39話:決戦前夜
魔族の王を名乗る両名は、双方が布告文を発して、己の正当性を主張した。
――母を、妻を、娘を殺し、その肉を食らう人非人どもにおもねってまで、偽りの平和がほしいか。勝ち得た土地のすべてを無条件で譲り渡してまで、家畜の如き安全がほしいか。志ある真の勇士は、炎の旗のもとへつどえ。家族の無念を想うのならば、けがれた婢族と、おろかしき背反者を、今こそ滅ぼし、炎と鉄の力によって、平原を我らの手に奪い返せ。
――無念のうちに殺された同胞たちが、復讐を願わなかったとは、決して言わぬ。しかし、新たに生まれ来たる子らの未来を貪り尽くし、残された我らが滅び去ることを願っているとも、決して思わぬ。我らはいま、許し難き罪を許し合い、取り難き手を取り合って、人としてあるべき未来を切り拓く。心ある者よ、ここにつどえ。その身にいまだあたたかき血と涙の流れる者を、我が旗は、何人たりとも受け入れる。
サヴォク平野で、指定日の正午に始まる対決が、言葉のみの争いでは収まらぬことは、すでに誰もがわかっていた。
炎の大公バーンソルドは、己の麾下二千名に、鉄の大公の麾下二千名と、混血魔族兵一万名を加えた軍を編成した。
一方、魔王オルヴェステルは、涙の大公軍の麾下一千名と、城の衛士たちにさえ、どうしても異民族を許せないと訴える者には離反を許し、敵のもとへ送り届けた。そして、残った魔族兵と、獣族、鳥族、竜族の義勇兵とで、計一万五千名の連合軍をつくりあげた。
「……なんでネノシエンテは向こうについた?」
サヴォク平野を見下ろす丘の上の陣屋で、バーンソルドは不満げに言った。
「ロトゥンハーシャは、まあ、わかる。あいつはオルヴィの腰巾着だ。だが、あのばばあ、旦那を豚に食われておいて、獣族どもと仲良しこよしかよ。やっぱ女はだめだな、くそが」
「息子を捕らわれて、無理やり従わされておるのではないのか?」
ギルンザディンの弁護を、バーンソルドは否定した。
「ねえな。連中、翼の属領軍の兵でも、こっちにつきたいってやつがいたら、わざわざ送り届けてきやがったんだぜ。中には、城の料理人もいた。料理人がよくて庭師がだめってこたあ、ねえだろ」
「……」
「それに、ネノシエンテも大公だ。無理やり従わされてたとしても、いざ戦場で毒撒いちまえば、誰にもあいつを止められない。今だけ捕まえても無駄だ。……裏切ったのさ、ばばあもな」
バーンソルドは、両膝を叩いて、勢いをつけて立ち上がった。
「まあ、いいさ、クズどものことは。それより、明日どう戦うかだ。うちは総数では負けてるが、勝負を決めるのはあくまで純血魔族の人数だ。つまり、役立たずどもをどううまく使って、本命部隊を守るかだよな。
じいさん、作戦会議だ。明日こそ、あんたの得意な野戦だぜ」
「……向こうの魔族たち、本当に約束の刻限を守るつもりですの?」
不安げに尋ねたのは、ナズラだ。さすがに華美な舞台衣装ではなく、丈夫で動きやすい革鎧に着替えている。そわそわと落ち着きのない彼女に、オルヴェステルが答えた。
「奇襲の心配はない。日時と場所の指定は、むしろ敵方こそが、喉から手が出るほど欲しかったものだ。時と場を問わず、自由に仕掛けてよいのならば、私が闇討ちしてバーンソルドの首をとれば終わりだからな」
「……」
「こちらとしても、これは講和条約の成立をかけた、大義ある戦いだ。正々堂々とした会戦の形で決着をつけなければ、後の禍根となる。ゆえに、明日の正午まで、貴公が不安を感じる必要はない」
ナズラは飾り羽をいじりながら、「ふうん……」とつぶやいた。膝をもじもじと落ち着き無く揺らしているのは変わらないが、瞳に浮かんでいたおびえは、いくらか和らいだようだった。
アマリアは、戦場慣れしていない彼女が、それでも参戦を決意してくれたことを嬉しく思った。ナズラも戦うと知ったことで、彼女を慕う多くの鳥族が、オルヴェステルに味方してくれることになったのだ。彼らの優れた弓射と飛行能力は、心強い戦力だった。
一行は、約束の平野から少し離れた位置に天幕を張り、明日に備えていた。陣屋には、神杓平原に暮らすあらゆる民族が集まっていた。
ひときわ大きい、この魔王の天幕には、いま、オルヴェステルとアマリア、ネノシエンテ、そしてナズラが待機していた。
そこへさらに、新たな客人が訪れた。兜を身に着けたスコルフスと、獣族の側近二人を引き連れたレラールだった。彼らは自軍の様子について、報告に来たのだ。
竜族と鳥族の総指揮をつとめるスコルフスが、敬礼して言った。
「サーレカストラより、投石機四台が到着した。弾となる岩石の数も十分だ。砲台はさすがに持ち込めなかったが、アマリア大使の要求に従うならば、もとより不要と考える」
「ありがとうございます。お手数おかけして申し訳ございません。敵兵も可能な限り生かしたいなどと、難しいことをお願いしてしまって」
「問題ない。魔族の人口は約五千人。うち四千が敵方となれば、殲滅すなわち民族存亡の危機となる。大使の要求は、条約の目的から鑑みて、もっともだ」
「はい。投石機も、なるべくならば……」
「わかっている。直接人には当てぬよう、敵の機動を妨害する目的で撃ち込むつもりだ」
「感謝いたします、スコルフス司令官」
アマリアは、スコルフスに頭を下げた。それを後目に、レラールは椅子にどっかりと腰掛けた。
「だが、無茶な要求なのは確かだぞ、聖女どの。はっきり言うが、白兵戦で、魔族に勝てる民族はない。有利なのは向こうだ。だからこそ、弓と投石で、ぶつかり合う前にきっちり減らすのが、我らの勝算だった」
「すみません、レラールどの……」
「……一千、対、四千だ。純血魔族だけ数えればな。その他の地上戦力は、どうにか敵の混血を倒し、かつ、純血を少しでも消耗させるための捨て石だ。それを担うのは、俺たち獣族だ」
レラールは、苦々しげに吐き捨てた。
「しかも、獣族のほとんどが、いまや武人ではない。武家の血を引くのは俺ひとりで、残りは従士の生き残りと、志願してきた民兵による寄せ集めだ。俺と従士は馬があるから、純血相手のときは騎射で戦えばよいが、民兵どもは徒歩だし、練度も低い。どう配備するか……」
隅の方で、沈黙していたネノシエンテが、小さな声で申し出た。
「……私が、純血魔族の足止めを担います」
みな、驚いて振り向いた。特にレラールは、「なんだと?」と目をみはっていた。ネノシエンテは、いま一度はっきりと告げた。
「私を最前線に置いてください。純血魔族が私の目の届く場所まで来たら、彼らに毒を散布いたします。死には至らないほどのものを。……敵の進軍が一部でも遅れれば、純血魔族四千人を、一度に相手せずに済みますわ」
人々は顔を見合わせた。ナズラが反論した。
「あなたが弓で射られたら、おしまいじゃない。魔族たちは頑丈だから、死なない毒では、苦しみながらも多少戦えるのでしょう?」
「獣族が、盾で守ってください。剣を抜いて直接ぶつかりあうよりも、私に飛んでくる矢だけを防いでくださったほうが、獣族も安全でしょう。
はっきり捨て石とわかる部隊を作ってしまっては、それこそ今後に障りがありますわ。遠くから毒を撒きながら守りに徹して、もし敵が接近してきたら、速やかに撤退。余力があれば、別の場所から、再度、毒で妨害。これならばいかがですか、レラールどの」
レラールは、ネノシエンテをしばし見つめて、うなずいた。
「……願ったりだ。では、民兵たちには大盾を持たせて、貴様を守らせよう。交戦しても勝ち目はないので、いざとなれば退くように伝える。残りの民兵は、混血どもの相手に回そう」
そして、ためらいがちに一度口をつぐんでから、彼女は言った。
「貴様の夫は、獣族の武人の手にかかったと聞いた。会議の場で、その死を軽んじたこと、謝罪しておく」
ネノシエンテは、わずかに目を見開いた。謝られるとは思っていなかったのだ。レラールは、目を鋭く光らせて続けた。
「だが、俺もまた魔族が憎い。いま、この瞬間もだ。
俺は武家の生まれだが、姉ばかり九人もいて、兄は一人もいなかった。他家に弱みを見せぬため、男の世継ぎが欲しかった父は、しびれをきらして俺を男として育てた。魔族が我が郷に攻め入った折、俺も戦う覚悟だったが、乳兄弟が俺を強引に逃がし、俺の鎧を着て代わりに戦場に立った。……敗れた父と、姉たちと、乳兄弟とが、裸に剥かれて頭から尻まで杭で貫かれ晒されるのを、俺は群衆にまぎれて見ることとなった」
ネノシエンテが、「そのような事情が……」と言いかけるのを、レラールは手を振ってさえぎった。
「くだらぬ哀れみはよせ。この時代、事情を持たぬ者など誰一人としていない。……俺が言いたいのは、それでも、この陣地に、一万五千がつどったのだということだ。明日の勝利のためだけに」
レラールは、ネノシエンテの目前に歩み寄ると、すっと彼女に手を延べた。
「敗北は許されない。勝つほかないのだ。……力を尽くせ、魔族。俺もそうする」
ネノシエンテはうなずき、その手を取った。そして二人は、獣族の民兵たちと打ち合わせるために、連れ立って天幕を出ていった。
入れ違うように、また別の誰かがやって来た。入り口の衛士と揉めていたが、涼やかな声が彼らをなだめた。戸布をめくって現れたのは、意外な組み合わせだった。アマリアはあっと声を上げた。
「ロトゥンハーシャ! それに、ゼノ!」
ゼノだけではない。エディジェプスに、ルーイエ。『黄昏の灯』の主だった面子が揃っていた。
友の姿を見て眉をひそめるオルヴェステルに、ロトゥンハーシャは苦笑した。
「ご安心ください。戦いませんよ。……野戦治療の手が必要でしょう。明日は後方で支援いたします」
「そうか。……彼らは?」
「偶然、そこで行き会いましてね。見廻りの兵に絡まれていて、可哀想だったので連れてきました。さあ、何か言いたいことがあったのでしょう」
促され、ゼノはうなずいた。そして、がばっとその場で頭を下げた。
「聖女様、それに魔王も、今まで悪かった。山で襲撃したこともそうだし、その後バーンソルドに捕まって、俺たち、あいつの手先みたいになっちまってた。言葉で謝って済むことじゃないと思うけど、本当にごめん」
「ゼノ……」
「俺たち、炎の大公軍を抜け出してきたんだ。『黄昏の灯』の生き残りと、他にも逃げたいっていう混血、全部で千人。どんなことでもする、必ず役に立つから、明日の戦い、俺たちも一緒に戦わせてくれ!」
アマリアは、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。真理の仲間だった彼らと、再び志を同じくして戦えるなら、こんなに嬉しいことはない。
口添えしてあげたくて、彼女は隣のオルヴェステルを見た。一方、オルヴェステルは眉をひそめて言った。
「待て。逃げたい者を連れてきただと? どういうことだ。今回、混血兵は強制徴用されているのか?」
ゼノはうなずいた。
「そうだ。今回だけじゃない、今までずっとさ。俺たち混血のほとんどは、あいつらが『牧場』って呼んでる施設で、捕らわれた女性が魔族に強いられて、嫌々産み育てた子だ。その人生が自由なわけないだろ。
見込みがありそうだと思われたら、ほんの小さいうちから戦闘のいろはを叩き込まれて、十四、五歳で兵になる。他の道はない。俺もそうだった。それが許せなくて、俺たちは牙の属領軍を抜け出して、抵抗組織を立ち上げたんだからな」
聞くも無残なその生い立ちに、ナズラは口を覆って青ざめた。スコルフスは冷静につぶやいた。
「……では、混血兵の士気は低いのか。これは利用できそうだ」
スコルフスは、後からやって来たゼノたちにもわかるように説明した。この戦いでは、両軍とも純血魔族が主要な戦力になるので、純血をいかに消耗させずに運用するかが鍵になることを。
ルーイエが、納得してうなずいた。
「敵将バーンソルドは、間違いなく、混血兵を捨て石として利用するでしょう。副将ギルンザディンも、同じことを考えるはずです」
「うむ。先鋒の混血相手に矢弾を消耗しすぎると、後に控える純血とは白兵戦をしなくてはならないが、彼らの士気が低いとくれば、やりようがある。有用な情報に感謝する」
安心したような雰囲気が、天幕に広がった。それを感じ取り、吐き捨てるようにエディジェプスが言った。
「貴様らは肝心なことを忘れてる。本当に脅威なのは純血なんかじゃない。大公だ。バーンソルドとギルンザディンをどう潰すか、その策はあるんだろうな?」
人々は顔を見合わせた。オルヴェステルが、低い声で答えた。
「私が相手をする予定だ」
「一人で、二人をか? 随分自信があるらしいな。だが、噂で聞いたぞ。こちら側の大公は、一対一の戦闘能力では、向こうに劣るとな。貴様一人に託せば、貴様が負けた瞬間に、こちらの敗北は確定だ。どれだけ純血を抑え込んでも、大公が暴れたら話にならない」
「おいエディ、そんな言い方失礼だぞ」
「言い方なんか知ったことか! 開戦はもう明日だぞ!」
アマリアは、はらはらしてなりゆきを見守った。
エディジェプスは語気が強くて喧嘩腰だが、主張には一理ある。この戦いは、純血魔族を殲滅するわけにはいかない。ならば確かに勝利条件は、大公二人の捕縛ないし討伐なのだ。
にわかに険悪な雰囲気が満ちる。オルヴェステルは冷ややかに言った。
「わざわざ私の天幕まで来てわめくということは、代案でもあるのか、混血よ」
「混血と呼ぶな。エディジェプスだ。……ある」
「聞こう」
「俺たちが、貴様のための捨て石になってやる」
オルヴェステルは目をみはった。エディジェプスはそっぽを向いて、棘のある声で言った。
「……純血を温存するために、混血をぶつける。敵と同じことをするだけだ。魔王に頼るしかないのなら、魔王を温存するために、まずは俺たち『黄昏の灯』が、組み付いてでも敵の大公を消耗させてやる。癪だがな」
ゼノも、隣でうなずいた。
「……この提案は、俺たちなりの罪滅ぼしだ。
俺たち混血は、魔族でもなければ、他の民族でもないだろ。だから、たとえ戦いが終わったとしても、行く宛がないんだ。
もし俺たちが活躍したら、戦後、他の大勢の混血たちのために、便宜を図ってやってほしい……なんて、図々しい頼みだけどさ」
気まずそうにうつむくゼノの、切実な思いを感じ取り、オルヴェステルは要求を受け入れた。
「いいだろう。『黄昏の灯』と言ったな。明日、お前たちを私の直属とする。……アマリア様、彼らの成果に応じ、講話条約に混血の権利に関する条文を付け加えたいのですが、構いませんか」
アマリアは喜んでうなずいた。
「もちろんです! そうだ、魔族の血を引く皆さまに、これを……」
天幕の隅に置いていた木箱を開けて、アマリアは中の一つを彼らに見せた。虹色の液体が詰まった、硝子の小瓶だ。
「『女神の血』といいます。これを飲むと、神への祈りや周囲からの奪取を経ずとも、体内マナを著しく回復し続けることができます。混血魔族の方も、純血に見劣りしない能力を発揮できるはずです。
神国より、皆さまをお助けするために、使用を許可されました。それほどたくさんは持ち込めませんでしたが、ゼノたちも是非」
アマリアは、それぞれに小瓶を手渡した。感慨深げに瓶を見つめて、ゼノは満面の笑みを見せた。
「ありがとうな、聖女様! ……ところで俺、聖女様に名乗ったことあったっけ?」
痛いところをつかれたアマリアは、視線をあちこち踊らせながら、「確か、どなたかが、あなたをそう呼んでいたような……」と、苦しい嘘でごまかした。
打ち合わせがあらかた終わったのは、日暮れ前だった。みながそれぞれの天幕に散っていったあと、残ったアマリアは、オルヴェステルの隣に椅子を寄せて、ちょこんと座った。
そして、ぽつりとつぶやいた。
「……ジョサムは、向こうへ行ってしまいましたね」
オルヴェステルが、バーンソルドとの対立について城の衛士や使用人に説明し、炎の大公につきたい者を募ったとき、ジョサムは、いの一番に手を挙げた。彼は、姉を惨殺した獣族のことがどうしても許せない、と、目に怒りの涙を浮かべていた。
オルヴェステルは、静かに答えた。
「仕方あるまい。……私は、離反者はもっと多いと思っていた。涙の大公軍は意外なほど残ってくれたな」
離反者の合計は、百人足らずだった。その他は、ほとんどがオルヴェステルのために留まってくれた。
「バーンソルドは、きっと自分の部下に離反を許さなかったと思います。だから、きっとあちらにも、オルヴェステル様に賛同する者はいるはずです」
「……そうかもしれない」
「あなたは、独りじゃないですよ」
オルヴェステルは、感慨深そうにまぶたを閉じた。
「君が来てから、たった二月で、ここまで変わった。いまだに夢でも見ているような気分だ」
再び目を開いたとき、オルヴェステルの瞳には、迷いの欠片もなかった。彼は、アマリアに凛々しくほほえんだ。
「私についてくれた皆を、決して裏切りはしない。明日、必ず勝つ。見ていてくれ、アマリア」
アマリアはうなずいて、「ご武運を」と告げた。いよいよ決戦におもむく彼を案じながらも、確かな信頼の明かりが、胸の奥にあたたかく灯っていた。




