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09話:結婚の目的

 その日の夜、立てこもって自室で寝ると言って聞かないアマリアと、そうは言っても王命だからとなだめるラヤとが、わあわあ言いながら揉み合っていると、部屋の扉が無慈悲にノックされた。

 ロトゥンハーシャだった。彼は心底疲れきった様子で、告げた。


「奥方様。陛下のお部屋までご案内いたします」


「結構ですっ!」


「そうおっしゃると思いました」


 ふう、とため息をついて、ロトゥンハーシャは声をひそめた。


「……残念ながら、あなたが勘違いしているような、みだらな用件ではありませんよ。今までの待遇の理由について、陛下が直接お話しになるそうです」


「なっ、わ、わたくしは、別にみだらなっ、……え、本当に?」


「嘘などついてどうします。早く支度なさい」


 そういうことならば、行かねばなるまい。アマリアはラヤに頼んで、なるべく飾り気も色気もない、地味な仕立ての服を選んでもらった。そして、怒ったような顔をして、先導するロトゥンハーシャについていった。

 内心は、緊張と不安でいっぱいだった。


(真夜中に、男の人の部屋を訪ねるなんて。いや、話をするだけ。それだけだから、きっと平気。

 ……本当に? 名目上、私とあの人は夫婦なわけで、あの人は私に手を出したって問題にならないわけで。ああ、イェラ神国から出発するまで、さんざん泣いて覚悟したはずなのに、やっぱり、怖い。いざとなったら、あんな背の高い男に勝てっこない。どうしよう……)


 立ち止まりそうになるのを何度も踏ん張って、床をにらみながら、アマリアは歩いた。「こちらです」と言われて顔をあげた時、ロトゥンハーシャは彼女の目をじっと見つめて、言った。


「オルヴェステル様は、あなたの思うような、恐ろしくて、乱暴な、話の通じない方ではありません。そう怯えなくてもよいのですよ」


「……嘘です。これまで、話、通じませんでした」


「理由があったのです。そして、今からそれをあなたに説明してくださいます。さあ、涙は拭いて」


「泣いてません!」


「はいはい。……大丈夫ですからね」


 ロトゥンハーシャは苦笑して、扉を叩いた。「お連れしました」と彼が告げると、すぐに「入れ」と返事があった。視線で促され、アマリアは二度、深呼吸をしてから、思い切って敷居をまたいだ。


 しんとした部屋だった。アマリアが初めて城へ来た夜、自室を寂しげな部屋だと思ったものだが、この王の部屋は、それに輪をかけて何もなかった。

 棚には本も置物も無くがらんどうで、うっすら埃が積もっている。灯りは置かれず、とにかく暗い。ただただ広く、却って空虚だ。

 見かねたロトゥンハーシャが、持っていた燭台をアマリアに手渡し、そして去っていった。扉が閉ざされ、二人きりになったはずの部屋で、もう一人のことを、アマリアは目を凝らして探さなければならなかった。


「……失念していた。魔族でないから、()()がきかないのか」


 声のする方に燭台を向けて、ようやくアマリアは、彼を見つけることができた。

 部屋の主、オルヴェステルは、闇に溶け込むようにして、案外近くに立っていた。彼は、ゆらりと片手をもたげ、円卓を指差した。


「座ってくれ。話をしよう」


 アマリアはうなずき、椅子にかけた。燭台を卓に置き、向かい合って座れば、なんとか相手の顔が見えた。

 美しいが、鋭く、険しい顔立ちだ。だが、これまでと違って、氷のような薄青い瞳に、冷たい敵意はやどっていなかった。オルヴェステルは、表情の無い目でアマリアをじっと見つめた。そして、端的に切り出した。


「これまで、すまない」


「え、……あ、はい」


「良かれと思ってやったことだが、つらい思いをさせた上に、予期せぬ事態になってしまった。事情を伏せているのも限界のようなので、方針を変えて、お前にも説明することにした」


「はあ……」


 アマリアは面食らった。そのうちぎゃふんと言わせてやると息巻いていたこともあったが、こうもあっけなく謝罪されては、肩透かしである。

 オルヴェステルは淡々と話し始めた。いつぞやのような、威圧的な恐ろしい声ではなく、少しかすれた、疲れたような、静かな声だった。


「どこから話すべきか……。そうだな、まずは、お前を妻にと望んだ経緯。それから、部屋に閉じ込め、孤立させようとした理由についてだ」


 彼は、ふと尋ねた。


「アマリア。イェラ人のお前は、この平原の歴史と、魔族(ナイトメア)について、どれだけ知っている?」


「ラヤから聞いて、多少は。四つの民族が暮らしていたが、魔族はずっと虐げられてきた。しかし、『ダースラーンの秘術』以降は、力を得て、復讐を行い、平原の支配者になったと」


「そうか……」


 オルヴェステルは、しばし目を閉じた。


「では、いま魔族が困窮し、追い詰められていることは、知っているか?」


「え……?」


 思いがけない告白だった。

 だが、振り返れば確かにそうだ。この城は、豊かで広大な平原の支配者の、本拠地であるはずなのに、人も物もろくに足りていない。園丁キーラタは穴の空いた上着をずっと着ていたし、料理人ジョサムは限られた食料でやりくりしている。みな、わずかな資源を切り詰めて、細々と暮らしている。

 オルヴェステルは、暗い声で語った。


「ラヤが語ったという、それらの歴史は、嘘ではない。我々はこれまでに獣族(ガルー)の村を焼き、鳥族(ハルピュイア)の都を沈め、そして竜族(ドラコ)の立てこもる砦を崩そうとしている。今や(しん)(しゃく)平原のほとんどすべてを手中に収め、暗い洞窟の底ではなく、日の当たる大地の上で暮らすことができる。

 ……だが、天を治める神々は、我ら魔族が地に栄えることを、良しとしなかった。地上の支配権を得たその直後から、我々の国土と民は、奇妙な呪いに蝕まれるようになった」


「呪い?」


「そうとしか呼べない。まるで理屈のわからぬ、おかしな出来事が、各地で次々と起こり始めた。

 獣族の牧場を奪って手に入れた家畜たちが、乳を出さず、病で次々と死ぬようになった。

 毎年、黄金の稲穂が水面のように揺れていたはずの畑が、乾いてしなびた、弱々しい麦しか実らせなくなった。

 そして、魔族の女たちは、どれだけよく食べ、やすらかに過ごしても、身ごもった腹の子が流れるようになった。いつしか、孕む者さえ現れなくなった。

 ……魔族は、()えることができなくなったのだ」


 オルヴェステルは、両手の指を組んで、深々と息をついた。


「二十年だ。復讐が始まってから、じつに二十年間、我々はずっとこの『呪い』に(さいな)まれ、それを解決するすべを見出すことができなかった。

 そんな時だった。捕らえた竜族の捕虜を尋問した『炎の大公』が、三日月山脈の頂に住まうという、神の血を引く一族……その中でも、とくに力が強いと言われる、聖王女についての情報を手に入れたのは」


 アマリアは、ひとつ腑に落ちた。イェラ神国とまったく関わりのなかった魔族たちが、ああも強引に、そして性急に、おのれを王妃にと要求した訳が。


「では、あなたが望んだのは、国同士の姻戚関係ではなく、あくまで女神の力の持ち主だったのですね」


()()望んだ、というより、()()()()()強く望んだ。炎と、鉄と、涙とがな」


「陛下は、違うと」


 彼は、わずかに顔をしかめて、うなずいた。


「そうだ。私の目的は、大公たちとは食い違う。聖女の身柄と、その能力についての情報を、彼らに渡すわけにはいかない。

 だから、誰からも情報が漏れないようにしたかった。イェラの侍女たちは追い返し、お前自身も部屋に閉じ込めて孤立させた。

 そして、いずれは適当な理由をつけて、神国に送り返そうと思っていた。能力は王家を飾るための誇張に過ぎなかったとか、聖女は病がちでろくに立ち歩けもしないとか、そうした嘘で大公たちをごまかして」


 アマリアはあっけにとられた。では、求婚の手紙と、城へ来てからの待遇との温度差は、王と大公が秘密裏に対立した結果だったのだ。


 だからといって、仮にオルヴェステルの計画通りに事が運んだとしても、アマリアにとってはいい迷惑だ。

 嫁入りしてすぐに追い返された王女など、傷物扱いされると決まっている。ましてやイェラの聖王女。巫女としての勤めにも差し障る。

 彼は気まずそうに目を伏せた。


「……お前には、納得できない理由だろう。迷惑だったのは、わかっている。

 私は、大公の中で唯一の味方であるロトゥンハーシャと結託して、意図してお前を冷遇した。お前が自ら魔族を嫌い、恐れ、関わりを()って閉じ籠もってくれるのを期待していた。すまない」


 オルヴェステルは頭を下げて詫びた。恐ろしい侵略国家の王とは思えないほど、ためらいのない謝罪だった。


 (だからって、簡単に許せることじゃない)と、心がささやいていた。(怒鳴ったっていい。私はそれだけのことをされた)と。

 だけど、アマリアはどうしても、この寂しげな男を(ののし)る気にはなれなかった。代わりに、怒ったような表情を作って、問うた。


「なぜ、今さら明かす気になったのですか?」


「お前は私の想定より、何倍も行動力があったからだ」


 オルヴェステルは、困った顔で、即答した。


「孤立させられても、あっという間に味方を作り、私と交渉を持とうとした。それが失敗したら、部屋から脱出さえしてみせた。

 世の中には、こんな王女がいるのかと驚いた。これではまるで、……いや」


 何かを頭の中から追い払うように、首を横に振って、彼は言った。


「とにかく、お前は結果的に、鉄の大公や涙の大公と出くわしてしまった。

 私は、今までのすべてが裏目に出たと思った。

 同時に、シシルエーネや使用人たちから聞いた、お前の人柄を(かんが)みて、却ってすべてを明らかにしたほうが、協力に応じてくれるのではないかと考えた。それで、今夜急ぎ呼び出したのだ。お前が大公たちと、これ以上接触する前に。

 これまでの仕打ちに対して、虫が良すぎる話だと思うが、私に力を貸してほしい」


 アマリアは少したじろいだ。

 このオルヴェステルという人物は、相手の目をまっすぐ見て話す。この数日間、()()(たい)(てん)の敵だったはずの男なのに、つい肩入れしたくなる何かを持っている。

 それでも、簡単にうなずくことはできなかった。納得いかないことが、いくつも残っていた。アマリアは、そのうちのひとつを尋ねた。


「あなたの目的に力を貸すというのは、要するに、大公たちにわたくしの能力を秘め隠したまま、いずれ婚姻を破棄して、神国に帰ってほしいということですね?」


「そういうことになる」


「陛下は、『呪い』を解き、民を救うかもしれない力を、なぜ望まないのですか? あなたは王。民を守るべき方なのに」


 そう、なによりそこだ。

 家畜は病み、土地は腐り、民は苦しんでいる。

 その『呪い』を止めるために、協力してくれと言うなら、わかる。しかし、それを望んでいるのは、実際は大公たちなのだ。オルヴェステルは、彼らを妨げようとしている。

 王は、目元をぐっとしかめて、苦い顔をした。


「……大公たちが『呪い』を解いて成し遂げたいことは、結局のところ、単なる殺戮なのだ」


 アマリアの心臓が、一瞬すっと冷えた。殺戮。(えん)のない言葉だ。自分はおそろしいことに巻き込まれつつあるのだと、彼女はこのとき、思い至った。


「大公たちは、異民族をひたすらに憎んでいる。だから、たとえ魔族が滅ぶとしても、その前に他の三民族を一人残らず滅ぼせたのならば、それで構わないという。彼らにとっての『呪い』とは、資源の供給を滞らせ、自国の兵士が増えなくなるだけの、侵略の足枷でしかない。民族の存亡の危機など、()()なのだ」


 中庭での出来事が思い出される。鉄の大公ギルンザディンは、アマリアの能力を確認するためだけに、なんのためらいもなく、キーラタの足を刺し貫こうとした。あんな輩に手を貸せば、確かにろくなことにならないだろう。

 オルヴェステルの青く光る目は、強い意志をやどしていた。


「私は、違う。魔族に未来を残さなければならない。そのためには、『呪い』の影響で(とん)()している侵略戦争を、再開させるわけにはいかない」


 燭台の炎が揺らめいた。部屋は寒いはずなのに、アマリアは、背中をじっとりとした汗が流れ落ちるのを感じた。

 いま、判断を誤るわけにはいかない。アマリアの選択は、自分ひとりだけではなく、魔族の、そして平原全体の運命を左右する。

 緊張で胸が痛かった。乾いた唇を湿し、硬いつばを呑み下して、アマリアは尋ねた。


「なぜあなたは、みずから選んだ重臣たちと意見を違えてまで、そう決意なさったのですか?」


 わずかにためらったが、オルヴェステルは打ち明けた。


「……シシルエーネのためだ」


「王太子様の?」


 彼はうなずいた。


「先王ダースラーン……私の伯父が、亡くなる直前に、私に言った。『シシルエーネを頼む』と。あの子に玉座を返すまで、私は魔族を滅ぼすわけにはいかないのだ」


 なるほど、とアマリアは思った。

 先王の甥であるオルヴェステルは、(ぼう)(けい)の王族だ。本来の継承順は、(ちょっ)(けい)であるシシルエーネのほうが上位のはずだ。しかし、シシルエーネはまだ幼すぎる。乱世であれば尚更に。

 ……アマリアは、はっとして問うた。あの子の年齢につきまとう謎について。


「シシルエーネ様は、何者なのですか?

 十八年も前に亡くなられたはずの先王のご子息が、なぜ、ほんの五、六歳ほどの幼子なのですか?

 それに、あの子は不思議なことを言っていました。『三日も連続で起きてたぼくが、今日も起きてるなんて、誰も思わない』と……。あれはいったい、どういう意味? あの子はいったい何?」


 オルヴェステルは、苦しげに沈黙した。しかし、やがて観念したように、口を開いた。

 彼が明かしたのは、血なまぐささに彩られた、ひとつの悲しい秘密だった。


「シシルエーネは……『呪い』の、一番の被害者なのだ」

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