14話:牙の属領
反乱軍の鎮圧に当たった、牙の属領軍の魔族たちを慰問せよ。
それが、アマリアにくだされた初めての公務の概要だった。
行きの馬車の中で、ロトゥンハーシャが諸々の説明をしてくれた。
「まずは、おさらいです。現在、魔族の支配圏は、四つの区画に分けて管理されています。
ひとつは、直轄領。城とその周辺ですね。戦乱と『呪い』で荒れ果てて、すでに人里はありません。
ひとつは、鱗の属領。鉄の大公ギルンザディンが竜族と戦うための、南東の拠点です。
ひとつは、翼の属領。涙の大公ネノシエンテが鳥族の奴隷を治める、北東の海岸です。
最後のひとつが、牙の属領。炎の大公が獣族の奴隷を治める領域で、平原のほとんどすべてです。この『牙の属領』が、これから向かう場所になります」
アマリアがうなずくのを見て、ロトゥンハーシャは続けた。
「さて。あなたが初めて城へ来る途中、賊に襲われたでしょう。調べによると、あの連中は、近年になって牙の属領にのさばり始めた、混血魔族による反乱組織でした。……『混血魔族』について、これまでに誰かから聞いていますか?」
アマリアは「ええ」と答えた。本当は誰からも聞いていなかったが、前世の真理が知っている。なんといっても、ゲームの中では、本来そちらが味方キャラクターたちなのだ。
「戦時下で、魔族と他⺠族との間に⽣まれた、混⾎私⽣児の⽅々ですね。それぞれの民族の特徴を併せ持つので、⾒た⽬は他の三⺠族に似ているけれども、魔族のように傷の治りが早いとか」
「ああ、ご存じでしたか。そう、ようはそういった輩が徒党を組んで、我々、いわば『純⾎魔族』に楯突いているのです」
ロトゥンハーシャの声音に、安心したような響きが含まれていることに、アマリアは気づいた。そうだろうと思う。混血魔族は、魔族の恥部だ。自分たちの戦争犯罪が生み出した存在について説明するのは、ためらわれるものだ。
「⽛の属領の⽀配を任じられている『炎の⼤公』は、あなたが受けた襲撃の件があったので、これまでよりも苛烈にその組織を炙り出し、処分していました。他の⼤公たちと異なり、城へ挨拶に来なかったのも、組織への対処を優先したためですね。
今回の任務は、その戦闘に参加した負傷兵たちの慰問、というより、治療になります」
アマリアはうなずいた。
今回、彼女は魔族たちの前で、マナを扱う。
鉄の大公ギルンザディンと涙の大公ネノシエンテには、マナを与えることで魔族の自然治癒能力がより活性化されることが、すでに知られてしまっている。また、アマリアがイェラ神国の神殿で怪我人の世話をしていたことも、事前に調べがついている。
だから、医師のロトゥンハーシャとともに現れるアマリアが、慰問の際に負傷兵にマナを与えないのは、却って不自然で、疑いを招くというのが、アマリア、ロトゥンハーシャ、そしてオルヴェステルの共通の見解だった。
『ただし、能力を限界まで振るって見せてはならない』と、オルヴェステルは念押ししてきた。
『取るに足らない、ささいな権能だと誤解させるのだ。お前が強大な力の持ち主であることを知れば、大公たちは、お前を前線で運用する。必ず、そうなる。だから、慎重に加減しながら使わなければならない。能力の秘匿は、お前が全力でマナを与えれば助けられるはずの命よりも、優先される。いいな』
また、彼はこうも忠告した。
『属領では、お前が知りたがる情報のいくつかを、きっと見つけることができるだろう。しかし、お前は同時に、おぞましいものを見て、耐え難い声を聞くことになるはずだ。……覚悟して向かうように』
おぞましいもの。耐え難い声。
アマリアには、いくつか心当たりがあった。いや、正確にはアマリアではなく、真理の記憶の中に。
シビアなストーリーで人気を博した『スカーレット・メイデン』。
プレイヤーをざわめかせた、猟奇的な残虐さ。
(私は、それを現実として見に行くんだ。それも、魔族の……加害者の側に立って)
呑み込んだつばが、腹の底へと、鉛のように重く沈んでいく。前世の娯楽作品で飽くほど見てきた悲劇でも、それが現実として迫りくると思うと、怖かった。心臓がいやに早かった。
ロトゥンハーシャは、緊張に押しつぶされているアマリアに、冗談めかして言った。
「……まあ、きつかったら、城へ帰還するまで、馬車に隠れて籠もっていればよろしい。あなたに病弱の印象がついたとて、我々にとって不利益になりませんので。帰路で領都の花畑でも眺めれば、『呪い』について最低限の収穫にはなるでしょう」
これが皮肉屋の彼なりの励ましだということは、今までの付き合いでわかってきた。アマリアは、「ふん」とわざとらしく鼻息を立て、背筋を伸ばした。
「お気遣い感謝します、大公どの。ですがご配慮は結構です。わたくしはもう、一生ぶん部屋に籠もらされましたので」
ロトゥンハーシャは「左様でございましたか」などとうそぶいた。そして、耐えきれず、二人同時に吹き出した。
領都についたのは、正午過ぎだった。
魔族が拠点としている領館を囲むように街があり、その周りをさらに市壁が取り巻いている。門の両脇には兵士が駐屯する塔があり、出入りする人々の身柄や持ち物を検めていた。
「……下草がかなり枯れていますね」
つぶやくアマリアに、ロトゥンハーシャは釘を刺した。
「早とちりはいけませんよ。単に、この街は景観の手入れが不行き届きということもあります。ちょうど、そういう不調法な男が、この一帯の大公なのです」
検問の魔族兵たちは、『血の大公』ロトゥンハーシャの姿を確認すると、うやうやしい態度で、すぐに一行を通した。
街を行き交う人々は、ほとんどが獣族だった。
人口は多い。奴隷化されていると聞いていたが、彼らは住民として普通に暮らしているように見えた。鎖に繋がれたり、焼印を押されていたりといった、見るからに哀れな様子はない。
ただし、車窓から垣間見た限り、獣族たちの表情に笑顔はなかった。
領館につき、馬車から降りた二人を迎えに現れたのは、複数の兵を引き連れた精悍な男性だった。彼は鷹揚に片手を上げて、にっと笑った。
「よう、来てくれたか、ロトゥンハーシャ! 待ってたぞ。それに、王妃様もな。ようこそ、牙の属領へ。俺が『炎の大公』バーンソルドだ。ここの親分ってわけだ。よろしくな!」
燃え立つような赤い髪、火花のような黄の瞳。
気の良さそうな笑顔とは裏腹の、腰に、背に、太腿のベルトに、無数に携えた武具。隙のない殺気。
アマリアは、思わず心の中で叫んだ。
(で、出たーっ! ゼノをバラバラのダルマにして、『スカデン』が燃える原因を作ったボス、『炎の大公』だ!)
ボスとして出てきた時は、毎ターン終了時自動回復・被弾時反撃特性と、火を放ってダメージ床を作る面倒なスキルのせいで、かなり苦戦させられたものだ。匿名感想ブログが話題になってからは、一部の人々から、称号をもじって『炎上の大公』と呼ばれていた。
内心の雑念を押し隠し、アマリアは一礼する。ロトゥンハーシャはさっそく現状について尋ねた。
「負傷兵たちはどちらへ? 案内してください」
「ああ、すぐ行こう。数が多いもんで、広間に並べてる。全部で三十六人だ」
「そんなにも? たかが混血魔族の組織を潰すためだけに、ずいぶんな消耗ではありませんか」
「じつは、潰しきれていない。結構な規模で、叩いても叩いても次が出てくる。あいつら、村や施設を襲いに来るんだが、俺が兵を向けるとすぐ逃げる。それで、また別の施設に現れる。厄介な連中だ」
「翻弄されているのですか、あなたともあろう方が」
「はは。ま、数が少ないのは俺たち『純血』の弱点だな。一度に複数箇所を占拠できないから、どうしても穴が出る。……着いたぞ、ここだ」
バーンソルドが扉を押し開けると、中に充満していた濃い血のにおいが、むわっと広がった。
床に戸板を敷いて、大勢の負傷兵が寝かされている。その一人ひとりを観察してみると、魔族特有の長耳が削げ落ちていたり、指や腕、膝から下が無かったりと、壮絶な有様だ。
広間に満ちる色濃い苦痛と疲労を吹き飛ばすように、バーンソルドは声を響かせた。
「待たせたな、お前たち! 血の大公が到着したぞ。もう大丈夫だ、あと少しだけ辛抱しろよ!」
横たわった魔族たちは、血の大公の名を聞いて、「おお」とか「ああ」といった、かすかなうめき声をあげた。喜色が浮かんでいるのが分かる。アマリアは、「信頼されていますね」と小声でささやいた。ロトゥンハーシャは得意げに鼻を鳴らした。
「当然です。私は二十年、彼らを診てきたのです。さあ、始めましょうか」
ロトゥンハーシャとアマリアは、協力して負傷兵たちの重傷度の確認に取り掛かった。
たとえ傷が深くても、意識が鮮明で、傷口が泡立つように癒えつつあれば、魔族では『軽傷』だ。欠損部位も、数ヶ月あればゆっくり再生するというから、すさまじい。
話しかけて応答の有無等を確認していく作業の最中、アマリアはとある兵の前で、はっとして立ち止まった。
遠目で見たときは、耳が欠けている、と思った。しかし、彼には、髪にまぎれて耳がしっかりあった。……狼に似た、頭頂部の耳が。
(獣族!? ……いや違う、弱々しいけれど傷口から治癒泡が出ている。この兵は……)
ロトゥンハーシャも同様の兵を見つけたのだろう。「バーンソルド!」と大声で呼んだ。
「どういうことです。なぜ、混血魔族がここにいるのですか」
バーンソルドは、大したことじゃないと言いたげに、肩をすくめた。
「そいつらは牙の属領軍の兵士だ。反乱組織の連中じゃあねえよ。
じっくり増やしてきた混血が、だいぶ育ってきたんでな。正式に軍に組み入れて、実戦投入してみたってわけだ。そいつらも治療してやってくれ」
「混血を軍に登用……? 陛下はこれをご承知なのですか?」
「特に言っちゃあいないが、まあ、察してるだろ。何より、俺ら『純血』だけじゃ、いい加減手が回らないからな」
「だからと言って……」
「まだ実験段階だ。ほとんどの仕事は、これまで通り純血がやった。混血は今回おまけだ。そいつらは初陣なのに派手にぶつかっちまって、運が悪かった。助けてやってくれよ」
ロトゥンハーシャは苦々しく混血兵を見た。兵の息はか細い。結局、医者としての矜持が勝ったのだろう、短い逡巡ののち、バーンソルドをにらんだ。
「……ここにいる者は全員、治します。ですが、あなたは混血魔族を兵として育成していた。反乱組織の発生にも重い責任があると自覚してください。
おそらく、組織の指導者層は、あなたの育てた混血部隊からの脱走兵でしょう。あなたが彼らに戦い方を教えなければ、組織も大した規模にはならなかったはずです」
「耳が痛いな。ま、とにかく頼んだ」
アマリアは、ロトゥンハーシャがバーンソルドと話している間に、すでに目の前の混血兵にマナを与えていた。
話しかけて意識を保たせながら、マナを少しずつ注いでいく。そのときの感覚に、やはり、と良くない確信を得た。
(混血の人たちは、マナを与えても、純粋な魔族より治りが遅い。魔族の血が半分しか流れていないから、『ダースラーンの秘術』の効き目が弱いんだ。それに、彼らはみんなまだ……)
混血兵は、視線をふらふらと泳がせながら、うわ言を言った。「おかあさん」と。幼さの残る面立ちは、血の気がなく紙のような顔色だ。
(……子どもだ。
混血魔族が生まれ始めたのは、二十年前に魔族が蜂起した後。だから、混血魔族はみんな、二十歳に満たない少年たちしかいない。
『スカデン』では……ゲームではきっと、それが味方に若いイケメンキャラクターしか実装されないことの、物語上の理由だったんだ。でも現実では、それがこんなに、むごい……)
大丈夫、助けるからね、と声をかけてから、周囲をさっと見渡す。三十六人の負傷兵のうち、混血らしき兵は、おおよそ……十五人。アマリアは手を挙げて叫んだ。
「ロトゥンハーシャどの! 混血魔族の方を一か所に集めてください。わたくしがまとめてマナを補給して、彼らの治癒力を補佐します。決まった場所にまとまっていてくれたほうが、マナを送りやすいです」
ロトゥンハーシャもすぐうなずいた。混血兵たちの治癒泡の弱々しさには、同様に気づいていたのだろう。
「いいでしょう。バーンソルド、人手を貸してください。負傷兵を一部並べ替えます」
「よし来た、任せな! 何人か手伝いを連れてくる」
「それから、薬や包帯、布なども、普段より多めに。縫わなくても傷が塞がる純血魔族とは、勝手が違うようですからね」
「了解だ!」
一行は慌ただしく働いた。アマリアは深く集中して、十五人の混血兵たちにマナを送り続けた。みなまだ若く、少年兵と呼ぶべき者たちばかりで、痛々しい。
バーンソルドが、現場を手伝う兵や召使いを指揮するかたわら、混血兵たちに「大丈夫だ、がんばれよ」とたびたび声掛けをしているのが印象的だった。
日が沈む頃、ひととおりの処置が終わった。
純血の兵たちは、まだ顔色は良くないものの、自力で動けるようになった者までいて、ロトゥンハーシャのもとへ礼を言いに行っていた。
混血兵は、さすがに動けず、包帯まみれで戸板に寝かされている。寝息はみな安らかだ。これなら、快方に向かうだろう。
汗をぬぐったり、水を飲ませてやったりするアマリアに、獣族との混血の少年が、ぎこちなくほほえんだ。
「聖女様、ありがとう、ございます……」
アマリアも、「お大事になさってくださいね」と笑み返した。
今夜はこのまま牙の領館に泊まることになる。
バーンソルドや案内の者に建物の説明を聞いている最中、一人の兵が駆け込んできた。
「お話し中失礼いたします。炎の大公! 現在、領館の門前で騒動が発生しておりますことを報告いたします」
「騒動だと? 内容は」
「獣族の子どもらが、門衛に石を投げるなどの反抗行為をおこないました。子どもがあまりに大声で騒いだもので、大勢の獣族が門前に人だかりを作っています。どのように対処したものかと……」
「ふむ。俺が行こう。王妃様とロトゥンハーシャは、危ないから中にいてくれよ。先に部屋で休んでくれてもいい。なに、すぐ収めるさ」
バーンソルドは、兵を伴って現場へと足早に向かった。その背を見て、何故かざわりと鳥肌が立った。ひとつの確信があった。
(騒動というのは……たぶん、属領の現実。『おぞましく、耐え難い』現実……)
案内役の侍従が、立ち止まったままのアマリアに「王妃殿下?」と声を掛けてくる。
今ならまだ、このまま侍従についてゆき、何も聞かなかったことにして、部屋でゆっくり休むことができる。今日は特別激務だった。耳目を塞ぎ、眠ってしまっても、誰も責めはしないだろう。
それでも。
アマリアは、心を決めた。
「わたくしを、門前の騒動が見える場所まで、案内してください」
あるじの言い置きと食い違う要求に、案内役はうろたえた。それを半ば押し退けるようにして、ロトゥンハーシャが進み出た。
「かしこまりました。こちらです」
笑みもなく、無礼な冗談の一つもなく、ロトゥンハーシャは歩き出した。領館の者たちに有無を言わせぬ足取りで、まっすぐ現場へ先導する彼を、アマリアは無言で追いかけた。
それは、地獄への道行きであった。