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26話:燈火絶やす涙

「岩に潰されてもぴんぴんしているとはな。相変わらず、虫みたいにしぶとい連中だ。化物めが」


 伸び放題の無造作な金髪の隙間から、殺意にぎらついた(せき)(がん)が、魔王オルヴェステルをねめつける。

 狼の耳も、背の翼も、角や鱗もないこの剣士が、鳥族(ハルピュイア)の母を持つ混血魔族だと、アマリアだけが知っていた。

 エディジェプス。

 混血を孕まされ狂った母親に、生まれたその場で翼をもがれ殺されかけた青年。復讐以外の生きる理由をかなぐり捨てた先鋒兵(ヴァンガード)。初期配布キャラクターのひとりだ。

 全ユニット中最高クラスの攻撃力と最低クラスの防御力を持つ純粋なアタッカーが、いま、抜き身の白刃をオルヴェステルに突きつけていた。


「だが、ここまでだ。貴様を殺せば、純血どもは瓦解する。終わらせてやる……すべてをな!」


「待って! やめてください!」


 アマリアは両腕を広げて立ち塞がった。

 オルヴェステルと『黄昏(たそがれ)(ともしび)』が殺し合うところなど、見たいはずがなかった。


 少女のような顔立ちの、黒髪の少年魔術師(ウィザード)が、静かな声でつぶやいた。


「どいてください、イェラの聖女様。いえ、今はもう、魔族(ナイトメア)の王妃ですね」


 ルーイエ、と名を呼びそうになり、ぐっと声を呑み込む。杖を握りしめる彼の手の指は、力の入れ過ぎで白くなっていた。ともすれば泣き出しそうな声音で、竜族(ドラコ)の角を持つ混血魔族は訴えた。


「どうしてあの時、僕たちと一緒に来てくれなかったのですか。

 あなたさえこちらに来てくれれば、その力で、僕たちでも純血魔族と渡り合えたかもしれなかった。あなたさえそちらに付かなければ、仲間たちが命がけで倒した(つい)(とう)(ぐん)の純血魔族が、よみがえって再び襲ってくることだって無かった!」


「それは……」


「もうこれしかないんです! 魔王を……頭目を直接排除するしか! だからそこをどいてください!」


 牙の属領の慰問で助けた兵が、彼らの仲間を殺した?

 反撃の希望が(つい)えたから、彼らはゲームのシナリオよりも過激で無謀な手段を選んだ?

 私のせいで?


 動けなくなったアマリアに、赤毛の重装兵(タンク)、ゼノが油断なく盾を構えた。

 傷だらけの盾だ。幾度も死線を越えたのだろう。そして、幾人も……守りきれずに取りこぼしてしまったのだろう。いつか平和になったら、と、未来を語って仲間を鼓舞するリーダーだった。そのゼノの瞳に、光は無かった。


「悪いな、聖女様。あの時のあんたには、事情なんて分からなかったと思う。俺たち、強引だったし、説明する暇もなかったから」


「…………」


「恨んじゃいないさ。でも、恨まないでくれよ。きっとこういうのが、運命ってやつなんだろうな」


 決然としたその態度は、和解がもはや有り得ないことを示していた。

 ゼノが戦闘態勢をとったことを皮切りに、周囲の木立や茂みをかき分けて、幾人もの混血魔族が現れた。誰も彼もが、前世で見知った、仲間たちだった。


 よろめくアマリアの背を、大きな手が支えた。

 オルヴェステルだ。これまでアマリアに見せてくれた弱さや優しさは幻のように消え、彼は冷徹な王の威厳を身に纏っていた。

 瞳の燐光が、鬼火のようにあやしく揺らぐ。


「反乱軍だな。牙の属領で繰り返し暴動を起こし、挙句に我が(きさき)の馬車を襲った、不届き者ども。炎の大公に始末を命じたが、討ち洩らしがあったようだな」


()()()だ。あんたの首を取ることに成功したら、革命軍って呼んでくれてもいいんだぜ。ま、死んだら呼べねえか」


「その減らず口がきさまの遺言か。——ネノシエンテ」


 進み出た涙の大公ネノシエンテは、さながら物語の悪しき魔女の様相であった。

 見開かれた緑の眼はらんらんと血走り、食い縛られた白い歯列は折れんばかりだ。怒りに震える両の拳は、長い爪が己の手のひらを突き破って流血している。

 幽鬼じみた足取りで、一歩、また一歩と踏み出しながら、乱れた髪を頬にはりつけて、彼女は言った。


「お任せください、我が君よ。先の失態、ここで償わせていただきます。

 私の……私の愛しいフォルーシャンを、なぶって、刻んで、打ち捨てた……穢れた(いぬ)ども……! 何度でも地獄へ送り返してくれる!」


 オルヴェステルは「任せる」とだけ応え、他の部下たちに目配せした。

 涙の大公の()()の魔術師たちは、うなずきを返した。……そして、何の合図も要さずに、ぱっと三々五々に散り、一斉に山麓へ駆け出した。

 アマリアもまた、オルヴェステルに抱えられて、それに続くことになった。ネノシエンテひとりを『黄昏の灯』戦闘員の前に置き去りにして。

 手を伸ばして叫んだ。


「ネノシエンテどのっ! ……オルヴェステル様、いけません、戻りましょう、彼女が危険です!」


 オルヴェステルは振り向きもせず、速度も緩めない。


「案ずるな。涙の大公は、孤軍で最も強くなる。危険なのはむしろ我々だ。一刻も早くここを離れる。アマリア、口や鼻を手で覆っておけ」


「えっ……?」


「あの力は、()()()()()()()()()


 詳しく問う暇はなかった。

 いくつもの甲高い絶叫が、山肌を響きわたった。

 それはすべて混血魔族たちのものだった。

 ネノシエンテに襲いかかった『黄昏の灯』のメンバーが、血だるまになってもだえ狂っていた。遠目だったが、あのエディジェプスも、身をよじって激しくもがいているのが見えた。

 魔の(わざ)であった。

 ネノシエンテは、ただ一言の呪いの言葉で、男たちの皮膚をただれさせ、血を(ほとばし)らせた。

 叫んだわけでもなかろうに、それは不思議とアマリアにも聞き取れた。


 彼女は命じた。

 『狂い咲け』と。


(あれは何。魔術じゃない。秘術場で、彼女は言っていた。呪歌は魔族の古代言語だって。公用語で、たった一言で、あんな……あれはいったい……)


 倒れ伏す人間の数が増えるほど、周囲の草木は恐ろしい勢いで黒く枯れ果てていく。

 マナの枯渇だ。これほど急速に。

 涙の大公が敵をくだすたび、(かれ)()()()が駆けるように、彼女を中心に枯死が広がる。黒々とした死の円に、アマリアは呆然と目を奪われた。


(『呪い』だ……!)


「——逃がさねえ!」


 食い入るようにネノシエンテを凝視していたアマリアは、真横から襲い来る伏兵の剣に気づかなかった。

 オルヴェステルが間一髪でかわす。

 ネノシエンテもそれを察知し、フクロウのようにぐるりと首を向ける。血まみれの手で刺客を指差し、彼女はまた命じた。


「下郎め! 『嘆け』ッ!!」


 瞬間、ふっと何かが香った。

 円はいっそう広がった。

 刺客はぎゃっと叫び、顔をかばってのけぞった。

 アマリアも叫んだ。


(い゛)ッ、あああッ!?」


 目が痛い。焼けるように熱い。

 鼻も。喉も。

 すさまじい刺激臭。

 涙がぼろぼろあふれる。


(何これ、痛い、苦しい、私、前にもこんな……。

 まさか……(さい)(るい)(ざい)!? これが彼女の異能力!? 涙の大公は、毒を使うんだ!)


 その類推は正解だった。

 涙の大公。称号がしめすその異能力は、多種多様な毒物の生成だ。


 視界に映る限りのあらゆる場所に、命じた効果を持つ毒の霧を生じさせる。

 あるときは、皮膚をただれさせる()(らん)(ざい)を。

 またあるときは、涙と嘔吐を強いる催涙剤を。

 剣のひと振りさえ必要とせず、ただ見据えて命ずる、それだけで、ネノシエンテは数多(あまた)の敵をひれ伏させることが可能であった。


 ただし、万能ではない。

 その欠点の最たるものを、アマリアは味わわされていた。


 毒による涙を強いられながら、オルヴェステルはアマリアを抱えて全速力で森を駆け抜け、追手を振り切った。

 そして、地面にアマリアを下ろして、()けついた喉で励ました。


「涙と痛みは、半刻ほどで消える。ネノシエンテは、ぐッ、ゴホッ、わざと巻き込んだのではない。むしろ、私とお前がいたから、命に障らぬ『嘆きの毒』を選んだ。責めてやるな」


「わ、分かって、おります……ッ、ぅうッ!!」


 毒が拡散する方向は、制御できないのだ。

 一度発生させた毒をかき消すこともできない。ゆえに、気体の重みや風向きによって、意図せぬ相手に毒が回るのを防げない。

 だからこそ、オルヴェステルたちは彼女だけを残してきたのだろう、と遅れて理解した。炎の大公にも滅ぼしきれなかった混血魔族たちを相手どる涙の大公に、存分に力を発揮させるために。


「ネノシエンテはすぐ戻るだろう。獣族(ガルー)を見ると彼女は激昂するが、状況を忘れてはいないはずだ」


「ゲホッ、ゲホッ、う、じょ、状況とは……」


「今の我々は、秘術解読作業のために魔術師が多く、白兵戦に長けた者は少ない。荷物は多く、武装は不十分だ。そして、ここはアウン・ラプ。強毒で腐らせてよい土地ではない」


「た、確かに……ゴホッ、ゴホッ!」


「敵も混血とはいえ魔族、自然治癒能力がある。弱毒だけでは倒しきれないだろう。戦えない程度に弱らせて、撤退してくるはずだ。合流でき次第、すぐに馬車を走らせ、この場を離れる。分かったな?」


「……! ……!」


 ぼろぼろ泣きながら、なんとかうなずく。

 目を開けるのも、声を出すのもつらかった。

 新鮮な空気を何度も吸っては咳き込んで、アマリアはどうにか立ち直ろうとした。かきむしるように涙を拭うと、「こするな」と腕を掴まれた。分かっていても、耐え難い激痛だった。


 オルヴェステルは、油断なく周囲を警戒しながら、アマリアの回復を待った。その双眸からは、涙の代わりに細かな治癒泡が吹き出ている。ひと足先に癒えたようだ。

 『黄昏の灯』の囲みを突破するために、他の純血魔族らはほうぼうに散った。彼らとも合流しなくてはならない。馬車は無事だろうか。


 何度もまばたきし、視界を取り戻そうと頭を振る。その片隅に映った光景が、アマリアの目を釘付けにした。


(あれは……あの白い花……(はく)(とう)(じゅ)?)


 山肌に群生するその低木は、枝先いっぱいにつけた雪のような(はな)(ぶさ)を、ぐったりと萎れさせていた。

 厳冬に果実をもたらす、オルヴェステルの愛した白い花が。

 弱った木々の立ち姿が、前世の記憶を呼び覚ます。


(私、やっぱり知ってる、前にも『嘆きの毒』を嗅いだことがある。涙の大公の異能力で生成されたこの毒は、ファンタジックな呪いや魔法じゃない。これは……化学物質だ!)


 トリクロロニトロメタンという有機化合物の名を、アマリアも、ネノシエンテさえも知りはしなかった。

 だが、真理(まり)はその刺激臭を知っていた。

 家庭菜園に凝っていた父が、とある農薬の使い方を誤り、ご近所に迷惑をかけて警察まで呼ばれたことがあった。

 農薬がもたらす効果は、土壌の消毒。

 整地直後の土に注入すると、容易にガス化して地底まで広く浸透し、病害虫を殺傷する。強い催涙性を持つその農薬は、劇物として国に認定されていた。

 白燈樹は、それを大気中で直接浴びたのだ。


(たった三日しか咲かない花が、あんなに強い毒を受けたら、冬に果実は実らないかもしれない。もしもこのまま木が枯れてしまったら、来年、花が咲かないかもしれない。そうしたら……)


『きっと、また来ましょう。次の花が咲く頃に』


 ぎりり、と歯を食いしばって、アマリアは立ち上がった。

 彼の大切なものを、これ以上壊させはしない。


「オルヴェステル様、お許しください」


「アマリア……?」


「使います、力を、ここで」


 手をかざす。涙の向こう側をにらみつける。

 天の神へと懇願する。


「天に(ましま)す父なるアドゥマよ! あなたの娘イェラの(すえ)より、(かしこ)み申し(たてまつ)る! イェラの如くに命を癒やす、天与の恵みを、授け(たま)え!」


 黄金の聖印が、全身を包む。

 アマリアは、神が授けたマナを、己のマナごと全力で放った。密集する白燈樹と、その根本の大地へと。


 急速な虚脱感が襲いかかった。

 地中にひそむ無数の土壌生物が、我先にとマナをむしり取っていく。膝が崩れた。負けるものかと踏ん張った。いつかのように鼻から血が吹き出した。


(この毒は、空気より()(じゅう)が大きくて、どんどん地下へ沈んでいく。毒が通り過ぎて、抜けきってしまうまで。それだけでいい、白燈樹よ、土の中の生き物たちよ、このマナで耐えて……お願い!)


 咳が止まらない。地面にぽたぽた滴る血は、鼻から出たのか、喉から出たのか、それとも(かす)む目からなのか、すっかり判別できない。

 なんでも構わない。どんなに痛くて苦しくても、ひとつぐらい守りたい。


「アマリア、もういい、やめるんだ! このままではお前が……アマリア!!」


 隣にいるはずの彼の声が、やけに遠く聞こえた。

 身体を支える左腕が滑り、べしゃりと顔から地面に落ちる。

 涙と血とで視界がぼやけ、やがては暗く閉ざされた。

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