表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/44

31話:屍を耕し、血を蒔いて

※残酷な描写あり

 影を伝い、砦内の営倉や空き部屋に侵入した。油を含ませた布に火種を包み、木箱や樽の中に投げ入れた。孤立した兵の背後に現れ、物言わぬ姿にして野晒しにした。

 そうした工作を数カ所におこなうことで、複数の混乱を生じさせた。対応に追われる兵たちの目をかいくぐり、閉ざされた門に奪った砲丸を当てて破壊した。


 さあ、夜が来る。

 兵たちとともに。

 終わりをもたらすために。


 罪悪感を鈍麻させようと、つとめて己の為すべき手順だけを意識した。不可能だった。髪に、服に、指先に、煙と返り血の匂いが染み込んで、オルヴェステルの心に、絶えず(ごう)を突きつけた。


(アマリア、頼む。見るな)


 両手で顔を覆う。陣頭に立つ王が、このような表情を兵に見せるわけにはいかない。

 勇ましくあらねばならない。

 そうでないなら、せめて冷徹であらねばならない。


 周囲の闇はいよいよ深まり、境界の向こうの世界が鮮明に映る。突入してきた鉄の大公軍が見える。彼らを死なせるわけにはいかない。その責務が、オルヴェステルに逃避を許さない。


 急ぎ戦列を組んで迎え討たんとする、竜族(ドラコ)の部隊の統率は見事だった。その整然とした隊列は、美しいひとかたまりの巨大な陰影を、暮れゆく大地に落としていた。

 それこそが地獄への入口だった。


 オルヴェステルは、敵部隊よりもやや後方の影から、地上に出た。

 そして、彼らの足元の影へ、両の手のひらを大きくかざした。


 力を込めて拳を握り、強く引く。

 竜族は、ぴたりと動きを止めた。


「何だ……これは」


 誰かがつぶやく声が聞こえた。ざわめきはさざ波のように広まり、やがて荒れ狂う絶叫の嵐となった。


「隊長ッ! 足が……体が、動きません! 動かせません!」


「ふざけるな! なんだこれは……ええい、まやかしだ、惑わされるな!」


「戦闘態勢、……いや、撤退を、……どうすれば、くそッ、どうしたらッ!」


 怒号が響くたび、オルヴェステルの両腕にすさまじい負荷がかかる。投網(とあみ)を引くのはこういう感覚か、と、いつか思ったことがある。渾身の力で、人々の死に物狂いの抵抗に耐える。全身の筋肉が悲鳴をあげる。そして、己の良心もまた。


 彼が『(かげ)()い』と呼ぶこの力は、人や物の陰影を大地に縫い止め、その動きを止める。

 捕らわれたが最後、逃げ出すことはできない。

 オルヴェステルの有する、もう一つの異能力だ。


 逃れようとする人々の抵抗は、空間を越えて、影を掴むオルヴェステルの腕へと届く。ダースラーンの秘術によって遥かに強化された肉体で、それを強引に押さえ込む。ゆえに、オルヴェステル自身もその場から身動きできない。

 強大だが、常用できない能力だ。

 そして、使いたくもない能力だった。


 鉄の大公軍は、惑乱する竜族を尻目に、ゆうゆうと隊列を整えた。そして、ギルンザディンの合図とともに、剣を抜き放ち、正面から歩いて接敵した。


「始め」


 地獄がばっくりと口を開けた。


 無数の悲鳴と断末魔が、地を満たした。

 魔族(ナイトメア)たちは、左手で竜族の頭を掴み、右手の剣でそれを斬り落とすだけでよかった。竜族はみな、影を縛られ、身じろぎさえできない。鍛え上げられた肉体も、研ぎ澄まされた武術も、なにひとつ役に立たないまま、木偶(でく)の坊のように立ち尽くして、前から順に首を斬られていく。


 「悪魔どもめが!」と罵る声があった。

 ただちにそれは斬って捨てられた。


 「母さん!」と泣く声があった。

 むしり取られて打ち捨てられた。


 鉄の大公とその兵たちは、怒りも憎しみも、愉悦さえもない、まったくの無表情で、淡々と敵兵を処理していった。

 それは戦いではなかった。

 実った稲穂を刈るような、決まりきった作業だった。


 オルヴェステルは、竜族たちに死を強いながら、その惨劇から目を逸らすことを許されていなかった。

 異能力の効果は、能力者の視野に依存する。

 目を背ければ、死ぬのは魔族たちの方だ。

 王は、自国の民を守らなければならない。


(俺が……この力を得たのは……)


 ぎりり、と歯を食いしばった。全身がバラバラに張り裂けそうだ。


(……こんな事のためでは、ないのに……)




 オルヴェステルは、魔族の異能力について、一つの推測を立てていた。

 異能力は、秘術によって並外れて強大なマナを得た魔族が、強烈な願望を抱いたとき、それを叶えるための力として発現するのでは、と。


 復讐を誓ったバーンソルドが、クトゥパシャトラを焼いたのと同じ炎を得たように。

 傷痍兵たちをあわれんだロトゥンハーシャが、その流血を止める技を得たように。

 日の当たる暮らしを望んだギルンザディンは、仲間のために道具を作る力を得た。

 夫を家畜の餌にされたネノシエンテは、生きとし生けるものを苦しめる毒を得た。


 だが、オルヴェステルの『影縫い』は、敵を無抵抗のまま殺すことを願ったのでは、決してなかった。


 あれは、魔族が獣族(ガルー)の武人たちと、初めて正面から戦ったときのことだった。バーンソルドが不意をつかれて、目の前で敵兵に殺されかけた。

 もう二度と家族を失いたくないと、十五歳のオルヴェステルはただ願い、無心で手を伸ばしたのだ。

 やめてくれ。殺さないで、と。

 その瞬間、敵は彫像のように立ち止まった。

 バーンソルドは、敵兵を討ち、オルヴェステルを褒めた。


『オルヴィ、お前がやったのか。

 ……よくやった。それでこそシャトラの息子だ。あいつの無念を、お前のその力で晴らすんだ』


 クトゥパシャトラが死んでから、彼が笑いかけてくれたのは、それが初めてだった。

 オルヴェステルは、安堵して笑み返した。

 あの時、母を助けることはできなかったが、今度は彼を助けることができた。

 そして、自分を恨んでいるはずのバーンソルドと、また家族に戻れるのではないか……と、その時は純粋にそう思ったのだ。


 しかし、違った。

 バーンソルドは、オルヴェステルを()()した。

 殺戮のための、便利な兵器として。


 将を殺した。兵を殺した。民を、ときには子どもさえ殺した。陣屋で、前線で、各地の村の家々で、影を縫われて(はりつけ)にされた人々が、叫びながら殺されていった。

 オルヴェステルの能力が、あらゆる惨劇を引き起こした。


 一度、途中で影から手を離したことがあった。『影縫い』で拘束したひとりの獣族の女を、わざと殺さず、兵たちが全身の肉を削いで(いた)()っていたのだ。

 あまりの仕打ちに耐えきれず、オルヴェステルは目を背けた。急に(いまし)めから解き放たれた女は、猛り狂って暴れ、剣を奪って兵たちに斬りかかった。女が死ぬまでに、二人の兵が重傷を負った。

 事の次第を知ったバーンソルドは、オルヴェステルに冷たく言い放った。


『自分の仕事に責任を持て。お前はそのうち王になる男だ。影縫いを途中で解いたら、兵に危険が及ぶって、わかんだろ? 民を守れ。二度としくじるな』


 オルヴェステルは、それを聞いて、目の前が真っ暗になるのを感じた。


 自分は、道具なのだ。

 彼を救うために得た力で、これからも自分は人を殺し続けるのだ。彼の言いなりになって。


 足元の地面が無くなったような感覚だった。

 消えたいと、心から望んだ。

 『(かげ)(わた)り』の力に目覚めたのは、その日の夜のことだった。




 剣が振られる。首が落ちる。

 竜たちの声は、ほとんど絶えていた。

 同胞の死を間近で見せられ、絶望に濁った眼差しで、もはや黙って斬首を受け入れていた。

 オルヴェステルは、なおも戦場を見据えていた。額から滝のように流れる汗が、目に入ってしみた。頬を伝う液体が、汗なのか涙なのか分からなかった。

 足元の首を乱雑に蹴り、重なる(かばね)を踏み分けて、己の国の兵士たちが、死を生む作業を進めている。


(なんのために、俺は、こんな真似をしている)


 深まり続ける夜闇の中で、無感動に殺人を犯す、ギルンザディンたちの影絵が見える。頭が割れそうに痛い。顔が固くこわばっているのは、風の冷たさのためではない。

 オルヴェステルは、心の中で叫んだ。


(魔族の幸福とは、誰かの屍を積み上げた先にしか、実らないものなのか? 魔族の明日とは、憎悪と悲嘆によってしか、育まれないものなのか?

 アマリア、どうか教えてくれ。こんなことを繰り返してきた俺たちに、本当に、未来を望む資格などあるのか——)


 最後の案山子(かかし)が、どうと倒れた。オルヴェステルもまた地面に崩れ落ちた。肩で息をして、片膝をつき、なんとか顔をあげる。


 一面に、血と肉の畑が広がっていた。

 マナを失い腐り果て、黒ずんだ草原の上に。


 オルヴェステルは、いま一度願った。

 消えてなくなりたい、と。




 アマリアたち支援部隊が砦に入るのを許されたのは、翌日の正午を過ぎてからだった。

 戦闘は夜のうちに終結していたが、安全確保と各種の処理のために、と言われて、陣屋で待機を命じられたのだ。

 荷馬車が通れるように広く開かれた門を通って、アマリアはまず、周辺の地面の植物がすっかり枯死していることに、眉をひそめた。


(強大な異能力……それか、大勢の治癒能力が使われたんだ。信じられない量のマナが、環境から失われている。それに、ものすごい血の匂い……)


 遠くで火が焚かれており、死体はそちらで焼かれているらしかった。アマリアは、立ち上る煙に向かって、深く頭を下げて(いた)んだ。亡くなってしまった命が、敵も味方もなく、等しく冥福を得られるようにと祈りながら。

 医療器具や糧食を積んだ馬車をギルンザディンたちに受け渡し、兵らに声をかけて回るロトゥンハーシャとも別れてから、アマリアはオルヴェステルに会いにいった。

 彼は、占領したアゲルカストラ砦の、司令室にいるのだそうだ。無事に生きているのだと、それを聞いてまずほっとした。


「……オルヴェステル様、アマリアです。入ります」


 彼は、廊下に衛士も置かず、ひとりきりで、司令官の席に座っていた。机の上にはいくつかの書面や帳簿が積んである。内容を検めていたらしかった。


 ぞっとするほど暗い目で、彼はアマリアを見た。

 幽鬼のような顔色だった。瞳は凍てつき、心を完全に覆い隠していた。

 怖気づきそうになりながら、アマリアはどうにか声をかけた。


「お怪我は、ございますか」


「無い」


「戦いが終わったのは、昨夜と聞きました。きちんと休まれましたか」


「無用だ」


「……大丈夫ですか」


 消え入りそうなかすれ声で、彼は言った。


「王は、民を守るために戦う。当然のことだ」


 その責任こそが、彼を逃さない(くびき)であり、彼を支える唯一の杖なのだと気づいた。

 こらえきれず駆け寄って、アマリアはオルヴェステルを抱きしめた。涙が出て止まらなかった。されるがままのオルヴェステルの、低いささやき声が聞こえた。


「私は無事だ。怪我など無い」


「嘘です。とっても痛いのでしょう」


「魔族の傷など、すぐ治る」


「心の傷まで治るのですか」


「……何故、お前が泣く、アマリア」


「あなたが泣かないから、代わりに、私が泣いているんです!」


 オルヴェステルの肩に顔をうずめ、身を震わせて、アマリアはむせび泣いた。やがて、彼の右腕が、そっと背に触れるのを感じた。

 弱々しくすがりつくその指先が哀しくて、アマリアは、ぎゅっと両腕に力を込めた。

 手を離せば、彼がいなくなってしまうような気がした。




 窓の向こうで暮れなずむ空を見つめながら、アマリアとオルヴェステルは、司令室の長椅子に寄り添って座っていた。

 オルヴェステルが、ぽつりと言った。


「……これで、竜族との停戦交渉が始められる」


 アマリアは静かにうなずいた。

 希望といえば、今はそれだけだ。


 魔族がほぼ無傷でアゲルカストラを陥落させた事実は、竜族たちに強いおそれを抱かせるだろう。魔族側から停戦が申し入れられれば、さらなる失地の回避のためにも、対策の用意のためにも、きっと竜族は受け入れるはずだ。

 停戦の実績が生まれれば、族滅派の勢いは、やや弱まる。大公はともかくとして、その()()の魔族たちには、一時停戦を継続的に繰り返す中で、(えん)(せん)の雰囲気を(じょう)(せい)できるだろう。

 そうして稼いだ時間は、秘術の解析を進める調整派に、何らかの成果をもたらすかもしれない。そうすれば、大地の回復はいっそう早まる。

 もし、それで魔族が再び子を得ることができるようになれば、融和派の非人道的な混血政策を凍結させられる。『牧場』で強引に出産させられている、異民族の婦女を解放することができる。


 状況は、きっと好転する。

 せめてそう思わなくては。


(でも、なぜだろう。胸騒ぎがする)


 悪い予感は的中した。

 翌朝、アゲルカストラに一人の使者が訪れた。襤褸(ぼろ)に身を包み、息せき切って駆け込んできたその人物は、竜族の都の方角ではなく、牙の属領側から現れた。そして、その場の誰もが知っている人物だった。


「ネノシエンテ!」


 ぜえぜえと獣のような勢いで息をする彼女を、ロトゥンハーシャが駆け寄って支えた。


「いったいどうしたのです、ネノシエンテ。この血痕、衣類の損傷……まさか、両足を斬られて、再生しながら来たのですか?」


 彼女が着ていた黒づくめの礼服は、長かった()(すそ)が膝で断ち切られ、引きちぎれていた。そこから伸びる白い素足は、爪が剥げ、無数の小石が食い込んでいて、血まみれだ。裸足のまま走ってきたのだろう。

 オルヴェステルは彼女の肩を掴んだ。おそろしい形相だった。


「シシルエーネはどうした。バーンソルドと、お前の部下たちも。ともにアウン・ラプ洞窟へ向かったはずだろう」


 荒い呼吸の勢いのままに、ネノシエンテは、ざらついた声で叫んだ。


「ご、ご報告、申し上げます。炎の大公、バーンソルドめが、裏切りました……ッ!

 やつは、自らを魔王と名乗り、オルヴェステル様に背いて、玉座を(さん)(だつ)するつもりです。シシルエーネ様は、人質として囚われました。あの反逆者は……例の混血の反乱組織と、結託しています!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ