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「興味ないのかと思っていたぞ」
雄元が綿入りの上衣を羽織り直すと、蘭姫は十人の呪者の死体たあるという庭院について行ってみた。彼女が来たのを、よほど意外に思ったのか、雄元が言う。蘭姫はすまして答えた。
「ここは嘘つきばかりだからです。自分の目しか信じられません」
証拠らしきものを隠した雄元も疑わなければならない人物だ。蘭姫は慎重に彼を観察したが、すぐに視線は折り重なるように倒れている白衣の巫覡十人を見つけた。
近くに行ってみれば、どの死体も目と口だけが開いている真っ白な面を被っている。そんな気味悪い死体に触れるのを大の兵士たちが恐れて、遠巻きにして動かない。面を取って顔を見ようとする者はなかった。
「陶将軍の兵士たちは、国をいくつも滅ぼしたというのは本当の話でしょうか」
ちくりと言うと雄元が首の後ろを掻く。
「現場を触っていいものか悩んでいるだけです」
頷いたのは、公子璘羽。彼もまるで同じ面でも被っているかのような蒼白な顔をし、寒さで凍えた唇が紫になっていた。
「問題はないでしょう」
蘭姫は皆が止めるのも聞かずに、面を一枚外してみた。出て来たのは老婆だ。皺だらけの顔は土気色だった。他の面も、外すが、どれも巫覡らしいのっぺりとした顔に、男も女もどこかにかよった顔立ちをしている。
「巫覡のようですね。顔がよく似ています。一族でしょうか」
蘭姫の言葉に公子璘羽がかすれた声で答えた。
「ええ……興国では巫覡は一族で代々継いでいくものなので……似ていても不思議はありません」
寧国では力のあるものが選ばれて巫覡になったものだが、国によって違うらしい。雄元が問うた。
「なにか他にわかることはあるか」
蘭姫は死体の山に手にしていた面を投げて言った。
「さあ。顔見知りではないことは確かです」
知っているわけがないだろうと蘭姫は言外に言って雄元を斜めに見上げた。
璘羽も雄元を見た。
「これらが、なに者かか、調べてみます。顔を知っているものがいるやも――」
走り去ろうとした公子璘羽の腕を蘭姫は掴んで止めた。興人は好きではないが、この母を失ったばかりの少年にはなんの罪もない。
「よくこの顔を見覚えておいたほうがいいでしょう。すぐに風が吹きますから」
「え?」
意味がわからず少年は戸惑った様子だったが、山積みの死体は北風が吹いてくると、蔡妃と同じように、死体は水が抜けた落葉のようになった。そして強風に攫われて一斉に灰となって空に飛んだ。旋風は太殿の屋根まで達し、灰の固まりは飛び散った。
「あ、ああ……」
わずかな手がかりが消えて、少年が座り込む。雄元はなにか落ちていないか、目で探していた様子だったが、何もなかったのだろう。すぐにいつもの彼になって、璘羽を励ますように肩を叩いて立たせる。
「巫覡たちの顔はしっかりと皆が見ました、公子。似顔絵を作らせましょう」
「ああ……」
動揺で少年は今みた顔を覚えていそうになかった。そもそも巫覡は表情に乏しく、どの顔も同じように見える。似顔絵がどれほど役に立つか未知数だと蘭姫は言いはしなかったが、そうは思った。
「どうして、死体は灰になるのですか、蘭姫?」
少年の問いは、問いというより理不尽に対する怒りのようだ。
「巫術を行って、母君を殺した者たちです。鏡をつけておられたので、気が呪者に跳ね返り死んだのでしょう。呪詛で死ぬとああなると聞いたことがあります」
「あなたは呪詛をしたことはないのですか」
「今、わたしが生きているのは、呪詛をしたことがないからです。していたら、このように死体になって四方に灰となって消えているでしょう」
少年は納得した顔をした。そして、蘭姫を信用する目でこちらに向かい合った。この離宮で一番信用できるのは、たしかに蘭姫だろう。陶雄元は陶王后の甥である。同じ神人の公子隷は「囚われ人」などと自嘲するが、侮れない。ならば、敵国からやってきた質の女が一番、まし。そういうことだろう。
「公主。お聞きしてもよろしいでしょうか」
「はい」
「私はこれからどうしたらいいのでしょうか」
蘭姫は少し考えた。
――わたしなら?
母が亡く、後ろ盾の父は重病。陶家は盤石の様子。だが、そういう政治的なことを考えるのでは神人ではない。
「わたしなら、この離宮を去ります」
「去る? そんなことをすれば、私の命は――」
そこまで言って、そこに陶雄元がいるのを思い出したように止めた。雄元はなにかを言おうとしたのか前に出たが、その前に蘭姫が言葉を続けた。
「あなただけでなく、陶将軍、あなたもここから去った方がいいです。これは私の善意からの忠告で、神人だからの言葉。寧と興の恨みはまたいつか晴らすでしょうが、これはわたしの本心です」
「どうしてだ」
陶雄元がもう一歩、蘭姫に近づいた。
「この離宮は聖域。それなのに、呪詛が行われたどころか、十一人も死人が出た。公子隷はすぐに浄化するから心配ないというけれど……あなたたちのような普通の存在は悪く影響するでしょう。とくに、あなた、陶雄元」
彼はごくりと唾を呑みこむ。
「何万もの人を殺したその剣は、未だ死者の怨嗟の声を忘れてはいません。早くここを出た方がいいでしょう。すぐにでも――そして戻るべきではない」
公子璘羽が蘭姫にすがりついた。神人に人間がすがりつくことはよくある。慣れてはいるが、好きではない。しかも、助けてやらなければならないか疑問の相手だ。
「ここを離れてどこへ行けとおっしゃるのですか。どこなら安全なのですか」
「巫覡にそれを訊ねるべきです」
「神人は未来を視られると、公子隷から聞きました。だからかの人はここに捕らわれているのではありませんか。それに巫覡のだれを信じろと?」
「あなたとわたしは関わりが薄く、未来は視えません。巫覡たちを信じられないのなら、卜占の道具を借りて、自分で占うのが一番でしょう」
少年は頷くと、跪いて拝礼してから去って行った。ただ、未来が視えないというのは、全くの真実ではなかった。彼の背に翳りが見える。ここから早く逃げなければ、きっとよくないことが起こる。
「公子璘羽には優しいのだな」
陶雄元が面白く為さそうそうな顔をした。
「母を失った子に同情してなにが悪いのですか」
「ふうん。それにしてもその衣はなんだ。公子隷はそんな寡婦の古着しか寄こさないのか」
雄元が言うことがなくなったのだろう。蘭姫の衣を笑った。海老茶色の衣は確かに寡婦の衣だ。だが温かく、内にも外にも綿が入っている。
「陶謁殿の母君の衣とか。派手な衣は神人にはふさわしくないので、こちらを着させていただいています」
「そうか……陶謁の……」
自分が命じたのに、すっかり忘れていたと雄元は言った。
「なかなか片づけられずにいたという遺品を陶謁が持ってきたのは感慨深いな……。大事に着てやってほしい」
そう雄元が蘭姫に頼んだのは、意外だった。
「ものには人の魂が宿ります。この衣の主は、落ち着いた優しい方。着ていると、わたしに寒くないかと何度も聞いてきます。それが心地良い。物とはそういうものがいいのです」
「うむ。そなたの言葉を陶謁に伝えよう。喜ぶだろうから」
蘭姫はつい、自分の良心を語ってしまったことに気づいて、わざと冷たく雄元から目を離し、自分も庭院を後にしようとした。
――陶雄元とは敵味方。親の仇よ。
だが、どうも彼といると調子が狂う。元来、優しく思いやりのある彼女は、人を恨むより、愛おしむことを学んできた。それが神人であるのだと父母も幼いころから言っていた。だから、すぐにこの男が家族を殺し、国を滅亡に陥れたことを忘れてしまいそうになる。
――よくないことだわ。よくないこと。胸に憎しみを刻まなければ。
陶雄元は急に態度を変えた蘭姫を不思議そうに見、そして後についてきた。
「なにか?」
蘭姫は足を止めて聞く。ついてくるなという意味だ。
「必要なものがあったら言え、用意する」
「必要なものなどなにもありません」
「そうはっきり言うな。かんざしでも強請れば可愛いものを」
蘭姫は睨んだ。
「お忘れでしょうが、あなたがわたしの父母を殺し、わたしのかんざしを奪った張本人ではありませんか」
「そうだったな……なんという縁だろう……」
馬鹿にしているのかと思ったが、そうではないらしい。彼は本当に人の縁の不思議さ、あるいは残酷さを嘆いていた。敵兵を何万と殺しても一つの命を惜しむような男が陶雄元だと蘭姫は思ったが、すぐにその考えをうち捨てた。
「俺はしばらく、そなたの忠告通り、ここを離れよう。都にしばらく戻る」
「そうした方がいいでしょう。それが最善です」
蘭姫はなぜか一抹の寂しさを抱えながら、踵をさっと返して、空を見る。乾いた空に落葉が一片飛んでいて、寒さの厳しい冬の到来を予感した。




