15話:大公たちの思惑
アマリアたちは、領館の門の近くまで急いだ。
途中、衛士たちに「危険です、お戻りください」と止められたが、「いざという時は私がおりますので」と、ロトゥンハーシャが納得させて押し通った。
炎の大公や暴徒に見つからないように、少し離れた物陰から様子をうかがう。
門前には、夜だというのに、百人以上の獣族の市民が集まっていた。そして、誰もが炎の大公を恐れて、遠巻きに騒動の中心を取り囲んでいた。
篝火があかあかと燃える門前の広場で、三人の子どもが、兵士に取り押さえられているのが見える。彼らは、喉が割れそうなほど叫んでいた。
「お父ちゃんを返せ! おれたちのお父ちゃんを返してよ! どこに隠したんだよ!」
アマリアは、小声でロトゥンハーシャに尋ねた。
「負傷兵の、お子さんたちなのでしょうか」
ロトゥンハーシャは、険しいまなざしを子どもたちに向けたまま、「いいえ」と答えた。
「あれは、違う。ただの獣族でしょう」
「どういうことですか? 本日治療した方々は、多かれ少なかれ、みな魔族の血を引いていました」
「治療されない兵がいるのです。牙の属領軍には、使い捨ての獣族兵がいる。バーンソルドは、それらのために大公の力を求めはしません。絶対に」
「な……」
なんということだろうか。
抵抗組織との戦いにおいて、負傷者が三十六人、死者なし。軍事に疎いアマリアは、これを多いのか少ないのか判断できず、そういうものなのか、と受け止めていた。
だが、実際はそうではなかった。計上されない獣族の奴隷兵たちがいて、彼らは使い潰されていた。傷つけばそのまま、死んでもそのまま。
あの子どもたちは、その遺児だ。
バーンソルドが、子どもたちの前に立っている。必死の訴えをそよ風のように受け流しながら、彼は隣の兵士と会話して、何か情報を確認していた。
やがて、一人の子どもの前に歩み寄り、しゃがみこんだ。バーンソルドは声が大きく、離れていてもじゅうぶん聞こえた。
「お嬢ちゃん。いま何歳かな?」
「……」
「答えないと、ひどいぞ。お前のお兄ちゃんや弟に、意地悪されてもいいのか?」
「……! ………………」
「ふむ、十一歳。まあ、あとほんの数年なら、良いか」
立ち上がり、バーンソルドは兵たちに告げた。
「この嬢ちゃんは、『牧場』に送れ。家族が減って悲しいらしい、増やしてやらないとな。
男は要らん。そっちの二人は、始末しろ」
牧場、と聞いて、アマリアはぴんときた。
前世の記憶だ。ゲームに出てきた。一部のキャラクターの個別ストーリーや、台詞の中で。『おれたちは牧場で生まれました。泣いてばかりの大勢の母たちと、顔も知らない魔族の父の間に。混血魔族は、ほとんどがそうです』と——
衝動的に飛び出そうとしたアマリアを、ロトゥンハーシャが捕らえた。
「お待ちなさい! 何をしようというのです」
「とめないで! 行かなければ! 炎の大公は、あの女の子に無理やり混血の子を産ませるつもりです!」
「あなたが彼の決定を覆すのは不可能です! 軽はずみな行動は慎みなさい!」
「軽はずみですって……!」
「ここは牙の属領、バーンソルドの統治下です! 城とは違う! あなたのために動いてくれる兵は、ここにはいないのですよ!」
「でも!」
子どもたちの絶叫が響いた。群衆のどよめく声や、悲鳴も聞こえる。
地面に小さな血だまりが見えた。連れ去られる女の子が、手を伸ばして叫んでいる。「お兄ちゃん! やだ! お兄ちゃん!」と。残された弟も、地面に引き倒され、泣きわめいていた。剣を振り上げる兵士がいた。
アマリアは、凍りついたまま、その瞬間を見た。
ロトゥンハーシャは、アマリアから決して手を離さなかった。
その後、どれだけの時間立ち尽くしていたのか分からない。気づけば、群衆は追い散らされ、小さな二つの屍も片付けられていた。
物陰の二人に気がついたバーンソルドが、「よ」と軽く手をあげて近づいてきた。
「何だ、見てたのか。ご婦人には刺激が強かったかもな。ロトゥンハーシャ、お前、気ィ遣ってやれよ。得意だろ、そういうの」
「……アマリア様本人のご希望でしたので」
「ふうん。まあ、もう夜だ。最近は風も冷たい。昼間は重労働だったし、部屋でゆっくり休んだほうがいいぜ。道は分かるか?」
「ええ、私がお送りします。そちらの手数は割かなくて結構」
「そうか。それじゃあ、二人とも今日はお疲れさん。来てくれて本当に助かったぜ!」
にかっと笑って、彼は立ち去った。
何か言ってやろうと思ったのに、ついにアマリアは一言も口を利けず、それを見送った。
幼い子どもを殺させた直後に、どうしてあんなに屈託なく振る舞えるのか、まるで理解できなかった。
「魔族は、イェラの聖王女という、不確かな可能性だけに頼っているわけではありません。長年の窮状に対策しようと、我々の中には、大きく分けて三種類の方針が提案されているのです」
帰りの馬車の中で、ロトゥンハーシャは語った。アマリアは、うつむいてそれを聞いていた。
「ひとつは、鉄の大公ギルンザディンの提案です。彼は、『呪い』が魔族を滅ぼす前に、あくまで異民族を徹底的に撃滅すべきだと主張しています。復讐の完遂を目指す彼の一党は、『族滅派』と呼ばれています。
涙の大公ネノシエンテの案もあります。彼女は、魔族に純血の子どもが生まれないことを、最も大きな問題と捉えています。そこで、秘術を読み解き、改良することで、魔族の女性の生殖能力を増強しようという提案です。これは『調整派』と呼ばれていますね。
そして、炎の大公バーンソルドの案。彼は、混血魔族を大量に生み出すことで、魔族と、その他の三民族との境界を、破壊して混ぜてしまおうと主張しました。すべての人が魔族になってしまえば、魔族差別は消える、というのです。『融和派』と呼ばれています」
融和。あれが、融和だというのか。
怒りと悲しみが、後から後から湧いてくる。アマリアが膝の上で握りしめた拳に、ロトゥンハーシャは気づかないふりをして続けた。
「これらの案は、どれも問題を抱えています。
族滅派は、魔族側の損害を度外視していて、玉砕を視野に入れている。
調整派は、秘術の解読に挑んでいますが、現状は成果がありません。
融和派は、……ご覧になったとおり。混血を計画的に増やすという方法そのものに問題があります。増やした混血が我々の味方とも限りません。
しかし、完全な解決方法が無いからといって、何もせずに指をくわえて見ている訳にはいかないのです。陛下は、ひとまず各大公の領都や麾下の範囲に権限を限定して、各案をそれぞれ試行することを許可されました。その影響を鑑みて、改善案を出させ、今後、最終的に判断なさるということでしょう」
「……陛下が、あれを許しているのですか」
「ええ。ですから、あの場でバーンソルドの決定を覆させることは、あなたがいかに王妃といえど不可能でした。
牙の属領の領都では、獣族、鳥族、竜族からなる敵性民族、『婢族』の女性の収容を推進しています。
そもそも魔族の支配圏全体で、婢族の殺傷を咎める掟は、ひとつもありません。相手が兵ではなく、民間人だとしてもです」
アマリアは黙り込んだ。馬車の外から、雨音が聞こえ始めた。
わかっていたはずだ。彼らは、悪役なのだと。
それでも、あの城でアマリアは何日も過ごした。
親友になったラヤ、うっかり者のキーラタ、気が利くジョサム。
可愛い王太子シシルエーネ。
無愛想だが誠意ある、オルヴェステル。
魔族とは、普通の隣人たちなのだと信じた。状況は難しくても、手を尽くせば、憎み合うのをやめて分かり合えるのではないか、と期待した。
日本でもイェラ神国でも、争いと無縁のまま生きてきたアマリアは、戦争のおぞましさの一端に、いま、初めて触れた。
「ロトゥンハーシャどの」と、アマリアはか細い声で呼びかけた。車窓を眺めていた彼は、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
「『どの』はもう結構。どうしました?」
「あなたは、他の民族が憎いですか」
「それはもう。ですが、他の大公ほどではないでしょうね」
「あなたは、この国はこのままで良いと思う?」
「まさか。どうにかしたくて、陛下のもとで尽力しているのです」
「あなたは……あなた自身は……炎の大公のくだした処断を、正しいことだと思った?」
長い沈黙の後、ロトゥンハーシャはつぶやいた。
「……いいえ。私は、子どもが死ぬのも、女性がなぶられるのも、大嫌いです。私は融和派には反対ですよ」
そうですか、とアマリアは答えたが、声が出なかった。涙が堰を切ったようにあふれ始めた。
雨の道をゆく馬車の中に、嗚咽だけが静かにこだまし続けた。
城につくと、使用人たちが雨傘や布を持って駆け寄ってきた。彼らにアマリアを預けて、ロトゥンハーシャは言った。
「陛下への報告は私がしておきます。アマリア様は、一足先にお休みください」
「いえ、わたくしも最後まで……」
「その泣きっ面で?」
笑われて、アマリアは赤く腫れた目を手で覆う。もう泣き止んだが、流石にこれを「雨に濡れただけ」とはごまかせまい。
「何があったかは、すべて説明しておきます。あの方も心配症ですから、いずれ向こうからあなたに声をかけて来ますよ。その時、落ち着いてお話しできるよう、今はご無理をなさらずに」
「そうします。ロトゥンハーシャ、ありがとう」
今回は厚意を受け取ったほうが良さそうだ。ロトゥンハーシャは、「ようやく私のありがたみが分かってきましたか」などとうそぶきながら、政務室へと去っていった。
部屋に戻り、服を着替えて一人になると、少し気持ちが落ち着いた。
窓辺から、雨に烟る景色を眺める。神杓平原を囲む山並みの、淡い青色の影が、壁のように聳えているのが見える。
イェラ神国の人々はどうしているだろう。便りの一つも出せずにいるが、国は混乱していないだろうか。
父は心配しているだろう。
弟、スヴェンは怒っているかもしれない。
送還された侍女たちは、恙無く過ごしているだろうか。
神国の都市の外縁部は、路地の排水処理が行き渡っていない地区があった。長雨が明けたら、兵たちが住民たちを手伝って、泥土の処理をしていたものだ。
疲れて帰ってくる彼らを神殿に迎えて、湯を用意し、ねぎらいながらマナで癒やした日を覚えている。肩が痛い、腰が痛いとぼやきながら、誇りに輝く彼らの笑顔を、覚えている。
あれを平和と呼ぶのだ。あの日々を。
ほんの目と鼻の先にある故郷には、きっと今でもそれが続いているのに、この国では、それが無い。アマリアの鼻がまたつんと痛んだ。
(陛下は、きっと今頃、報告を聞いているだろう。あの人はどう思うだろうか……自分が許可した、非道について)
オルヴェステル。魔族の王。アマリアの夫。
城に二人の大公が訪れたとき、不用意に接触してしまったアマリアを助けてくれた。
従弟のシシルエーネを心配していた。
アマリアが、大公たちに利用されて望まぬ悲劇を起こさぬよう、用心深く守ってくれもした。
牙の属領に行くことを許し、この国の実情を知る機会をくれた。
その彼と、炎の大公が自領で異民族の子どもを殺すことを容認した魔王とが、どうしても頭の中で結びつかない。
それとも、彼もまた豹変するのだろうか。麾下の魔族たちには親身に優しく振る舞っておきながら、獣族の市民には途端に冷酷になった、炎の大公バーンソルドのように。
(あなたもまた、書き損じた紙を捨てるような気軽さで、異民族を殺すの?)
ぞくりと身震いが走った。
アマリアは、オルヴェステルに底知れぬ恐怖を感じた。