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25話:急襲

 アウン・ラプ洞窟での(とう)(りゅう)は、作業開始から五日目に、終わりを迎えた。

 五日めの朝、ネノシエンテは「今回必要な部分はひととおり複写し終えたので、持ち帰って既存の解読部と照合し、解釈を試みます」と報告した。

 きっと気の遠くなるような仕事に違いない。アマリアは、ネノシエンテら魔術師を心から応援した。


 手早く帰り支度を済ませる。山麓にはもう馬車が用意されているそうだ。

 おとぎ話のようなアウン・ラプの町並みも見納めだ。列をなして出口へ進む人の流れに乗りながら、アマリアは(あなぐら)の住居の一つ一つを名残惜しんだ。

 ある横道を通り過ぎようとして、彼女は足を止めた。先にあるのは清風の間だ。見慣れた背中がたたずんでいた。


「オルヴェステル様。何か忘れ物でも?」


 広間の中心へと駆け寄れば、彼は風に舞う花を器用につかまえ、おもむろに差し出した。


(はく)(とう)(じゅ)の花だ。晩秋に咲いて、ただの三日で散る。儚い花だが、雪が大地を閉ざして冬の蓄えが目減りする頃、甘い果実を実らせる。……運良く、今年の開花に立ち会えたようだ」


 手のひらほどの大きさの、丸みを帯びた清らかな花だった。辺りを見渡せば、同じ花が、風に乗っていくつも運ばれてきていた。思わず顔がほころんだ。


「綺麗……。まるで雪のようです」


「昔から、この花が好きなんだ。(ゆき)(よび)(ばな)とも呼ばれていて、年寄りや寒がりは嫌がっていたがな。白燈樹はこの辺りにしかない木だから、もう何年も見ていなかった……」


 ふわふわと花が降りそそぐ空を、まぶしそうに振り仰いでいる、絵画のような凛とした横顔を見つめて、アマリアは急にどきりと自覚した。


(私、この人が好きだ)


 このアウン・ラプで過ごした日々が、王の仮面に隠されていた、彼の本当の姿を明らかにした。

 料理が得意で、細工物が好き。他人にかなり気を遣う。失った家族を今も愛して、そして孤独に怯えている。

 彼の素顔は、あまりに素朴で、あまりに寂しく、悲しかった。アマリアは、もうオルヴェステルから目を離せなかった。


(彼が、穏やかに過ごせる時間を、もっと作ってあげられたらいいな。……まあ、穏やかで優しい彼が、一番私の心臓に悪いんだけど……)


 それでも、彼のためならば、アマリアは自分の平穏なんて代わりに投げ捨てたって構わなかった。

 彼女は、オルヴェステルを見上げて、ほほえみかけた。


「そろそろ参りましょう、オルヴェステル様。みなが待っております」


「ああ。手間をかけたな」


「きっと、また来ましょう。次の花が咲く頃に」


「……ああ」


 自分よりもずっと高いその背を追いながら、アマリアは思った。

 この人の助けになりたい、と。




 それは、最後尾を歩いていた二人が、ちょうど洞窟の出入口に差し掛かったところで起こった。

 びしり、という硬質な異音を、耳聡き多くの魔族(ナイトメア)が聞き取った。

 わずかに地面が揺れた。それが決定的な異変だと確信できなかったのは、あるいは、アマリアの前世の故郷が、地震に慣れた日本国だったためだろうか。


 突如、頭上で爆音が響いた。


 床が、壁が、天井が、ひび割れ崩れ始めた。

 人々の脳天をめがけて、無数の落石が転がり落ちてきた。


(いったいなに!? どうして……洞窟が!!)


 アマリアは轟音と衝撃におびえ、思わずその場で頭をかばった。それは間違いだとすぐに気づいた。


「アマリア様! 外です、お早く!」


 叫んだのはネノシエンテだった。

 異変の兆候をいち早く察していた魔族たちは、一斉に駆け出し、ただちに洞窟を抜けようとしていた。

 だが、アマリアは反応が遅れた。

 言われてようやく、ここを出なければ危険だと理解し、走り始める。

 足がもつれて、派手に転んだ。

 気づいたオルヴェステルがはっと振り返り、全速で駆け戻ってくる。岩窟の亀裂はみるみる広がる。土煙を巻き上げながら降り積もる岩石が、しだいに道を塞ぎ、人間を生き埋めにしようとしていた。


「アマリアッ!!」


 オルヴェステルの怒号が響く。

 横から、ひときわ大きな落石。

 網膜が幻覚を映し出す。

 十一月の、左折のトラック。

 ぶつかる——真っ白な意識にそれだけが浮かぶ。

 避けられない。間に合わない。

 無理だ。


 恐怖にぎゅっと目を閉じたその瞬間、どんっ、とひとつの衝撃があった。

 アマリアは自分の体が、どろりと何かに沈み込むのを感じた。




 息を止めて、身を固くしていたアマリアは、予想していた痛みがやってこないことに気づいた。

 静かだ。そして、温かい。

 おそるおそる目を開けると、一面に暗黒がひろがっていた。

 ぽつりとつぶやいた。


「私……また……死んだの?」


「いいや」


「……えっ!?」


 (いら)えがあるとは思わなくて、大きな声が出てしまった。背と両足に、ぐっと圧力を感じる。それで、自分は今、抱えられているのだとわかった。

 かすかな光を感じて振り仰ぐと、塗り込めたような闇の中でただ二つ、氷色の星が間近に輝いていた。


「オルヴェステル様!」


「無事かアマリア。痛むところは。頭は打っていないか」


「た、たぶん大丈夫です」


 矢継ぎ早の問いかけに気圧されてうなずく。

 オルヴェステルは深い安堵のため息をついた。


「……良かった」


 疑いようもない真摯なまなざしが、胸を打った。


(助けてくれたんだ……。あの落石の中を、飛び込んできて)


 鼓動が早鐘を()いた。唐突に、互いの顔の近さを自覚した。今の姿勢が、彼にぴったりと抱きかかえられているのだということも。

 顔の赤さは見破られただろうか。アマリアはあわてて身をよじった。


「あのっ、じ、自分で立てます」


「だめだ、動くな!」


「でもあのっ、近っ、恥ずっ」


「闇に呑まれて溶け消えるぞ。絶対に俺から離れるな!」


「えっ……、え?」


 思わぬ語気の強さと予期せぬ警告に、火照った頭も冷静になる。

 そういえば、静かすぎる。妙な浮遊感もある。

 おそるおそる、問い返した。


「ここは、洞窟の崩れた土砂の中……ですよね?」


「違う。俺たちは今、影の中にいる」


「影の……?」


「……秘術がもたらした、異能力のひとつだ」


 恥じらいをひっこめて、アマリアはオルヴェステルをまじまじと見つめた。

 闇の中では、光を放つ彼の瞳の動きが、よくわかった。鋭くぎらりと構えられながら、こまかく揺れる、青白い瞳が。

 恐怖?

 違う。これは、警戒だ。天敵の襲来を予感して、毛を逆立てる獣のような、原始の感情。

 殺気だ。


「うまく伝えられるか、わからないが……俺は、影を操ることができる。

 濃密な闇を扉として、普段暮らしている場所とは異なる、影の空間に入ることができる。俺は、崩落して埋もれた地面の陰影から、君ごと影に引き込んで、岩から逃れた」


「影の空間……」


「ここは洞窟内でも、地中でもない。今からこの空間を泳いで別の影に渡り、そこからもとの世界へ戻る。だが……」


 まなざしは、ひときわ鋭利につきつけられた。


「……誰にも言うな。俺が、君を……他者を連れて影に潜ることができたということを。魔術師たちにも、ネノシエンテにも。ラヤにもだ」


 アマリアは、半ばおびえて「はい」とうなずいた。そして、彼のその剣幕が、かつて与えられた忠告を、アマリアにはっきりと思い出させた。


「隠しておられるのですね、ご自身の能力を。大公たちに、利用されないために」


 オルヴェステルは、それを認めた。彼は歯ぎしりしてうなずいた。


「この力は、危険極まる代物だ。どのような堅固な城壁も、念入りに隠された機密も、意味をなさなくなる。暗闇さえあれば、俺はどこにでも侵入できる。そして本来ならば、そこへ刺客を伴うことも」


 ぞくりと鳥肌が立った。軍事に疎いアマリアにも、その恐ろしさは伝わった。

 オルヴェステルは、いくらでも他人の寝首を掻けるのだ。どのような場所に隠れても、彼はそれを見つけ出し、背後に直接現れることができる。


「この異能力が、表立って利用されていないのは、大公たちに能力の一部を偽って伝えたためだ。俺以外は、誰も影に立ち入ることができない、とな。

 王家唯一の成人であるという俺の身分が、この能力の積極的な運用を見送らせた。だが、もし真実が露見すれば、国内の衝突は避けられない。俺の秘密は、血を流して戦い続ける同胞たちへの、背信行為だ。……いいか、今回、ネノシエンテたちには、次のように説明する……」


 二人は、ぎりぎりのところで土砂をくぐり抜け、洞窟内部に駆け込むことができた。それから、いったん歩いて都市内へ戻り、別の出入口を見付けて脱出した。アウン・ラプには、知られざる無数の()(みち)があって、運良くそのひとつを見つけることができた……。


 アマリアは、口裏合わせの内容に納得しながら、胸がざわめくのを感じた。彼のそれまでの言葉の端々が、ある事実を言外に指し示していた。


(彼は、この他に、少なくとももうひとつ、異能力を持っている。……そして、ラヤは教えてくれた。オルヴェステル様は、『獣族(ガルー)征服作戦の折、いずれの大公をも凌ぐ、比類なき戦功をあげられた方』と……)


 よかれと思って明かした事実が、思わぬ悲劇を招くことがある。

 強大な力の持ち主であることが知られれば、大公たちは、それを必ず前線で運用する。


(あれはもしかして、彼自身の失敗から生まれた教訓だったの? この人はかつて、大公たちによって、前線で()()された——)




「……陛下、それに王妃様も! よかった、ご無事でしたか! ……おおい、みんな! 見つかったぞ!」


 二人は、崩落した入口からいくぶん離れた木陰を選んで、太陽のもとへ戻ってきた。

 捜索隊の兵と合流し、打ち合わせ通りの説明で、難を逃れたと彼らに伝える。

 疑ってくる者はいなかった。拍子抜けするほどあっさりと信じてもらえたが、それどころではない事態になっているのだと、すぐに悟った。

 ネノシエンテが、自慢の長髪を振り乱して駆けつけた。鬼気迫る表情だ。


「陛下、アマリア様! 嗚呼(ああ)、お許しくださいませ! 私が警戒を怠ったがために、お二人を危険に晒してしまうなど……!

 すぐに下手人を捕縛し、引き立てます!」


「下手人……ですか?」


「あの崩落は事故ではありません。人の悪意によるものです。(はっ)()の痕跡が見つかりました。お二人のいずれか、あるいは両方を狙った、敵の——」


「俺たちなら、ここにいるぜ」


 早口で報告していたネノシエンテが、いっさいの表情を消し、ぴたりと全身の動きを止めた。

 突如、割って入った少年の声。

 アマリアにとっては、耳に馴染んだ声だった。


 生い茂った低木の陰から、姿をあらわした者たちがいた。

 赤毛に獣耳、巨大な盾を持った少年。

 金の長髪、冷酷そうな黒づくめの剣士。

 黒髪に巻角、背の低い少女じみた魔術師。

 彼らは武器を構え、油断無く魔族たちをにらみつけていた。


 名を呼びかけて、すんでのところで、アマリアは自分の口を両手で覆った。


(ゼノ、エディジェプス、それにルーイエ! 嘘……あれは、みんなの仕業だったの!?)


 混血魔族による、抵抗組織。

 『黄昏(たそがれ)(ともしび)』。

 液晶画面越しに触れ合った記憶より、何倍もすさんだ顔つきで、見慣れた彼らが目の前に立っていた。

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