コレット様は「正義の人」だけど。
誤字報告ありがとうございます! m(__)m
コレット様は「正義の人」だ。
あの「事件」の後、そんなふうに讃えられるようになった。
事件……。そう、それはレグザス伯爵家のマリーカ様が学院内の教室で、ハンソンという名の令息に襲われたこと。
運悪く、その場に私もコレット様も居合わせたのだ。
最初から話そう。
もともと私はコレット様ともマリーカ様とも特に親しくはなかった。
同じクラスに在籍していたから、挨拶はするけど、それだけ。
コレット様のウィレモン子爵家は、マリーカ様のレグザス伯爵家の寄り子だから、コレット様とマリーカ様は同じクラスになる前から知り合いだっただろうけど。
その程度の関係。
ただ、事件が起こったその日、たまたま教師に命じられたのだ。
「ああ、そこの三人、放課後に授業ノートを集めて、職員室まで届けてくれ。名簿順に並べてくれなー」
そこの三人と、ひとまとめにして命じられたのが、私、コレット様、マリーカ様。
そのとき、たまたま、私の前の席にコレット様、私の後ろの席にマリーカ様が座っていたのだ。
仕方ないですね……と、三人で顔を見合わせ、そして、放課後にノートを集め、職員室に持って行った。
その職員室でアレコレと指示されるままに、作業も手伝わされた。
かなりの時間が経過してしまったけれど、これをきっかけに、コレット様とマリーカ様と親しくなれるかもしれない。席が近いのだから、仲良くできたほうが良いわよね……なんて、私はぼんやりと考えながら、作業をした。
作業を終えて、職員室から教室に戻る。
授業が終わってからかなりの時間が経過しているので、教室には誰もいないはずだった。
なのに。
見知らぬ令息……他のクラスか他の学年かは分からないけれど、制服を着ていたので、学院の生徒であることは確かだろう……が、五人ほどいた。
誰だろう?
コレット様かマリーカ様のお知り合いだろうか?
待ち合わせをしていて、遅くなったから迎えに来た?
いや……、それにしては、雰囲気が悪い。
そのうちの一人の令息が、私たちを……いや、マリーカ様を見て、叫んだ。
「マリーカ嬢! どうして俺との見合いを断るんだ!」
叫びながら、その令息はマリーカ様に迫り、マリーカ様の右腕を掴む。
「どうしてと言われましても……。わたくしは別の方と婚約することが、まもなく正式に決まりますから……」
痛みにか、顔をしかめて。それでもマリーカ様は言った。
「別の男と婚約だと⁉ ふざけるな!」
青ざめて、逃げようとしたマリーカ様。だけど、令息のほうが早かった。
マリーカ様の手を引っ張って、床に押し倒したのだ。
「あなたはこの俺が好きなんだろう⁉」
何を言っているんだろう、この令息は。
訳が分からず、混乱したまま棒立ちになった私。
他の令息たちが叫ぶ。
「いいぞ、ハンソン! やっちまえ!」
「男を見せろよ!」
ハンソンという名の令息が、マリーカ様に圧し掛かる。制服の上着を脱がされそうになるマリーカ様。囃し立てる他の令息たち。
ここは、貴族の令息や令嬢が通う学院だ。
貧民街の路地裏でもなく、犯罪者の巣窟でもない。
なのに、なんなのこれは。
余りのことに、私は動くことすらできなかった。
だけど、コレット様が叫んだのだ。
「何をしているの、あなたたち! やめなさい! マリーカ様から離れて!」
令息たちが一斉にコレット様を睨んだ。
だけど、コレット様はひるまなかった。
「ここは貴族学院の教室ですわ! 学びと社交の場であなたたちは何をしているのですか! ここは娼館ではなく、マリーカ様は娼婦ではないのよ!」
コレット様の大きな声。叫ぶと、コレット様はマリーカ様に圧し掛かっている令息の頬を叩き、マリーカ様の手を引っ張った。
「マリーカ様! こちらへ!」
だけど、マリーカ様は恐怖のあまり、動けない。震えたまま、コレット様にしがみつく。
コレット様はそんなマリーカ様を優しく抱き留めた。
マリーカ様が動けないことには、教室から逃げることもできないと思ったのか、コレット様は私に向かって叫んだ。
「ジュリア様! 職員室へ行って! 先生か警備の者を連れてきて!」
私は弾かれたように走った。
震えながら走り、何度か転んだ。
廊下には誰もいなかった。
私は職員室に飛び込んだ。
「た、助けてください! 二年生の教室で……、早く、助けてあげて!」
私はここでマリーカ様の名前は出さなかった。
「二年の教室?」
「東棟の二階の、一番奥の教室です! お、お願い、早く!」
私の叫びに、男性の教員が即座に走っていった。その後に警備の者が続いて……。
私は震え、しゃがみ込んでしまった。
先行した教員たちを追って、私も教室に戻らなければと思った。だけど、足が震えてうまく歩けない。女性の先生に抱きかかえられるようにして、教室に戻った時にはもう既に、令息たちは居なかった。
ただ、真っ青な顔で震えたままのマリーカ様を抱きしめているコレット様がいた。
「安心なさってね、マリーカ様。あなたは何も悪くはない! 悪いのはあなたに襲い掛かったハンソンたちのほうなのよ! 婚約を断られて、それを恨みに思ってマリーカ様を襲うなんて! しかも集団で! 卑劣なのは令息たちの方ですからね! マリーカ様は被害者なのよ!」
大きな声で。
慰めるように。
コレット様は「マリーカ様は悪くない」と叫ぶような声で、何度も繰り返していた。
***
事件の後、先生たちに言われた。
「このことは黙っておきなさい。令息たちの処分はもちろんするが、変な噂が流れてマリーカ嬢の瑕疵になってはならない」
私は、先生の言葉に頷いた。
放課後のことだし、生徒たちはいなかった。
少なくとも、私が職員室まで走ったときには誰にもすれ違わなかった。
事件を知っている者は、教師や警備の者たちだけ、しかも少数だったはず。
なのに。
数日の後、噂は、貴族学院内を駆け巡った。
マリーカ様と見合いをして、その見合いを断られたハンソンという名の令息がいた。
ハンソンは、友人たちに泣きついた。断られたのが悔しいと。
友人たちがハンソンを慰めているときに、酒を飲ませたらしい。
そして……、酔った勢いで、ハンソンはマリーカ様を『襲った』
その場にいたコレット様がマリーカ様を庇って『未遂ではあった』
噂は、どんどんと広がった。
そして、噂はほんの少しだけ、大袈裟になる。
マリーカ様が『襲われた』
コレット様がマリーカ様を『助けた』
確かに事実だ。
呆然としていただけの私と違って、コレット様はマリーカ様を助けた。事件の日も、その後の日も。
「マリーカ様には非はないわ! お見合いを断わられたことを恨みに思って襲い掛かってくるような令息との婚約なんて、断って当然よ!」
「マリーカ様は悪くないのよ! だから、堂々と胸を張って、学院に通ってきていいのよ! 悪いのはハンソンのほう!」
「元気を出して! マリーカ様に瑕疵がないことは、その場にいたわたくしがよく分かっているわ! マリーカ様は悪くない! 悪いのはあの令息たちよ! 卑劣なのはあっちなのよ!」
コレット様は繰り返し、マリーカ様を慰めた。
大きな声で。
教室で。
繰り返し。
人がいる場所で。
興味津々という目で見ている大勢の前で。
……コレット様の言っていることは間違いではない。
慰めの言葉だ。
だけど。
コレット様の声は大きい。
廊下に、教室に、響く大声。
マリーカ様。
マリーカ様。
マリーカ様。
何度も呼ばれる名前。
マリーカ様を襲うなんて。
卑劣な令息たち。
きっと、正義感からの言動。
……だけど。コレット様のせいで、マリーカ様の噂はどんどん広まっていく。
「ほら、あれが、よりにもよって貴族学院の教室内で、大勢の令息たちに『襲われた』マリーカ嬢だよ」
マリーカ様は、そんなふうに交流などほとんどない他学年の生徒たちからも噂されるようになった。
泣きながら教室内に走って逃げてくるマリーカ様に、コレット様は言う。
「噂話をしていた生徒たちは誰ですの⁉ マリーカ様は純潔を守っていると、きちんと言って差し上げますわ!」
……教室に響き渡るほどの大声で。ううん、コレット様の声は、廊下にまでも届く。
ドアが開けられたままの教室。そのドアから生徒たちが大勢教室内を覗く。教室内のマリーカ様を見る。
私は……事件の後、マリーカ様と一言も話していない。
コレット様がマリーカ様を庇っている様子を遠巻きに見ているだけだった。
言い訳をするのなら、何をどう言っていいのか分からなかった。
かける言葉が見つからないまま、ただ、傍観者のように。
もやもやする気持ちを、抱えたまま……何も、できずに。
そうして、マリーカ様は学院に来なくなった。
コレット様はマリーカ様のいない教室で、大きな声で言う。
「マリーカ様に瑕疵はないのよ!」
「悪いのはハンソンたちなのだから!」
繰り返し、正義の顔をして。
***
「どうしたの、ジュリア。このところずっと憂い顔だね」
「アラン様……」
「気になることでもあるの? それとも何か不安とか困ったこととか。まさか、ボクとの婚姻が嫌になったとか言わないよね⁉」
アラン様は、私の婚約者だ。
貴族学院は既に卒業をして、今は文官として王城にお勤めになっている。
私の卒業を待って、婚姻を結ぶ予定だ。
卒業まであと一年半ほど。
式の進行や衣装、招待客やその他もろもろ、話し合って決めて行かないといけない。
マリーカ様のことで悩んでいないで、婚姻の準備をしなくてはならないのに。
今日だって、これからウエディングドレスなど、婚礼衣装や装飾品について話し合う予定だったのに。
しあわせいっぱいの笑顔で、アラン様と相談したかったのに。
「アラン様を嫌いになるなんて、そんなことはありません!」
政略結婚とはいえ、アラン様は良い人だし、婚姻に問題はない。
でも……。
「ごめんなさい。学院のことで、ちょっと……」
「ああ。マリーカ嬢のこと? まだ悩んでいるの? 王城の人事局の方でもちょっと噂になっているけどねえ」
貴族学院の中だけではなく。
人事局にまで噂は流れているのか。
私はため息をついた。
アラン様のお勤めになる人事局は、その名称の通り、人事に関する仕事をする。
たとえば、祭典や儀礼の時などの席次や入場の順番などを決めて、宰相様に許可を取ることから、王城内で働く者たちの働き具合。どの派閥とどの派閥が争っているのかなど。人と人、家と家の関係や醜聞、慶事、弔辞、様々なことに気を配る。
だから、マリーカ様の事件も知っていても当然なのだけど……。
アラン様のお耳に入るほど、マリーカ様の事件は広まってしまったのか……。
「……マリーカ様のことというよりも」
「うん?」
アラン様は先を急かせることなく、私の言葉を待って下さっていた。
「……学院での出来事は、通っている生徒は家族に話をするのは当たり前ですわよね」
「うん、そうだね。ボクたちは、そういう噂もなるべく集めようとしているけど。積極的に集めなくても、普通に話題に上るかも」
「親が知れば、親同士だって噂話はしますわよね」
「職場とか、社交の場とかで『最近学院でこんなことがあったんだよ』程度には、話すかなあ」
貴族学院で、令嬢が令息に襲われたなんて話は、衝撃が大きいだけに広まりやすいとは思うけれど……。
「どうして学院内の噂がここまで広く知られたのか気になっている?」
「アラン様……」
「それとも……、コレット嬢が『正義の人』として、社交の場でも賞賛されていることが不満?」
そうなのだ。マリーカ様は学院に来なくなった。
来られないのだろう。
それはわかる。
だけど、コレット様は意気揚々とマリーカ様の話をする。
五人もいた令息から、マリーカ様を守ったコレット様。
確かに、その行動は、正義と言えるだろう。
賞賛されて、当然だ。
でも……。
「ジュリアの名前は一切出ていないよね。マリーカ嬢の事件の主役は正義のコレット嬢。令嬢なのに、よくぞ大勢の令息からマリーカ嬢を守ったと、一躍時の人だ!」
「私の名前が出ていないのは寧ろありがたいのですけど……」
だけど。
不満ではないのだけれど、もやもやする。
事件が起きたのは、放課後。
廊下にも人はいなかった。
学院の先生たちは私とコレット様に「このことは黙っておきなさい。令息たちの処分はもちろんするが、マリーカ様の瑕疵になってはならない」と命じた。
だから、私は口を閉ざした。
なのに、どうして、噂がここまで大きく広がったの?
令息たちが、いきなり五名も一度に退学になれば、大事件だ。
だけど、退学理由を学院側は公表していない。
「マリーカ様を襲ったために退学」などと言ってはいないのだ。
「……コレット嬢は正義の人だ。マリーカ嬢を守り、慰めた」
アラン様が淡々と言った。
「慰めたのは、教室で、だね?」
私は頷いた。
「教室には、他の令息や令嬢たちがいるよね。ああ、事件当日ではなく、次の日とかその次の日とかだけど」
私はまた頷いた。
「コレット様がマリーカ様をお慰めするのは……、間違いではないとは思うのですが……」
「教室で大声を出せば。マリーカ嬢の身に何が起こったのか、みんなに知られるよね?」
「……はい」
「コレット嬢が、ジュリアと同じように黙っていれば。マリーカ嬢を慰めるなんてこともしないで、ごく普通に、いつも通りに接していれば。マリーカ嬢が令息たちに『襲われた』なんてことは広まらずに、ただ単に令息たちが数人、なんらかの理由で、マリーカ嬢とは無関係に退学になったということだけになったかもしれないね」
「アラン様……」
アラン様は頷いた。
「ジュリア。君は思っているんだろ? コレット嬢は本当に正義心や同情心からマリーカ嬢を慰めたのか……と」
「わ、私……は、」
私は、コレット様が、正義の人とは思えない。
確かに、マリーカ様が襲われかかったとき、すぐに動いたコレット様はすごいと思う。
だって、私は動けなかった。
コレット様に「ジュリア様! 職員室へ行って! 誰か先生か警備の者を連れてきて!」と言われるまで、茫然としていただけだった。
私は私が、何もできなかったから、何もしなかったから、正義感あふれているコレット様に対して、卑屈な考えを持っているのではないのか……。
私のこのもやもやする気持ちは、考え過ぎなのではないのか。何もできなかった自分を正当化したいという気持ちなのではないのか。
同じ場所にいたというのに、正義の人として行動ができたコレット様。
何もできなかった私。
下を向いたままの私にアラン様が言った。
「ボクが聞いたことだけ言うね。噂だからホントかどうかは分からないけど、王城の人事局に伝わってくる噂だからね、真実とは限らないけど、まあ、事実に近いんじゃないかなと推測できる」
「アラン様?」
「マリーカ嬢は、ベルトレ子爵家の次男と仲が良かったらしいんだよね。具体的にはそろそろ婚約が結ばれるかなーって感じだったらしいよ」
「ベルトレ子爵家の次男?」
「そう。で、今回の事件で、ベルトレ子爵家の次男、名前はジョセフとか言ったかな……? 彼はマリーカ様に求婚はできなくなった。代わりにお見合いをしたってさ」
なんだろう? アラン様の言葉に嫌な予感がする。
婚約予定者に醜聞。だから、別の相手とお見合いをする。
貴族社会では当たり前と言えば、当たり前。なのに。
「……どなたと?」
「コレット嬢」
「え?」
コレット様……と?
「お見合いをしたんだってさ。見合いはうまくいき、ベルトレ子爵家の次男ジョセフとコレット嬢の婚約届が人事院に届いたんだよ」
「そ、それは……」
婚約は、確定ということで……。
「届は出た。だけどねえ、どうもねえ。もやもやするから、人事院でもこの件、決裁印を押していいのかどうかって話が出てねぇ……」
「でも……不許可には、できませんよね?」
「一応の調査が入る予定。でも不許可にするほどの理由は見つからないだろうね」
ベルトレ子爵家のジョセフ様。
マリーカ様と婚約したかもしれないその人と、コレット様が婚約する。
「ベルトレ子爵家の方も、別に狙ってコレット嬢に婚約を申し出たわけではないかもしれないし」
「時の人、正義の人だから……婚約を持ちかけたのかもしれない……」
有名人と結婚したいとかいう、そういう家、そういう令息なのかもしれないけれど……。
「まあ、ボクたちがどうこう口を挟む話ではないんだよね」
「そう……、そうですわね」
「気にはなるんだよね? ジュリアは。でもジュリアだって、たまたま事件現場に居合わせただけ。無関係とまでは言わないけど、でも、コレット嬢が前面に出たから、ジュリアの名は出ていない。だから、気にするなと言いたいところなんだけど……」
私は事件現場にたまたま居合わせただけ。
でも……。
もやもやする。
アラン様の話を聞いて、余計にもやもやした。
だって……。
……つまりは、コレット様も、あれほどにマリーカ様をお慰めしないで、何も言わず、私のように過ごしていれば……。時の人として、噂話の中心に出ることもなかったかもしれない……。マリーカ様は婚約を破棄されず、コレット様が婚約を結ぶことにはならなかったかもしれない。
全ては、偶然の産物かもしれない。
だけど……。
私は悩んだ。
悩んだけど……、一つだけ、コレット様に確かめようと思った。
***
次の日の貴族学院の教室で。
今日もコレット様は大きな声で話している。
「コレット様ぁ、婚約がお決まりになったそうで、おめでとうございます!」
「あら、ミリー様、ありがとう!」
「婚約がお決まりになったの? お相手はどなた?」
コレット様は、頬を染めて言った。
「ベルトレ子爵家の次男の……ジョセフ様ですわ」
取り巻きの令嬢たちが驚きの声を上げる。
「えええええー⁉ 正義の人と今噂話の中心のコレット様が⁉ 子爵家のご令息と⁉」
「もったいないですわー。正義のコレット様ならもっと上位の伯爵家や侯爵家のご令息とだって、婚約を結べそうですのに!」
「そうですよ! 今一番の有名人ですのよ、コレット様は!」
「で、でも……。わたくし……以前からジョセフ様のことを……、お慕いしていたのです……」
いつも大きな声のコレット様が、かすれたような小さな声になった。頬も赤く、両手をその頬に当てている。
「まあ! コレット様ってば、正義の人であるだけではなくて、純愛の人なのですわね!」
照れた顔のコレット様。コレット様を囃し立てる取り巻きの令嬢たち。
ああ……。
私の懸念は当たったのかもしれない。
少なくとも、コレット様に確かめることはなくなった。
ウィレモン子爵家のコレット様
ベルトレ子爵家の次男であるジョセフ様。
お二人は子爵家の令嬢と令息。同格の家。そして、ジョセフ様は次男。ベルトレ子爵家を継ぐわけでもないし、どこかに婿入りしないといけない。もしくは、アラン様のように、ご自分の才覚で文官や騎士にならないといけない。
レグザス伯爵家のマリーカ様は……一人娘だったはず。
ウィレモン子爵家のコレット様。
レグザス伯爵家のマリーカ様。
ベルトレ子爵が次男であるジョセフ様との婚約を結ばせるのなら……。普通に考えればマリーカ様だろう。
爵位だけでもマリーカ様の方が上。
その上、婿入りすれば、伯爵家と縁ができる。
もしも……、もしも、コレット様が以前からジョセフ様のことをお慕いしていて、マリーカ様を排除したいと思っていたら?
……事件が起こった時、何度もマリーカ様の名前を大声で叫んでいた理由。
まさか。
まさかとは思う。
でも……。
コレット様が、わざと、マリーカ様が男性に襲われたと言いふらしたのなら?
更に言うのなら、コレット様が、あのハンソンとかいう名の令息をそそのかしていたのなら?
たとえば「マリーカ様はジョセフ様との婚約をお喜びではないの。実は……、マリーカ様にはずっと秘めた思いを抱いていて。その相手がハンソン様なの」なんて、言っていたら。
……ううん、これは根拠のないわたしの妄想。考えすぎ。
推測なんてものではない、単なる妄想に過ぎないの。
だけど……、しあわせそうに頬を染めるコレット様を……、わたしは、正義の人とは思えない。
コレット様のたくらみだとしたら。
あの事件の時、わざと何度もマリーカ様の名前を大声で叫んでいたとしたら。
噂を、広めたのが、もしも、コレット様だったら。
本当にコレット様のたくらみ?
それとも……、私の考えすぎ?
分からない。
問い詰めていいのかもわからない。
だって、わたしとマリーカ様は特に親しくもない。
教師に命じられたから一緒だっただけ。
そのときに、事件が起こっただけ。
マリーカ様とコレット様に何らかの確執があったとしても、私は巻き込まれただけ……の、はず。
だから、放っていていいのか、口を出していいのか、分からない。
ただ……頬を染めて婚約を喜ぶコレット様を……素直に、見ることができない。
***
そうして、何もできないまま、数日。
貴族学園の、私たちの教室に、マリーカ様が現われた。
痩せた。
ものすごく、お痩せになって、ふらふらとした足取りで、コレット様に近寄って行くマリーカ様。
その手には……装飾が施された美しい短剣。
「ひっ!」
叫びをあげるコレット様。
「アンタのせいよ! コレット! アンタの……」
マリーカ様が、短剣を振り上げて、コレット様の顔目がけて振り下ろす。
「聞いたわよ! アンタがあの男をけしかけたんですってね! ジョセフと婚約を結ぶはずだったわたくしに! あの男を使ってあんな目にあわせて……!」
「ひ、ひい……っ!」
「アンタのせいよ、アンタの!」
何度も振り下ろされる短剣。
マリーカ様の細腕では、致命傷を与えられはしないけど……。
ああ……。
私の妄想は、妄想ではなく……、的中していたのか。
マリーカ様は、何度も何度もコレット様の顔を短剣で切りつけた。コレット様は腕で顔を覆って、その腕も切りつけられる。
流れる赤い血。
増え続ける傷。
私は動けない。
教室内の誰も動けなかった。
***
コレット様の顔と腕の傷は残るのだそうだ。だから、ベルトレ子爵家の次男であるジョセフ様との婚約はなくなった。
コレット様は、正義の人から一転、マリーカ様からジョセフ様を奪うために、マリーカ様を襲わせた悪女と噂されるようになった。
顔と腕の傷が残らなくても、コレット様が人前に出ることはもう無理だろう。
マリーカ様は……療養所に送り込まれたそうだ。
怖い。
色々なことが怖い。
怖いのに、まだ、私は考えている。
「聞いたわよ! アンタがあの男をけしかけたんですってね! ジョセフと婚約を結ぶはずだったわたしを! あの男を使ってあんな目にあわせて……!」
マリーカ様の叫び。
「聞いたわよ」という言葉。
……領地で静養していたはずのマリーカ様に、コレット様のことを話したのは誰?
我が家のサロンでお茶を飲みながら考えていたら、アラン様がやってきた。
「ジュリア」
「アラン様……」
手には赤いバラ。まるでコレット様の血のように赤い色。
「いろいろあったけど、一応の決着はついたよね。これでボクたちの結婚式の話を進めることができるね」
にこにこと、邪気のないアラン様の笑顔。
まさか……。
ふいに浮かんだ考えに、私は頭を振った。
いや、妄想だ。根拠のない妄想に過ぎない。
でも……。
薔薇を受け取らずに、聞いてみる。
「……アラン様。マリーカ様にお手紙でも書きました?」
「だったらどうする?」
「どうして……と、聞いてもいいですか?」
「だって、ジュリアは巻き込まれただけだもん。気にしなくていいのに、気にしちゃうでしょう?」
アラン様の柔らかな笑み。
少しだけ、怖い。
「巻き込まれたのは確かですが。私は当事者として何もできずに……」
「ジュリアは巻き込まれただけ、考える必要はない……って言っても無駄だろうから、邪魔者を排除してみたよ」
きれいな笑顔ときれいな薔薇。
ああ……。
「でも、嘘は言っていないよ? 知った事実を伝えただけさ。マリーカ嬢を襲った令息。彼とコレット様は親族なんだとか」
「親族……」
「うん。親戚としての交流はもちろんあるって」
「そう……なのですね……」
ああ……。
やっぱり、コレット様は正義の人なんかではなかったのか。
全部が全部、コレット様のたくらみだったのか。
私は、偶然巻き込まれたに過ぎない。
だって、あの日、教師に仕事を命じられたのは、コレット様のたくらみではないだろうし。
仕事がなくても、コレット様はマリーカ様に何かを言って、放課後遅くまで教室に残って。そして、ハンソンとかいう令息が教室にやってくるように仕向けていたのだろう。
私は、巻き込まれただけ。
だから、アラン様の言う通り、コレット様とマリーカ様のことを、これ以上考える必要はない。
「正義というのなら、ボクの行動だって正義かもねー」
「アラン様?」
「マリーカ嬢は真実を知りたいだろうし。コレット嬢みたいな自分の正義を振り回す令嬢をそのままにはしておけないし」
「自分の正義?」
アラン様は頷いた。
「そう。コレット嬢視点で考えてみようか? ずっと好きだったジョセフとやらをマリーカ嬢に取られそうだ。それは駄目だ。自分とジョセフが結ばれるのが正しいんだ。だったら、マリーカ嬢を排除すればいい。悪いのはマリーカ嬢だ。地位が高いから、ジョセフを取られるんだ。マリーカ嬢にジョセフを奪われてなるものか。コレット嬢の考えとしてはこんな感じだろうね」
「コレット様は……ご自分が正しくて、マリーカ様が悪いと思っている……」
だから、ハンソンという令息を使って、酷い手段で、恋しい相手を奪う……。
いいえ、奪うのではなく、コレット様はジョセフ様とご自分が結ばれるのが正しいと……。
「そう。でもさ、人は誰だって自分は『正義の人』だと思っているでしょう? 悪いのは相手、正しいのは自分」
「……それは、たとえば、大量殺人者も、戦争の時は英雄という」
「あー、そうそう。似たような感じかな? コレット嬢にとっては、マリーカ嬢は悪。何をしても排除すべき存在。そう考えれば、マリーカ嬢を襲わせたことだって、正義の鉄槌ってことになる」
正義など、相対的なモノ。絶対的な正義などない。
「誰もみんな自分のために動く。自分の邪魔となる相手は悪だ。正義は我にありってね!」
「アラン様にとっての悪は……」
「ボクの大事なジュリアを悩ませるヤツラはぜーんぶ悪人! 結婚式の準備の邪魔をするヤツも、ジュリアを憂い顔にさせるヤツラも! だから、ボクだって、ボクのために、邪魔なヤツらを排除するのさ!」
マリーカ様も。
コレット様も。
みんな、アラン様にとっては……排除すべき悪。
「でも一応、言い訳するけど。あっちがジュリアを巻き込まなければ、ボクは手出しをしなかったんだけどね」
私は、たまたま、巻き込まれただけ。
悩む必要なんて、ない。
無関係。
そう言いきれないのは……良心の呵責のためか、自分自身のためだけに生きられない甘さなのか。
にこにこと笑うアラン様。
差し出される赤い薔薇の花束。
血のような、赤い色。
絶対的な正義なんて、ない。
あるのは自己中心的な正義だけ。
誰も彼もが自分中心に生きている。
私だってそうだ。
マリーカ様とコレット様。
彼女たちのことは気にかかっているけれど、アラン様より彼女たちが重要かと言えば、そんなことはない。
「……アラン様。もしも明日、世界が滅ぶとしたら、そして、誰か一人だけ助けられるとしたら、誰を選びますか?」
「もちろんジュリアさ!」
迷いなく答えてくれたアラン様。
ああ……。
そうだ。
私も、自己中心的に選ぼう。
アラン様以外に大事なものはない。
息を吸って、吐いて。私はアラン様から薔薇を受け取った。
まるで血の色みたいにきれいな赤。
正義なんてない。
もしも、たった一つを選ぶしかなくて、他のすべてを捨てないといけないのなら。
良心の呵責があろうとなかろうと、私はアラン様を選びたい。
それに、マリーカ様とコレット様のことを考えるのも、きっと今だけ。
同じクラスに、在籍していて、それなりに関わり合いがあったから。
疎遠になれば、忘れる。
きっと忘れる。
だって、大事なのは目の前にいるアラン様。
そのアラン様を煩わせてまで、お二人に心を砕く理由はない。
切り捨てるのは冷たいと思ってしまう私が甘いのだろう。
そして、まだしばらくは、お二人のことを思い悩むかもしれない。
でも、私も正義じゃない。正義はない。選択があるだけ。
だから、言う。
「アラン様。大好きです。私もあなたを選びたい」
たとえいつか。
私が私の身勝手な正義を振りかざし、この手を薔薇の花のように赤く染めたとしても。
終わり




