04話:負けるもんか
翌朝、アマリアの伴った従者たちは、魔族の衛士たちに連れられて、神国へと送り返された。
アマリアは、その二人に、感謝や謝罪を伝えることさえできなかった。許されたのは、城の回廊をゆく彼女たちへ、二階の自室の窓から手を振って見送ることだけだ。
心配してくれて涙ぐむ従者たちの、その目を見るのはつらかった。せめて己は泣くまい、と、アマリアは唇を強く噛んだ。
「気は済みましたか、奥方様」
憎たらしい声を掛けてくるのは、血の大公ロトゥンハーシャである。にらみつけてもどこ吹く風、彼は嫌味ったらしく満面の笑みを返してきた。
「改めてご説明申し上げます。本日より、奥方様はこの部屋から出ることはまかりなりません。身の回りのことに関しましては、こちらの侍女にお申し付けください。その他のことは、都度私をお呼びいただければ。もっとも、部屋から出たいというご要望は、実現できかねますが。
それでは、失礼いたします」
ロトゥンハーシャは、慇懃に一礼して去っていった。足音が完全に聞こえなくなるまで、アマリアは、彼が去っていった扉の方向をじっとにらみ続けた。
しかるのち、深いため息をついた。
(……それにしても、悪夢みたいな状況。魔王の国にむりやり嫁がされたかと思えば、部屋に軟禁なんて。
でも、絶対このままで居てやらないんだから。あの大公、それに魔王も、今にぎゃふんと言わせてやる!)
そして、両頬をばちんと叩いて気合を入れると、そばに控える魔族の侍女にほほえみかけた。
「さあ、あなた。改めて、今日からよろしくお願いしますね。わたくしはアマリアと申します。あなたの名前を教えてくださる?」
侍女は、アマリアの切り替えの早さに、ぱちぱちと目をしばたたかせた。そして、あわててお辞儀をした。
「は、はい! 侍女のラヤでございます。未熟者ですが、王妃様のために尽力いたします」
「ありがとうございます。頼もしいわ。聞いての通り、わたくしはこの部屋から出られず、そのうえ同郷の者もなく一人きりです。どうかラヤが、わたくしのお友達になってくださると嬉しいわ」
「わ、私のような使用人などを、友だなんて……」
「いけないでしょうか? わたくし、これから長い間、あなたとしかお話できないのです。仲良くしてくださると、寂しさも紛れます」
「そういうことでしたら、私でよければ」
「嬉しい! ありがとう、ラヤ。ね、よかったら、席に着いて。お昼時まで、わたくしの話し相手になってくださらない?」
「はい、喜んで!」
ラヤは、茶色の短い巻毛にまんまるな緑の目の、リスのような少女だった。素直で親しみやすそうな彼女は、おしゃべりするうちに、すぐに打ち解けることができた。
無論、これは単なる退屈しのぎではない。アマリアは、にこやかに談笑しながら、胸のうちに冷静な算段を立てていた。
(今の私は、敵に囲まれて孤立している。このままじゃ、勝てない。まずは味方を増やさなくちゃ。
大丈夫。私は、ただの元女子高生じゃない。イェラ神国の聖王女として、真面目に暮らしてきた十七年間の積み重ねがあるんだから!
……あれ、前世で十七歳、現世で十七歳って、私、実質三十四歳? ちょ、ちょっとショックかも……)
思わぬ事実にうろたえつつ、アマリアは、牢獄と化したこの部屋を脱出するための、最初の手を打ち始めた。
王妃を城に迎えて一週間が経った。ロトゥンハーシャは、廊下をぱたぱたと走るひとりの侍女を目撃した。
ラヤだ。王妃の側仕えに任じた少女。
荷物を抱えて駆けるその背に、ロトゥンハーシャは声を掛けた。
「ラヤ、走ると危ないですよ。そんなに急いでどうしました?」
彼女はぎくりと立ち止まった。そして、その胸に抱えた大きなかごのふたを、あわてて腕で押さえ込んだ。
「ロトゥンハーシャ様! あの、いえ、何でもないのです。失礼いたします!」
駆け去る背を、ロトゥンハーシャはじっと見る。
どう見ても、何でもなくはない。
靴の爪先をそちらへ向け、後を追ってみた。案の定、行き先はあの王妃の部屋だ。扉を叩く。
「失礼、ロトゥンハーシャです。入りますよ」
「……あっ! アマリア様、どうしましょう」
「平気よ、ラヤ。……どうぞ!」
耳聡き魔族は、扉越しのささやき声くらい、余裕で聞き取れる。そんなことも忘れるほど、ラヤは何を焦っているのか?
扉を開け放ったロトゥンハーシャは、室内の光景に目をみはった。
物、物、物。
がらんとしていたはずの部屋は、無数の物であふれ返っていた。
箒にはたきにバケツに雑巾。たらいや水瓶まで増えている。
それだけではない。机のわきには大きなかごが列をなし、そして卓上には、山と積まれた布。
王妃は、平然と椅子に座って、脇目もふらず手を動かしていた。その指先には針と糸。手際よく縫っているのは、よくよく見れば、城の者たちが着ている衣類ではないか。
「……奥方様、いったい何をしているのです」
ロトゥンハーシャは、問いかけた。戸惑いが声音にそのまま乗った。
王妃は目もくれず答えた。
「ごきげんよう、大公どの。見てのとおり、繕いものですわ。ほつれを縫って、擦り切れに当て布をしています。
ラヤ、新しい糸と端切れを持ってきてくださってありがとう。そこに置いてくださる?」
「はい、アマリア様。あの、園丁のキーラタが、アマリア様に感謝しておりました。お気に入りの古着がよみがえったと、跳び上がって喜んでおりましたよ」
「何よりです。料理人のジョサムには、リンゴの蜂蜜漬けをおまけしてくださったお礼を、伝えてくれましたか?」
「はい、伝えてまいりました。『お気に召したようで光栄です。食料品は限られておりますが、ご要望があれば、叶えられるよう努力します』とのことです。今までになく張り切っておりました」
「まあ、嬉しい! 本当にありがとう、ラヤ。あなたには、いくらお礼を言っても足りないわ」
ロトゥンハーシャは咳払いした。
ラヤは、あわてて口を両手で押さえた。
「失礼、聞き方が悪かったようです。『なぜ』、王妃であるあなたがこのような真似を?」
「なぜですって?」
王妃は、そこで初めて手を止めて、ロトゥンハーシャの方を見た。彼はうろたえた。少女の面差しには、怒りだけでなく、確かな威厳がやどっていた。
「あなたはわたくしに、この部屋から出るなと命令しました。ここで何をしろともおっしゃらずに。
でも、病でもないのに、毎日寝て過ごすわけにはいかないでしょう? ですから、わたくしは今までしてきたことを、ここでも同じようにしているだけです」
「それで、裁縫ですか」
「『奉仕活動』です。イェラ神国の王族は、城の奥深くに籠もって贅を貪ったりは致しません。おのが手で出来得る限りをもって、民に尽くすことを是としております。
己の身の回りの世話に始まり、城の内外の手入れ、そして国を訪う修験者や巡礼者への慰労と治療。自分の手足を動かして働くことが、我が王族の美徳です。
お約束どおり、部屋からは出ておりません。代わりに、ラヤにお願いして、仕事を分けていただいておりました」
「余計なことはしなくてよろしい」
「わたくしには、余計なこととは思えません。この城は人手が不足しています。皆が忙しなく疲れている中で、ひとり安穏とは過ごせません」
「屁理屈は結構! あなたのままごとを用立てるために、ラヤは不要の手間を負わされています。黙ってここで静かにしていなさい!」
音高く扉を閉ざし、ロトゥンハーシャは退室した。そして、己のしたことに驚いた。
逃げた? この私が?
分が悪いと思ったから?
気の迷いを振り切るように、大股でその場を後にする。しばらくして、後を追ってくる小走りの足音に気がついた。
立ち止まり、振り返る。ラヤだった。
「お、お待ちください、ロトゥンハーシャ様」
「……ラヤ。あなたも、もう奥方様のわがままは聞かなくて結構ですよ。ジョサムには、私から伝えておきます。苦労をかけましたね」
「ち、違うのです。アマリア様は、わがままなどおっしゃいません。ジョサムには、ただ感謝なさっただけです。
異国からおいでのアマリア様のために、ジョサムが味付けの濃さを少しずつ変えて、お好みを探ろうと努力していることに、アマリア様はお気づきになったのです。その心配りへのお礼を私が言付かって、だからジョサムは喜んで、王妃様のお膳に甘味を増やしたのです」
「……」
「あの、ロトゥンハーシャ様。私ども使用人一同から、お願いがございます」
走って乱れた呼吸を整え、ラヤはロトゥンハーシャに頭を下げた。
「アマリア様のご待遇を、どうか見直してください。使用人の身で、差し出がましいとは存じますが、キーラタも、ジョサムも、他の者たちも、そしてもちろん私も、皆がそう願っております。
アマリア様は、陛下をわずらわせるような方ではございません。私どもひとりひとりをよく気遣ってくださいますし、『もっとお国のために出来ることがあれば』と、お心を悩ませていらっしゃいます。
確かに属領は危険です。この城の周りにも、出歩くような場所はありません。ですが、せめて城内だけでも、自由にお過ごしいただけるよう、取り計らってはいただけませんか?」
ロトゥンハーシャは戸惑った。あの王妃が来て、まだたったの一週間だ。それなのに、大公である自分に背いてまで、王妃に味方するとは。
彼はラヤの肩に手を当て、目を合わせた。
「……それは出来ないのですよ。奥方様の処遇を決定できるのは、陛下だけです。私ではありません」
「ですが、陛下のご友人であるロトゥンハーシャ様のお言葉なら、きっと……」
「ラヤ、聞き分けてください。理由があってのことなのです」
ラヤはなおも食い下がろうと身を乗り出したが、ロトゥンハーシャの目を見て、しゅんとして肩を落とした。
「……はい。無理を言って、申し訳ございません」
「分かってくれればよいのです。さあ、仕事に戻りなさい」
「はい。失礼します……」
しょんぼりと去っていく背を見送って、ロトゥンハーシャは、やれやれと首を振った。
それにしても、あの王妃は、いったいどんな手を使って、使用人たちを取り込んでしまったのだろうか?
戻ってくるなり、ラヤは落ち込んだ表情で「だめでした」とこぼした。
「アマリア様がもっと自由に過ごせないか、頼んでみたのですが……」
「そういうことだったの。急に飛び出していくから、驚きました」
じつのところ、ロトゥンハーシャが不思議がったような、使用人を懐柔するための秘密の手口など、まったく無い。単なるコミュニケーションの積み重ねである。
強いて言えば、すべてラヤのおかげだった。
このラヤという少女が、小さな体にものすごい行動力を詰め込んでいるのだということを、アマリアは一週間のうちに学んでいた。
侍女となってくれたのが、好奇心旺盛で活発なラヤだったからこそ、こんなにも早く使用人たちと打ち解けることができたのだ。部屋から出られずとも、アマリアと部屋の外をつなぐ窓口として、あちらこちらへ飛び回ってくれた。「王妃様」ではなく「アマリア様」と、名で呼んでくれるようになったのも嬉しい。
しかし、まさかとっさに大公に意見するほどだったとは。
アマリアは苦笑しながら、ラヤのために椅子を引いた。そして、腰掛けた彼女をなぐさめた。
「気にしないでください。今は、あなたのその気持ちだけで嬉しいわ。それに大公どのは、お願いが通じるような方には見えませんものね」
「……ロトゥンハーシャ様も、悪い方ではないのです」
意外な物言いに、おや、とアマリアは眉を上げた。あんなに高慢で嫌味な男なのに、使用人たちから嫌われてはいないようだ。
ラヤは、うつむいたままぽつぽつと話した。
「あの方も、昔は大変な苦労をされたのです。ふだんは私ども使用人に優しくしてくださいますし、陛下からも、最も信を置かれています。
ただ、そのためにご多忙なのと、陛下のご意志には逆らえないので、あのように振る舞われているだけなのかと」
「そうだったのですね。てっきり、生まれついての貴族として、驕り高ぶっているのかと」
「ふふ。アマリア様、我々魔族に、貴族という位はもともとありません。王と民と、それだけでした。大公という位は、今の陛下が即位なさった際、新しく設けられたものなのです」
ふむ、とアマリアは考え込んだ。真理として、前世の記憶をもつ彼女だが、魔族については少し疎い。
なにしろ彼らは悪役で、しかも打ち切りエンドだったのだ。設定の掘り下げも何もあったものではない。
それに、実際に王妃としての務めを果たすのならば、ゲームの知識だけでは充分とは言えないだろう。
そこで、友に頼んでみた。
「ラヤ、お願いがあるのですけれども、聞いてくださいますか?」
「はい、伺います」
「わたくしに、あなたがた魔族のことについて、詳しく教えてください。どのような歴史があり、どのような社会を作って暮らしてきたのか。それから、王や大公についても」
戦うにせよ、手を結ぶにせよ、相手のことはよく知っておかなければならない。
ラヤは満面の笑みで応じた。
「喜んで!」