03話:昏き魔王城
馬車が城に着いたとき、すでに太陽は西の山並みに沈み、辺りは薄青い闇に包まれていた。
しかし、それを抜きにしても、魔王城は重苦しい陰をまとい、荒寥たる佇まいをしていた。
(明かりがほとんど無いんだわ。もう日没なのに)
急に記憶がよみがえったせいで、夜でも明るい日本の都市と、比べてしまっているのだろうか?
いや、とアマリアは頭を振る。貧しい小国に過ぎないイェラ神国でも、王の神殿を始めとした重要な施設や、門の周辺は、用心のためにいつでも明かりを灯す。
不思議なことに、ここではそれが無い。どころか、ぽつぽつと灯る篝火は、いかにも不審者や敵が現れそうな通用口付近を、敢えて避けて設置されていた。
「アマリア様、お待ちしておりました。このような時間ではございますが、陛下がお会いになるそうです。謁見の間へご案内いたします」
そう言って現れた案内役は、一人だけ。警備の兵も、立ち働く使用人の姿もまばらで、城全体に人の気配が薄かった。
途中、礼拝所や練兵場の横を通り過ぎたが、どこもかしこもがらんどうで、ほとんど手入れはされていない。廃墟めいていて、もの寂しい。
(強くて恐ろしい国、と聞いていたけれど、決して豊かではないみたい)
謁見の間の扉は、重々しい音をたてて開いた。
中にいるのは、警備の兵が脇に二人、玉座に一人、その脇に立ったまま控える人物が一人。玉座の男性こそが魔王だろう。
思いの外、若そうに見えた。二十代半ばぐらいだろうか。
闇をそのまま切り出したような黒髪は、重そうにうねって肩や背まで流れ落ちる。怜悧な顔立ちは険が強く、美しさよりも恐ろしさが勝るほどだ。
そして、魔族の最大の特徴である、燐光をやどす不思議な青白い眼差しは、抜き身の刃の鋭さをそなえて、アマリアを真っ直ぐに見据えていた。
魔王は口を開いた。低く、淡々とした声だった。
「イェラ神国の聖王女、アマリア本人に相違ないか」
「はい、陛下。アマリアでございます。お初にお目にかかります」
「オルヴェステルだ。遠路ご苦労だった。歓迎する」
「ありがとう存じます」
「我が妻として遇する。世話役に、『血の大公』をつける。城での過ごし方は、この男に聞くように。以上、下がってよい」
それだけ?
意外な対応に、こぼれそうになった本音を呑み込む。神国への親書では、何がなんでも王女を寄越せ、早くしろ、と言わんばかりだったではないか。それが、実際はこうも冷淡……いや、無関心とは。
せめて、此度の性急な求婚に至った事情の、説明くらいあってもいいではないか。とは、思うだけにして、アマリアは深々と礼をした。
もう疲れていて、早く休みたいのも事実だった。
(こちらの疲労を気遣ってくれただけかもしれない。トラブルもあったし……。
きっと、明日、改めて話があるはずだよね)
玉座の横に控えていた男性が、歩み寄ってきて上品に一礼した。やわらかな銀の髪に赤く光る瞳、見目のよい優男だ。
「『血の大公』ロトゥンハーシャと申します。奥方様のため、微力を尽くさせていただきます。何なりとお申し付けくださいませ」
(大公! それは知ってる。『魔王軍の四天王』だ!)
大公とは、真理のゲームの記憶の通り、魔族有数の実力者だ。開発者のこぼれ話によると、全部で四人いるはずである。
ゼノをバラバラにして炎上の原因を作った中ボスも、大公だった。もっとも、打ち切りエンドだったため、他の三人はゲームには登場しなかった。『血の大公』は、未登場組だ。
重々しく冷たい雰囲気の魔王オルヴェステルとは異なり、このロトゥンハーシャという青年は、優雅で涼やかな印象で、まだ話しやすい。だからこそ世話役に任ぜられたのだろう。
アマリアは、ロトゥンハーシャに連れられて、王妃の部屋へと案内された。
ここもまた、家具の少ない寂しげな部屋だったが、少なくとも掃除はしてくれたらしかった。それに、南向きの大きな窓は気に入った。たとえ先行きは暗いとしても、部屋は明るいに越したことはない。
やっと落ち着けそうだ。
と、安心したのもつかの間。ロトゥンハーシャは、信じられないことを言った。
「さて、奥方様におかれましては、明日以降、この部屋から出歩かぬようお願いいたします。
身の回りのお世話につきましては、こちらから侍従を寄越しましょう。どこへも行かず、誰とも話さず、何もなさらぬように。
ご同伴なさった神国の従者の方々は、明日、我々が国まで送り届けますので、ご安心くださいませ。それではごゆっくり」
あまりの内容に、アマリアは固まってしまった。しかし、ロトゥンハーシャが扉を閉めて平然と立ち去ろうとするものだから、大急ぎで扉に足を挟んで、叫んだ。
「待ってください、どういうことですか!」
「おやおや。どういうことも何も、申し上げた通りですが」
「ありえません! 武力で脅して強引に呼びつけておいて、それで軟禁ですって? 人を何だと思っているのですか! これがあなたがた魔族の、王妃に対する正当な扱いですか! わたくしの供も返しなさい!」
「怖い怖い。ずいぶんと元気がおありのようで」
ロトゥンハーシャは、もう侮りを隠さなかった。
突き飛ばすように扉を開けられ、アマリアは思わずよろめいた。その隙に、ずんずんと部屋に押し入られ、壁際に追い詰められる。ロトゥンハーシャの口の端には、嘲笑が浮かんでいた。
「それでは逆に、何ができるというのです、あなたのような小娘に。
まさか、王妃になれば、何不自由ない贅沢三昧の素敵な生活が待っているとでも思いましたか? 幾人もの家来をひれ伏させて、富や権力を恣にできるとでも?
とんでもない。ろくな兵力ももたぬ弱小国の、わずかな従者しか与えられなかった姫ごときが、いったいどんな期待をしていたのです?
傷つきたくなければ、おとなしくここに籠もっていなさい。それが陛下からの優しさというものです」
物言いの一つ一つに、したたるほどの多量の毒が含まれていた。ロトゥンハーシャは、言葉でアマリアをなぶりながら、その右手の白い手袋をするりと脱いだ。
そして、指を鳴らすような仕草で、親指の爪で自らの中指の先を切り裂いた。
小さな赤いすじが浮かぶ。
と、その傷口から、見る見るうちに大量の血があふれだした。流血は蛇のようにうねり、ひと振りの短剣を形作った。
驚くべき奇術に、アマリアは目を丸くした。
その一瞬の隙に、ロトゥンハーシャは血の刃をアマリアの首筋にひたりと添えた。
「わかりますか。痛い目を見たくなければ黙って従えと、私は申し上げているのですよ」
心臓が早鐘を打った。あまりの侮辱と、生命の危機とが、脳内を赤く塗りつぶす。
震えるほど握りしめた拳を、ロトゥンハーシャはちらりと見た。未だ反抗的だと思ったのだろう。無礼な脅迫者は鼻を鳴らし、追い討ちをかけた。
「あまり手間をかけさせないでください。あなたの二人の従者の身柄は、現在こちらが預かっているのですよ。誰かさんと違って素直でしたから、今は丁重に扱っていますが、あなたの態度次第では……」
「なっ……、二人に手を出さないでください!」
「ならば部屋から出ないと約束なさい。従えば、明日送り出す彼女たちを、窓から見送るくらいはさせてあげましょう」
アマリアは歯軋りした。他人まで巻き込めない。しかも、あの二人は、どのような危険が待っているかも分からないこの国へ、アマリアのために、自ら志願して同行してくれたのだ。絶対に傷つけさせるわけにはいかない。
苦いつばを呑み下し、彼女はうなずいた。
「……わかりました。部屋からは出ません」
「結構。最初からそうおっしゃれば良いのです」
「二人は必ず無事に帰してください」
「ええ、お約束します」
ロトゥンハーシャは血の刃をアマリアの首筋から離した。刃はどろりと液体に戻り、傷口に吸い込まれるように体内に戻っていく。手袋をはめ直し、彼は笑顔で一礼した。
「それでは、これからよろしくお願いいたします。奥方様」
ぱたりと閉ざされた扉をにらみ、アマリアは壁を拳で殴った。猛烈な怒りが腹の底からこみ上げた。
(許せない。何なの、あいつ。何なの、この国は!
絶対にこの部屋から出てやる。見てなさい!)