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第六章『妄想ジギタリス』

第六章『妄想ジキタリス』

saide:かの屍に魅入られし男


 時刻は十八を過ぐ。原宿の街も段々と暗澹に染まっていた頃、地中に眠っていたまだ天に召されぬ屍が覚醒する。街の探索から帰ってきた射光と憂、仕事から帰ってきた奏と愛煌は裏原宿にある解剖研究所に集合をしていた。ゾンビ退治等の戦争に関する会議は決まって所長室で行う。いつもは奏と愛煌と悠夢だけで行っていたが、今日になって仲間が一人増えた。しかもそれは所長である悠夢の息子。これ以上嬉しい事は無いと云うように悠夢は、戦争渦中には全く似合わぬ楽しそうな笑顔で作戦会議を開始させた。

「何で此処に集められたかは勿論解っているね。」

 それはまるで自分の誕生日会に友達を集めたみたいな明るい声だった。まさかこれが戦闘に赴く核兵器達に向けられた声とは誰も理解出来ないだろう。射光はみんなから少し離れた所に座っていた。研究員ですらこの会議室には入れないというのに、何故戦争には全く関与していない射光に入室が許されているのか射光自体も理解出来ない。

「今、原宿で異様にゾンビが大量発生している。中には五年前の事件当時には居なかった人間までゾンビ化しているという報告もある。つまり、誰も知らないところで二回目のゾンビ襲来事件が起きているという事さ。それを起こしているのが五年前の事件を起こした奴と同じ奴かも知れない、だけどもしかしたら違うという可能性もある。君達は大量発生したゾンビの退治と同時に、其処らへんの原因や謎も解明して欲しい。この静まった夜の街だ。場合によっては強行突破を起こしても俺は止めないよ。大抵の場合はバレ無いと思うし、何かあっても其処は君たちの責任になるから宜しくね。」

「待て、強行突破ってどういう事や。」

 悠夢のマシンガントークにブレーキをかけたのは愛煌。その愛煌の問いに答えたのは隣に立っている奏だった。それは凩のように冷たい声だった。

「解らないのか。紀伊は状況によっては殺人を起こしても構わないと云っている。これは戦争なんだ。常人は関与出来ずに世間に知られていないだけで、これは立派な世界大戦なんだよ。戦争に殺人はつきものだろう。どんなに非情な手だてを使ったって、それが国の為、己の正義の為と云ったらそれまでだ。」

 人間から出ている声とは思えない、何とも透き通った透明な声。天界から降りてくる神様の声みたいだ。しかしその声で奏でられる言葉は信じられない程残酷な事象。しかしそれは他でも無い真実の理。

「うーん流石、奏くんは物わかりが良いねぇ。そういう訳さ愛煌、頑張っておくれよ。それから憂くんもね。今回が初めての戦場かな。いやそんな事無いか。一人だった時は毎日戦ってたもんね。じゃあもう兵器として戦うのは慣れっこかな。」

 己が息子に強いた状況だというのに、悠夢は白々しく語る。勿論嫌味以外の何者でも無い。憂はただ冷めた視線を悠夢に送り何も答えなかった。

「それはそうと君達、」

 またしても悠夢は無邪気な子供のような声を所長室に響かせる。

「何かあったの?いつもと雰囲気違くない?」

『いいや、何も。』

 悠夢は知る由も無いけれど、奏と愛煌は絶賛喧嘩中、対して射光と憂は少し距離を縮め始めていたところだった。奏と愛煌に流れる殺伐とした空気と射光と憂に流れる普段より和やかな空気が混じり合うこの空間は正にカオス。しかし四人は悠夢に今まであった事を説明するのは面倒臭いし何より他の人間に知られるのは恥ずかしいという点では共通しているので、悠夢に対する返事は四人見事に重なった。

「そう?なら良いけど。じゃ、健闘を祈るよ。」



「七瀬、」

 奏の声が誰も居ない都心の街に響く。時刻は十八時三十分。屍達が覚醒するまで三十分を切った。

「何や。喧嘩はもう終わりか?」

「違う。小休止だ。これから戦うというのにこの雰囲気ではやりづらいだろう。」

「お前がこの空気を作ったんだろーに・・・」

「文句あるの?死ぬの?」

「いや、何でもあらへん。」

 凄味の効いた奏の声は、いつもの奏の声と三味くらい変わる。天使というか、神のように清らかな声から地獄の底の神のように妖艶で、しかし何処か恐ろしげな声になるのだ。奏という人間自体がとても人間離れしている所為で、何年間も共にしている愛煌でさえくるくると変わる奏の魅力にはっとする程だ。

「さっきも云ったけど、状況によっては人間を殺傷しても構わない。というかその仕事はお前に任せる。僕の方が遠方まで攻撃が届きやすいからな。ゾンビの群れは僕に任せろ。何処かに怪しい人間を見つけたらお前は迷わずそいつを追跡しろ。」

 時計の針は十八時四十分を示す。戦争開幕まで残り二十分。

「そりゃつまりアレか?お前の手は汚すなって事か?」

「そういうつもりで云ったわけでは無いが、確かにそういう意味になるな。」

「解ってるて、奏に汚い人間は近付かせへんよ。」

 愛煌は口にくわえていた煙草を地面に落とし靴で踏みつぶし火の粉を消滅させる。そして最終準備としてずっと懐に仕舞いこんでいた拳銃に弾丸を込める。弾丸は時計の秒針と共に無機質な金属音を無人の都心に轟かせるのだった。


 憂は一人、竹下通りの中心で立ちつくしていた。愛煌と奏は今頃ラフォーレ前でスタンバイしているところだろうかとぼんやりと考えながら。竹下通りは五年前の事件の発生地でもあり特に凶悪なゾンビが発生する原宿で最も危険な場所だ。しかし憂は微塵も恐怖など感じていなかった。死ぬ事が恐く無い、何より今生きている事の方が恐い。そしてこれからも永久にこの命が続く方が憂にとっては恐怖なのだ。もしこの戦争で自分が命を落とす事があるのなら、憂にとって戦争に荷担する事以上に快感な事は無い。しかし幾度戦いに身を燃やしたとてこの命が燃え尽きる事は無い。これがどれほどの精神的拷問になるのか、あの父親は少しでも考えた事があるのだろうか。

憂は未だに悠夢を父親だとは認めていない。父親どころか、人間として今最も憎い人物である。勿論彼にも訳があるだろう。それにしたって、この戦争を開幕させたのは他でも無い悠夢なのだ。彼が人間核兵など発明しなければゾンビ襲来事件は起きなかった。本当に彼がゾンビ襲来事件を起こしていないとしても、実質的には悠夢が事件を引き起こした事になる。そしてそれによって、彼は憂の最愛の母親である沙羅を殺した。否、憂に沙羅を殺させた。憂は今でも覚えている、忘れられない。自分の手で母親を殺した感覚を。彼女の顔面の皮膚が忽ちに爛れ肉が表面に露わになり、その肉まで秒単位で腐敗していくあの醜悪さ。躯が内部から破壊されていく恐怖と痛みに絶叫する彼女の声。それは、憂が沙羅を殺すように命ずるサイレンの様で。憂は何も間違った行動をしていない。その時彼は初めてホロノイドとしての仕事を片付けただけに過ぎない。相手国の核兵器に対抗しただけなのだ。それは世界で初めてホロノイドという核兵器が放たれた瞬間でもあった。どうしようも無い程の悲しみと憎悪に塗りたくられたこれ以上無い悲劇の核兵器。

憂はこんなにも苦悶して悲しんで毎日死にたくて堪らない気持ちで生きているというのに、それを引き起こした本人はどうしてあんなにも笑っていられる。何か楽しい事があった訳でも無いのにいつもいつでも、いつ見ても悠夢は笑っている。笑顔で憂に挨拶をしてきて、抱擁をしてきて、可愛い可愛いと愛でてくる。何が楽しいんだ、何が愛しいんだ、息子の事をそんなに愛しているならどうしてこんな悲劇を引き起こしたんだ。どうして悲劇を終わらせてくれないんだ。どうして未だに、悲劇の祭典の中心に放りこまれたままなんだ。憎い憎い、憎くて堪らない。もう憂の瞳から泪があふれ出る事は無かった。泪は枯れた。あの時、射光に見せた泪を最期に。



「憂を一人で竹下通りに?」

 驚愕する射光の声が核兵器の居なくなった所長室に響いた。

「どうして単独の憂を竹下通りに置いたんですか?あそこが一番ゾンビがいっぱい出てくる危険地帯なんでしょ?だったら奏さんと愛煌さんを竹下通りに持ってきて、憂をラフォーレ前に、」

「まぁ待ってよいるみん、俺だってちゃんと考えた結果のこの配置なんだからさ。」

 ちっちっと悠夢は子供みたいに右人差し指を顔の前で揺らし、得意げに語る。悠夢がくるっと回ると前の閉まっていない白衣がふわりと風に揺れる。

「前々からね、ラフォーレ前の辺りで不審者が報告されていたんだ。全身黒ずくめの、何処かの店に入る訳もなくただひたすらそこら辺をうろうろしているおっさんがね。それが今回の事件と繋がるとはあんまり考えていないけど、関係している可能性も無きにしもあらずじゃない?だから一応大ボスの居るラフォーレ前にあの二人を置いたのさ。あの二人の息はいつもぴったりなんだ。一番傑作のホロノイドとそのホロノイドに十分に調教された番犬。今日本が誇る最強の核兵器さ。奏くんは頭の回転が早い。ちょっとした緊急事態にもすぐ対応出来る。愛煌は凄く世渡り上手で饒舌だ。直ぐに敵軍の情報を引き出してくれる。」

「へ、へー・・・」

 まるで何かの映画の主人公二人組みたいだ。射光は悠夢の言葉はただ呆然と聞いているしか無かった。ふと、悠夢の表情ががらりと変わる。

「対して憂くんは、うーん、戦闘能力は凄く優秀だと思うよ。まぐれかもしんないけど奏くんに一発喰らわせていたもんね。でもやっぱりあの子は自我が保て無い。というかあの子自身が常に自我を持てていない気がするんだ。」

 勿論、その原因は自分にある。そう云ったような表情だった。

「いるみん、君にとって憂くんは何だい?」

「え、何って、大切な友達ですよ。」

「友達?その友達の為だったら何でもしてあげられる?どんな状況でもあの子を助けられる自信はある?」

 悠夢は射光を試していた。自分が憂に何かしようとしてももう全てが手遅れだと云うことが解っている。今、憂を立て直してあげてくれそうな存在は今は射光しか居ない。否、これからもずっと射光しか居ないようなそんな直感がしたのだ。不思議なものだ。射光と悠夢はつい先日出逢ったばかりなのに。

「自信は・・・無いですよ。俺神様でも何でも無いから、憂の危機にいつでも助けに行ってあげる何ていう確証は何処にも無いです。憂が何を悩んでいるのか、どうすればそれが解決出来るのか何て、俺頭悪いからそんな事も全然解りません。でも、憂を救ってあげたい。憂を幸せにしてあげたい。その気持ちは誰よりも強いって、その確証は、自信はあります。」

「どうしてそんな事思うの?だって君達はつい最近出逢ったばっかりなんでしょ。出逢ったばかりの人間に対して其処まで思えちゃうの?」

 射光は悠夢の瞳をしっかりと見つめたまま。射光の瞳の黒が光よりも強い黒の輝きを示す。見た事も無い色の闇否光。

「俺は、初めて憂を見た時から、彼の傍にずっと居たいと思いました。」

 その気持ちが何なのかはさっぱり解らない。何を根拠に、何が原因で派生した気持ちなのかも解らない。本人が聞いたら何て電波野郎だと思われるだろう。しかし射光は思ったのだ。あの時、原宿の真ん中で倒れこんでいた憂を見た時から、彼をずっと射止めておきたいと、ずっと彼を傍に居たいと感じた。まだ彼の名前も顔も見ていない時から。その為には彼を深い闇から救い出してあげなければ、彼を本当の幸せに戻してあげなくちゃ自分は彼の傍には居られない。そう、考えて今この状況に立っている。

「ふぅん。じゃあ精々頑張れば。憂くんの傍にずっと居れるように。」

 悠夢は射光の瞳から目をそらす。いつもの軽い笑顔を浮かべていたが、これでも少し驚いたのだ。何て、強い闇の籠もった瞳なんだろうと。やっぱり天正射光はただの少年では無い。ただの家出目的で上京してきた訳では無い。とりあえず今の悠夢に解る事はそれだけだ。窓の外を見ると、既に何体もの歩く屍が表参通りを埋め尽くしていた。



 時刻は十九時。六月現在なら漸く日が完全に沈んだ頃、原宿の地上が微力ながらも揺れる。それは実際に地面の上に立っていないと解らない程の小さな揺れ。実際にこの揺れを感じた事がある者は原宿住まいの者でもそうそう居ないだろう。

「来るな。」

 凛々しい奏の声が響く。奏の声が幕開けとなりゾンビ対ホロノイドの戦争が始まる。日の当たらない街の上にその屍は地下から現れる。ゾンビ達は何処から現れ、日が昇れば何処へ消えるのか、もう何回も戦いに赴いている奏と愛煌でさえはっきりとは解らない。しかし何となく、やはりゾンビ達の集落もあるのでは無いかと思う。何処かは解らない。とにかく原宿の何処かに。彼らは死んだ身でありながら日が沈むまでは其処で屍として眠り日が昇れば新たな仲間と生命力を求め街を歩く。彼らの最大の餌は人間の血肉。それ以外彼らは何も求めてはいないし何も考えていない。ゾンビに思考能力は無い。だから冷静になれば其処まで恐ろしい相手では無いのだ。それでも見た目は確かにおぞましい。普通の人間ならゾンビ一体まともに見ただけで吐き気を催すだろう。しかし既に人間では無い、尋常な感覚を失った奏達には腐敗した屍ごときで恐怖におののく筈も無い。

 ゾンビの一体が奏の背後に現れる。何も考え無しに、ただ彼から香る蘭麝な生命の気配に酔わされ襲いかかろうとする。その醜悪な殺意に反応して、奏の中のホロノイドの血が覚醒する。核兵器の血は、彼の背に見事な堕天使の翼を生み出す。その翼で飛ぶ事は許されない。天空を舞うにしてはその翼は余りにも重くて攻撃的で、性に塗れて俗悪。

「今のはちょっと反応遅かったちゃうん?」

「黙れ。お前は大人しく僕の番犬を演じていろ。」

「はいはい。ほんまに我が儘の減らないお姫さんや全く。」

「誰が姫だ。そんな矮小な座に僕を座らせるな。せめて女帝と呼べ。」

「あれ、そこが気に食わなかったん?自分が男である事忘れとる?」

 ゾンビは彼らにとって雑魚敵以外の何者でも無い。どんなに束になろうが、所詮は塵の山。こうやって喋りながら相手の顔を見ながらの退治は朝飯前。愛煌に至っては弾を入れ替え弾を選ぶ余裕すらある。拳銃でゾンビを倒すのは恐らく割と世間一般的な光景だろう。しかし堕天使の翼でゾンビを倒すというのは中々背徳的な光景。奏の服は顔は堕天使にふさわしく屍の血で汚れていく。拳銃とは違って奏の翼は殆ど投げナイフ的な扱いに近い。翼の一つ一つは和毛で出来ているとは思えない程固くて鋭い。愛煌でも誤って触れれば其処には切り傷が出来る。あれは翼と云うより、ナイフの集合体だ。だからこそその翼は月明かりさえ反射して美しい黒光を魅せる。だからその翼で飛行する事は出来ない。余りにも血液と罪を吸い過ぎて重くて飛べないのだ。もう天界へ戻る事も許されない堕天使と同じ運命。

 ふと、愛煌の視界の端をちらつく人影。ゾンビでは無い事は明らかだった。何故ならその影は明らかに動きが俊敏で、鈍足なゾンビとはかなり違う様子だったのだ。愛煌は突如走り出した。怪しい者を見かけたらそいつを追跡する。それが今回の愛煌の使命だと先程奏に命じられたからだ。



 研究所でひたすら待機をする射光。みんなが必死に戦っているというのに、自分だけ何故こんな安全地帯で待機させられているのだろう。いやこれは仕方無い事。自分はホロノイドでもホロノイドビッチでも研究員でも無い。突然田舎村から上京してきたただのお上りさんに過ぎないのだ。それにしたってこんなの、仲間外れにされているみたいで居心地悪い。射光は悶々としながら自室の中をひたすらうろうろしていた。

 ふと、射光の脳裏に何かがよぎった。何かは解らない。兎に角強い何かが射光の脳裏を通ったのだ。赤いような黒いような眩しいような何か。それは流星のようで、雫のようで、兎に角一瞬にして彼の頭の中を横切ったのだ。それによって射光の躯は硬直した。本当に一瞬の出来事で何が何やら解らないのだ。兎に角うろうろと落ち着かなかった躯は一瞬にして止まり、一気に冷静な思考が出来るようになった。それからの自分の思考回路は余りにも脈絡がなさ過ぎて、射光自身も訳が解らなかった。しかしそれはとても強い決断で自分自身ではどうにもならない程の強固な志だった。

 そうだ、憂のところに、憂のところに行かなくちゃ。あれを持って。そう、俺の唯一の武器を持って。

「いるみん、どうしたの?」

 偶々廊下を歩いていた悠夢が突然部屋から出てきた射光を見て驚いて立ち止まった。射光がいきなり部屋から出てきたから驚いたのではない。彼の手には、見るからに高級なそして立派な日本刀を持っていたからだ。高級そうな木材で出来た鞘。見事な金色の装飾。射光の背丈や体つきにしっかりと合った大きさ。それは他でも無い射光の為だけに作られたような日本刀だった。というか、何故射光が日本刀を持っているのか、悠夢は初めて射光に会った時から凄く疑問に思っていた。しかし聞きだそうとしてもどうにも日本刀の話題になると気まずい雰囲気になるのだ。恐らく彼にも特別な事情があるのだろうと思いそれ以上詮索はしない事にしていたが、やはり気になる。

「いるみん、何処に行くの?」

「憂の所です。」

「憂くんの所?何で?」

「行かなきゃいけないからです。」

「だから、何で?」

「俺がそうしたいだけです。俺は、今自分のしたい通りに行動しているだけです。」

 まるで脈絡の無い発言。そして彼の右腕にしっかりと握られている日本刀。悠夢の疑問は積もるばかり。ふと射光の顔を覗き込んだ。

驚いた。何て生気の無い顔をしているんだろう。

「では悠夢さん、失礼します。」

「ちょ、ちょっと待って、いるみんっ」

 今原宿の外に出る何て何を考えているんだろうと周りの研究員も思わず射光の方へ振り向いた。悠夢の呼び止めも虚しく射光は研究所の玄関へ直行した。揺るぎない歩みで。

「『神様でも何でも無いから、憂の危機にいつでも助けに行ってあげる何ていう確証は何処にも無い』・・・ねぇ。だったら何でいきなりそういう行動起こすのかなぁ。」



 竹下通りは死肉の薫りで包まれていた。普通の人間が今竹下通りの付近を通ったら腐りきったこの肉の薫りを一気に吸い込みもう一生肉が食べられなくなるだろう。勿論今の憂は自我が無く気を失いながら戦っているような物で、そんな事は一切考えていないのだけれど。しかし心の何処かではちゃんと感情は働いていた。とても小さな思考回路だけれど。それは思考回路と云うよりもただの現実逃避に近かった。擬似的な死後体験。せめて戦って意識が無い最中だけでも死に浸りたいという彼らしい現実逃避の仕方。

 子供の頃、本当は自分は一度死んでいた何て知りもしなかった。自分は普通に母親の腹から出てきてそのあと直ぐに呼吸をして泣きわめいた、ごく普通の子供だと思っていた。それがまさか母親の胎内で一度死んでいて、そして父親の手によって呼吸をする事が出来て今も生きている何て、まさかそんな事と思った。勿論それを聞いたのは、あの時悠夢と射光が話している時。それまで本当に自分は普通の人間だと思っていたのだ。両腕が鎌になってゾンビを斬って殺していたとしても。誰もが思うだろう。こいつは究極的なバカだと。バカでも構わないのだ。それでも必死に生きていて、必死に死にたいと思っている。もしただの一つの核兵器の自分でも戦争を終わらせる力があるのなら、一秒でも早く終わらせてしまおう。そして核兵器としての使命を終えたら、直ぐにでも永久の眠りについて、母親に会いたい。あの時何の躊躇も無く迷いも無く殺してしまった自分を許して欲しい。あれは意識があってやった事では無い信じて欲しい。そしてもう一度自分を産んで欲しい。今度は何の悲劇に嘖まれる事も無く、ただの普通の幸せな家族として。そんな儚い夢を、願いを、妄想を、この戦地の真ん中でする核兵器は他に無いだろう。兵士としての心も無い、死ぬ事も無い核兵器が、こんな妄想をして愚かだろうか。滑稽だろうか。ならば思う存分笑って欲しい。笑って、そう笑って、そしてまた命が一つ過ぎていくのなら。

 ふと意識の無い妄想に耽る核兵器の前に黒い影が現れる。もう体力を消耗しきった躯は瞬発力も鈍っており、目の前の敵の存在にも気付なかった。その黒い影は、憂の躯に近付き近付き、ゼロコンマ単位で。刹那、影が真っ二つに割れた。上半身と下半身に。赤いヴェールを纏いながら見事に。

「憂、大丈夫?」

 影の向こうの影が声を発した。優しい声、温かい声、黒い髪に白い顔。赤い瞳。見たこともある見た事も無い顔。

「い、る、み・・・?」

 憂は無意識に誰かの名前を発していた。名前を呼ばれた人物は柔らかく笑った。戦地に似つかわしくない笑顔。

「もう随分ゾンビを倒したんだな。」

 射光は辺りを見渡す。地面を埋め尽くす切り刻まれた人間の躯。はみ出た肉片に吹き出す血しぶき。憂の腕の傷を見て泪を浮かべた射光は、数え切れない程の惨殺死体を見ても泪をしない人間なのだろうか。そんなあっさりとこの光景を認めて良いのだろうか。薄れる意識の中憂はそれだけが疑問に残る。果たして、この人間は本当に射光なのだろうか。この笑顔、この声、綺麗過ぎる優しさに満ちあふれた射光。吐き気がする程穢れの無い人間。その射光が何故、簡単に戦地に赴いて来たのか。憂を助ける為、本当にそうだとしたら、何故其処まで憂に執着しているのか。

「ねぇ、もう疲れただろう。研究所まで一緒に行こう。憂が随分倒してくれたから、これでまた少し落ち着くよ。あとは奏さんと愛煌さんが何とかしてくれると思う。」

 またそうやって射光は優しく囁く。耳元で囁くから妙にくすぐったくて憂は躯を震わせた。見ると、射光の頬も少量の血で濡れていた。彼も此処まで来るまでに何体かゾンビを斬ったというのか。彼の持っている日本刀の切っ先も同じように少量の血で染まっていた。もう立つ力も失った憂の腕は血に汚れた鎌からごく普通の人間の腕に戻る。それを合図に憂は屍が埋め尽くす地面に倒れそうになる。射光は透かさず憂の躯を支え、憂の腕を肩にまわして歩き出した。ああ、これは初めて射光と会った時の夢だろうか。激しい既視感に囚われた憂はそんな事をぼんやりと思う。それから射光は何も言わなかった。ひたすら屍の道である竹下通りを歩いて行き、裏原宿の方面を目指す。本当に此処ら一帯のゾンビは一夜にして憂が全て倒してしまったのだろう。こんな深夜なのにもう一体もゾンビが出てくる気配が無いのだ。だから安心して憂は射光の肩で眠る事にした。瞼を閉じればいつだって一度見た幸せの楽園に出会える。だから憂は眠る事が好きだ。そっと瞼を閉じて現れる、自分を愛してくれた母親、昔の優しかった父親、そして、きっとこれから自分を何度でも助けてくれるだろう神様。

 射光は憂の躯を支えながら一歩一歩確かに進む。日本刀を鞘にも戻さず抜き身のまま引きずったまま。そうすると、血で濡れた切っ先が地面に傷をつけながら道を進んでいく。射光が歩いたあとの道は一本の細い赤い糸のよう。



「だぁ、くそっ・・・無駄に逃げ足早い奴やな全く・・・」

 愛煌はひたすら自分が見つけた人影を追い続ける。気づかれないようにとは気をつけていたが、案外直ぐに気づかれてしまい今屍の街で追いかけっこをしている最中だった。しかし愛煌の存在に気づくと直ぐに逃げるこの男、やはり確実に怪しい。もしかしたらゾンビ増殖の原因を握っている人物かもしれない。だとしたら何としても捕まえなければ。愛煌はひたすらに走った。追いかけた。気がつくと研究所がある場所よりも更に裏の方へ進んでいた。

 もう何分も追いかけっこをしているが、男の方は完全にばてている。遠くから見ても解る小柄の中年男性だ。対して愛煌は毎日動いて働き、この様に戦う事もある日本の最高峰の核兵器の血が入っている躯だ。確かに少し年齢はいっているが、そこらの中年と一緒にされては困る。男は一際静かな住宅街へ入り更に逃げ続ける。もう逃げても無駄だろうに。あんなに息もあがっているのに。それ以上無理して走ったら死んでしまいそうだ、何て思いながらも愛煌は引き続き容赦なく追いかける。ついに男は行き止まりへとぶつかった。右を見ても左を見ても抜け道は無い。そして後ろから迫る愛煌の足音。完全包囲だ。

「良かったな、もう無理して逃げる必要あらへんで。これ以上走ったらあんた心筋梗塞で倒れてしまうで。」

 男は愛煌の声を聞くとびくっと大きく体を震わせ、座り込んだまま尚も愛煌から離れようと後ずさる。その度に愛煌は一歩また一歩と歩み寄る。

「場合によっちゃあんたを始末しても構わないって云われた。その『場合』ってのを伺いたいんで、ちょっくらあんたの持ってるその鞄見せて貰ってええか?」

 男は何も答えない。ただがちがちと歯を鳴らし更にきつく大きな黒い鞄を抱き締める。

「あっちゃー、もしかして日本語通じひん?どないしよ・・・俺英語は中坊の時からめっちゃ苦手やねん。」

 愛煌は自身の黒髪を掻き上げ、わざとらしく考えるポーズを演じる。サングラスで覆われた目は宵闇包まれたこの場所では見えない。やがて愛煌はぱったりと手をおろし、その手で懐から拳銃を取りだした。街の灯りさえ照り返さない真っ黒な拳銃。しかし男にとっては何か特別な光を出しているみたいに、何故だかはっきりと見えた。

「あんたが何も答えんちゅー事は、今此処で死んでも何も悔いは無いという事やな?」

「ま、待ってくれ、俺は何も」

 漸く開いた男の口。しかし男の言葉は一瞬にして遮られた。極度の緊張で唾も出なかった粘着質な口の中に、愛煌の拳銃の銃口が侵入した。

「何や自分日本語喋れたんや無いか。だったら少しくらい話し合いしたかったのに、あーあ、残念や。」

 男の耳には引き金を引く音すら聞こえなかった。低い声、軽い調子の関西弁の声、何処までもミスマッチな愛煌の声しかその耳は支配しなかった。だからその直後の己の口の中で放たれた銃声など聞こえる筈も無かった。


「殺したのか?」

 愛煌の背後から奏の声がした。振り返ると其処にはもう何人分かの屍の返り悪血を浴びた堕天使が立っていた。

「まぁな。」

 あっさりとした愛煌の答えを特に驚きもせずに聞いた。奏は男の死体に近付く。口の中で発砲された弾丸はそのまま男の喉を突き破り丁度後頭部の辺りに風穴が空いていた。男は大きく口を開けたまま召されていた。

「それはそうとお前、この死体をどうするつもりだ。」

「悠夢んとこの部下が処理してくれるやろ。」

「また人任せにして。ゾンビは日の光に晒されれば溶けて消えるけれど、人間はそうもいかないんだぞ。」

「わぁーったて。」

 そう云いながら愛煌は男の唾液に塗れた拳銃を男の死体の上に放り投げた。

「ついでにこの拳銃も処分してくれへんかな。こんなん汚くてもう使えへんわ。」

「自分でやった癖に。」

「そ、自業自得。」

 奏はその場でしゃがみ込み、死体の顔を覗く。西洋人形みたいな綺麗で上品な顔した奏だが、もうこんな惨殺死体など見慣れている。まるで道ばたで転がっている石ころを見るような目で見詰めるのだ。

「何か情報は掴めたのか。」

「いいや。」

「は?」

 奏は思わず立ち上がった。そして彼の口からは想像も出来ない程素っ頓狂な声を発した。

「うっかり何も聞き出さない内に殺してしもた。まぁ今回の事件に関与している事は間違い無いっぽかったから殺して正解だとは思うんやけど。」

「この・・・莫迦っ・・・」

 この厚底ブーツで蹴ってやろうか、それとも足を踏んでやろうか、はたまた平手打ちしてやろうかどれか迷ったけれど、考えるだけ莫迦莫迦しい事が解ってきてもう溜息しか出なかった。悠夢は愛煌の事を信頼してこの位置に置いてくれたのに、我ながらこの浅はかというか、単純な思慮の番犬が恥ずかしい。

「・・・そいつの持ってる鞄見てみ。多分何か解ると思うんやけど。」

 怒っている風味な奏を見て流石にまずいと思った愛煌が奏の手を男の持っている鞄に導く。少し触れただけで解る、何かこの中に大きな物が入っている。厚手の黒革の鞄。高級そうな感じでは無いが、大事な物を入れるには最適そうな鞄。鞄を持ち上げ中身を確認する。其処には大きなビニール袋に入っている白い粉末の薬。ビニール袋には『Zombie Powder』とゴシック体の文字で書かれていた。

「ゾンビパウダー・・・やっぱりコイツがゾンビ増殖の原因か。」

「まだ封を切っていないっちゅー事は、今日はまだ未遂だったて事やな。多分俺らがあそこに居なかったなら今日もゾンビを増殖させてたんやろな。」

 二人はホロノイドとその契約者の身でありながら、やはりこの薬物の袋に触れているだけで危険な気がしてきて、思わず手を離す。

「しかし、何でまたわざわざゾンビを増殖させようと?」

「それを探るのが今回のお前の仕事だったんだろう。」

「あー、すいません・・・」

「何処かの国の密偵か・・・恐らくその可能性が高いんだろうな。」

 奏はふと、男の死体に目をやる。首もとの空いたYシャツの隙間から何か黒い模様が見える。シャツをどけて改めて確認すると、男の首元には黒い逆さ十字架のタトゥーが施されていた。奏の脳裏に激しい既視感が芽生える。この逆さ十字架のマーク、何処かで見た事がある気がする。そんなありきたりな既視感。しかし至極強い既視感。けれどどうしてか、何処で見たかははっきり解らない。

「どないした?」

「・・・いや、何でも無い。とりあえず、研究員の奴らを呼ぼう。この死体を処理しない事にはどうにもならない。」

「そういやお前、ゾンビは?」

「あの群れが最後だったよ。あとのは全部もう一人のホロノイドが始末してくれたみたいだ。」

 もう一人の、と云われて浮かんだのがあの紫水晶の髪の悠夢の息子。その両腕は死に神の鎌のよう。

「・・・アイツ、若いのにようやりおるわな。」

「根性と度胸は、明らかに父親譲りだろう。」



 悠夢は所長室の窓から傍観者を気取る。傍観者と云う名の、夜の原宿の独裁者。この所長室の窓からは原宿の街が一望出来るのだ。竹下通り、その手前には表参通りとラフォーレ原宿。五階の部屋からも解る。今の原宿の道は全て屍の悪血の道。恐らくこんな情景を普通の人間が見たらもう二度と原宿の街を歩きたくなくなるだろう。しかし心配いらない。彼らの血液は肉は死体は全て日の光に晒されてしまえば綺麗さっぱり消えてしまうのだ。そうは云っても、普通の神経を持っていれば絶対に原宿にすら行きたくなくなるのだろうけれど。悠夢は右手を白衣のポケットに、左手は珈琲の入ったカップを持ってその場で一回転して、窓辺に座る。ボタン一つしまっていない白衣は少し動いただけでふわりと空気と共に舞う。

 もうそろそろ射光も憂も、奏も愛煌も帰ってくる頃だろう。時刻はもう深夜の四時過ぎ。明日はそういえばKey-dreamのポスターの撮影だったっけ。しかし奏と愛煌は疲れきっていてそれ処じゃ無いだろう。仕方無い、撮影は明後日に先延ばししてあげよう。そんな優しさも見せつつ、悠夢は微笑む、愉悦に微笑む、それはこれからの下民の悲劇の祭典を心待ちにする独裁者の嗤い。世界一美しい核兵器と番犬、核兵器として生きていかなくなった愛息子、そして、彼だけはまだ未確認な箇所ばかりだ。しかし彼もこれからの悲劇の祭典を盛り上げてくれる重要な役割になるだろう。勿論その悲劇の祭典は自分にも出演オファーが来るかも知れない。いやその可能性は百パーセントに近い。それでも構わない、それでも構わないと思える程この祭典は美しい。

「さあ、どうしようか。これから楽しくなって来るよ。」

 悠夢は誰に聞かせる訳でも無く呟く。そして砂糖の入った珈琲を口に含む。喉を潤わせ、彼らに今日もお疲れ様と云ってやらなければ。


第六章「妄想ジキタリス」終


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