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40話:サヴォク平野の戦い・前編

 雪さえ降ってもおかしくない時期だったが、この日は、夜明け前からすっかり晴れていた。天の神々が、太陽という眼をしかと見開き、地の人々を見定めんとしているかのような快晴だった。

 じりじりと昇りゆく陽をにらみながら、サヴォク平野につどった人間たちは、互いの運命を分ける戦いが始まるのを、じっと待ち構えていた。


 連合軍は、東を背にして布陣した。最前列に竜族(ドラコ)の盾兵と鳥族(ハルピュイア)の弓兵、最後列に投石機と竜族(ドラコ)の工兵を並べ、その中間に獣族(ガルー)魔族(ナイトメア)が横陣に並んでいる。


 アマリアは、オルヴェステルらとともに、中央後列の本隊にいた。遠眼鏡を持つスコルフスが、相対する敵の陣容を観察して、所感をつぶやいた。


「あれは(しゃ)(せん)(じん)ですな。前の騎馬隊が混血で、後ろの歩兵隊が純血か。混血を先に突撃させて、後から本命の純血が前進してくるという計画なのでしょうな」


 アマリアは、軍事のことはよくわからない。

 「わたくしたちは、被害を抑えて戦えるでしょうか?」という曖昧な問いに、スコルフスは軽くうなずいた。


「おそらくは。敵方の混血騎兵隊の狙いは、我が軍の側面または背面に回り込んで、後からやってくる純血歩兵隊と連携して挟み撃ちにすることでしょう。

 しかし、そのためには、我が軍の弓兵による矢の雨の中を、突っ切ってこなければなりません。

 上手く切り抜けたとしても、その後彼らがぶつかる相手は、歴史に名高き獣族の騎兵隊です。ここの当たり合いは、まず負けることはありますまい」


「よかった……。弓兵や盾兵は、敵の騎兵に負けませんか?」


「ご安心あれ。本来は、騎馬突撃を防ぐ柵や(ごう)を用意できればよかったのですが、それらがなくとも、やりようはあります。

 我ら竜族の大盾部隊は、敵の槍騎兵より何倍も長い槍を有しております。無策に突撃してこようものなら、敵の槍が我らの盾に触れる前に、我らの(やり)(ぶすま)で敵が串刺しになるのみです。

 そして、この部隊は、積極的な攻撃を騎兵隊に託しており、自分たちは堅陣を敷いてその場に留まります。前進を前提としていませんから、本来の弱点である部隊側面にも、大盾と長槍を構えて待ち受けているのです。

 敵に少しでも観察眼があれば、盾への突撃は控えるでしょう。弓兵たちは問題なく守られ、大量の矢を存分に射続けることができます。仮に矢が不足した場合、彼らはそれこそ空を飛んで、補給に戻ることができるでしょう」


 解説を聞いているうちに、アマリアの心は落ち着いてきた。

 すべてを理解できたわけではない。

 だが、どうやら連合軍は、良い兵、良い策を有しているようだ。彼女はほっと胸をなでおろし、頼もしい兵たちの背中を眺めた。


 しかし、スコルフスは遠眼鏡をにらみ、小声でぼそりとつぶやいた。


「ただ……気になるといえば、敵の部隊がずいぶん小分けなことですな。我が軍は五百人単位で一部隊としておりますが、向こうはどうも五十人単位だ。『呪い』のために馬の質で劣る敵方が、なぜ数の不利まで背負うのか……。混血兵たちを無駄死にさせるだけではないか?」


 それが戦況にどう影響するかわからなかったので、アマリアは首を傾げるしかできなかった。




 ぎらつく冬の太陽が、天の中央に達した。

 双方は、もはや口上を交わすこともなく、互いの旗を振り、軍鼓を鳴らして進軍を開始した。


 まずは大方の読み通り、敵の混血騎馬兵が前進してきた。鳥族たちは弓射でそれを迎え撃つ。敵は細かく散開し、被害を抑えようと試みた。

 だが、スコルフスは騎馬兵を自由にさせなかった。彼の手旗信号を見た竜族の工兵が、一斉に投石機に取り付いて、慣れた様子で射撃を始めた。

 木製の投石機は、ねじりをくわえた縄によって力を蓄え、遥か彼方までものすごい勢いで石を飛ばす。大地に無数の影を落としながら頭上を飛んでゆく巨岩の塊を、アマリアはぽかんとして見上げることになった。

 工兵たちの照準は見事だった。事前のアマリアの希望通り、敵兵を直接石で叩き潰すことはせず、しかしすれすれの地点を狙って、次々と石を撃ち込んだ。敵の馬はおびえて暴れ、騎兵たちは進路を阻まれて立ち往生した。そこへ、鳥族たちの矢が降り注ぐ。多くの敵部隊が統率を失って崩れた。


 スコルフスは、遠眼鏡を見て、ほほえんだ。


「よい調子です。……狙い通り、混血たちは停滞し始めました。彼らは戦意が低いので、投石による威圧を受け、すっかり逃げ腰です」


 それでも、一部の部隊は、投石の間を縫うように駆けて、なんとか突破を試みていた。それを受けて、前列側面に位置するレラールは、槍を天に振りかざし、おのれが率いる獣族騎馬隊に喝を入れた。


「突破してくる部隊を叩く! 一人の敵も通すな! 今こそ我らの武勇を見せるときだ! ゆくぞ!」


 獣族たちは、身もすくむような雄叫びとともに、馬を駆けさせて突撃を開始した。

 騎兵同士の衝突は、圧倒的な力の差があった。馬の質も、人数も、士気も、何もかも獣族が(まさ)っていた。陣形を生き物のように変化させながら、縦横無尽に食らいついてくる獣族の軍勢に、混血たちは、ついにたまらず逃走し始めた。

 レラールは、腹の底から声を出し、部下たちに命じた。


「深追いはするな! 出てくる敵だけ叩け! 他の味方と足並みを揃えろ!」


 多くの兵は、それに従い、馬の足を緩めて追撃は控えた。

 しかし、一部が暴走した。レラールの視界の端に、突出して敵に追いすがる味方騎兵隊の姿が見えた。


「あれは、マルヨンの隊か……! ――おい、下がれ! 追い過ぎるな!」


 声は届いているはずの距離なのに、従士マルヨンの独断専行は止まらなかった。槍を振り立て、血煙を巻き上げながら突進する彼らは、明らかに殺戮に酔っていた。


(くそっ。やつは母と妹を魔族に攫われ、ひと一倍、混血を憎んでいる。俺の命令を無視して、止まらぬつもりか)


 レラールは苦い顔で舌打ちし、直属の兵たちに命じた。


「マルヨンらを孤立させるわけにはいかん。俺たちも行って、連れ戻すぞ」


 兵たちは「応ッ!」と吼えた。返事を背に受け、振り向きもせず、レラールは馬を駆けさせた。




 前列の壊走を眺めながら、バーンソルドは、ほくそ笑んで自軍の混血たちを褒めた。


「よしよし。なかなか上手いじゃねえか」


 彼は、舌なめずりして、隣の部下に命じた。


「鉄色の旗を挙げろ。始めるぜ、俺たちもな」




 突如、目の前に壁が現れた。

 レラールは、行く手を阻むそれに目をみはり、回避のために馬を旋回させた。


(なんだ、これは。鉄の壁? ……そうか、敵の異能力か)


 その壁は、防壁としては奇妙だった。高さは人の腰ほどまでと低く、その代わりやたらと厚みがある。壁というより(ひら)(だい)だ。色は(ねずみ)(いろ)で、表面に細かな凹凸があってざらついている。


 弓矢も視界も阻めぬ代物だが、邪魔であることに変わりはない。レラールは先行するマルヨン隊の位置を確かめた。彼らの前にも同じような台壁があったが、馬を跳ねさせて壁を登り、そのまままっすぐ突っ切ろうとしていた。


(……魔王の話では、鉄の大公の異能力は、敵を直接貫くようには、金属を生成できないらしい。どこかの平面から、何もない空間へせり出すようにして、物を作ると。それならば確かに、この壁に登ったとて、下から串刺しにされる心配はなかろうが……)


 レラールが敵の意図を図りかねていると、遠くへもう一つ、今度は高い塔のようなものが、タケノコのように現れた。

 その天辺に、赤一色の流れ旗が揺れた。敵の弓兵もいるようだ。彼らは、塔の上で弓を引き絞った。

 矢の先に、ぼっと一斉に炎が灯る。


(今度は、炎の異能力か! だが弓兵の数は少ない。それほどの被害には……)


 レラールは、矢をかわすために、己の兵に移動を命じた。

 マルヨンたちは、まだ鉄の壁の上を駆けているが、塔の弓兵には気づいているはずだ。きっと問題なく対応するだろう。レラールはそう信じた。


 果たして、敵の火矢は放たれた。

 狙いは、レラールでも、マルヨンでもなかった。矢は、そのすべてが、マルヨン隊の駆ける鉄の壁に突き立った。

 そして、壁はどろりと溶けた。


「なっ……!!」


 赤い炎は、鉄の壁を舐めるように燃え盛り続けた。壁はみるみる溶け出して、マグマのように広がり、マルヨンたちの乗る馬の足を呑み込んだ。


 けたたましい悲鳴が満ちた。べっとりとまとわりつく極熱に、馬が(さお)()ちになり、兵が落とされる。その兵をも、(よう)(てつ)が絡めとる。聞いていられない無残な絶叫が次々とあがった。


 レラールは、部下に叫んだ。


「鉄から離れろッ! これは敵の罠だッ!」


 彼女らは、馬を疾走させた。しかし、逃げても逃げても、至るところに新しい壁が現れた。塔の上では、次なる火矢が構えられている。

 見れば、他の部隊も、敵方の混血兵たちさえも、鉄の壁によって分断され、迷路の中に囚われていた。


「鉄と、炎……! クソッ、大公どもめッ! 連合軍と真面目に戦うつもりなど、最初から無かったということか!」


 レラールは、血を吐くように罵った。その瞬間、第二陣の火矢が放たれた。




 溶ける鉄の壁は、その素材の名を、(ねずみ)(ちゅう)(てつ)と言った。

 通常の鉄の融点が一千五百度であるのに対し、溶かして()(もの)に使われる鋳鉄は、一千二百度から溶け始める。

 鉄の大公は、もとは鍛冶師だ。日毎の生成量に限界のある彼にとって、昔から馴染みのある鋳鉄は、少ない負担で大量に生成できる、格好の素材だった。




 スコルフスが、鳥族たちに緊急の射撃命令を出すのを、アマリアは真っ青になって見ていた。

 獣族の騎兵たちを助けようとする懸命な弓射は、しかし、即席の高塔の上に陣取った敵の火矢部隊には当たらない。下から上に弓を撃っても、まともに届かないのだ。


「あの高さまで飛んで射れば……!」


 同じことを思ったらしい鳥族の一部隊が、翼の音も高く飛び立ち、塔の頂上へ迫った。

 しかし、彼らは弓を引くことさえできなかった。塔へ近寄った鳥族たちを、火のない普通の矢が出迎えた。無数の矢に貫かれて落下する屍を、アマリアは呆然と眺めた。


 スコルフスが、おのれの前髪をぐしゃりと乱した。


(はか)られた……! あの小分けの部隊編成は、このためのものだったのだ! 散り散りに逃げるふりをして追手を引き寄せ、部隊間をあの溶ける鉄で分断し、足場を無くして焼き尽くすつもりだ!

 私の見立てが甘かった! まさか敵将が、おのれの混血兵たちをもろともに焼き殺すような、非道な策をとる輩だったとは……!」


 彼は必死な形相で叫んだ。


「オルヴェステル! あの塔にいるバーンソルドを、今すぐ止められないのか!」


 オルヴェステルは、歯ぎしりした。


「……今は正午だ。塔の上に、私の出られる影はない」


「だが、なんとか対処しなくては! 炎の大公による火矢か、鉄の大公による壁の生成か、どちらかだけでも!」


 そうは言っても、どうすれば。

 人々は、青い顔を見合わせた。


「――両方だ!」


 絶望的な雰囲気を割いたのは、ゼノだった。彼は、スコルフスの背を叩いて、覇気のある声をぶつけた。


「両方止める、それしかねえだろ! いいか、俺たちは鉄の大公を倒す。あんたたちは、何とかして上を止めろ! ……魔王、行くぞ!」


 オルヴェステルと『黄昏の灯』はうなずきあうと、弾かれたように一斉に駆け出した。

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