までに疲れていたとは、変に意地悪してしまって悪かっただろうか。愛煌はただ、原宿一の心霊スポットとして有名なこのトンネルと霊園の近くを静かなまま通るのが嫌だっただけ。見た目に似合わず案外小心者なのだ。そんな自分の性格に対して羞恥など感じていないので素直に恐いから寝ないで欲しいと頼めば良かったかも知れない。しかし奏が素直に自分の頼みを聞くなんて思っていないのでやっぱり無駄だったか。愛煌は諦め、意を決して走り抜こうとエンジンを入れ直す。

「あれ・・・?」

 今丁度眠りにつこうとした奏も、その異変には気づいた。

「何してんの」

「知らんて、ちょ・・・あるぇ?」

 何度鍵を回しても車は走る気配が無い。というか、エンジンなんて消した覚えも無い。危ないからと思ってブレーキはかけた覚えはあるけど、何故いつの間にかエンジンが消えていたのだろうか。愛煌はいつか見た心霊番組、ホラー映画にも凄く似たような場面があったのを思い出し蒼白する。何処を押しても何をしても間抜けなエンジンの抜ける音だけが鳴る。

「・・・ねぇ、七瀬、」

 奏の吐息混じりの囁き。

「・・・なんや?」

「あれって・・・」



 丁度その頃、肝試しに来ていた五人は目的地の霊園まで辿り着いた。そして、誰もが此処へ来た事を後悔する程のおどろおどろしさが其処にはあった。熱帯夜の暑さもそこら中を飛び回る虫の鬱陶しさも忘れる程。

「うわっ・・・やっぱり本格的やな・・・」

「おいおい、誰だよ言い出しっぺ。」

「うちやけど。」

「じゃあ一番前歩け。言い出しっぺの法則。」

「アホかぁ!肝試しで女を一番先頭馬鹿男が何処におるんっしかも言い出しっぺの法則ってそういう意味やないし!」

 そうは云われても、射光だって本気で恐いのだ。自分は霊感がある人間だとついさっきやっと自覚した。あのトンネルを通った時から何か不思議な感じはするような気はしていたが、此処に来ると不快感しか無い。はっきりと目に映ったりはしていないが、立っているのもやっとな程の眩暈と吐き気がする。きっと今自分は幽霊並に酷い顔色をしているんだろう。愛音の持っている懐中電灯以外に灯りは無いので誰も解らないだろうけど。

「良いよ、二人ともそんな不毛な争いしてないで。俺が一番前歩く。」

「大丈夫?憂、さっきから足ふらふらだけど。」

 強気に出た憂だがやはり彼は体に出やすい。観察力の良いゆんには直ぐに恐怖心が見つかった。ふらふらというか、がくがくと足が震え一歩でも歩き出すと転んでしまいそう。先日解った事だが、憂も以外とホラーの部類が苦手だ。

「情け無いですねみんなして。僕は平気ですよ、恐く無いですから。」

「依月君大丈夫か?お姉さんが手繋いであげよか?」

「馬鹿にしないで下さい、僕は恐い物なんて無いですから。」

 依月の言葉は真実だった。先程トンネルをくぐった時にも思ったが、妖魔の気配はするが不思議と恐怖感は無い。この霊園にも少し俗悪な妖魔の気配は感じるがそれ程の物では無い。それに、妖魔に対抗出来る依月を一番前に置いてきた方が一番安全なのは分かり切っている。誰も名乗りでなくたって最初から依月は一番前を歩くつもりだった。と云っても、誰が見たって一番依月が頼りなく見えるのだろうけど。

「で、何処に行けば良いんですか?」

「うう・・・本当はぐるりと一周するつもりやったけど、もうその辺歩くだけでええかなって思えて来た・・・」

「駄目じゃん言い出しっぺ・・・」

 依月はこの場所に居る妖魔よりも射光の方が心配だった。依月には解る、明らかに彼の様子がおかしい。頑張って強がって喋り続けているみたいだけど、その体力もいつまで持つか。早急にこの場所から出たいところだ。と思った矢先、背後で誰かが倒れる音がした。まずい、と勢いよく振り返る。其処には急な段差が転んだっぽい憂の姿があった。

「・・・何やってるんですか、憂さん。」

「・・・・つまずいた。」

「大丈夫?」

「・・・ったく、何でこんなとこに段差があるんだよっ」

 憂はぱしぱしとズボンについた泥を適当に払い段差にあたる。段差には悪気は無いのに、可哀想だ。彼は全く霊感気質では無いのか、恐そうにはしているものの体調に変化は無さそうだ。

「段差・・・?」

 射光の不可解な囁き。思わずもう一度振り返った。

「段差なんて無いよ?」

「は?じゃあ何も無いのに転んだとでも?」

「だって其処だろ?其処だったら俺も歩いたけど、段差なんて無かったけど・・・」

 憂を含め周りの人間全員が憂の足下に視線を落とした。叫び声もあげられなかった。憂の右足首を、子供の白い手がしっかりと握っていた。手は割れた地面から不可解な方向に曲がっている。無機質な数秒間が流れた。やがて男女混声の絶叫が霊園を包みこみ、声をあげた面々は風のように速くその場から走り去った。不思議と、憂が走り出した瞬間手は足首から簡単に離れた。

 依月だけは尚もその場から離れなかった。叫び声一つもあげずその場に立ちつくしたまま。彼だけ恐怖を感じていないかのように。

「・・・気、済みましたか?」

『ちぇー、つまんないの。もっと遊びたかったのにぃ。』

『本当、最近の奴らってびびりばっかだよなー』

「普通の人間だったら足首に手があっただけで驚きますよ。もう僕しか居ませんから、姿を現したらどうですか?」

 依月の言葉の直後、彼の目の前は白い煙で包まれた。煙が消え其処に現れたのは双子の子猫、の耳と尻尾のついた双子の少年。依月とさほど変わらない幼い顔と背丈。小さな体にぴったりと合った子供用の無地の浴衣。子猫の耳と尻尾と変わらずふわふわとした短い黒髪。普通の人間の子供に猫耳と尻尾があるだけで驚くべきだろうけれど、依月はさも当たり前のように二人を眺める。

「トンネルを歩いていた時に僕のあとについていたのはちぐ、憂さんの足首を掴んだのがはぐ、そうですか?」

『ごめいとーう!』

 双子の化け猫ちぐとはぐ。少しだけ身長の高い方が兄のちぐ、少しだけ身長低い方が弟のはぐ。身長以外では依月でさえ見分ける事が出来ない。本当にうり二つな双子。ちぐとはぐは名前に全くそぐわない相性の良さで同時に返答をした。

『魔皇が頼んで来たんだぜ。変な妖魔に襲われる前に奴らを撤退させろって。』

『珍しいよなー、魔皇が直々におれ達に頼みごとする何てさっ』

『きっと自分から助けに行くのが恥ずかしかったんだな。』

『そうだな、きっとそうだ。』

 けらけらと無邪気に笑いながらちぐとはぐはわざわざ説明してくれた。公園の遊具で遊びだしそうな程幼い見た目の彼らだが、彼らもまた依月と同じく見た目からは想像も出来ない程様々な経験をし、気の遠くなる長い年月を過ごしてきている。それ故彼らは何事にも察しが良い。たちが悪くなる程。妖魔皇の心内ですら彼らには手を取るように解る。皮肉にも、妖魔皇の守り神である依月より数少ない善良妖魔のちぐとはぐの方が妖魔皇との付き合いは長い。そういう面では、少し彼らを羨ましく思ったり嫉ましく思ったりもする。妖魔皇は、魔は自分はなんだかんだ云ってただの人間だからという理由で妖魔界については何も教えてくれない。妖魔皇故の苦しみも辛さも、守り神である筈の依月には未だに何一つ理解出来て居ないのだ。

「皇は・・・今何処に居ますか?」

『んー、多分もうそろそろ来ると思う。』

 しかし今回の任務は、得意の変化術を使ってしょっちゅう人間達に悪戯をするちぐとはぐにはもってこいの任務だった事は解る。長い間人間界で生活している数少ない善良妖魔の二人にとって、まだ人間界に留まったばかりの俗悪な妖魔を鎮める事など容易い事。

『あの人間達はどうしたかな?』

『今頃家で泣いているぜ。』

『だな。もう肝試しは懲りただろう。暫くは此処に人間は来なくなるかな。』

『ちょっと寂しいけど、その方が人間にとっては安全だもんな。』

 彼らにとって人間は最大の遊び相手。しかし普通の人間には普段の彼らの姿は見えない。だから彼らは姿を変えて人間達に悪戯という遊びに付き合わせる。それが長い間彼らにとって唯一の楽しみ。ちぐとはぐは人間が大好きだ。大好きだからこそ妖魔と人間を離そうとする。自分と妖魔を離そうとする。それでは永遠に彼らの思いは届かない気もするけれど、彼らはこれが一番幸せな方法だと割り切っている。やっぱり、幼稚で純粋に見えて彼らは自分よりずっと大人なのだ。ずっと、強いのだ。

「ちぐとはぐはこの後どうするんですか?」

『まだ此処に居るよ。』

『此処が一番落ち着くんだ。住職さんも優しいし。』

「そうですか。」

 子供みたいに無邪気な笑顔のちぐとはぐ。依月も、何が楽しいのか嬉しいのか解らないけれどつられて笑った。小さくお辞儀をして依月は霊園の出口へ歩き出す。途中で落とされた懐中電灯を拾う。灯りはついたまま、寂しそうに石段で横たわっていた。依月は懐中電灯のスイッチを切り、灯りも無い暗い暗い夜道を、暗い暗い飲み込まれそうな闇の中を歩いていく。畏れもせずに。



「ねぇ七瀬・・・」

「何や?」

「あれって・・・」

 奏の視線の先には、明らかにこの時代には浮いている人影があった。平安時代の貴族のような絢爛な着物を纏う流れるような長髪の男。奏はその瞬間、目の色を変え勢いよく車の扉を開けて外へ飛び出した。彼が走ると片方だけ長い赤い髪が風に靡く。その不均一な姿は天界から落とされた鳥の尻尾のよう。

 鳥の尻尾のような髪は風も無いのにいっそう激しく靡いた。彼が新しく風を産んだのだ。背から生えた堕天使の翼で。

「騒がしいと思いきや・・・煩い鴉が来おったか。」

「下手物がこんな処に何の用だ。今すぐ僕の前から消えろ。」

 暗澹の堕天使の翼は宵闇よりも深い黒で、月の無い、空から離されたトンネルの中ですら不思議と黒く輝く。不穏な美しさの彼を、魔は汚れ物を見るような目で見る。彼の存在を根本から否定するみたいに。

 ホロノイドは戦場の中で自分に向かう殺意を感じとると自動的にバトルフォームに変化出来る。しかし例外に、ホロノイド自身がある特定の人物に激しい憎悪を感じたら自身の意志でバトルフォームに変化出来る。しかしそれは機能性の良い意志を強く持ったホロノイドにしか出来ない芸当。恐らくそれは世界で一人、奏にしか出来ないだろう。奏は魔にだけ向ける、憎悪、殺意、醜悪な感情の塊を。鋭い翼の先は彼の心臓を射止めたいと強く疼く。

「何を世迷い言を・・・儂を見つけたのは貴様であろう。」

「僕の視界にちらつかれるだけで鬱陶しいんだ。ついでに僕の世界からも消えてくれ。」

「ふんっ・・・鴉に何が出来る。」

 魔は懐から扇を出し、開いた。金箔の扇子は月が無くても絢爛に光り輝く。奏は翼を羽ばたかせ、ナイフのように先の鋭い羽を魔の心臓へと飛ばす。魔は畏れも焦燥も見せず、ただ何処か冷めた笑顔で羽を見詰める。心臓部を貫こうと飛ばされた羽は、魔の振るった扇によって破壊された。中の無い空洞な陶器のように呆気なく。

「おい・・・奏っ、待っ」

 愛煌も思わず車から飛び出す。愛煌は奏がこの上無く魔を憎んでいる事を知っている。だから奏が魔を見つけた瞬間彼は襲いかかりに行く事は容易に想像出来ていた。しかし此処は例え人気が全く無いと言っても街中だ。これ以上変な騒ぎになったらただじゃ済まない。何しろ彼は世間にも広く知られている歌手だ。顔を見られただけで凄い騒ぎになるのに、ましてや彼が黒い翼をはやして貴族のような和装男と乱闘なんてしていたら、何て言い訳をすれば良い。言い訳を考える前にまずは止める事が先決だろう。愛煌は奏と魔の方へ走り出す。

 刹那、左頬に強い辻風を感じた。しかしそれは風では無い。視線を少しだけ左に移すと其処には子供のように小さく細い、しかしバッドのようにぴんっと綺麗に伸びた足。

「行かせませんよ。」

 直ぐ背後から幼い少年の声がした。本当に幼い、年齢的に考えれば愛煌の息子と言っても全く疑われない程の年齢の少年。しかし幼いと言えど、その迫力に欠ける物は無かった。

「・・・よぉ、中華の坊ちゃんやないか。久しぶりやな。」

「貴方に恨みは無いですが、貴方の主人が皇に襲いかかる、そして貴方も助太刀に行こうとしている。だから僕は貴方の足止めをします。」

 依月の足は降ろされ、両足が地につく。愛煌は未だに振り返らない。しかし愛煌の手は既に懐の拳銃にあった。

「やれやれ、相変わらず末恐ろしい餓鬼やな。」

 愛煌は振り返り同時に依月の眉間に発砲する。依月はふいにその場でかがみ込み銃弾をかわす。チャイナ服の裾がふわりと舞う。二人の行動は目にも止まらぬ速さだった。しかし二人にとってはウォーミングアップ以外の何者でもない。

「餓鬼じゃありませんよ。貴方よりずっと長く生きてますから。」

「せやかて、見た目はまんま餓鬼やで。中華の坊ちゃん。」



 時刻は夜の三時。流石にもうそろそろ寝ようかと思い研究所中の電気を消していたら、玄関がいきなり騒がしくなった。見ると其処には真っ青な顔で息を荒くしている憂と射光が居た。

「どーしたのさ。肝試し楽しかった?」

 悠夢は、まるで二人が本当に幽霊を見てきたみたいだと思い笑いながら尋ねた。本当にそうだったら面白いなとしか考えていなかったけれど、そのあと何も返答しない二人を見る限り悠夢は悟ってしまった。やっぱり肝試しってのはろくなもんじゃ無いって事。

「・・・大丈夫?」

 最初こそからかった悠夢だが、少し心配になって二人の顔をのぞき込む。二人はまだ顔を真っ青にしたままだった。少しの間沈黙と二人の荒い息が支配していた。やがて射光が口を開けた。

「・・・憂、大丈夫だった?」

 出てきたのは憂を気遣う言葉。憂は小さく頷いただけ何も言わない。

「そういえば・・・依月だけ置いて来ちゃった気がする・・・」

「え?」

「あいつだけ呆然と立っていたから。」

「それ、まずいんじゃあ・・・」

 依月という名前は悠夢も知っていた。雪柳神社の神主のお守りの少年という印象しか無いが。彼が二人の友人だったとは初耳だ。しかしあの神主のお守りが出来ているのだから恐らく心配はいらないのでは無いか。と悠夢は思ったが二人の焦燥の様子が面白いので口には出さない。

「大丈夫かなぁ依月・・・」

「ああでも、トンネルであのおっさん見つけた。多分迎えに来たんじゃ無いかな。」

 比較的心配そうな射光と比較的冷静な憂。お迎えだなんてまるで幼稚園児みたいだ。

「あのおっさんって?」

「すげぇ派手な着物きてるおっさん。魔だっけ?」

「魔くんが?」

 魔という名前に思わず反応する悠夢。

「肝試しって確か、千駄ヶ谷霊園だよね?という事は千駄ヶ谷トンネルかな?」

「ああ。一応あいつ神主なんだろ?除霊とか出来んなら一緒に来れば良かったのに・・・」

 除霊どころか、妖魔退治まで出来る。悠夢は頭の中で原宿周辺の地図を描く。確かつい先程ルージュがKey-dreamの新作夏物のポスターが撮影し終わったと電話が来た。随分撮影が長引いたみたいで、予定終了時間の三時間オーバーしていた。新宿にあるスタジオでの撮影で、澁谷にある彼らの自宅へ向かうには千駄ヶ谷、原宿を通らなければならない。その際には射光達が肝試しにきていた千駄ヶ谷霊園とその下のトンネルも通るのだが。

「そっかぁ・・・だったら丁度会っちゃったかも知れないねぇ、奏くんと魔くん。」

 悠夢はこれ以上無いくらい楽しそうな笑顔を浮かべた。あまりにも楽しそうで、晴れ晴れしくて逆にその笑顔には毒が含まれていた。それはまさしく人の不幸を甘い蜜として啜る悪魔の笑顔。射光と憂にはすぐ解った。奏と魔がどんな関係かは知らないけれど、二人が会う事によって何かとてつもない災厄が降る事が。悠夢が人の不幸を、悲劇の祭典を何よりも好む事は重々承知しているから。

「えっと、奏さんと魔さん、そんなに仲が良いんですか?」

 射光は思わず尋ねた。旺盛な好奇心が行動を起こす。悠夢はそのまま、悪魔の笑顔を崩さずに妖しく愉悦にまみれた声で云った。

「何を云っているのいるみん。二人はこの世で最も危険な天敵さ。」


第九章「扼殺ルチフェル」終


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