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天二問フ  作者: 微雨
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 興国の兵士たちは、蘭姫が馬に乗れることを意外に思った様子だった。

 馬に跨がるのは、異民族か兵士くらいで女がすることではないと思われがちだ。しかし、寧国は北西に国があり、異民族と交流も多い。彼女が馬に乗れるのは、さほどおかしなことではないし、蘭姫は好んでしていた。

「なかなかの綱さばきだ」

 草原の道々、雄元が駒を並べて言った。

 蘭姫は逃げるつもりはなかった。そもそも、逃げてどこへ行こうというのだ。運命は東を指しているのは、巫覡の長が国が滅ぶ前に言ったことだ。興国に行くのは運命だった。 彼女はたった一本だけ、彼女の頭に残っていた翡翠のかんざしを器用に使って髪をまとめると、顎をあげて手綱を握る。

「干し肉だ」

 雄元が馬上から肉を差し出してきた。蘭姫は無言でそれを受け取る。そして硬い肉を前歯で精一杯噛み切った。肉特有の臭みと塩味が、涙の味を思い出させたが、蘭姫は歯で何度もかみ砕き、飲み込んだ。こんな臭くまずいものを食べたのは初めてだった。それでも食べなければ死ぬ。いつ、つぎに気まぐれに雄元が食事をくれるともしれない。

 それを不思議そうに雄元が見る。

「なんですか」

「いや……神人も肉を食うのかと思ったまでだ」

 蘭姫は腹を立てた。無礼な男だ。

「わたしは、肉も食べれば、酒も飲みます」

「結局のところ、神人と人間の違いはなんだ?」

 彼の興味は一貫してそれのようだ。話題をかわすのに飽きた蘭姫は視線を雄元に向けないまま答える。どうせ、誰か寧人に聞けば、天地が二つに分かれた時代から、今日に至るまでの歴史と伝承を神人という希有な存在とともに語るだろう。おかしな知識を入れられるより、自分で説明した方がいい。

「母はわたしを二十ヶ月身ごもりました」

「二十ヶ月?」

「ええ。生まれると、わたしの背には大きな「日」の太古の文字の痣がありました。国は吉兆に喜んだと聞きます」

 雄元はなるほどと顎に触れた。

 嘘は一つもついていない。

 蘭姫は空を見上げた。太陽はかつて、十あったという。その九つが射落とされて地上に落ちた。その一つが寧国に落ちたのだ。やがて、時折、公族に「神人」と呼ばれる人が生まれるようになった。それは各国でも同じだろう。興国にも「神人」がいても不思議ではない。

「それで神人はなにができるのだ」

「未来を予言したりでしょうか」

「なら、なぜ、寧国の滅びを予言しなかったのだ?」

 心底不思議そうに、陶雄元は訊ね、蘭姫は怒りを飲み込んだ。

「天は王たる者に天命を授けるのに、どうして、やがて異姓の者にこれに代わらせるのでしょうか?」

「お前は面倒な女だな。質問を質問で返すのは礼にかなっていない」

 礼を陶雄元に語られるのは笑止千万だ。礼のなんたるかも分かっていないというのに。

 蘭姫は、それ以上、雄元を相手にせず、草原に一本立っている木の花を手折った。名もない花だ。赤くつつましやかな小さなはなぶさをつけている。

 一面の青い草原は、風で薙いでいく。波のようでもあり、雲のようもあった。

 そんな世界でその赤は反抗的に色をつけていて、蘭姫は髪に飾った。

 草原をまっすぐ、時にうねりながら丘陵を進み、風で髪が揺れる。いつか、興国に足を踏み入れるだろう。そうしたら、自分はどうなるのだろうか。雄元に聞いてみたいと思う反面、知りたくもなかった。戦の後に起こる後宮の女たちと同じ悲劇の身になるのは想像したくなかった。

 ――いい風……。

 蘭姫は話しかける雄元を無視してしばしの自由――この大地の一部であることに集中しようとした。しかし、後ろから馬蹄の音がこちらに近づいてきた。振り返ると、若い青年だ。十九くらいだろうか。まだ若さが見えるが、雄元によく似た精悍な体つきで、整った顔立ちをしている。違いはまだ、戦地で地獄を見ていないのだろう、純朴な瞳と、朗らかな笑みだった。

陶謁とうえつどうした?」

「落とされましたよ」

 陶謁と呼ばれた男が持っていたのは、蘭姫の翡翠のかんざしだった。雄元がそれを男から受け取り、投げるように蘭姫の方に渡した。そして、顎で男を指す。

「俺の従弟の陶謁だ」

「…………」

「蘭姫だ。この者に質問をするな。もっと難しい問いが返ってくるだけだ」

 陶雄元が笑った。彼の下を歩いていた歩兵も話を聞いていたのだろう。くすりと笑って、やがて数人がげらげらと笑い出す。蘭姫は不快だったが、文句を言ってもしかたない。力はいざというときに温存しておかなければならない。

「陶謁と申します。よろしくお願いします」

 陶謁は好青年だった。敵ではあるが、「礼」をそれなりに知っている。

「わたしは蘭姫です」

 彼女はそれだけ答えた。陶雄元がびっくりした顔をして左右の歩兵に賛同を求めるように言った。

「ほう、俺には素っ気ないが、陶謁にはなかなか優しいではないか」

 からかいの声だ。

 蘭姫は背筋を正した。

「礼には礼を返す。それぐらいは敵味方でもするでしょう」

「なるほどな。「礼には礼」だそうだ」

 するとまた歩兵たちが笑う。彼等は、敗戦国の公主が必死になって誇りをかき集めて、できる限りの抵抗を言葉でしているのが、おかしいのだろう。

「蘭姫はいい。なかなか面白い。戦で笑うことなどそうはないが、旅が退屈しなさそうだ」

「そんなことを言って、寝首を掻かれないようにした方がいいのでは? 陶将軍」

 蘭姫は果敢に言った。

「ほう? 俺の寝所に入ってくれるのか? 美しい女に寝所で首をかっ斬られるのも悪くない。汚い歩兵に槍で殺されるより、よっぽどいい。そうではないか?」

 歩兵たちがげらげらと卑猥に笑う。

 蘭姫は手綱をぎゅっと握った。

 そこに陶謁が苦笑して間に入る。

「まぁ、まぁ」

 陶雄元が皓歯を見せた。

「お前もこたびの戦では大役を務めて功を上げたな。出世は間違いない。初陣とは思えぬ活躍だった」

「功だのと。後軍で兵糧の手配をしていただけです」

「それが滞れば、全軍に影響する。お前の功は大きい」

 陶雄元は従弟の背を馬上から叩いた。どうやら、信頼関係があるらしい。蘭姫はどうでもよくなった。青年は意気揚々とし、陶雄元は勝利に誇らしげだ。悲しみと悔しさをかくして強がるのにも限度がある。蘭姫は、質となった自分にただ一つ、供をしてくれているこの翡翠のかんざしを握り締めると、馬の腹を蹴った。

「はっ!」

 逃げたと思ったのか、歩兵たちが慌てて走って来たが、雄元の馬も陶謁の馬も動かなかった。どうせ逃げられないと思ったのか、逃げられてもこんな辺鄙なところでは、飢えて死ぬかオオカミの餌になるかのどちらかになると思ったのか――。いや、蘭姫が惨めさで、ただ泣きたくなったのだと分かっているのだろう。

「はっ」

 蘭姫は馬を走らせて草原を駆けて、駆けて、駆けた。息が切れ、馬が疲れを見せるまで駆けた。そして、馬の背からどさりと降りると、大の字になって寝てみた。

「白い雲……」

 浮雲はいったい、どこから来て、どこへ行くのだろう――。

 旅鳥は、寧国の上を飛んでいくのだろうか。

 草の匂いがさわやかで、雨を感じた。土は豊かで、もうここは興国なのかもしれない。それでも、まだ道は寧に繋がっている。帰ることはもうないだろうが、最後の「自由」を味わいたかった。

 涙が頬を伝う。しかし――。

「蘭姫殿」

 見ると、馬上から陶謁がこちらを見下げていた。蘭姫はそれを無視して、真っ青な空を見つめていたが、彼は下馬すると、蘭姫の腕を掴んで引き上げると立たせた。そして手を貸して馬上に乗せた。

「驚かせないでください」

「聞くに堪えられない会話が嫌だっただけです」

 蘭姫が普段のような言葉を使うと、陶謁は微笑み、自分も馬に飛び乗る。

「将軍が心配されています」

「なら、自分でくればいいのに」

「将軍は全軍の指揮を執っておられます。列を乱してはなりません」

 そんなことは蘭姫にも分かっている。ただ言ってみただけだ。真面目な陶謁もよい話し相手にはなりそうにない。

 蘭姫は、目を細めて地平線を見た。

 草原の蒼。

 空の青。

 長い列は赤い「陶」書いた旗を何万も翻して、一本の線を大地に刻んで歩んでいる、寧の財宝を連れて。

 ――感傷は今日で最後にしよう……。

 蘭姫は涙が出そうな瞳をぎゅっと瞑り、嗚咽に耐えると、目を見開いた。そこには「生きる」決意だけがあり、零れそうな涙の粒は長い睫毛が辛うじて支えて止めた。

「興国はどんなところですか」

 蘭姫は初めて自分から敵国のことを陶謁に訊ねてみた。

「大きな国です。とても大きな――。なにもかもが、そこにあります。ないものなどありません」

 それは、蘭姫にとって十分な答えだった。


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