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「お見送りします、陶将軍」
大王の病床を見舞った雄元を、その末子の公子璘羽が追いかけてきた。まだ十三歳ながら、聡明であると噂の公子だ。雄元の前でも物怖じせず、大王が雄元と話している間も、静かに傍らに座り、父親を案じていた。
「恐れ多いことです、公子」
「見送りくらい、させてください。こたび、大勝をおさめたというのに、父王があのようで……宴も開けず申し訳ないと思っていたのです」
「お気遣いにはおよびません。臣も兵士たちもよくわかっております」
まだ雄元の肩くらいしか身長がない人はそれに黙った頷いた。
「それで――父王が言っていた『寧の神人』とはなんのことですか」
少年は王との会話の重要な点を聞き逃してはいなかった。雄元は内心、肩をすくめた。「公子隷と同じような存在――いえ、少し違うかもしれません」
「将軍は見たのでしょう? どんな者なのですか。公子隷のように怪しい力を持つ存在なのですか?」
「公子隷と同じくらい美しい者です。しかし、不思議な力を持つかはわかりません。目の前で見たわけではないので、そういう力があるかはわかりません」
実際、蘭姫にどんな力があるのか、雄元にはよくわからなかった。彼女は平気で肉を食べ、酒を呑んだ。そのあたりにいる女よりよっぽど自立心が旺盛で、生きることに貪欲であることを抜かせば、人とあまり変わらない。けれど、あの美しさは人並みを超えていて、誰をも惹きつける。
『神人を……神人を……』
病床の王は繰り言のように同じ言葉を繰り返し、同席していた公子隷の苦笑を誘っていた。
『女人の神人です。休ませましょう。ここまで、かなりの長旅なのでしたから。逃げはしませんよ、我が君。明日の朝一に連れてきましょう』
『我が君』というところだけ、嫌みに聞こえたのは気のせいだっただろうか。雄元はちらりと公子隷の方を向いた。彼は灯りに照らされた顔半分で微笑み、もう半分で大王をあざ笑っているように彼には見えた。
『そうか……ではそうしよう。あとで『き』を分けてくれ……『き』が足りない。あれがないとどうも具合が悪い』
『はい、大王』
『き』がなにを意味するものかは、雄元にはわからなかったが、薬の類いだと思った。かなり大王の加減が悪いのだと思って心配したのもつかの間、意外にも王のつぎの言葉に雄元をどきりとさせた。
『雄元、寧国の攻略ご苦労であった……ついてはつぎの戦について語りたい』
『つぎの、でございますか』
今日、寧から帰国し、報償ももらう前につぎの戦とは――大王の真意を雄元は測りがたかった。
『つぎは宛国だ。そして、そのつぎは絽国。天下統一は目前ぞ』
天下を統一するにはあと百年は必要だ。
それをこの死にかけた老人は自分の代で終わらせようとしている。
――馬鹿げている。
そう言いたい言葉を辛うじて雄元は引っ込めた。
『戦費について重臣たちと謀らねばなりません。大王の意向は都に帰りましたら伝えましょう』
雄元にはそう答えるしかなかった。大王もそれ以上、論議する力はないらしく目を閉じた。そして拝礼をして部屋を出たのだが――。
「どうか、明日までここに泊まってください。母も将軍に会いたいと思いますから」
大王の看病を任されている公子璘羽は、雄元を離宮に留めようとした。
もう月が昇っている。
今夜、四十里をかけて都に帰る気力はない。言葉に甘えようとしたとき、公子隷も現れた。相変わらず、得体の知れないというべきか、神秘的というべきかわからない顔で、巫覡たちを従えて、ゆっくりと金の足枷を引きずりながら近づいてきた。
「部屋を用意させました。月の明かりもさやかです。そこまで、公子璘羽さまとともに送りましょう。戦の話など聞かせてください」
疲れているから迷惑だ、とは言えない。
「では」
と三人が歩きだしたが、すぐに女官と思われる深緑の衣を着た女が走って来た。
「大変です。蔡妃さまの姿が見えません!」
「なんだと? どこかにおられるだろう?」
公子璘羽が首を傾げながら言った。しかし、女官は緊迫した顔を変えない。
「いえ、どこにもおられないのです。お一人で部屋を出られた様子で、お探しておりますが、半時ほども見つかりません」
「庭院を探したか」
「もちろんです」
公子璘羽は慌てたように、「申し訳ありません。ここで失礼いたします」と言って走り去ろうとしたが、その時、女の悲鳴が聞こえ来た。
「行こう」
雄元も声の方へと走った。
すうと、蘭姫が、ふらふらとして巫に体を支えられているところで、顔は月明かりにもはっきりと蒼白だった。雄元の部下が松明を持って照らせば、彼女の足元に、公子璘羽の生母で大王の寵妃の蔡妃が倒れていた。ふらついているのは紛れもなく蘭姫。
雄元は驚いて思わず訊ねた。
「蘭姫、どういうことだ」
「わかりません」
「わからないでは説明がつかない。大王の側室だぞ!」
蘭姫は混乱して右に左にと動こうとした。それを雄元は胸で抱きとめて止め、揺すぶった。
「お前が殺したのか」
「違う――」
「興国を恨んで、それで、殺したのか――」
「あなたはそう思うのですか」
雄元はなにも言えなくなった。
「思うのですか」
そして彼女はきっぱりと言った
「誰かを殺すなら、わたしはまず一番にあなたを殺します、陶将軍」
彼女の睨みが胸をなぜか刺す。
「将軍、蘭姫さまではございません。私どもが来た時にはもう――」
蘭姫付きと思われる巫が、弱々しく弁明した。
「呪術のようですね」
公子隷は繊細なのか、口元を絹の手巾で覆いながら、胸の鏡を指差す。たしかに、黒い煙のようなものが、まだじわりじわりと鏡から立ち上っていた。公子隷は雄元を見上げた。
「将軍、蔡妃さまはここのところ、呪詛を恐れておいででした。呪詛返しの鏡を渡したのは私です。それを破って殺したとなれば――強力な呪力が使われたかと思われますね」
「母上!」
公子璘羽が母に抱きついたが、その体はすぐに干からびたものとなり、元来の美を消し去って朽ちた。そして息子の手が触れたところから、ぼろぼろと崩れはじめ、夜風が吹いたかと思うと、地面を這うようにその灰は四方に散らばった。残ったのは、黄ばんだ犬歯が一本――。
「は、母上……」
公子璘羽は残った灰をかき集めようとしたが、その手に掬われれば掬われるほど、灰は小さくなり、空に消え失せてしまう。死体があった場所に唖然と座り込む公子璘羽が蘭姫に怒鳴った。
「なにがあったのだ!」
「聖域に一瞬、稲妻が落ちたようなわずかな衝撃が走り、私は来てみたのです……そうしたら、この女性の死体があり……」
「そなたはなに者だ。聖域に稲妻とはなんだ……なんなのだ……」
蘭姫は説明しようと一生懸命、雄元の腕から一人立ったが、その前に公子隷が彼女の手を取って、自分の背に隠した。
「寧国から来た神人です。これは呪詛。神人は呪詛を使えません。犯人は別におりましょう。だれかは想像はつきましょうに。無辜の者を責めてもなにもなりません」
つまり、公子隷の言葉が本当なら、犯人は神人ではないことになる。公子隷は先ほどまで、共に大王の御前にいたし、蘭姫が見ず知らずの女をいきなり襲うのはどうにも納得のいく話ではない。彼女の言う通り、まず蘭姫が狙うならば、それは自分だろう。
「犯人を捜さなければ!」
公子璘羽の言葉に三人は黙った。
「犯人を捜し出さなければ!」
公子璘羽の決意は固かった。




