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天二問フ  作者: 微雨
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 蘭姫らんきが目を覚ました時、手に縄がくくられていた。体は石のように固く、ここがどこで、自分はどうして縛られているのか分からぬまま顔を少し上げた。体に掛けられていたのは厚手の黒い上衣でひどい男の臭いがして柳眉を寄せる。

「ここはどこ?」

 だれともなく問うが、答えはない。ただ、一筋だけ、窓から斜めに差す光があった。揺れから馬車であるのがわかった。

「あ、ああ……」

 蘭姫は思い出した。

 国は興国の軍に包囲され、そして城攻めにあった後、宮殿にまで迫り、父は国の君主として宝剣を振るって死んだことを。しかし、それからの記憶は定かではない。だが、蘭姫は馬鹿ではない。その後に敵に捕まり、質として連れて行かれるのだとすぐに理解して喉が仕えたように苦しくなった。

 それでも蘭姫はよろよろと立ち上がると、柵のある窓から外を見てみた。多くの兵士が馬車を囲っている。

 ――これでは、とてもとても逃げられない。

 興国軍は勝利に洋洋とし、顎をあげて誇らしげに戈を持って歩いている。「陶」と書かれた赤い旗が風にはためき、勝者の威厳をみせている。

 方や、故国、寧の土地は不毛で、乾いた土がひび割れていた。あしが申し訳程度に生えているだけで、痩せ細った民が施しを求めて兵士たちに椀を差し出して救いを求めては、追い払われているのが、なんとも哀れだ。

 ――宮殿が燃えている……。

 微か遠くに黒い煙がうっすらと見えた。

 ――もう寧はないんだわ……。

 蘭姫の胃の腑にどしりとしたものが落ちてきたが、涙はもうなかった。国の滅びは、国の巫覡たちがもう三年も前から口を酸っぱくして父に説いていたことだったからだ。だが、父は聞き入れようとはしなかった。否、聞き入れてはならなかった。国が滅びるなど、あってはならないのだから。

 準備は万全だったはずだ。

 しかし興国は中原の覇。寧国は天地が分かれることなく混沌としていた時代から国があると自負する古い国ではあるが、小国ゆえに、北西へ北西へと追い払われてしまった民族である。民は貧しく、兵も三万しか用意できなかった。どうして十万の興国に対抗できようか。

「預城だ。休めるぞ!」

 馬車が大きく揺れて、速くなった。危うく倒れそうになった蘭姫は慌てて態勢を整える。

「お恵みを」

「お恵みを」

 言葉でまだここは寧国なのは間違いない。なまりに聞き覚えがあった。

 民を飢えさせてしまった罪は公族にある。つまり自分だ。

 黄金で飾られた豪奢な宮殿で、朝晩、食べられぬほどの食事をしてきた。その罪が今、目の前にある。

 馬車は「預城」と書かれた門の下を通り過ぎ、街の中に入った。そこは、城の外より少しはましとはいえ、民の顔は暗い。興軍に強奪などはされていないとようだが、店などは一つも開いていておらず、埃ばかりが舞い散る枯れた街だった。皆、埃を避けてか頭から被り物をしていたり、口元を布で覆っていたりする。

「降りろ」

 突然、馬車が停まったかと思うと、ひげ面の大男が後ろの戸を開けて言った。急にたくさんの光が差し込み、蘭姫は両手で顔を覆う。大男は、厳めしい顔をしたが、どうしたものかと思ったようで、落ちていた上衣を拾い上げると、身を半分馬車に入れて、蘭姫を引っぱった。

「無礼は許さない!」

 蘭姫は強気で言った。

「これを被ってろ」

 男は無駄口は叩かぬとばかりに、蘭姫の挑発には乗らずに、酷い臭いのする麻の上衣を頭から彼女に被せた。それを払い落とそうとしたけれど、野次馬たちがこちらを見ているのに気づくと、これが顔を隠すためのものであると気づいた。

 しかし――。

 それが公族だと分かったのだろう。

 誰かが小粒の石を一つ投げた。

 すると、一人、二人ではなく、皆が石を投げはじめる。

 なぜ?

 蘭姫は天をおろそかにしたことは一度とてない。神人と呼ばれる、「人でない存在」として生まれた彼女は、常に巫覡たちとともに祭祀をし、天を祀り、地を崇め民の平穏を祈った。なのに、どうして? どうしてこのような理不尽な目にあわなければならないのだろう? 

「散れ!」

 大男が一喝すると、つぶてが飛んでくるのが止まり、兵士たちが戈で民を追いやる。蘭姫はつぶてが飛んでこないことに安心したが、民が興国兵に脅かされるのにも心が痛む。矛盾しているが、咀嚼できない思いというものは、いくらでもあった。

「こっちだ」

 暗い建物の中に入り、階段をいくつか上った後に、男の足が見え、その者が頭から被っている衣を蘭姫の頭から引き剥がした。

「名はなんという?」

「…………」

「名だ。名はなんという?」

 男は若かった。二十五くらいだろうか。銅盤のついた鎧を着ており、獣面のついた兜が無造作につくえの上に置いてある。美丈夫と言っていい。日焼けした顔は健康的で、体つきもいい。眉は太く、瞳は静か、戦争の後で初めて見る、明るい笑みの人だった。蘭姫は言い淀みそうになったが、辛うじて答えた。

「蘭姫」

「蘭姫か。寧国の祖先神は鳥だと聞いたことがある。それでか?」

「…………」

 蘭姫はなんと答えていいのか分からなかった。彼の出で立ち、そして部下たちの様子から、彼こそが敵将である陶雄元であると悟ったからだ。すでに三カ国を滅ぼしたという伝説の将軍は四十くらいの年齢かと思っていたが、そうではないらしい。

「将軍。あまり、強い語気では蘭姫さまが驚きましょう。さあ、手の縄をほどきますので、れいなどいかがですか」

 もう一人、部屋にいたのは、文官風の男だ。陶雄元とは対照的に日に焼けてもおらず、細い手足に体など動かしたことのなさそうな様子で、蘭姫に席を勧めた。彼女は怒りをかろうじて隠すと、努めて冷静に席につく。

「さあ、どうぞ。喉が渇いたでしょう」

 ひょろりとした男は噂の李政賢だろう。馬にも兵車にも乗らずに、傘のついた貴族の乗り物に乗って移動する変わり者の軍師という噂で、興人ではないらしい。なまりですぐに蘭姫にも分かった。

 陶雄元が蘭姫が被っていた上衣を着た。彼のものだったようだ。

「蘭姫は神人だと聞く。その通りなのか」

 陶雄元は少し探るような声で聞いた。

「人はそう言います」

「神人と人間とどう違う?」

「種族でしょう」

 雄元が黙った。そして話題を変えようと思ったのだろう。立ち上がって窓を開ける。どうやらここは、城の高殿にいたようだ。街並みが見え、その城壁の向こうに不毛な大地が見えた。

「ここは預城という街だ。もとは寧国の領土だが、包囲するとすぐに降伏して、わが興国の城となった」

「そうですか」

「寧国は民を搾取しすぎた。小国でありながら、兵役に民をかり出し、耕作する者を失って、民は飢えた」

 蘭姫は笑いたくなった。

 兵役を無理に民に科したのは、興国の侵攻を巫覡たちが、三年も前から予言していたからで、それゆえに国は疲弊した。

「我らは寧の民を救うつもりだ。今までよりよい生活をさせようと思っている」

 それはまるで「安心せよ」と言っているように聞こえるが、全くの茶番だ。馬鹿らしい。

「寧の民の飢えを理由に戦争を仕掛けるのは、正義なのですか」

「…………」

「戦こそ、民を疲弊させる最大の原因ですのに?」

「蘭姫……」

 陶雄元は眉を寄せた。感情は見えないが、反論したくないのは分かる。変わりに、軍師李政賢が穏やかな手つきで、もう一杯、醴を注いだ。

「蘭姫は聡明で貴い神人です。我らの知らぬことを多くご存じだ。私のような地の僕である人間とは違います。しかし、一つだけ、同じ亡国の人間として忠告していいでしょうか」

「…………」

「質となったからには、あまり勝者に逆らわぬ方がいいのではないでしょうか。普通、質というものは、殺してくれと言うか、殺さないでくれと懇願するものですよ。それこそ、質の礼儀というものです」

 蘭姫は醴の入った漆の耳椀を置いた。

「わたしに残されたものは誇りだけ。それを失ったら、生きる意味も死ぬ意味もないのではありませんか。李殿? 卑屈になる必要はどこにもありません」

 彼は自分の名前を蘭姫が知っていたことに少し驚いたように目を見開いたが、すぐに笑顔に戻った。

「確かにその通りです」

「ここは風が入りますね」

「え、ええ」

「死とはしょせん、魂魄の魂が天へとゆき、魄が地に返るだけのこと。ただ、何も知らぬ民の怨嗟の泣き声が風と共に通り抜けていくのは、なんとも悲しいことです」

 蘭姫は窓の遠く、預城の街を見つめた。

 ――わたしはどこに連れられてどうなるの?

 不安は当然ある。しかし、恐怖心は決して見せてはならなかった。果敢な公主を演じなければ、寧という国の存在をだれも思い出しはしなくなるのだ。

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