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血染めの祝祭

作者: 善玉令嬢
掲載日:2026/05/21


カレンダーが真っ赤に染まる、五月の祝福の日々······ゴールデンウィーク。 私にとってはパニック映画さながらの、狂った日々になる。


サービス業という、世間の「非日常」を裏方で支える仕事を選んでから、私にとって大型連休とは祝祭ではなくなった。

それは、自分が丹念に整えてきた平穏という名の領土を、無計画な侵略者たちに蹂躙される戦いの日々を意味している。


平日休みの十六時。

この中途半端な時間こそが、私にとっての聖域だ。

外回りの営業マンも、遅めの昼食を摂る職人もとっくに去り、夜の混雑にはまだ早い、エアポケットのような時間。

いつものチェーン店に滑り込み、四人掛けの広いテーブル席を独占する。

注文を終えれば、顔なじみのスタッフさんが「いつもどうも」と、マニュアルにはない温度の言葉を添えて、冷えた水を置いてくれる。

静かな店内に響く調理場の音を遠くに聞きながら、一杯の湯気を前に呼吸を整える。それが、私の翌日からのエンジンを駆動させるための、かけがえのない句読点ルーティンだった。


だからその日も、私はいつも通りにその店を目指した。

大型連休と、自分の平日休みが重なっているという不穏な事実に、どこか目を背けたままで。


自動ドアが開いた瞬間に、室温と一緒に、胃の奥が嫌な音を立てて冷えていくのが分かった。


「ウソやん······」


言葉が漏れそうになるのを、マスクの奥でどうにか噛み殺す。


店内は、七割方埋まっていた。

いつも座るテーブル席は一つだけ空いていたが、自分の後にカップルの客が入ってきたため、スタッフさんの迷惑になってはいけないとカウンター席に座る。 合計八席あるカウンターは、レジを挟んで半々ずつに分けられている。 向こう側のカウンターは二人がスペースを空けて座っているため、私は反対側のスカスカのカウンターに座る。


タブレットで料理を注文するも、いつもの平日とは違う空気にモヤモヤする。

揃いのTシャツを着た家族連れ、騒がしい学生グループ、そして行き場を失った空気が充満している。

自分達が、物語の主役かのように言葉を主張し、スタッフや連休の異物たる私はモブなのだろう。 さながらね。


「お腹すいた! 」


カップル客の後に入店した四人家族だが、現在テーブル席は埋まっている。

しかし、子供の鶴の一声は強力だ。 機嫌を損ねないように、カウンター席でも良いからと父親がスタッフさんに頼み、席に座る。

母親と子供二人は私の方のカウンターに、父親は見知らぬ客に挟まれ、反対側のカウンターに座る。


最早、味など覚えていない。 機嫌が悪い子供の隣、味わうよりも早く、会計して店を出たかった。


逃げるように店を出て、愛車のシートに深く身体を沈めた。 いつもなら食後の余韻に浸るドライブも、今日ばかりは他県ナンバーの洒落た車に前を塞がれ、進むこともままならない。



▼▼▼▼


どこか、この喧騒から隔離された場所へ行きたかった。

思いついたのは、バイパス沿いにある映画館だ。薄暗い上映室の、他のお客から数歩離れた座席。そこに身を隠し、スマートフォンの電源を切って二時間だけ世界をシャットアウトする。悪くない選択肢だと思えた。


だが、その色褪せた期待は、劇場のロータリーに入った瞬間に木端微塵に砕かれる。


『満車』


無骨な赤い文字を掲げた警備員が、申し訳なさそうな顔で私に「回れ右」を促す。見上げれば、自動券売機へと続くガラス張りのロビーは、不自然なほど人で膨れ上がっていた。

さらに、入り口のデジタルサイネージには、見慣れない電子文字が踊っている。


【連休特別価格】


液晶画面に浮かぶ、通常よりも安い金額は、今日が「特別な日」であることを冷酷に告げていた。

家族連れやカップル達が、大型連休に合わせて公開された大人気映画を観るために集まる。

それは、普段通りの静寂を求める私のような人間に、「お前の来る場所ではない」と突きつける拒絶のサインに他ならなかった


車内を満たす、エアコンの無機質な作動音だけが妙に大きく聞こえる。

街全体が、浮かれた家族連れやカップルのために最適化され、完全に書き換えられている。私の一日を保証してくれるスペースは、このアスファルトの上のどこにも残されていなかった。



◆◆◆◆



世間が「連休もいよいよ折り返し」と、どこか名残惜しそうに、けれどまだ十分に残された非日常に歓声を上げている頃、私の平日休みは終わった。


今日から私は、あちら側(戦場)へと戻る。


制服に袖を通し、バックヤードから一歩足を踏み出した瞬間、そこは剥き出しの欲望と疲労が渦巻く空間だった。

押し寄せる客の波。彼らにとって、ここは楽しい旅の頼もしいオアシス······あるいは、渋滞のイライラを吐き出すための都合の良いゴミ箱だ。


マニュアル通りの笑顔を貼り付け、機械的にレジを打ち、減り続ける商品を棚に補充していく。差し出されるポイントカード、飛び交う怒号に近い子供の泣き声。

彼らの特別な一日を成立させるために、私の時間は、感情ごと細切れにすり潰されていった。



----


そうして迎えた、連休最終日の二十三時。


長いシフトを終え、ようやく解放された私は、重い足取りで愛車のアクセルを踏んだ。

窓を開けると、流れ込んでくる夜風は数日前とは明らかに違っていた。

熱狂のトゲが抜け、ひどく冷ややかに静まり返っている。祭りは終わったのだ。


帰り道。 私はバイパス沿いにある道の駅に車を停めた。


そこは、数日前まで不夜城のように輝いていた場所だった。派手なステッカーを貼ったキャンピングカーや、カーテンを閉め切ったミニバンが、我が物顔で白線をはみ出し、駐車場を不法占拠していたはずだった。


しかし、今はどうだろう?


眠らぬ街だったビル群が更地になり、巨大な沼地になったかのように、鉄の塊達は消え去っている。

巨大なトラックを駆る、無骨な男達が喉を潤しに自販機へと降りる。

そんな······いつもの光景がようやく、帰ってきたのだ。


「おかえり」


私は思わず呟いた。 世間にとっては絶望でも、私にとっては『救い』なのだ。



■■■■



明けて平日。

世界を覆っていた真っ赤なカレンダーは剥がされ、街は元のモノトーンに戻っていた。そして、私の「本当の平日休み」がやってきた。


午前中の遅い時間に車を走らせると、フロントガラスの向こうには、かつてないほど見事な「日常」が広がっていた。

対向車線、果てしなく続く渋滞の列。そこに並ぶ車の一台一台に目をやれば、ハンドルを握る人々は一様に、連休のツケを払わされるかのような、死んだ魚の目をしている。

重い足取りで日常という名の檻へ引き返していく彼らの横を、私は滑るように追い抜いていく。

不謹慎かもしれないが、その死相のような横顔の並びが、今の私には最高の景色だった。


車を走らせ、あの日這うようにして逃げ出したチェーン店の駐車場へと滑り込む。

他県ナンバーは一台もない。営業の車が一台、枠にキッチリと停められている。


不穏な程に、素早く反応する自動ドア。

店内に満ちていたあの不快な賑わいは、跡形もなく消え去っていた。


時計の針は十五時過ぎ。

いつもより早く来たかな? と思い、客席を見渡すと、お年寄りのグループ数人がテーブル席で談笑しており、カウンターにはスマホと格闘してる営業マンが居るのみであった。

調理場から聞こえる、食器がカチャカチャと触れ合う規則正しい音と、控えめな店内放送の演歌が、心地よく鼓膜を撫でる。


「いらっしゃいませ! まいどどうも」


いつものスタッフさんが、いつもの、マニュアルにはない温度の言葉で私を迎えてくれた。

私は深く頷き、案内されるよりも早く、あの四人掛けの広いテーブル席へと向かった。


先週、虚無のままに腹に入れてしまった『野菜炒め定食』を、しっかりと噛みしめ、五臓六腑に染み込ませるのであった。




終わり


ご一読いただきありがとうございました。


世間が浮き足立つ大型連休の裏側で、静かに世界を支え、そして自分だけの静寂を愛するすべての人に、このささやかな勝利を捧げます。

「いつもの席で食べるいつものご飯」ほど、贅沢なものは無いんですねぇ。





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