表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/44

06話:シシルエーネ

「ごめんなさい、このお部屋、使ってたんだね」


 小さな(ちん)(にゅう)(しゃ)は、そう言ってぺこりと頭を下げた。


「こんにちは。ぼく、シシルエーネ。よろしくね!」


 どうやら、それが名前らしい。身なりや仕草に気品の片鱗をまとわせながらも、屈託のない素直なようすが愛らしい。利発そうな金の瞳は、好奇心にきらきらとかがやき、この陰鬱な魔王城をここだけ明るく照らし出すようだ。

 良い子そうだ。アマリアもつられて笑顔になった。


「アマリアです。こんにちは、シシルエーネ」


「アマリアお姉さん、このお部屋で何してるの?」


「わたくしは、ここで暮らしています。一週間前、お城に来たばかりなのです」


「そうだったんだ! ごめんね、ぼく久しぶりだから、ここ空き部屋だと思って……、あっ」


 シシルエーネは言いさして、つんととがった耳を小さく震わせた。


「……いけない、もう来た。お願い、隠して!」


「ええっ?」


「かくれんぼなの! 早くしないと、ハーシャが来ちゃう」


 なるほど、それで空き部屋を探していたのか。

 いたずらっぽい笑顔を見れば、協力せずにはいられない。アマリアは衣装棚に少年を匿った。戸を閉める間際、シシルエーネはにこにこして念を押した。


「誰が来ても、ぼくはいないよって答えてね」


「ふふ、分かりました。お任せください」


 一連の出来事を見ていたラヤは、おろおろした様子で、「あの、アマリア様……」とつぶやいた。

 しかし、それに問い返す間もなく、部屋の扉が強く叩かれた。飛び込んできたのは、血の大公ロトゥンハーシャだった。見るからに焦っている。彼は挨拶もそこそこに、早口で尋ねた。


「失礼。小さな男の子がここへ来ませんでしたか?」


「さあ、存じません。ねえ、ラヤ」


「え、ええ」


「……そうですか。いったいどこへ……」


 と、そこへ「へくちっ」と、くしゃみの音が棚から響いた。

 室内の全員が固まった。


 ロトゥンハーシャは表情を変え、無言でつかつかと歩み寄ってきた。アマリアはむきになってそっぽを向いた。


「……存じません!」


 おそろしい力がアマリアの両肩を掴んだ。

 びくりとおののく彼女を、ロトゥンハーシャはものすごい形相で怒鳴りつけた。


「嘘をつくな! ふざけていないで白状しろ、どこに閉じ込めた!」


「は、ハーシャ、やめて! 違うんだよ、そのお姉さんは何もしてないよ!」


 剣幕におびえ、衣装棚からシシルエーネがおおあわてで飛び出してきた。彼はロトゥンハーシャの足元に駆け寄り、その服の裾をぎゅっと握った。


「ごめんねハーシャ、ぼく、ハーシャをびっくりさせたかったの。このお部屋は使ってるって知らなくて、ここに隠れようと思っただけなの。怒らないであげて、ハーシャ。ぼくが勝手に入ったの」


「………………そうでしたか」


 深い安堵のため息とともに、ロトゥンハーシャはアマリアから手を離した。そして、ずるずると崩れ落ちるようにして、シシルエーネの前にひざまずいた。


「お怪我はありませんか、シシルエーネ様。体に触れられたり、妙な真似をされたりは?」


「何にもないよ、平気」


「それはようございました。ここへは、もう来てはなりませんよ」


「え……、うん、分かった……」


 シシルエーネは、ロトゥンハーシャとアマリアを、ちらちらと遠慮がちに見比べた。そして、アマリアにはにかんだ。


「それじゃ、アマリアお姉さんの方から、ぼくに会いに来てね。ぼくのお部屋、この近くだから」


 ロトゥンハーシャは遮るように言った。


「なりません、シシルエーネ様。この方は、部屋から出られません」


「どうして?」


「どうしてもです。陛下が決めたことなのです」


「やだよ、ぼく、お姉さんと仲良くなりたい!」


「できないのですよ、シシルエーネ様。陛下の言うことが聞けませんか?」


「でも……!」


 アマリアは目をぱちぱちとしばたたかせた。

 軟禁解除のために、思わぬ加勢が入ってくれた。ロトゥンハーシャは、ならぬならぬと説教しているが、シシルエーネにはそれほど強く出られないらしい。


 しかし、大公にかしずかれて、さらにわがままを通そうとできるこの子は、いったいどういう立場の人物なのだろう?


 アマリアは戸惑いながら、なりゆきを見守った。シシルエーネは頑として主張を曲げず、ロトゥンハーシャはなんとかそれをなだめようとしている。ラヤはすっかり困り果て、早くこの状況が収束するのを祈るかのように、胸元でぎゅっと手を組んでいた。


 そんな中、示し合わせたかのように、その場の全員が、ふと一斉に、同じ場所を振り向いた。


 部屋の入り口。開け放されたままの扉。

 戸口に現れたその人影は、物音ひとつ立てなかったが、無視できない圧倒的な気配をまとっていた。

 地を這うような低い声。


「何を騒いでいる」


 闇色にうねる髪、氷色の鋭い眼差し。

 仰ぎ見ることを強いる威圧的な長身。

 魔王、オルヴェステルがそこにいた。


 みながすばやく立ち上がり、深々と頭を下げた。アマリアも急いでそれに(なら)った。

 シシルエーネだけが、特段(かしこ)まることもせず、オルヴェステルに駆け寄った。


「にいさま! このお姉さんをお部屋に閉じ込めてるって、本当なの?

 ぼく、お姉さんと仲良くなりたいのに、ハーシャは駄目だって言うんだ。にいさまがそう決めたからって。どうして、このお姉さんと仲良くしてはいけないの?」


 オルヴェステルは、シシルエーネをじっと見下ろした。そして、(もく)したまま、冷たい視線をアマリアへと向けた。

 背筋にぞくりと震えが走った。

 仮にも夫婦だというのに、こんな目でにらみつけてくるだなんて。暗く険しい目つきは、刃にも似て突きつけられ、一切の親しみを感じさせなかった。

 彼は、シシルエーネではなく、アマリアに(げん)を返した。


「……外出は許可しない。たとえ、この子を利用して訴えても無駄だ。ここから出るな」


「利用……!?」


 何を言われているのか分からず、アマリアは混乱した。しかるのち、胸のうちにカッと怒りが沸き上がった。


(まさか、私がこの子に入れ知恵して、私の主張を代弁させたと思われているの!?)


 アマリアはむきになって言い返した。抑えたつもりだったが、隠しきれない激情が声音からにじみ出た。


「わたくし、シシルエーネとは、つい先ほど出会ったばかりです。利用だなんて心外ですわ」


「お前と関わりの深い他の使用人たちからも、同様の訴えが出ていると聞く。無関係ではあるまい」


「それは、わたくしの扱いが不当であると、誰の目からも明らかだからでしょう! 魔族というのは、夫が妻を、理由もなく軟禁する民族だとでもおっしゃるのですか!?」


 我慢の限界だ。ついにアマリアは、目の前の男を怒鳴りつけた。

 泣きそうな表情で縮こまるラヤも、血相を変えるロトゥンハーシャも、今は目に入らなかった。今までの鬱憤をまるごとぶつけるようにして、アマリアはオルヴェステルに食ってかかった。


「そもそも、我が祖国イェラと貴国の間には、これまで国交の一つもございません。それをあなたは、武力で脅して、わたくしを無理に呼び寄せた。そして問答無用で軟禁して、そのうえ、わたくしと親しくしてくれる人々にまで、妙な疑いを向けるというのですか!

 大層ご立派な身分ですわね、魔族の王というものは! 古くは民と親しく過ごし、助け合って暮らしてきたと聞きましたが、そうした慈愛の精神までは、継承できなかったとお見受けいたします。あなたの横暴ななさりようを見れば、草葉の陰のご先祖様も、さぞかし鼻が高いでしょうね!」


 ありったけの罵声を吐き出し終えて、アマリアはぜえぜえと肩で息をした。

 残響が去り、部屋に残ったのは、あまりに重苦しい沈黙だ。ラヤは涙目で、ロトゥンハーシャは怒りに震え、シシルエーネは訳も分からずただ固まっていた。

 オルヴェステルだけが、眉の一つも動かさず、平然と佇んでいた。

 やがて、彼はぽつりと言った。温度のない平坦な声だった。


「なんであろうと、外出の許可はしない。(ゆえ)あってのことだ。部屋にいろ。みだりに他者と話すな」


 身を翻して、王は立ち去った。静まり返った部屋で、ロトゥンハーシャは非難がましい目でアマリアをねめつけ、シシルエーネを急かした。


「さあ、シシルエーネ様。我々も戻りましょう」


「うん……。お姉さん、ごめんね。またね」


 控えめに手を振るシシルエーネに、苦笑いで手を振り返す。『また』がいつか来れば良いのだが。

 招かれざる者たちはすべて帰った。アマリアは、全身の空気をしぼり出すような、深い深いため息をついた。


「……わたくし、大変な国に来てしまったのね」


 大公には掴みかかられるわ、王には訳も分からぬ冷遇を受けるわ。おまけに、子どもと話すだけで、妙な言いがかりをつけられるとは。

 ラヤはしょんぼりとうつむき、無礼な男たちの代わりに弁明をした。


「陛下のお考えは分かりかねますが、ロトゥンハーシャ様があのように怒鳴ったのは、おそらく、ご不安のためなのかと……」


「不安?」


「ロトゥンハーシャ様は、シシルエーネ様の教育係であり、()(てん)()なのです。お体の弱いシシルエーネ様のお姿が見えず、我を忘れたのだと思います。シシルエーネ様がお生まれになったその時から、ロトゥンハーシャ様はずっと、そのおそば付きですから」


「そう、親子のようなものなのね。……ところで、あの子は何者なの? 陛下の弟君?」


 王に『にいさま』と呼びかけていた。ただ者ではあるまい。

 ラヤは答えた。


「いえ、それに近いですが、違います。シシルエーネ様は、先王ダースラーン様の唯一の実子であり、王太子様です。

 オルヴェステル様とは、従兄弟(いとこ)関係になります。本来は正統な王となるべき方なのですが、まだ幼いため、今はオルヴェステル様が王なのです」


「ダースラーン王の息子……! あの『秘術』の!」


 国の最重要人物のひとりではないか。アマリアは両手で口をおおった。


(ロトゥンハーシャも焦るわけだ。私、王太子誘拐犯だと思われてたわけね……。

 というか、ラヤが内緒にしようとした『大公様の大切なお役目』って、これか)


 自国の王太子が病弱であるなどとは、たしかに侍女の口からは言い難い。

 しかし、重臣に幼子の面倒を見させつつ、王妃の世話役まで任せるとは、この国は本当に人手不足らしい。


 そこでふと、アマリアは首を傾げた。


(あれ? ダースラーン王が亡くなったのは、たしか十八年前だよね。

 あの子、五歳くらいに見えたけど……どういうこと?)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ