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天二問フ  作者: 微雨
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第二章1


第二章

 翌朝――。

「面倒なことになった」

 蘭姫に雄元が腕を組みながら言ったのは、彼女の部屋の窓際だった。彼は北風を寒いとも感じないのだろう、しばし吹かれていたが、蘭姫はすぐにそれを閉じた。

「寒かったか」

「いいえ。聖域の空気が蔡妃の死でよどんでいるのです。浄化させる香を焚くので閉めて下さい」 

 蘭姫は慇懃にそう言って、窓の閂まですると、博山を模した香炉に火を入れた。

「この事件をどう見る?」

 雄元が蘭姫に訊ねる。蘭姫は香がかぐわしい煙を上げてきたことに、少し安心したが雄元に気を許さなかった。

「さあ、わたしはここに来てまだ一日も経っていません。亡くなったのが誰で、どういう人なのかもわからないのに、どうしてこの事件を推測できましょう?」

 蘭姫は当然の主張をした。

 とはいえ、少しはお付きの巫から聞いたことがある。

 女は大王の寵姫で蔡妃。興王の看病を息子とともに任されていた人物だった。呪われているのではないかと以前から気にして、公子隷に相談の上、巫術を跳ね返す霊力のある鏡を常に首から提げていたという。

 そして――公子璘羽は長子の公子英なる人物と太子の座をかけて争っているらしい。それが、蔡妃の死亡の原因のように蘭姫には思える。それは雄元も承知のことだろう。

「そなたは稲妻のような感覚があったと言ったが、我々は公子隷も含めてそんなものを感じなかった。どういうことだろうか。そなたの力が公子隷より優れているのか、あるいはそなたにしか感じないものなのか、教えて欲しい。言っておくが、偽りは俺には通じない。俺の前で罪を自白しなかった者はいないからな」

 雄元は蘭姫をまだ疑っているような口ぶりだった。蘭姫は憤慨したが、努めて冷静でいようと思った。

「脅さなくても、知っていることは話します。人が一人亡くなったのですから。しかも、第一発見者はわたしでした」

「うぬ」

「ここから中庭まですぐです。太殿にいたあなた方よりは感じ方が違ったかもしれませんし、わたしは流星を見ました。それで勘が強く働いたのかもしれません。公子隷が気づかなかったかどうかは、本人にしかわかりません」

「嘘をついているかもしれないということか」

「そこまでは言ってはおりませんが、可能性はあります」

「では、公子隷が蔡妃を殺した可能性は?」

 蘭姫は少し考えた。彼は太殿にいた。殺せるはずはない。

「ないでしょう」

「神人は人を殺せないというのは本当か」

「神人が人を殺せるかどうかは、試したことがないのでわかりませんが、少なくとも、蔡妃を殺したのは、一人二人の術者ではないでしょう。あの護身の鏡は強力です」

 うむと雄元は顎に手を当てた。

「では、公子隷は犯人と外していいのか」

「どうして、わたしの意見を聞かれるのですか。関係ない人間なのに」

「関係ない人間だからだ。太子の座をかけて二人の公子が争っているのは聞いているだろう? どちらの側でもない人間の意見は重要だ」

 どちらの側でもなさそうだが、あの一癖も二癖もありそうな公子隷も信じてはならないと思ったとは口にはしなかった。優美な微笑みに隠れた刃は神に仕える人には似合わない。だが、どんな者でも術を使えば、気の減少は免れない。公子隷がぴんぴんしていることからして、彼によるものではないだろう。

「ここだけの話、大王はだれが太子にふさわしいか神託をこの離宮で待っておられる。しかし、その神託は未だ下されず、王のご病気は癒えることがない」

「すぐに死の穢れを浄化することが必要でしょう。ここは聖域。死と呪術は禁物。呪術者を見つけるのも急ぎの仕事。こんなところで、事件を推理している場合ではないでしょう、将軍」

「浄化に関しては公子隷が、犯人捜しは公子璘羽がしている。俺は直接関係ない。推理したいだけだ」

 彼は立ち上がると、蘭姫に手を差し出した。

「現場に行ってみよう」

「なぜ、わたしが?」

「どうせ暇だろう。大王が目覚めるのは昼過ぎだろうし、事件を調査するという名目なら外出しても、さほど咎められない」

 蘭姫は陶雄元の手を取った。

 ここにいても暇なのは確かだ。それに蘭姫自身、事件が気になる。興国の政情も少しはわかるかもしれない。どうして彼に触れたのかはわからなかったが、好奇心には勝てなかった。

 彼女は陶雄元とともに、高楼の下にある中庭に出た。

「蔡妃の居所はあそこだった」

 雄元が指差したのは、蘭姫の高殿の斜め東側。日当たりが良さそうで、そこだけ華やかな朱漆が新しかった。今は弔事で、白い布がめぐらされ、旗が立っていた。使用人たちは忙しげで、巫覡たちは葬儀のための巫具を運び入れている。

「近いですね」

「ああ。呪から逃げるためにここまで逃げてきたのかもしれない」

「でも、証拠となるものは、なにももうありません。死体は灰となって消えてしまったのですから」

「一つだけある」

 雄元が持って来させたのは、蔡妃の首からかかっていた銅鏡だ。首から提げられるように紫の紐がつけられ、よく磨かれた銅色の鏡には矢で射られたかのような穴が開いていた。「呪によるものか」

「『サツ』でしょう」

 蘭姫は迷わず答えた。

「『サツ』?」

「『殺気』と言った方がわかるかもしれません。呪術で人を殺すための気です。でも……これだけの鏡を貫通させる術者が存在するのかは、わかりません。術者は複数人だったかもしれません」

「なるほど?」

 蘭姫は事件のせいで、水をやるのを忘れたのだろう、寒菊の花弁に触れた。悲しみが、蔡妃の居所の方から押し寄せて、この聖域の気の色を変えている。寒々とした鈍色に。

「他に変わったことは?」

「特には。聖域の気が穢れましたが、ささいなものです。公子隷は浄化を巫覡に命じ、葬儀が終わった頃には元通りになっているでしょう」

 蘭姫はそう言ったが、空を見た。

 ――興王の病状は悪化するかもしれない。

 しかし、それは蘭姫にはどうでもいいことだ。口にするほどの変化でもないだろう。

「それより、あなたの方が黒幕がわかっているのではありませんか」

「黒幕?」

「蔡妃を殺した人物です」

 蘭姫は人の形だけが黒く残った地面を見つめながら、陶雄元に問うた。

「さあな」

 彼はしらばっくれたが、なんとなく予想がついているという顔をしている。おそらく、蔡妃の最大の敵、長子、公子英の母、陶王后だろう。だれもそうはいわないが、後嗣争いが複雑な状況ならば、黒幕はその一族の陶雄元の可能性もあった。

「わたしを疑うより先に、自分を疑うべきでしたね、陶将軍」

「その陶将軍と呼ぶのはよしてくれ。俺の名は『雄元』だ」

「では陶雄元。あなたがこの事件の黒幕ですか」

「いや……俺ではない。俺は――神託が公子璘羽に太子の座をと出たならば、それを覆すつもりはない」

 蘭姫は鼻で笑った。陶雄元ほど、神や神託などに惑わされる人物ではないのだから。

「わかっている。だが、公子璘羽が聡明なのは誰もが知るところだ。だが、神託は若き公子に下らない。王は神託が公子璘羽を指名するまで、卜占ぼくせんを止めるつもりはないのだ。繰り返し同じことを天に問うている」

「天命はいずこにあるかと?」

「ああ……」

 そしてふと、陶雄元はなにかを溝で見つけると手を入れて取りだした。見れば、夏の葉の色のような美しい緑の翡翠珠だった。なんであろうかと、蘭姫が覗こうとしたが、彼はすぐにそれを袖の中に入れてしまった。なにか、証拠になり得るものだろうか。

 ――わたしには関係のないことだわ。

 蘭姫は踵を返した。すると、そこに公子隷と老人がいた。

「大王」

 雄元がすぐに跪く。

 床から起き上がることもできないと聞いていたのに……おそらく寵妃の葬儀くらいには出たいと立ち上がったのだろう。左右を宦官に支えられている。

「それが新しい、神人か」

 王はかすれた声で言った。

「美しい。実に美しい。だが、妬ましい」

 蘭姫は眉を寄せた。

「その若さが妬ましいよ、蘭姫? と言ったか」

 彼女は跪くことも礼もしなかった。

 寧国を滅ぼした人間になぜ頭を下げなければならないのか。蘭姫は気高く顎を上げ、ただ言った。

「蔡妃の死にお悔やみを。愛する人を失う悲しみは誰でも同じですから」

 完全な嫌みであったのに、王は咳き込みながら笑った。

「確かにそうだ。確かに。人を失う悲しみとはそういうものじゃ……」

 言葉ではそう言ったが、蘭姫に興王は同調している様子はなかった。ただ、病の身とは思えぬ炯々とした眼を彼女に向けて、無礼に頭の先から爪先までじっくりと見てから言った。

「新たな『客神』を迎え、我が国は更に栄えることであろう」

 王は公子隷にそう言った。彼は頷き、王を蔡妃の空の柩がある居所の方へと見送る。蘭姫は残った彼に言った。

「隷」

 名を呼んだだけなのに、彼にはなにを蘭姫が言おうとしているのかわかった様子で、それを止めて、雄元の方を見た。

「なにか、手がかりはありましたか」

「いや、特には……」

「術者、十名の死体を公子璘羽が発見したと知らせが先ほどありました。庭院に行ってみたらいかがですか」

「それは!」

 雄元は蘭姫を連れていこうか悩んだ様子だったが、彼女は行きたいとは思わなかった。証拠と思われるものを隠匿して見せなかった彼を信用して助けてやる気にはとてもなれない。彼だけが、足を庭院に向けて消えた。

「王はわたしが聞いていたより、ずっと元気そうですね」

 公子隷は金の枷が足首に着いているため、助けを求めて蘭姫の腕に手を重ねた。

「少し、私の気を分けて差し上げました。あと、四半時もすればまた床の中です。蔡妃は特に王の寵愛を受けた人ですから、最後の別れくらいは言わせて差し上げないと」

「そうですか」

 感情のこもらない声で、蘭姫は頷く。そして核心をずばりと突いた。

「あなたが犯人?」

「私ですか? 私はしがない囚われ人です。それに犯人は発見されたと申し上げたはず」

「術者の死体が発見されたと聞いただけです」

 公子隷が困ったなと息を吐く。

「あなたは聡明だ。しかし、如何せん、若い。若く向こう見ずだ。少しは本心を隠す術を学んだ方がいい。私に対してはいい。せめて大王には」

「興王の眼はすべてを見通していました。わたしがたとえ跪いても、心は跪いていないことを見抜いたはず。ならば、跪く必要などないでしょう?」

「あなたは正しい。が、正しすぎる。人はどう自分が思うかより、どう人から見られるかを大事にするものです。大王もその一人。人の評価を気にされる。跪かなかったことをいつかあなたは後悔するかもしれません」

 蘭姫は首を振り、庭院があるという北側の木々を見やった。

「また尋常ではない死が起きたようです。気が向こうから乱れています。興王はわたしの無礼など忘れてしばらくは床につくことになるでしょう」

 聖域の気が清らかであるからこそ、王の病の進行は遅れる。にも拘わらず、不浄なことが続けば、ここも外の世界となんら変わらなくなるだろう。

「心配いりません。すぐに巫覡たちを総動員させて、天地に供物を捧げて祈らせます。結界は再びもとのようになります」

「それならいいんです」

 どうでもいいとばかりに蘭姫はそう言ったが、公子璘羽はこれからどうなるのだろうかと思った。彼には母の他に重要な後ろ盾はいるのだろうか。王からの寵愛頼みで、太子の座を狙うのは無謀でしかない。そして、なぜ神託はだれにも下らないのかとも思った。

 蘭姫は去って行く公子隷の背を見つめて、彼から答えを得ようとしたが、彼の背はだんまりを決め込み、そして冷たく彼女を突き放した。

「なにかある……」

 事件に公子隷が関わっている――そう感じるのは同じ神人だからだろうか。しかし、それは直感でしかなかった。



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