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第十二章『偏愛ドメスティック』

第十二章『偏愛ドメスティック』

said:かの虚無空間の住人


 ヴァンパイア・バーへ聞き込み調査に行くほんの数時間前。

「これが問題の呪われたペンダントだ。」

 篠が常零と亜夢宇に差し出したビニール袋に入ったペンダント。どんな恐ろしいペンダントかと思ったが、案外普通の十字架のペンダントだった。常零はビニール袋ごと手に持ちまじまじと観察をする。

「これってルージュが手作りした奴だよな・・・すげー、これ手作りかよ。」

「中々手が込んでるわね。」

 常零の隣から亜夢宇もペンダントを観察する。血しぶきや指紋がついている事もなく全く真新しいままの状態。今までの持ち主がよっぽど大切に扱っていたかが伺える。

「これを身に付けていると必ず数日後には謎の蒸発をすると言われている。」

「だったらこのままだとオレらも蒸発しちゃうんじゃ?」

「身に付けていないから大丈夫だろう。」

「うーん、そう思うとこうやって手に持っているだけでも恐くなってきた。」

 そう言いながら常零はペンダントを机の上に置いた。十字架の中心に埋め込まれたルビィ色の硝子。何かを伝えるように妖しく紅色に輝く。亜夢宇は机の上に置かれたビニール袋に入ったペンダントを手に持ち、袋から取り出す。何かに導かれるように彼女は何の躊躇いも無くそれを首に通す。

「あれって実質幾らくらいするんだろうな。」

「さあな。しかし、余りにもあのペンダントが欲しいという問い合わせが殺到したから後日全く同じ物を商品化してKey-dreamというブランドで発売する予定だったらしい。まぁ、その話も今回の事件で取りやめになったがな。」

「へー。そりゃそのブランドも今頃涙目じゃんか・・・よ、ってあむぅたん?」

「・・・おい、亜夢宇、何を」

 常零と篠がふと亜夢宇の方を見た時、既に彼女は堂々と首から呪われたルビィ色の十字架ペンダントを下げていた。呪いをむき身のまま首からさげている彼女の表情はいつもと変わらない何処か無機質な人形のような顔色。

「何って、実際につけてみたのよ。」

「いや、お前さっきの話聞いていたか?」

「ああああむぅたん、外して、今すぐ外して!」

「何故外すの?捜査にならないでしょう?」

「捜査って・・・お前まさか」

 呆れる篠、慌てふためく常零をよそに亜夢宇は一人囮捜査的な計画を進める。彼女は素手で呪いに触れる。優しく撫でて掴んで、まるで呪いを自分の手で手名付けるように。

「実際にあむぅがこのペンダントをつけて、あむぅがどのように蒸発していくか見ていてよ。本当に何かの呪いのように消えていくのか、それとも本当にルージュがあむぅを攫っていくのか。良い?あむぅがペンダントをつけている間は絶対にあむぅから目を離さないでいて。」

 何とも大胆で、しかし一番確実な捜査だ。常に常識から逸脱し、何処か人間の限界から卓越している亜夢宇らしい発想だ。けれど、彼女のこの常識から逸脱した発想のお陰でこの特別保安警察は此処まで実績を残せたのだ。ならば今回も彼女の意見に従う他無い。

「解った、オレ絶対あむぅたんから目離さないし、傍から絶対に離れないから。譬えルージュがやってきてもオレぶっ飛ばしてやるから。そしてこの事件が解決したらオレと結婚してくれ。」

「話の脈絡考えろ。ていうかさり気なく死亡フラグたってるのお前解っているか?」

 常零は星屑を目に輝かせながら亜夢宇の両手を手で包み結婚を申し込む。とても古典的な少女漫画の一コマのよう。相変わらず亜夢宇は話をちゃんと聞いているのか、そうじゃ無いのか微妙な表情で常零を見詰める。一応二人の同僚である篠でさえ、常零と亜夢宇は恋人なのか、それとも自分と同じただの同僚なのか、知らないのだ。恐らく後者だ。



「あの、それってもしかして・・・」

 亜夢宇の身に付けるペンダントの存在に初めに気づいたのは結楽だった。

「ええ、例のペンダントよ。」

「え、うっそぉ?」

 悠夢が思わず身を乗り出して亜夢宇の胸元に顔を近づける。とっさに常零は悠夢と亜夢宇を近づけさせないようにかばったが少し遅かった。

「うわー本当だ・・・ていうか、度胸あるね君。流石は警察。」

「こうでもしないと、真相に辿りつけないかも知れないでしょ?」

「かっこいー、そういう気の強い婦警さん、結構好きだぜ。」

 ぴゅーと軽快に口笛を鳴らしながら与愚は云った。すると亜夢宇は何やら首を傾げながら与愚を見詰める。紙袋に開いた穴が不可解に煌めいた。

「あむぅ、婦警さんじゃ無いわよ。」

「え、じゃあ今度婦警さんの制服着てよ。」

「だってあむぅ女の子じゃ無いから。」

『えっ・・・?』

 結楽、悠夢、与愚は呼吸を止めた。一瞬にして空間に静寂が舞い戻る。こんな可愛い子が・・・なんてよく云ったものだけれど、まさか本当にそんな事が起きるのだろうか。そして何故か常零だけはどや顔をしている。

「あむぅは女の子じゃ無いの。勘違いしないで。」

「待て、待って待って、じゃあもしかしてあむぅちゃんって・・・」

「でも男の子でも無いの。」

「まっ、まさかふたな」

「与愚さん、まだ昼です。」

 しかし紙袋の中でくぐもる声はどう聞いても愛らしい少女の声だ。何処らへんに男の子の要素があるのか解らない。でも両性具有説を押した与愚の口は押し黙らせようと結楽は与愚の頭上をお盆で殴っておいた。

「あむぅは、男も女も卓越した存在なの。」

 実質、ふたなりも間違ってなかったじゃ無ぇか、と与愚は得意げな顔で結楽と悠夢を見たが二人はもう何も言えなくなっていた。

「じゃあ何でそんな袋被ってんの。」

「あむぅの顔見たらみんな女の子だって勘違いしちゃうから。」

 もう彼女(彼?)は何がしたいのか理解出来ない。ていうか、彼女のする事にはもう何を云っても何をツッコんでも無駄なのかも知れない。そう思う事にしよう。この分厚い茶色の紙袋の中には絶世の美少女の首が入っている。それは今此処では常零だけが知っている事実。

「あと、あむぅたんの顔見たらみんなあむぅたんに惚れちゃって大変だからな。」

「別にあむぅはモテモテになっても良いんだけど、面倒臭いから。」

「えーと、とりあえずあれだ、リア充爆発しろ。」



 愛煌は団体に存在していれば、必ずその団体の中心的人物になる男だ。だから彼は滅多に一人で行動する事は無い。一人で居ても、必ず誰かが彼の元にやってきて、そしていつの間にか彼の周りには沢山の人間が集う。七瀬愛煌とは果てしなく他人を、他の人間を引き寄せる不思議な魅力の引力を持つ男だ。だから彼がヴァンパイア・バーにやってきて一人で外に出て煙草を吸う何てこと、初めてだった。

 あの直後、彼は悠夢に云われた。

『俺も与愚くんに賛同するよ。愛煌がそんなに必死になって奏くんをかばうのはおかしい。本当に奏くんが犯人じゃ無いって思っているならどんな調査にも動じずに立ち向かうべきだと思う。それでも奏くんを信用出来ないっていうなら素直に奏くんを信用しないっていう態度をはっきりとりなよ。俺は奏くんを信用している。だから誰が何て言おうと関係無い。彼の無実が正式に認められるまで俺は必要になる時まで何もしない。

とりあえず、外の空気でも吸って頭冷やしに行ってきたら?』

 久しぶりに吸引する煙草の薫り。初夏の生ぬるい風と共に肺に入ってくる、奏の嫌う臭いの煙。奏が煙草の臭いを厭がるから最近全く吸っていなかった。しかし久しぶりに吸うと頭がリセットされて、やっと自身が戻って来た気がする。溜息のように一気に煙りを吐き出す。汚染された肺は一気に浄化された。彼は自覚していないけれど、真っ黒なスーツの、短い黒髪の、サングラスをかけた三十半ばの色男が憂いの表情を浮かべながら開店前のバーの前で煙草なんて吸っていたら、そりゃあもう絵にならない訳が無い。

「久々に、悠夢のやつに渇いれられたわ・・・まぁさっきまでの俺じゃ当たり前やな。」

 自嘲の笑み、そして革靴に踏みにじられ消える煙草の薫り。肩の力を抜き空を仰ぐと、意外に澁谷の空も綺麗な色をしていた事に気づく。

 愛煌の気持ちは百八十度変わっていた。自分は奏を信じている。彼は絶対に自分の事を慕う人間を殺傷するような事は無いと知っている。奏は、ルージュはいつも他人に対して冷たい態度をとっているけれど、何よりファンを大切にする気持ちは人一倍強い事は愛煌もよく知っている。だから彼には彼女達を誘拐する動機は無い。第一愛煌と奏は同じ屋根の下に住んでいる。少女を誘拐なんてしてきたら自分が気づかない訳が無い。ので、愛煌は奏の無実を証明する。いや、信じる。だからどんなに奏を探っても事件の真相は現れない。それはいずれ警察達も気づくだろう。だからその時まで大人しく主人の帰りを待っている、ルシファーの番犬。



 不穏な空気に包まれる取り調べ室。黒と赤のコンテラスト。疑心暗鬼の不協和音。

「俺は、お前を作ったホロノイド研究員なんだよ。」

 轟く戦慄の事実奏でる不穏の声。

「まさか、お前が・・・」

「周防篠という名は覚えていないか。だったら紀伊悠夢に聞けば直ぐ解る。紀伊悠夢の右腕だった周防篠ってな。」

 奏は暫く黙り込んだ。何かを考え込むように俯いていたがやがて顔をあげる。

「全てを知っているという事は、僕がホロノイドである事を知っているという事か。」

「そうだ。」

「なんだ・・・それしきの事」

「それしきの事?お前にとってはかなりの秘密だろ?」

「いいや、そんな事は無い。」

「何?」

 篠は眉間に皺を寄せ、奏を視界に捕らえる。奏は一見何も動じて無いようにも見えるが、片方しか無い瞳には何も伺えない。奏はもっと大きな秘密を抱えているようだ。それは奏という世界一美しい核兵器を作った篠ですら知り得ないもっと大きな物。

「まぁ良い、兎に角俺はお前を作った張本人だ。お前にとって人間を殺す事ほど容易い事は無いという事も知っている。」

「・・・云っておくが、僕は人を殺した事は殆ど無い。ホロノイドになった後はな。」

「どういう事だ?」

 奏は妖しく微笑む。赤薔薇の唇を三日月形に歪めると背徳的な美徳を紡いだ。

「・・・大きな番犬を一匹躾けてね、それからは僕の手を汚させないようにしているんだ。」

「成る程、その番犬に全て殺生は任せていると。」

「その通り。僕はいわばこの世に堕ち、尚も下界で孤高に存在する魔王ルシファー。常に誰かを支配する権利を持つ。僕に従う者が居るならわざわざ僕の手を汚す必要は無い。」

 言葉を濁す事も無く穢れの無い真実を告げる彼は、みすぼらしいパイプ椅子に座っていても、魔界の王座に座るルシファーのように見えた。篠はつい一度瞼をつぶり再度瞼を開ける。やはり其処には美妙な悪の華。

「だったら、七瀬愛煌も共犯の可能性があると見ても良いのか?」

「さあな。あとはお前の推理に任せる。」

 否定をしないという事は・・・?いや、奏は真実である事程はぐらかす癖もある。だとしたら真相はいずこ。篠の琥珀色の瞳が奏の揺らぐ事の無い紅蓮の瞳を反射する。

「一つ、僕の憶測を述べても良いか?」

 珍しく奏の方から言葉を始めた。篠は彼の言葉に興味を示すだけで応答はしない。

「事件はどれも、僕が一人で居る時に起こっている。一人目の時は僕が一人で休憩室に居る時、二人目の時は僕が一人で家に居る時。」

「という事は、誰もお前のアリバイを証明してくれる者が居ないという事か。」

 勘の良い篠は直ぐに話の趣旨を掴んだ。奏はそれから何も云わなくなった。何かを考え込むように俯くだけだった。見ようによっては、彼は小さく絶望しているようにも見えた。彼が最も信頼を置いている人物でさえ、彼を、紅野奏を庇う事が出来ないのだから。今彼は、本当に一人で戦わなければならない、というのは大袈裟だろうけど。

「恐ろしいのか?」

「・・・まさか、僕の畏れるものなんて無いさ。あるとすれば、そうだな、僕の美しさが衰える事ただそれだけだ。」

 奏は瞼を閉じ小さく唇を動かし、小さな声で囁いた。その姿は美しかった。彼は何を行っていても美しい、それは揺るぎない真実なのだけれど。篠から見れば彼はやはりもっと確定した固有の事象に畏れを抱いているのだと思った。

「違うだろう、紅野奏。お前が何より畏れているのは孤独だ。たった一人で戦場に立ち向かう事、そんな陳腐な恐怖に畏れているだろ。」

「巫山戯るな、まるで僕が臆病者だと――」

「臆病者だ。お前は傑作ホロノイドとして、核兵器として幾度も戦場へ送り出された。けれど戦う時お前はいつでも孤独だった。しかしお前はどんなに孤独を感じても、どんなに苦痛を味わっても死ぬ事は無い。そんな保障つきの無限の勝利がお前にとって限りない恐怖で、お前は自分と連なる犠牲者が欲しくなった。それが七瀬愛煌なんだろ。」

 お前に何が解る。お前に僕の胸中を読み取る事なんて出来ない。と何度も彼の顔面に極彩無音の声をぶつけてやったけれど、その裏腹に手が震えるだけだった。

「ホロノイドは殆ど不死身だからな、番犬なんて必要無いだろ。まぁ番犬なんて彼を戦場に引きずり込む為の言い訳みたいなもんだな。七瀬愛煌としての人生を壊させてまで孤独を紛らわさせたかったか?まぁお前が一々他人の人生を気にかける程お人好しだなんて思っちゃ無いけどな。」

「・・・・・」

 途端に奏は完全に口を閉ざした。流石に言い過ぎたかと、ちらりと奏の表情を伺う。特に表情に変化は無かった。ただ冷えたガラス玉で空虚を見詰めているだけ。奏も篠も、表情に変化を余り出さない質だ。それ故心が冷たいと思われがちだが、大体その通りである。特に篠は、良い意味でも悪い意味でも思った事を飾らずそのまま口に出す性格だ。それがどんなに他人を傷つける要因だったとしても。というか、彼は察しが良いのでそんな事は口に出す前から解っている。だから今奏に投げかけた言葉も、奏をどれ程傷つける言葉か分かっていた。だからこそ敢えて彼に問うたのだけれど。

 奏にとって愛煌はかけがえの無い存在だ。普段から奏は愛煌の主人で、愛煌は自分の奴隷だの下僕だの云っては罵っているけれど、やはり精神面では愛煌の方がずっと大人でずっと主人じみている。いつでも奏は愛煌に護られていた。敵軍から身を守ってくれるのは当然の事で、精神面でも生活面でも愛煌は全てのことにおいて奏を守り通していた。その働きは最早番犬の域を越えていた。しかし奏はまだ理解出来ていない。自覚出来ていない。もう自分は愛煌無しでは生きていけないという事。勿論ホロノイドとホロノイドビッチの性質上、愛煌は奏無しでは生きていけないのだけれど、依存性が高いのは寧ろ奏の方かも知れない。

「尚も気づかないのか。」

「何がだ?」

「いいや、これ以上は俺も踏み込める領域では無いな。これ以上踏み入れてしまっては寧ろ踏み荒らしてしまいそうだからな。」

「十分踏み荒らしたよ。この、無礼者。」

 いきなり篠はくすくすと笑い出した。ずっと上の空な奏の表情が面白かったのか、子供みたいに躯を震わせ怯えている奏の反応が楽しかったのか。何にせよ笑われて不快に思った奏は不機嫌に呟いた。土のついた靴で、自分の部屋に入られて床を散々汚された挙げ句玄関に繋がる廊下まで泥まみれにされた気分。

「結局お前は何がしたいんだ?此処まで連れてきておいて僕に昔話をさせたかったのか?」

「いいや、本当にお前が主犯なのか調べる為に」

「かなり話題が逸れているぞ。全く、全部お前の所為だからな。」

「いや、もう十分に解った。」

「は?」

「お前を容疑者としてこれからも取り調べをさせて貰う。これ以上容疑者が出てこなかったら紅野奏を逮捕する。」

 信じられない、といった表情で奏は息を飲んだ。

「なっ・・・?」

「とりあえず今日はこれで取り調べを終わる。また此処に連れて来るとは思うけれど、大抵は家に居るだろ?当分は活動自粛だもんな。」

 篠は椅子から立ち上がり片付けを行う。ぽかんとする奏をよそに。一体今の会話で何故自分が容疑者になってしまったのかさっぱり解らない。今時の警察は常識が通じないだの頭が悪いだのよく聞くが、本当に脳が無いみたいだ。奏は呆れの溜息しか出ない。

「まさか天下のルージュ様が逃げるなんて事しないよな?逃避行動を示したらその時点でお前が真犯人だと判断するからな。」

「お前の言動おかしいよ。ちょっと人間やり直したら?」

「黙れ餓鬼。年上に向かって敬語を使うくらいしろ。あと『お前』じゃなくて『周防篠』。」

「愚民に使う敬語なんて無い。愚民の名前を覚える必要も無い。」

 話には聞いていたが、まさか此処まで毒舌で生意気とは思わなかった。ルージュ様こと紅野奏。流石は『嫌いな芸能人ランキングベスト10』三年連続ラクイン者。特に短気な篠は既に何回か頭の血管が何本が切れているけれど、此処で怒っても彼が態度を直すとは思えないし、疲れるだけだ。深呼吸をして自身を落ち着かせる。

 この小一時間で理解した。自分と奏は全くといって良い程そりが合わない。いつまでたっても話は平行線だ。もう二度と会話したくない相手だけれど、仕事柄上そうもいかないみたいだ。



 誰に見送られる事も無く奏は警察署を出て行く。深いルージュの毛髪。ばらばらの長さの毛先。損なわれた右目は病的な色の眼帯に覆われ、時代外れで浮世離れをした中世ヨーロッパ製の文化を纏う。『現代日本のゴシック文化の最先端を行く人気ゴシック歌手のルージュ』という肩書きを持っていなかったとしても、恐らく奏は人間が存在する空間を歩くだけでその場でどよめきを作る。どよめきの中身がどうであれ奏には関係が無いし、自分を見るだけで騒ぐ人間の事なんて興味無い。だから奏は、警察署の廊下を歩く、自分を見て振り返る周りの人間の事など気にも止めずに。

 警察署を出ると目の前にはすぐに表参通りがあった。時刻はまだ夕方の五時か六時頃だろうか。いつもなら、原宿の賑わいのピークはまだ下がらない。今から帰る人、今原宿に訪れた人、様々な種類の人間が一様に原宿に集まり最も騒がしい時間帯の一つでもある筈なのに、奏は酷く違和感を感じた。

 どうしてこんなに静かなんだ?

 もう一つ違和感をあげるとするなら、どうしてこんなに空が暗いのかだ。今は七月中旬の夏真っ盛り。夕方の五時や六時と云ったって、まだ日が傾いて間もない空の明るみに満ち足りた時間のはず。それなのに空が分厚い鉛色の雲が支配していた。故に太陽は完全に隠蔽され、街は異常な暗澹が広がっていた。雷雨や通り雨が近づいているのか。いきなりの天候の変化におののき人々は一斉に家路へ向かったのだろうか。そう深く考えなくても解る事なのに、奏の胸中は尋常でない不安に犯されていた。

 ふと奏の脳裏に『七瀬愛煌』の顔が浮かんだ。とりあえずこのまま存在感をむき身にして帰る訳にもいかない。今頃も自分の顔がニュース番組の画面に広がっているだろう。普段よりもずっと一人で街の真ん中にいるのは危険だ。愛煌の運転する車が無くては家まで帰れない。奏は携帯電話を取りだし、愛煌の番号に電話をかける。

 プルル、プルル、と無機質な音だけが鼓膜を揺らす。それから数秒が経過する。たった数秒なのに、何故だかとてつもなく長い時間に感じる。普段、仕事が終わったあととかなら電子音が二回鳴る前に電話に出てくれるのに、二回、三回、四回過ぎても彼が電話に出る音が鳴らない。段々苛立ちを覚えた奏は、とりあえず電話に出たら不機嫌オーラを全面に出しながら「出るのが遅い」と云ってやろう。そんな事を考えていた奏の目の前の景色に、いよいよ異変が訪れた。

 教会から花嫁が逃げ出して来たのかと思った。純白のドレスとヘットドレスを身につけた小柄の少女が警察署の門をくぐってきた。その少女は警察署に入るのかと思いきや、隅で携帯電話を耳につけている奏に歩み寄って来たのだ。数多の美しい衣服に腕を通し、着こなし、自分は世界で一番美しいと、自分より美しい人間は居ないと図々しい程に自負している奏でさえ少し目を引く少女だった。真っ白な生地に真っ白なフリルに可憐なレースの所謂白ロリータドレス。ドレスに合わせた純白のレースとリボン、そして白薔薇のコサージュの乗ったヘッドドレス。ソックスも、靴も、首元を飾るパールのネックレスでさえ純白だった。そして何より目を引いたのが、白の少女世界に不似合いで、それ故にどうしようもなく目立つ、不快ルージュの毛髪。

「お初お目にかかりますわ、ルージュ様。」

 少女はスカートの裾を掴み軽くあげ、可憐に丁寧にお辞儀をした。自分と少女の毛髪は全く同じ色だと、近くで見てすぐに解った。尚も電話の向こうからは無機質な電子音が響く。

「わたくし、妃室麗奈ひむろれいなと申します。」

 少女は上品に微笑み、しっかりと奏の瞳を見つめて挨拶をした。彼女の育ちの良さはその二言の挨拶だけで伺えた。奏は産まれて初めて自分への挨拶にふさわしい挨拶だと思った、が、電話の最中に挨拶をするなど一般人でも解る無礼行為だ。奏は反応も何も示さずに愛煌が電話に出るのを待った。しかし麗奈と名乗った少女は奏の顔を見詰めたまま言葉を続ける。

「わたくし、貴方の事をずっとお慕いしておりました。初めて貴方の顔を見た瞬間から、初めて貴方の歌を聴いた時からずっとわたくしの心は貴方に支配され続けています。この想いはもうわたくしだけではどうにもなりません。せめて貴方にわたくしの想いを認めて欲しいと思い貴方に逢いに来ました。」

 何てはた迷惑な想いだ。奏は片耳で彼女の言葉を聞きながらそう思ったが相変わらず反応は示さない。そして尚も電話に出る者は居ない。苛立ちもピークに達する。

「でも貴方とこの様に二人きりで逢うなんて到底簡単な事では御座いませんでした。何故なら貴方は何処までも魅力的で、それ故沢山の人々を魅了する人。貴方が居る場所には自然と沢山の人が集まる。なので、貴方と二人きりになる為にはそれなりの努力をしなければなりません。わたくしはその努力を成し遂げました。ですからわたくしは今、貴方と二人きりで顔を合わす事が出来ているのです。」

 まさか、と奏に厭な予感が過ぎる。今までこういうタイプのファンは何人か見てきた。数年に一人は見る本当に質の悪い熱烈過ぎるファン。嗚呼、また面倒臭いのに出逢ってしまった。お願いだから一刻も早く七瀬が現れないものか。奏の不安もよそに麗奈は話続ける。

「努力の第一段階、それは貴方を隅から隅まで調べ尽くす事。これはとても簡単な努力でした。でも世の中には本物の情報と偽物の情報が蔓延っております。ので、わたくしの調査履歴に偽りが無いか、ルージュ様、いえ、紅野奏様、答え合わせしてくれませんか?」

 紅野奏、そう呼ばれた瞬間躯の神経が凍り付いた。その名前で呼ぶのは本当に彼の身内だけだから。麗奈は大きく息を吸って、それから永遠に途切れの無い言葉を紡ぐ。

「紅野奏 1987年12月23日産まれ。クリスマスイヴ前日に誕生日なんて神秘的、ルージュ様らしいですわ。設定上年齢不詳って事にしているみたいだけど今年二十三才ですのね。身長175cm 体重58kg 見た目通り随分華奢ですわね。もう少し食べてくれないとわたくし心配ですわ。でもこれだけ細いと女性物の服も着れるから丁度良いのかも知れませんわ。マネージャーの七瀬愛煌様と同棲中で殆どの家事は愛煌様が担当しているみたいですわね。現在の住まいは渋谷区東七の七。とっても大きな家でしたわ。あれで二人暮らしでは勿体ないですわね。わたくしの家はもっと大きいけれど召使いが何人か居ますわ。あんな大きな家愛煌様一人で掃除なんて大変じゃ無いんですの?でもルージュ様が家事をやらないのは当然の事ですわね。あと家着も大変高級なお洋服を召しているのかと思いましたが、案外普通のお洋服なのですね。でもあれも全てKey-dreamのお洋服ですわね。本当にKey-dreamが好きなのですね。まぁデザイナーの紀伊悠夢様ともかなり親密の仲ですから無理もありませんわね。好きな食べ物はパンケーキ、ガトーショコラ、木苺のカンパーニュ。随分甘い物がお好きですのね。わたくしもスイーツは大好きですわ。愛煌様の作るスイーツはどれも美味しそうですものね。今度ご一緒に食べたいですわ。嫌いな食べ物はシーチキン。こればっかりは愛煌様がサラダに入れたりしても食べられないのですね。うふふ、プライベートではそういう少し子供っぽい顔も持っているのですね。大丈夫ですわ。わたくしはそんな事でルージュ様に幻滅したりしないもの。それに夜は一人で眠れないみたいですしね。毎晩愛煌様と一緒の寝室で寝ているんでしょう?部屋なら沢山余っているのに。エドガー・アラン・ポーやマルキド・サドの読み過ぎですわ。誰か一緒に寝てくれないと恐い夢見て眠れないのですか?大丈夫ですわよ、わたくしだったら毎晩でも、シエスタの時だってルージュ様の傍らで眠ってさしあげますわ。それにしてもあんな澁谷のど真ん中に住まいがあっては夜中も騒々しくて眠れないのでは無いのですか?特にルージュ様の故郷は辺鄙な田舎村ですからね。確か出身地は栃木県の神啼村で――」

「おい。」

 奏の低い囁き一声で、麗奈の永遠に続くかと思えた言葉は切断された。彼女がいかにルージュを想っているかは十分に理解出来た。ファンは大切にする奏は、その想いに鬱陶しさは感じないものの、彼女は少し奏の深見に嵌り過ぎている。

「僕の機密情報を口に出すな。」

 麗奈は漸く口を閉ざした。しかし透明な唇は不気味に歪み、彼女は奏の手を取り、裏路地へ導く。それはそれは軽い足取りで。軽やかなステップでも踏むように華麗な足取りで。

「ねぇ、もっとお話をしましょう。わたくしもっともっと貴方に染められたいわ。」

 少女が静寂な闇へと導くワルツを踊る中、漸く電話の向こうで声がした。本当はもっと前に出ていたのかも知れないけれど、不思議と何故か今までずっとその声に気づけなかった。電話の向こうでは返答の無い奏を不審に思う愛煌の声がする。

『奏?奏、おい、どうした?大丈夫か?』

 何故だか拒めない。絶対にこのままついてきては行けないと思っていながら何故だか断れない。奏は不思議な浮遊感に襲われ、現実の夕方で最後に発した言葉。

「出るのが遅い。」



 篠は誰も居ない特別保安警察室で無機質に捜査資料を眺めていた。内容は紅野奏に関する情報が書き連なれた書類。どれも機密情報で、連日活躍するルージュの彼にとって絶対に漏れてはいけないプライベート以上の機密情報ばかりだった。

 周防篠は元ホロノイド研究員。所長の紀伊悠夢に次ぐ博識で、特に彼は腕の良い薬剤師だった。否、彼の場合腕の良い腕の悪いの問題でなく、色んな意味で腕が良すぎて問題な薬剤師だった。『彼は、願いを液状化出来る。』周りからはそう謳われた。

 医療薬品については全く無知に等しい。その代わり、医療外の、所謂劇薬や毒薬を作らせれば彼の右に出る者は居ない。最も近代的な劇薬のホロノイド化薬は彼の発明。ホロノイド化薬を使った初めての成功品が紅野奏だった。

 彼は本当に綺麗な死体のまま研究所に運ばれてきた。だから解剖、整形担当の悠夢は殆ど手を加える事無く篠の薬のみでホロノイド紅野奏は完成された。故に奏は、彼にとってかけがえの無い存在。誇り高い最高傑作。恐らく奏に対するこの感情は紀伊悠夢も同じなのだろうけれど、篠の方がずっと強い。不穏な愛情、歪な自己愛。

しかしその反面、彼を見る度に無限の罪悪感を感じる。その罪悪感が強まっていったのはゾンビ襲来事件以来からだった。

 結局、その罪悪感に耐えきれず研究員をやめた。こうやって原宿特別保安警察に勤めているのは、一種の贖罪行為なのかも知れない。戦場原宿の平和を守り、自分の特技を生かして人々を助け、平和の礎を作る。何て陳腐な行いなんだろうと自分でも思うが、こうでもしないと篠は平然な顔して生きていけないのだ。

 途端に、机の上の携帯電話が鳴る。常零からの着信だった。

「もしもし?」

 受話器の向こうから聞こえたのは焦燥に塗れた常零の声だった。

『し、篠?大事な話なんだけど、良いかな?』

「どうした?」

 あの脳天気な常零からは想像も出来ない真剣な声。思わず立ち上がり彼の声に意識を集中させる。

『行方不明になってる二人が、今、直ぐ近くに居るんだ。』

「は、はぁ・・・?」

 そんな馬鹿な、と思ったが、馬鹿な事が起こりえるのが原宿特別保安警察だ。しかし二人が行方不明になった場所は練馬区。電車とバスで行ったって四十分以上はかかる場所だ。そんな場所に行って今まで目撃情報が来なかったのもおかしい。彼女らの顔はテレビで散々流している。とりあえず常零の話を聞く事にしよう。

『あのバーでさ、色々話したあとバーを出たら、目の前に二人の女の子が居て、どっかで見たことある顔だなぁって思ったら誘拐事件の被害者の二人だったんだよ。あむぅたんが最初に気づいたんだけどな。それで、吃驚したんだけど兎に角捕まえたいと思ったんだけど、それが二人の様子が妙なんだ・・・』

「妙、だと?」

『二人ともロボットみたいに無表情だし、一言も喋らないし、ただただ静かに道を歩いているだけ。あんまりにも様子が変だから直ぐには捕まえずに、彼女達が何処に向かうのか暫く追跡してみようってあむぅたんと話して、今後をつけてるとこ。』

「成る程。亜夢宇も其処に居るんだな。」

『うん。』

「じゃあ引き続き追跡しろ。俺も今其処に向かう。」

『りょーかい。』

 常零の気合いの入った返事を最後に電話が切れた。篠は身に付けている無地の黒のネクタイを締め直し、いつもより大きな鞄を持って部屋を飛び出した。



「奏、おい、奏?」

 愛煌は不自然に切れた電話の向こうに尚も呼びかけ続ける。が、無機質な電子音が流れるだけ。愛煌は呆然と携帯電話を眺めるが、それから奏の電話がかかってくる事は無い。その異常な光景に周りの者も視線を向けざる得なかった。

「奏様に、何かあったんですか?」

 思わず最初に声をかけたのが結楽だった。

「わからへん・・・何か、突然ぶち切れた・・・」

「誘拐されちゃったんじゃ無ぇの?」

 その場の視線は一気に与愚に集められた。与愚はこの急展開を楽しむように嗤う。

「ああ誘拐じゃ無かったっけ?蒸発だっけ?まぁどっちでも良いか。」

「与愚・・・」

「冗談冗談、本気にすんなって。」

 いくら彼が意地悪い性格だと理解していても、この発言には怒りを感じずにはいられなかった。余りにも不謹慎で、無責任過ぎる。

「でも、もしかしたら冗談じゃすまされないかも知れないよ。愛煌、今すぐ奏くんのとこに行ってあげた方が良いかも。」

「ああ・・・せやな。」

「車は?いつもの駐車場?」

「・・・悠夢、一緒に来てくれへんか?」

「云われなくてもそうするつもりだったよ。」

 愛煌、悠夢、世界一美しい核兵器の関係に携わっている二人には解る。果てしなく厭な予感がする。不安定な予感ではあるけれど、確実な感情。二人は顔を見合わせ頷きあい、同時に走り出し店を出た。店には再び静寂が舞い降りる。落ち着く空間ではあるのだけれど、どうも結楽にも胸騒ぎがやまない。不安を示す不特定な鼓動が鳴りやまないのだ。どくん、どくん、と恐怖と残酷劇は脈を打つ。

「ちょっと、結楽までそんな辛気くさい顔すんなよ。」

「ですが・・・」

「折角お前が作ってくれたカクテルが不味くなるだろ。」

 どうして与愚は此処まで平静を保っていられるのか。他人が見れば限りなく不謹慎に見える彼の態度も、結楽は理解出来た。しかし、それでもやはり与愚は何処までも非道な人間だと思わざる得ない。

「与愚さん・・・どうしてあんな事したんですか?」

「あんな事ってどんな事?俺思い当たる節ありすぎてわかんね。」

「七瀬先輩の携帯電話、鳴らないようにしたの貴方でしょ。」

 愛煌が煙草を吸いに表に出た時、彼はたまたま携帯電話を店の中に置いたままだった。その間に与愚は何の躊躇いも無く人の携帯電話を取り、開き、そして電話が鳴っても何の音も鳴らないサイレントモードにした。余りにもごく普通に操作していたので周りの人間は与愚が操作している携帯電話が与愚の物だと思いこんでいた。しかし、結楽だけは彼が愛煌の置きっぱなしの携帯電話を取った瞬間を目撃していた。

「だって、今頃ルージュと麗奈ちゃんはお楽しみの最中だぜ?邪魔が入ったら可哀想じゃん。」

「・・・誰ですか、麗奈って」

「あれ?知らなかったっけ結楽、」

 与愚はきょとんとして結楽の方を見るが、やがて妖しく微笑む。全てを知る者しか感じる事の出来ない悦楽をそこに讃えながら。

「呪いのペンダント事件の、真犯人だぜ。」


第十二章「偏愛ドメスティック」終


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