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三十話め リーダーです!

「君、名前は何というのかね?」


 初老が似合わない口髭を撫でて問いかけてきた。

 彼は先程から一貫して手元の書類を眺めている。


「アンナ・ヴロンスキー国家保安少尉です」


「なるほど。君の話はよくカレーニンから聞いているよ」


 彼は書類を綴じると、たばこに火を点けた。

 口に含んだ紫煙をこちらへと吹きかけてくる。

 少し臭いが鼻についた。


「さて、君は私のことを知っているかね」


「勿論です、同志。いまより小さい頃から新聞やポスターなどで見ていました」


「そうか、随分と知れ渡ったものだな」


 再び煙草を口にくわえた男の名前は、ヤーコフ・ヴァレンティノフ、党書記長であり、そして国家そのものと言っても良い。

 朕は国家なり、という言葉があるが、まさに彼こそがこの国家そのものだった。


「茶でも入れてはくれないかね。君は随分と上手いと聞いている」


「承知いたしました。すぐに」


 どうして私が彼と対談しているのかと言えば、正直なところその理由は分からなかった。

 カレーニンさんに党本部に連れられたと思えば、ヴァレンティノフさんと顔を会わせることになったのである。

 そして、これ幸いと言った様子で、カレーニンさんは私を置いてまた別の仕事に行ってしまった。


 うわー、恐ろしい!

 心中そのように嘆いたところで、やはり現実は変わらない。

 私はあんまり権力者と関わるのが得意ではないのだ。

 慰めてくれるのは記憶の彼ばかりである。


「お待たせしました」


 急いで準備を進めて、ヴァレンティノフさんの前にカップを置いた。

 彼はそれを一瞥すると、私に目を向けて言う。


「これを飲め」


「私が、ですか?」


「ああ、その通りだとも」


「承知しました」


 ……暗殺対策だろうか? 私は彼の前でこれを淹れたというのに、全く用心深いものだ。

 ……彼の偏屈症がおそらくそうさせるのだろう。


 落とさないように気を付けつつも口をつけた。

 そして、ソーサーに戻した。

 彼、ヴァレンティノフさんと目があう。


「さて、君はその茶をどう思うかね」


「高いお茶だと思いました。あんまり茶葉にたいする造形はありませんが」


「そうか、実際それは外の方から輸入していてね。君たち内務局にも手伝いを貰っているのだよ」


「……我々ですか」


「私の飲むものに万が一が起こり得る。これが君は何を意味するか分かるかね?」


「何を意味するのでしょうか」


「民族的崩壊だ。この国に私は必要不可欠なのだよ」


 何とも傲慢な話である。

 彼は国家のようなものだが、しかしこれは彼が国家であることを意味しない。

 仮に彼が死んだところで、次の指導者が現れることだろう。

 いずれにせよ、崩壊はさせないとも。

 我々も、内務局も舐められたものだ。


「ところで君、君から見てカレーニンはどんな人間かね」


「天才です。他に類を見ない、内務局にとって必要不可欠な存在です」


「それでは今の局長はどうかね」


「彼は……これは内密な話でしょうか?」


「……それは私の判断による」


「そうですか。すると、彼は全くの無能です。司法を腐敗させる、忌むべき、人民の敵です」


 この間に、できる限り目線を泳がせないことにした。

 悩みというのは、他者の礼賛にも信用の毀損にも、どちらにとっても全く必要のない感情だ。

 これは情報の精度を疑わせる。


「私はだね、同志ベズノフの仕事についてはある一定の評価をしている。彼は進んで仕事をしてくれるのでね」


 置かれた紅茶を手に取った。

 ある程度ぬるくなったであろうそれはソーサーにぶちまけられる。


「しかしだね、同時に彼の保身には私にとって、いや我々にとって全くの害であった。そして、忘れてはならない事実がある。彼は反革命なのだよ」


「……反革命ですか」


「彼は人民の敵を匿う、忌むべき敵であるのだ。汚れた血の流れる貴族趣味、国家最低のテロリストだ」


 彼は罵りの声を挙げ続けて、最終的に言ったことは全くシンプルなことだった。

 単に「殺せ」という一言である。

 そして、これは妄言にはならないだろう。なんたって、彼はまさに国家なのだから。

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