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16話:弱いもの同士

 その晩、アマリアはひどい悪夢を見た。

 彼女は、暗い城をさまよっていた。噴水のある中庭に出ると、奥の方で、誰かが作業をしているのが見えた。


『あ、王妃様。こんにちは!』


 キーラタだった。血まみれの。

 彼は笑顔で、地面に槍を立てては、そこに獣族(ガルー)の屍を突き刺していた。


『陛下のご命令なんです。きれいでしょう?』


 アマリアは逃げた。やけに重い足を、動け、動けと何度も殴って、必死に逃げた。

 長い廊下の先で、ジョサムが『おや』と手を振った。


『新しい料理を考えてみたのです。お口に合えば良いのですが』


 差し出された皿には、どす黒い血がなみなみと張られていた。煮えた野菜にまぎれて浮かぶ、見慣れない具材があった。それは千切られた狼の耳だった。


 逃げる。必死に逃げる。

 記憶にない通路を何度も曲がって、どうにか自室に駆け込んだ。床に突っ伏すアマリアに、ラヤが寄ってきて、背をさすってくれた。


『どうなさったのですか、アマリア様』


『ラヤ……。いえ、ありがとう。もう大丈夫』


 顔を上げ、ほほえみかけようとして、アマリアは叫んだ。

 真新しい切り口から、ぶしゅ、ぶしゅ、と血が吹き出ていた。ラヤには、首から上が無かった。




 全身汗だくで、アマリアは飛び起きた。

 心臓がばくばくとうるさい。


 部屋の中はしんと静かで、暗かった。自分がまだ悪夢の中にいるのではないかと思って、ふらつく足で彼女は寝台から降りた。

 窓から見える空は、ほんのり白んできている。じきに夜明けらしい。アマリアは、ほ……と長く息を吐いた。顔に張り付いた髪を払い、べたつく汗をぬぐう。ろくでもない夢だった。


(属領での、あの処刑のせいだ。……でも、本当にすべてが夢なの?)


 ()(しゃく)で水瓶の水を汲み、行儀は悪いが、直接(あお)る。ひんやりした水が喉をすべり落ち、全身が冴えていくのを感じる。

 アマリアは、冷静に夢を分析した。


(私、いま、魔族が怖いんだ。普通の人みたいな顔をして、平然と子どもを殺させたバーンソルドを見たせいで。このお城の人たちまで、同じなんじゃないかと疑っている。異民族なら殺して当然だと、みんなが思っているんじゃないかって、おびえている……)


 完全に夜が明けたら、朝食の膳を持って、ラヤが部屋にやってくるだろう。夢での姿を思い出し、ぶるりと震える。疑心を抱いたままで、彼女と会いたくなかった。アマリアは、『少し散歩をしてきます』と書き置きを残して、静かに部屋から抜け出した。




 あてもなく歩き回る彼女の足は、いつかの裏庭を目的地に選んだ。

 (あさ)(もや)にしっとりと濡れる庭の草花を見て、アマリアはあっと気づいた。


(また、植物が弱っている……。実験のとき、マナを与えて元気になっていたのに)


 うなだれた植物たちに、アマリアは再びマナを注いだ。以前と同じく、活力を取り戻した。だが、このぶんでは、いずれ元通りに萎れてしまうのだろう。

 よく見れば、黒ずんで枯れている花もあった。試してみたが、その株には、もうマナを注ぐことができなかった。


(……この花は、もう、命ではないんだ。命でないものに、私はマナを与えられない)


 黄金の聖印が失せた腕を、アマリアはだらんと下げた。そして、崩れるように、その場にしゃがみこんだ。


(私は……女神イェラではない。命無き泥にマナを注いで、命にするほどの(けん)(のう)は無い。そして、争いの中で滅びに瀕した国を、救い上げるほどの力も、きっと……無い)


 鼻の奥が、つんと痛んだ。ぎゅっと膝を抱え込んで、そこに顔を(うず)めた。


(私、傲慢だった。聖女の力を授かって、前世の記憶も取り戻して……、自分は特別な存在かもって、どこかで思い込んでた。真剣に頑張れば、きっと何でも解決できるって……)


 服の袖が、じんわりと濡れていくのを感じた。アマリアは顔を両腕にぴたりと付けたまま、声を押し殺して泣いた。


(ごめんなさい。獣族(ガルー)の子どもたち。私、見ていることしかできなかった。助けられなくてごめんなさい)


 アマリアは、心の中で何度も、殺された子どもたちに謝った。連れ去られた女の子の境遇を思うと、さらに涙があふれた。自分の無力が恥ずかしかった。

 人の気配も、鳥や虫の声さえも聞こえない裏庭で、彼女はしばらく悲しみにくれていた。その背中に、「アマリア」と、なんの前触れもなく声がかかった。


「……薄闇の中、ひとり歩いているのが見えた。何事かと思ったが」


 オルヴェステルだった。いつぞやと同じ、闇色の装束に身を包み、彼は背後に立っていた。この男はいつも、物音ひとつ立てずに現れる。

 アマリアは、びくりとおののいた。まさか人がいるとは思わなかったのだ。だが、後ずさった理由は、決してそれだけではなかった。その内心は見透かされていた。


「今のお前が、私をどう思っているのか、当ててみせよう」


 暗くよどんだ目つきで、オルヴェステルは言った。


「聞こえの良い言葉を連ねて、協力を望んでおきながら、裏では部下に非道を許す、残虐で卑劣な詐術師。どうだ」


 アマリアは首を横に振った。「わたくし、そのような……」弱々しい声には、驚くほど説得力が無かった。彼はそれでも、腹をたてた風もなく、まぶたを伏せた。


「構わぬ。事実だ。私は……お前に、謝罪しなくてはならない」


 オルヴェステルは、ゆっくりと歩み寄り、地べたに座ったままのアマリアの隣に立った。背が高い彼の表情は、長い黒髪で陰になってしまって、よく見えない。

 彼は(ざん)()した。


「すまない、聖王女アマリア。お前の同盟相手である私は、大公たちの(かい)(らい)だ。表立って彼らと対立することさえ、不可能なのだ。特に、バーンソルド……『炎の大公』に、私は強く出られない」


 アマリアはまじまじと彼の顔を見た。

 王が、家臣の、操り人形?

 まさかそんなことがあろうか。だが、思い返せば、彼の立ち回りはいつも、秘密裏に策をたてて、念入りに警戒しながらのものであった。国としての表立った行動——アマリアへの求婚や、領都における自治権については、大公たちが主導となっている。

 オルヴェステルは、苦しそうにかすれた声で、ぽつぽつと告げた。


「私が復讐を指揮し続け、大公たちを(よう)(りつ)する限りにおいてのみ、民は私に従う。彼らは、私が王だから崇めているのではない。()()()()()()()()()()()()、私を崇めているのだ。もし私が、殺戮を制止するために、表立って大公と反目すれば、人心は容易に私から離れていくだろう。だから、属領における炎の大公の残虐を、私は容認せざるを得なかった」


 アマリアは、無礼と知りつつ、問うた。


「どうして……民の心は、陛下から離れてしまうのですか?」


 氷色の目が、アマリアをじっと見た。瞳が放つ青白い燐光が、彼の血の気を失せさせて見えた。こわばった表情で、オルヴェステルは答えた。


「私の母の死こそが、魔族の復讐の発端だからだ」


 いまいちぴんと来ていないアマリアの表情を見て、「すまない。具体的に話そう」と、オルヴェステルは左手の指を一本立てた。


「ひとつ。母の直接の仇である村を滅ぼし、すでに復讐を成し遂げた私が、民にはそれを許さず、以降の殺戮を禁じたとしよう。するとどうなるか。民は、自らの復讐を果たすために、邪魔者の私を殺し、王家を捨てるだろう。そうなれば、伯父上から託された王室は絶え、シシルエーネの寄る辺が消えてしまう」


 なるほど、と、アマリアは口の中でつぶやいた。彼は、先王ダースラーンの遺言により、幼い従弟のシシルエーネを守らなくてはならない。そのために王家を威信ある存在として保つ必要があるのだ。だから、反感を買う真似はできない。

 オルヴェステルは、もう一本指を立てる。


「ふたつ。……己の母を殺されておきながら、仇討ちを望まなかった男を、果たして民は、王として敬意をもって仰ぐだろうか?」


 アマリアは、言葉をなくし、目を見開いた。

 オルヴェステルは、ゆっくりと拳を握り、己を(あざけ)って笑った。


「私は、弱い。弱い男だ……。魔族が初めて武器をとり、母の仇の村を滅ぼした報復の夜、それを指揮したのは、私ではなく、バーンソルドだった。当時の私は、彼に強いられてそれに参加し、言われるがまま剣を振るった……。

 目の前で母が殺されたときも、私が心から望んだことは、母の仇を皆殺しにすることではなかった。私は……ただ……」


 言いよどんで、彼は諦め、力なく首を横に振った。


「……何でもない。単なる泣き言だ。忘れてくれ」


 それっきり黙り込んだオルヴェステルは、まるで土砂降りの雨に打たれて濡れそぼり、途方に暮れる犬のようだった。

 目を伏せて恥じ入り、奥歯をぐっと噛みしめる横顔を見つめて、アマリアは、思わず小声でつぶやいた。


「なんだか、ちょっぴり、安心しました」


 長い耳をぴくりと揺らし、彼は、戸惑って振り向いた。罵られるとでも思っていたのだろうか。

 (この人、たぶん、これが素なんだな)とアマリアは察した。彼は繊細なのだろう。自信がなくて、恥と後悔を抱え込み、助けを求めることもできず、一人で黙って耐え続ける……。

 捨て犬のようで、放っておけない。

 アマリアは、できるだけ明るい声で語りかけた。無力なのは、あなただけではないと。


「いま、ちょうどわたくしも、自分が情けなくて泣いていたのです。特別な力を授かって、称号ばかり輝かしくて、そのくせ、枯れた草をよみがえらせることも、目の前の子どもたちを助けることも出来なくて……。自分なんかには、何もできやしないって、悔しくて、悲しくて、泣いていました」


 まだ目尻に残っていた涙の欠片をぬぐって、アマリアは、すっと立ち上がり、ほほえんでみせた。


「牙の属領へ行ってから、陛下のことが怖かったんです。でも、今はもう、怖くないです」


 オルヴェステルは、じっとアマリアを見つめた。すがるような目だった。


「……まだ、私に協力してくれるか」


 常に無く弱々しい彼の姿が、なんだかおかしかった。アマリアは、励ますように右手を差し出した。


「もちろんです。わたくしたち、弱いもの同士ですから、しっかり手を組んでいかないといけませんね。ここから、一緒にがんばりましょう」


 差し出された手のひらを、オルヴェステルはおずおずと握り返した。遠慮がちだが、大きくて暖かな手だった。


「すまない……。改めて、よろしく頼む」


「こちらこそ。……でも、わたくしの実験は、また最初からです」


 首を傾げるオルヴェステルに、草地を指し示す。


「『呪い』の解決方法のことです。マナを与えて草花が元気になるのは、どうも一時的な効能のようなのです。時間が経てば、このとおり。これでは、各地の田畑を復活させられません。もしも耕地復活が()せれば、大公たちや異民族との交渉材料になるかと思ったのですが……」


 オルヴェステルは、うなずいて言った。


「土地そのものが、弱っているのだろう。

 過去、我々の得た耕作地が『呪い』で枯死した際も、初めは単に植物の病が広がったのだと考えられた。だが、苗をすべて入れ替えても、輪作に用いる別の作物を育ててみても、結局ろくな収穫が得られなかった。

 そうした枯れ地を、我々は放棄してきた。この城の周囲の『直轄領』も、かつては穀倉地帯だったのだが、すべて枯れ果て、捨てられた。農奴たちは『牙の属領』へ移住させ、今では無人の荒野ばかりだ」


「土地が弱る、ですか。ううん……わたくしがマナを与えられるのは、生き物だけです。土は生きていないから、マナを与えることは……、あっ!」


 アマリアは、ひらめいた。

 真理(まり)の記憶が、急にまざまざと思い出された。

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