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天二問フ  作者: 微雨
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 月が改まり、十一月。冬(旧暦)の中ほど、ちょうど雪がちらつく時候。時は冬至に近づいていた。

「雪が降らずにほっとしました」

 李政賢が、胸をなで下ろしながら、兵車に乗る陶雄元に言った。彼もまったくその通りだと思いながら、興国の都、大涼の城壁を見上げた。已に、重臣たち、四十人ほどが門の前で凱旋して戻った兵を門の前で待っていた。彼等は揃いの黒い官服でこつを持って立っており、軍馬の足の遅さに耐えきれぬように跪いた。

 雄元はわざと悠々と兵車を進めさせ、焦れている重臣たちを待たせた。

「無事に帰ってきてくれて、めでたい。陶将軍」

 かんを被ってまず挨拶をしたのは、立っていた興英だ。大王の第一皇子で、雄元の従兄に当たる、三十歳の公子。大王の代理を任されたのであろうが、少々荷が重いのか、つぎになんという言葉をかけていいのか分からない様子で、下馬した雄元の肩をぎこちなく叩いた。

「お迎え感謝いたします、公子」

 重臣たちも「大勝、おめでとうございます」と笏を掲げて言う。

「皆さま、どうぞお立ちください。寒い中、お待たせして申し訳ないしだいです」

 皆が笑顔で立ち上がり、軍の後方に山のように積まれた財宝の荷があるのを確認すると、その笑顔は更に明るくなった。しかし、雄元には不満は一つある。

「大王はいかがいたしましたか」

 この場にいるべき人がいない。

 大王が一、将軍を門の前で出迎えるべきだとは言わないが、いままで必ず功をねぎらって迎えに出て来てくれた人がいないのは寂しいものだ。非難するような声ではなく、公子英にだけ聞こえるほどの囁きで言った。

「父上は体調を崩して離宮で静養されている」

「お加減が悪いのですか」

「ああ……突然、胸を押さえて倒れられたかと思うと数日、目を覚まされなかった。今は意識もあるが――巫医たちの勧めもあり、離宮へとお移しした」

 公子英は雄元を門の中に誘いながら言った。そして、それゆえに大規模な戦勝の宴を開けないことを告げ、申し訳なく思っていると告げる。

「宴など、必要はありません。ただ……兵士にはなんらかの労いをいただきたい……」

「もちろんだ」

 公子英は、三頭立ての馬車に雄元を乗せると、誰かの伝言――おそらく王后のものだろう、話を忘れないように書き付けた竹簡を一片取り出すと、神経質そうな細い字で書かれた字を読んだ。馬車は動く様子はない。

「兵士たちは城外に駐屯させよとのことだ」

 陶雄元は黙った。家族にすぐにでも会いたい者が多い中、埃も多い城外で再び、天幕生活をさせるのはあまりにも酷だ。しかも、いつ雪が降ってもおかしくないような季節にだ。

 公子英は、雄元の反応に慌ててつけ加えた。

「兵士たちには肉や酒を存分に振る舞うようにとも言いつかっている。心配ない」

 肉や酒を振る舞うのは当たり前のことではないか。雄元は心の中で反発した。

「あと……財宝は宮殿に運ばせて、母上が監理するとのことだ」

「王后が?」

「ああ。臣下を広く賞するためだとおっしゃっていた」

 そういう時は、なにもせずにおべっかしか言わなかった王后の「謀臣」が一番の功績を得るだろう。雄元は面白くない。当然、一番に報償に預かるのは、彼の部下たちで、それを采配するのは彼の仕事だ。

「それから……そなたには離宮に行ってもらう。父王がなんども、そなたの名前を病床で口にされていた。戦の成果が気になるのだろう。直接、安心させてやってくれぬか?」

「御意……」

「すまないな。休む間もなく離宮に行ってもらうとは」

「…………」

 つまり、王后はこたびの第一功労者を都に置くつもりはなく、病床の王の元に送ることによって、彼の力を削ぐつもりなのだ。伯母とはいえ、身内にも慎重なのが、陶王后なのだ。とても、目の前の人が良さそうなだけの凡庸な公子英の母親には思えなかった。しかも、今からすぐに離宮に行け? 一晩ゆっくりと自邸で過ごすこともさせずに? いつものことながら、陶王后の扱いに雄元は腹が立った。身内だからと甘えている。

「では、そのように」

 ただ、気になっていた「神人」の蘭姫のことを王后も公子英も知らない様子だった。大王は誰にも彼女の存在をもらさなかった。陶雄元は、この件に関しては慎重にならなければならないと思った。

「疲れているところ、悪いが、そういうことだ。気をつけて離宮に行ってくれ」

 公子英は心底、申し訳なさそうに陶雄元に言った。

 ――従兄ながら、これがつぎの王と考えると、頭が痛いな……。

 自嘲気味に微笑み返しながら、雄元は公子英に頷いてみせた。


「どういうことでしょう。この待遇は!」

 一番、憤慨したのは、陶謁だ。

 横にいる李政賢は乱れた鬢を払いのけながら、冷静に分析する。

「王后は私たちに危機感を抱いているのです。陶王后は同族とはいえ、陶将軍の軍権は強くなりすぎた。警戒されて当然です」

「それにしても、あからさまではありませんか」

 陶謁は拳を握って悔しさに耐えていた。

「まぁ、仕方がない。王后が言うように離宮に行ってみよう。案外、大王はそれほど悪い状態ではないかもしれない。ご命令さえ、頂ければ軍は都の中に入れる」

 雄元はできるだけ、楽天的になろうとした。

「陶謁。とにかく、お前は屋敷に戻り、着替えや当面必要なものを用意しろ。そして風呂に入ってこい。臭うぞ」

「それはお互いさまです、将軍」

 雄元は白い歯を見せた。そして小声になる。

「女ものの着るものも密かに用意しろ」

 陶謁が兵車の車列を振り返る。今は馬車に乗っている蘭姫に関しては密かにことを運ばなければならないことをすぐに理解したようだ。

「……新しいものを誂えている時間はありません。亡母のものでよければ、すぐに用意できますが?」

「それでいい。気づかれるなよ」

「御意」

 陶雄元は李政賢は軍を、陶謁には身近なことを頼むと、兵車に乗り込み馬首を東に向けた。安震と二百人ばかりの騎兵だけが供となり、疲れた馬の尻に鞭を打つ。ここから離宮まで四十里。

 ――日暮れには間に合うといいんだが……。

 民の歓声とともに出迎えられると思っていた雄元は、兵たちにすまないことをしたと思いながら、兵車を走らせ、冷たい風に打たれた。

 ――蘭姫はどうなるのだろうか。

 重病の大王が側室を求めているとは思えない。蘭姫を捕らえることが密命であったことからして、なにか重要な鍵がそこにあるのではないかと雄元は思った。ただ、それが彼女の身に悪い方へと転ばないことを祈るばかりだ。戦時には情を消し去る彼にしては珍しい心の動きだった。

「日が暮れるぞ、安震。急げ」

「はっ」

 日が西へと向かいはじめていた。


 雄元が、離宮を囲う人工湖の前に立った時、黄昏はまだ空を赤くし始めたばかりの頃だった。

 兵車がとまり、彼が馬車から降りると、後ろから蘭姫も現れた。旅の途中までは、大口を叩いていた彼女も、もう口を開く元気もないようで、雄元が与えた上衣を頭からすっぽりと被り、顔を隠して瞳だけを彼に向けた。

「ここは?」

「ここは離宮だ」

 蘭姫はあたりを見回した。

 巨大な湖は、民の使役によって作られた人工の湖で、作られるのに二代の大王の時を要した。

 そしてその中心に高い壁に囲まれた宮殿が建つ。優美な角楼が四隅にあり、朱漆の柱が夕焼けに映えていた。それを守る衛兵たちも、戦場などには無縁の揃いの革鎧を着て、立派に見える。土埃だらけどころか、敵の血か味方の地か、それとも自分の血かもわからぬ黒ずみで汚れた自分たちと比べると雲泥の差だ。だが、雄元はそれに気づかぬふりをした。

「大王がここで静養されておられる。そなたはここに連れて来るように言いつかった」

「そう?」

 蘭姫は興味がなさそうに相づちを打ち、銀色に輝く門楼の甍を見上げる。

「行こう。ここからは舟だ。人工とはいえ湖だ。それなりの深さがある」

 雄元もここに来るのは二回目だ。

 一度目は子どもの頃に大王に拝謁するために呼ばれた。その頃の大王は、威厳があり、黒髪に豊かな髭を蓄え、豪快に酒を呑んで笑う人だった。それが近年、年のせいか、猜疑心が強くなり、また迷信の類いを信じ、そして偏屈な人に変わっていた。だが、振り返れば、多くの国を我が物とし、国を一人で巨大化した名君であるのは間違いない。陶雄元も王后の甥という理由だけでなく、軍功により信頼されている。

 横に立つ蘭姫が口をあんぐりあけた。

「――人工ということは、この湖は人の手で作られたのですか」

「ああ。我が国は豊かで湖だろうが、海だろうが、作りたければ作れるのだよ」

 少し誇らしげに陶雄元は言ったが、万という民を使役して作った、恐ろしいほど無駄な建物だった。

 蘭姫は北風に乱れた髪を耳に挟んで辺りを珍しげに見回していた。林には紅葉した葉をわずかに残した木々があり、かさかさと葉が足元に飛んでくる。

 雄元は用意された舟に乗り込み、手を蘭姫に貸そうとしたが、それはすっと無視され、わざと彼女は舟が揺れるように着地した。けれど、舟が漕ぎ出されると、透き通った水の中を珍しそうに見つめる。鮠が舟に驚いてすっと逃げて行く様や、水草が水面に顔を出しているのを指でふれたりする。

「あまり深くはなさそうですね」

 蘭姫が顔を上げた。

「ああ。守城のための湖ではないからな」

「では馬でも渡れたでしょう」

「馬だって脚が濡れるのは嫌だ。どうして舟があるのに馬に乗ろうと思うんだ?」

 そう言って雄元は、これが彼女の初めての舟であることに気づいた。蘭姫が上手く恐怖心を隠しているから気づかなかったが、宮殿奥深くで暮らした「神人」である人が舟に乗る機会などなかっただろう。

「怖いなら、こべりにしがみ付いていればいい」

 蘭姫は居住まいを正した。

「わたしに怖いものなどありません」

 しかし、彼女は明らかにつぎにやってくるだろう運命に怯えていた。いや、怯えまいとしていた。

「そなたは『神人』だ。悪いようにはされないだろう」

 重病の大王が側室の一人に加えるとは思えないし、大王が元気な時ならいざ知らず、狭量で嫉妬深い王后がそんなことを許さない。

「着いたようだ」

 船着き場に舟が泊められ、離宮の衛兵たちが将軍のぼろぼろの姿に驚きながら、手を貸して陸へとあげてくれた。もたもたしている蘭姫の手は無理やり雄元が取り、上陸を手伝う。そして狭い階段を案内のまま上がっていけば、広い宮殿の前庭に出た。

「不思議なところ……」

 蘭姫が一人ごとを言うのも仕方ない。雄元も同意だ。

 この人工の島は正方形でできている。そして目の前にあるのは円形の宮殿なのだ。そのてっぺんに北斗七星を象った青銅の飾りが平行につけられて回っている。

「石像? 麒麟?」

 前庭を貫くように一本の道があり、その左右に馬車数台分ほどの大きさの石像が並べられている。麒麟であったり、龍であったり、象であったり、駱駝、牛。あるいは悪獣と呼ばれる気持ちの悪い体は牛で角がある人面の悪獣、饕餮とうてつ、など悪獣の類いまでだ。

「不気味……」

 美しいというべきところを「不気味」と呼ぶのはどうだろうか。石像ももう少し抽象的にすれば女子どもを怖がらせることもないだろうが、牙をむいて白虎がこちらを見ている姿は確かに、今にも動き出しそうだ。

 興国の国費を傾けてまで作られた大理石の通路にしろ、噴水にしろ、どこをとっても完璧な場所では、白い孔雀が羽を広げ、白い猿が木に枝で木の実を食べている。美しいようで、確かになんとも薄気味悪いというのは、足を踏み入れれば踏み入れるほど、陶雄元も同じ気持ちにならざるを得ない。

「陶将軍」

 金属がするような音がして、ふと顔を上げれば、そこに銀髪に紫の瞳の男がいた。にこやかな笑みは、白粉をはたいたかのような白い顔に張り付き、紅を塗ったような赤い唇は口角を上げている。女のような優男。それが雄元の第一印象だ。たしか、それは十歳の時のもの。それからまったく目の前の人の容姿は変わっていない。二十五歳くらいの顔は、今も同じで麗人というのにふさわしい静かな瞳と優雅な所作で、拝手をした。

「公子」

「こちらが、大王がおっしゃっていた蘭姫ですか?」

「はい……」

 彼女は頭から被った頃もから片目だけをこちらに向けて、公子を見て、拝手を受けると、そっとそれを返した。 

 ちょうど夕日が落ちて行き、地平線へと沈む寸前だった。東の空は群青で夜に侵され、西の空は一日の最後を飾ろうと刹那の燦めきを発していた。

「公子隷です、以後お見知りおきを」

「蘭姫です……」

『隷』とは変わった名だ。親からもらった名のだろうか。誰かに隷属するという意味だろうから、屈辱を意味しているに違いない。しかし、それを名乗ることを、目の前の人物は一向に気にしない様子だった。

「大王がお待ちです。すぐに――と申し上げたいところですが、さすがにその姿での拝謁は差し障りがありましょう。湯に浸かり、垢を落としてからの方がよいでしょう。蘭姫も少し疲れが癒やされましょう」

 蘭姫はそれが正直ありがたかったようだ。もう半月近く湯に浸かるどころか、体を拭うことさえできていない。砂漠を駆け巡る砂や、雨の後の泥濘、兵馬の糞尿、そしてなにより、彼女の父母一族の血がついた衣を脱げる。自分が、そういう点に無頓着であったばかりに、彼女に気を遣ってやらなかったことに、雄元は申し訳なく思った。道中で、女の衣一枚用意することなど造作もなかった。

「どうぞ、将軍」

 公子隷が一歩歩いた。

 するとちゃりんと音がする。

「あなた――」

 背後で蘭姫が絶句する声がして、公子隷の足元を雄元は見た。

 ――金の足枷……。

 初めて彼と会った十歳の時も衝撃だったが、今もしていることにさらに雄元は驚いた。金の足枷には赤玉ルビー天藍石ルビー、瑪瑙、真珠、翡翠が象嵌されており、豪奢この上ないが、枷であることに変わりない。

「見苦しいものをお見せしましたね、蘭姫」

「それは?」

「私を飾る、この国でもっとも高価な装飾品ですよ。王后もお持ちでないとか」

 冗談のように嫌みを公子隷は雄元に言う。だが、蘭姫はすぐに顔を上げた。

「あなたももしかして『神人』なの? この国の?」

 真剣な面持ちだった。

「ええ、蘭姫。そうです。わたしもまたかつて天から射落とされた太陽の末裔、『神人』です」

 陶雄元は蘭姫の未来を公子隷に見た気がした。



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