05話:魔なる民族
明くる日、ラヤは書物や巻物を持ってきて、魔族の歴史について説明してくれた。
「私たちは、今ではこの平原のほとんどを治めていますが、昔は、そうではありませんでした。魔族はとても弱く、そして踏みにじられ続けてきた民族だったのです。力を手に入れたのは、今からほんの、二十年前のことなのです」
ラヤが語ったおおまかな内容は、アマリアの前世、真理がゲームで見知った情報と、それほど相違なかった。
簡単にまとめると、次のようなものだった。
この神杓平原には、古くから四つの民族が存在する。
ひとつは、獣族。狼の耳と尾を持つ。屈強な体躯と獰猛な性格によって、平原のほとんどを支配していた。多くの畑や家畜を有し、武家を中心とした社会を築いていた。
ひとつは、鳥族。背に大きな翼を持つ。美しい姿と声によって、旅芸人や行商人として各地に受け入れられてきた。北東の海岸沿いに都市を持つが、決まった土地に定住しないことが多い。
ひとつは、竜族。鱗に覆われた尾と角を持つ。優れた知性と技術力によって、外洋の他国と交易を行っている。領土こそ南東の半島のみだが、最も豊かで強い国家を築き上げている。
そして、いまひとつが魔族。柳の葉のように長くとがった耳と、闇の中で発光する瞳を持つ彼らは、忌まわしき悪魔の民族として、長きにわたる迫害を受けていた。
なぜ、魔族は忌み嫌われてきたのか。
その理由は、とある言い伝えのためだ。
『魔族に近づくと、生気を吸い取られる』
『畑を枯らし、家畜を病ませ、老人を死に至らしめる』
それらの言い伝えはまことしやかにささやかれ、実に数百年もの間、魔族は排斥され、駆除され、抹殺され続けてきた。
そして、それに抗うための力を、魔族は持ち合わせていなかった。
魔族たちは各地を追われ、平原の最北辺、山際に存在する秘密の地下洞窟に、息を潜めて隠れ暮らすしかなかった。暗く冷たい地の底で、わずか一万人足らずの魔族たちが、不遇を託っていたという。
しかし、転機が訪れる。
先代の魔王ダースラーンは、天才的な魔術師だった。今から二十年前、彼はその才知と命のすべてを費やして、禁断の魔術を編み出した。
『ダースラーンの秘術』と呼ばれるその魔術は、魔族たちの肉体に、際限のない力を与えた。
力は強く、身のこなしは素早くなった。病に罹らなくなり、傷はたちどころに癒え、そして老いにも強くなった。
超人と化した魔族たちは、異民族たちに対して、これまでの報復を行い始めた。村を襲い、街を焼いて、土地を次々と侵略した。
生き残った獣族と鳥族は、そのすべてが降伏し、奴隷となった。魔族たちは、ダースラーン王の甥であるオルヴェステルを新たな魔王として戴き、いまだ抵抗を続ける竜族たちと戦い続けている。
これが、ラヤ及び前世のソーシャルゲームが解説してくれた、魔族たちの背負う歴史である。
(そして、そんな魔族による侵攻に抗うために、ゼノたちによる抵抗組織が生まれた。『スカデン』では、プレイヤーはゼノたちの味方として、魔族と戦っていくことになる。
……私がトロくて、そうはならなかったけど……)
ひっそり落ち込む。やはり、魔王城に来るべきではなかったかもしれない。
ラヤたちと平和に過ごしていると忘れそうになるが、『スカデン』のストーリーで描かれてきた、魔族たちによる残酷な支配は、目を覆うほどの描写だったのだ。プレイヤーの助力を得られなかったゼノたちは、うまく立ち向かえるだろうか……。
浮かない表情のアマリアを、ラヤがそっと覗きこんだ。
「アマリア様、大丈夫ですか?」
「えっ? あ、ええ」
「……決して明るい歴史ではありませんから、イェラの聖女であるアマリア様にお聞かせするには、血なまぐさかったでしょうか。申し訳ございません……」
「謝らないで! わたくしが教えてと頼んだことです。それに、もうわたくしは、この国の王妃です。国を知り、国を守る責任があります。気を遣ってくれるのは嬉しいけれど、包み隠さず教えてちょうだい」
「……はい! ええと、それでは次に、王と大公についてお話しいたしますね」
ラヤはほっと息をついた。少なくとも、この人懐っこい少女と友人になれたことは後悔すまい、とアマリアは思った。
「魔族の王家の興りは、二百年ほど前と言われています。各地の魔族が洞窟へと逃げ延びた折、流民たちを導いて取りまとめた人物の血族なのだそうです。
私たちはみな、王族に敬意を払い、同時に親しみも抱いてきました。これまでの王様は、私たち平民と同じ場所で暮らし、ほとんど変わらぬ生活を送りながらも、常に導き助けてくださったのです」
(へえ。庶民派の王族なんて、まるでイェラ神国みたい。いや、イェラ王族は神の子孫とされているから、魔族の王家は、それよりもっと身近なのかな)
アマリアは、いちおう夫であるはずの、魔王オルヴェステルの顔を思い浮かべてみた。
ぎらついて冷たい、抜き身の刃のような人だった。
……まったく庶民派とは思えない。
そもそも、初めてこの城に来たとき以来、彼は一度も会いには来ない。それほどアマリアを疎んじているのか、あるいはまったく興味がないのか。
(どんな顔だったか、そのうち忘れちゃうかも)
王妃の内心は露知らず、ラヤはいくつかの資料を示しながら、説明を続けた。
「一方で、大公というのは、とても新しい位です。
二十年前に『ダースラーンの秘術』が発動し、その二年後に、お力を使い果たしたダースラーン様は崩御なさいました。跡を継いで即位なさったのが、先王の甥御である、オルヴェステル様です。
当時、弱冠十七歳だった陛下は、自身の補佐役として、四人の異能力者たちに『大公』の位をお与えになったのです」
「異能力者? ラヤ、それって?」
聞き慣れない語に、身を乗り出す。
「『ダースラーンの秘術』の副作用のようなものです。四人の大公たちと、そして陛下が、人知を超えた力を持っています」
「へえ。大公と、王が……」
「例えば、ロトゥンハーシャ様は、血液を操ることができます。
傷口からあふれようとする血を、念じるだけで押しとどめ、正しい方向へ流すことが出来るのです。それから、肺に溜まった悪い血を速やかに吐き出させたり、血でさまざまな形を作って道具の代わりにしたり。
だから『血の大公』と呼ばれているのです。あの方は、医師として多くの将兵から頼られています」
アマリアは、あっとつぶやいて思い出した。城に来たばかりの夜、あの腹立たしい一幕を。
(血で短剣を作って、私を脅した、アレか!
ていうか、あいつ、あの性格で医術師なんだ!)
私は死んでもあいつの世話にはならないぞ、と、アマリアは勝手に決意した。わざと苦い薬や痛い治療法を使ってくるに違いない。そんな根拠のない確信があった。
反抗心を燃やしている間も、ラヤの話は続く。
「……そうした特別な能力を持つ四名は、戦いの要として、多くの魔族たちの人望を集めていました。
だからこそ、若くして王になった陛下は、彼らを大公に任じて、自らの重臣として迎えたのです。
当時はまだ、獣族や鳥族と戦っている最中で、今よりずっと危険で大変な時期でしたからね」
「なるほど。確かに、乱世のさなかに王が変わって、しかもまだ若いとくれば、味方の士気に障りがありそうです。オルヴェステル様は、大公たちの助けを得ることで、それを防ぎ、地盤を固めたかったのですね」
相槌を打ちながら、アマリアはふと気づく。
「そういえば、他の大公たちは、お城にはいないのですか?」
「他の皆さまは、それぞれ領地を任されていて、普段はお城にいません。ロトゥンハーシャ様だけは、他に大切なお役目があるので、領地を持たず、お城で暮らしておられます」
「大切な役目?」
「はい。それは……、あっ」
ラヤは、はっとして自分の口元を押さえた。そして、困った様子で小首を傾げた。
「……これ、私がお話ししても良いことなのでしょうか?」
「機密なの?」
「ええと、何と申しますか……」
ラヤは気まずそうに口ごもる。隠し事でもあるのだろうか?
そこへ突然、部屋の扉がバンと開いた。
音にぎょっとして、二人はそちらを振り向いた。
駆け込んできたのは、五、六歳くらいの、小さな男の子だった。
肩で切り揃えられた黒髪、星をそのまま埋め込んだようなきらめく金の眼。仕立ての良い服に身を包み、わずかに息を切らせている。
男の子は、きょとんとした表情で「あれ?」と言った。
アマリアは、ラヤが小声で「あっ」と呟いたのを、聞き漏らさなかった。