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天二問フ  作者: 微雨
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5

「気味の悪い場所ですね」

 雄元と別れた蘭姫はあえて自分を隠すことをしなかった。紫の目をした人は苦笑し、

「気味が悪いというより、悪趣味というべきでしょう」

と、言って笑みを誘う。

「わたしはどうなるのですか」

 蘭姫は未来を知っていそうな人物に問う。

「あなたは離宮の客となります」

「客?」

「ええ、ここにいる『客神かくしん』のように」

 蘭姫は髪を揺らして振り返り見た。

「もしかして――」

「ええ、ここにいるのはすべて他国の神。滅ぼされた国の神がこのように石像にされて連れて来られるのです。そして『客神』などと呼ばれて祀られる――」

「並べられる――の間違いではなくて?」

「蘭姫は面白い方だ」

 彼はからから笑い、金の足枷のせいで歩きづらそうにしながらも階段を上がっていく。「この宮殿はどうしてこんな作りなのですか?」

 蘭姫は巨大でいて、摩訶不思議な場所に興味、というより畏怖を覚えていた。それは、ここではなにかが違うからだ。

 ――なにが?

 そう自分に尋ねても答えはない。あえていうならば「空気」だ。

「お疲れでしょうが、少し楼門に上りませんか。宮殿が一望できるはずです」

 公子隷は億劫そうに城壁へと続く階段を上がり、門楼に蘭姫を案内した。そして、見下ろせば、やはり奇妙というしかない宮殿であることが分かる。

「天は円く、地はしかくいと聞きます。それに則った作りでしょうか」

 天は円形で地が方形であるという思想を天円地方という。地面が四角く建物が丸い。星占いに使う「式盤」という盤を大きくしたような形が、この宮殿である。だからだろうか。目盛りだと思われる印があり、文字が石畳に刻まれている。

 蘭姫の問いに、公子隷は頷いた。

「そうです。その思想により作られたものだそうです」

「ではあの、四方にある石柱はなんですか」

 蘭姫は離宮の湖の四隅にある石柱を指差した。公子隷は苦笑いをして、彼女の指を自分の手で掴んだ。

「あそこに頭蓋骨がそれぞれ一つずつおさめられています」

「なんのためにですか」

「見て、もうお分かりでしょう? ここは巨大な聖域なのです」

「聖域……」

 蘭姫はすうっと空気を吸った。清水のように澄んでいる。風が湖によって浄化されるからかと思っていたが、ここの気全体が清らかなのだ。一粒の穢れすらない。あるとすれば、今、蘭姫が持ち込んだ死の残像と、湯に浸かりに行った雄元の剣の悪気だけだ。

「公子、これはあなたが作った場所なのですか?」

「『隷』とお呼びください。私も『蘭姫』と呼ばせていただいていますので。気軽に話してください。同じ神人なのですから。それもこの世で私がしるかぎり、二人きりです」

「隷……」

「そうです。そうお呼びください。蘭姫」

「興国はなにをしようとしているのですか?」

「この中原の覇を唱え、やがて天下の統一をすることです。此度の戦で寧の守護神、窮奇は取り逃がしてしまったようですが、大王は気にされないでしょう。あなたのような若い『客神』を迎え入れたのですから」

 蘭姫は震えた。

「隷――わたしは……」

「心配しなくても大丈夫です。まさか石像にされてしまうかもと恐れているのですか」

「いえ……」

「心配しなくても、この離宮内ではあなたは自由です、ある程度は。私も気に留めるように努めます」

 蘭姫は頷き、月が昇り始めた空を見た。慎重に行動しなければと心に誓い、優しそうなこの神人を簡単に信じてはならないと自分に言い聞かせる。

「さあ、蘭姫。迎えが来ましたよ」

 白衣の宮女なのか、かんなぎなのかが、三人ほど現れてお辞儀した。蘭姫はそれで初めて頭を覆っていた衣を肩に載せた。それは紫の目の人を失望させるかと思ったが、彼は少し瞠目してこちらを見た。蘭姫は瞳を合わしたまま通りすぎ、白衣の女たちの後に続いた。公子隷はただ、蘭姫を拝手のまま見送り、そしてなにかを決意するかのように顔を上げた。


 案内された部屋は円の形の太殿ではなく、東にある高楼だった。すでに彼女が来るのを予想していたのだろう。部屋は整えられ、ベットつくえ、屏風がそろえられており、珠簾が寝所と居間を分けている。若い娘が好きだと思ったのか、桃色の寝具で、几の上には筆や硯もあった。鼎の香炉から、甘い白檀の香が漂い、主を迎えるために、煙がゆらゆらと揺れていた。

「あなたたちは何者なの? 宮女? それとも巫?」

 桶の湯は已に湯気を上げていた。

 蘭姫は陶雄元の上衣を預け、一糸まとわない姿になると、まだ痛む手首を回しながら湯に浸かった。体は垢だらけ、血の臭いはもう慣れてしまったが、すねの黒ずみはおそらくそれだろう。

「わたくしたちは、見習いの巫です」

「そう? いくつ?」

「私は、十六、この者は十五です」

 彼女たちの口数は少ない。代わりに手を動かすのは早い。しっかりと垢が落ちるように体の隅々まで容赦なくゴシゴシと粗い麻布でこすり、蘭姫の長い髪は汚れを落とすと、何度も玉の櫛で梳られる。

 すぐに湯は垢が浮かび、湯が換えられた。

 それを何度も繰り返して、ようやく蘭姫の艶やかな体は元の美しさを取り戻し、巫たちはその清らかさに驚き、また自分たちの手腕を誇った様子で、衣を手にしてなにを着せるのか言い合いし出したが、そこに陶謁が言づてとともに衣を三枚持って来たという報告が来た。

『亡母の衣でもうしわけありませんが、着るものがないのではと案じて将軍の命でお届けいたします』

 それは物はいいが、年齢が二回り上の人が着るような臙脂の衣だった。それでも亡き母の衣を見ず知らずの蘭姫のために持って来てくれた陶謁の好意は無にしたくはなかった。巫たちが、『こちらの今年新品のものを――』と勧めるのも聞かずに着てみた。意外にも寸法は合い、蘭姫は濡れた髪のまま窓を開けた。下を見れば、去って行く陶謁の姿が見えた。

 視線を感じたのだろう。振り返り見た陶謁と目が合い、彼女はただ頷いた。彼は少しだけ微笑み、そして背を向けて生真面目に武人独特の歩き方で去って行く。

 ――陶雄元は興王と会ったのかしら……。

 興王の腹づもりを知りたかった。

 蘭姫は化粧几の前に座ると、銅鏡の中の自分を見つめた。疲れた顔をしていたが、年を重ねたように見えた。それは悪い意味ではない。我が儘放題に生きて来た半生より、ずっと大人になったように見えたのだ。形のよい額は月明かりのせいだろうか。鈍く白く光っていた。

「興王にはいつ会えるの? 今夜?」

 巫が拝手して答えた。

「大王はこの宮殿でご静養中です。ご体調を見て拝謁となるかと存じます」

「そんなに悪いの?」

「さあ……私めのような下級の見習い巫には分からないことでございます」

 なかなか口の堅い巫のようだ。ならば別の質問をしなければならない。

「隷はこの宮殿のなに?」

「公主隷さまは――巫覡を束ね、神事を行う方です」

「この宮殿は聖域だと隷から聞いたわ」

「さようでございます。なので、巫覡たちはここに集まっているのです」

「つまり、ここは興国の聖地なのね……」

 この宮殿は、巫覡たちの居所で聖域。

 公子隷はおそらく、それらを統べている。

 王はここの清らかな気によって癒やされているのだろう。病気の進行も遅くなるかもしれない……。公子隷はなにを考えているのか――。

 そこまで頭がめぐると、蘭姫は眠気を感じた。どの国も政治は複雑で、金の足枷をしている囚われ人がどういう立場であるかは、まだ判断するのは早すぎる。しかも、彼は神人だ。

「公主さま、どうぞ今日はもうお休みください。お疲れでしょう。大王のお召しは今夜にはないでしょうから」

「そう……」

 深く眠りたいと蘭姫は思った。

 ずっと天幕か馬車の中で眠っていた。ようやく床で休める。それはささやかな喜びで、明日の起こるかも知れないことを忘れさせてくれるかもれない。

「窓を閉めましょう」

「いいえ、開けておいて」

「もう十一月です。お寒くはありませんか」

 巫の言葉に蘭姫は心の中で笑った。ここへの旅で、寒さを阻むものは、陶雄元から与えられた上衣一枚だ。逃走を恐れて靴も与えられなかったし、大地の風は音を立てて吹き抜けていく冷たいものだった。小窓の冷気のなにを恐れるというのか。それに、ここでの気は悪くはない。静寂と安心を心になぜかもたらす。

「寒くなったら自分で閉めるから、開けておいて。月が見たいの」

「かしこまりました」

 彼女たちは二階の窓からまさか、蘭姫が飛び降りるとも思えなかったのか、戸惑いを見せつつ頭を下げてから部屋を出ていった。

 蘭姫は彼女たちの足音が階段を下っていくのを確かめてから、窓の縁に腰を下ろして。まだ濡れたままの髪を布で拭きながら、北に浮かぶ七星を見る。北辰は行くべき場所を指し示していたが、それがどこであるのか蘭姫にはまだわからなかった。

 しかし、そこにさっと流れ星が天を斜めに横切って行った。

 流れ星は不吉の一つ。

 蘭姫はどきりと胸が鼓動したのを感じた。そして同時にこの静寂しかない聖域に稲妻のようなものが一瞬走ったのを感じた。見上げれば、流れ星は三つ、天を駆けているではないか。そしてその衝撃が蘭姫の胸を打ち、よろめいた。 

 ――なにか起きている。

 蘭姫は部屋の戸を開けた。同じく、異変を感じたであろう巫が戻って来て、不安そうに蘭姫を見た。

「なに? なにかあったの?」

「さ、さあ……わかりません……」

 嫌な予感がした。

 蘭姫は巫たちを置いて、階段を下りると見張りの衛兵をも押しのけ、裸足のまま走り出す。冬の冷たい空気を吸い込んだ石畳は、氷のように冷たかったが、彼女は一心不乱に走り、髪を揺らした。

 そして――中庭に出て蘭姫が見たものは――一人の女の死体だった。

 金のかんざしがいくつも頭を飾り、絹の衣を着た女の袖は大きく優雅だったが、目を見開いたまま事切れていた。蘭姫を追っていた衛兵たちも唖然として、立ち尽くす。胸には銅鏡が掛けられており、それが割れて砕けていた。巫が悲鳴を上げた。

「一体――」

 血が地面を穢しはじめると、蘭姫はひどい頭痛がして、右手で頭を押さえた。お付きの巫たちは聖域での穢れに驚き座り込んでしまっている。

 ――空気が穢れる……。

 血が広がると同じようにじわりじわりと空気は不のものに変わり、喉がつっぱるような感じに蘭姫をさせた。そしてふらふらとし、巫たちに支えられる。

 ――ここは聖域。死は不浄。良くないものだわ……。

 蘭姫はすぐにここから逃げだそうとした。しかし、走り出す前に誰かに手首を掴まれる。

「蘭姫」

 はっと見上げれば、陶雄元だった。

「どういうことだ」

「わからない」

「わからないでは説明がつかない。大王の側室だぞ!」

 蘭姫は混乱して右に左にと動こうとした。それを雄元が胸で抱きとめて止める。

「お前が殺したのか」

「違う――」

「興国を恨んで、それで、殺したのか――」

 蘭姫は大きな瞳を広げて彼を見上げた。

「あなたはそう思うのですか」

「…………」

「思うのですか」

 蘭姫の中で、恨みとはなんだろうかと思った。一人の見知らぬ女を殺すほどのものなのだろうか。人はそうするものなのだろうか。しかし、彼女は違う。

「誰かを殺すなら、わたしはまず一番にあなたを殺します、陶将軍」

 二人の視線は交わって離れなかった。


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