13話:二十年前の惨死
裏庭での実験から十数日後の昼下がり。アマリアは、お茶を一口飲んで、深々とため息をついた。ロトゥンハーシャが露骨に嫌そうな顔をする。
「なんです、人の淹れた茶を飲むなり、ため息とは。失礼ではありませんか」
「……あ、すみません。考え事をしていて」
「それはそれで薄気味悪いですね。くよくよと落ち込むなんて、あなたらしくありませんよ」
相変わらずの毒舌である。
王との和解後、彼は急にまっとうな世話役らしくなった。シシルエーネの教育や看護のかたわら、城の案内や日毎の伺候、気が向けば給仕までしてくれる。だが、物言いは相変わらずだ。この男にだけは礼節を説かれたくない。
彼は、じろりと部屋を見渡して、鼻を鳴らした。
「それにしても、また一段と散らかってきましたね、あなたの部屋は」
「散らかっているのではありません。物が増えているだけです」
「同じことでしょう」
「同じではありません、整頓されていますっ!」
「はいはい。それで、今度はいったい何をなさっているのです」
アマリアは、窓際に増設された棚をじっと見つめて、「うう」とうなった。そこには、植木鉢が全部で十二個も並んでいて、すべてに同じ花の苗が植わっている。
あの裏庭での実験の後、アマリアはこれらを用意した。マナを与えて育てた苗と、与えなかった苗とで、成長や衰弱の度合が変化するかを観察しているのである。
やはり、マナを与えたほうが、明らかに健康だ。新芽の出方や葉の落ち方が顕著に変わる。植物の衰弱とマナ欠乏には、一定の因果関係が見られると言ってよい。
アマリアは、次の検証のために、これらの鉢植えを別の場所に移動させたかった。具体的には、魔族たちの多く集まる場所、長く留まる場所、そして誰も来ない場所に置いて、衰弱速度を比べたい。
しかし、それは城内の多くの魔族の目に触れる実験となる。
彼女はちらりと戸口を見た。ラヤは別件で出払っていて、しばらく留守だ。今はロトゥンハーシャしかいない。彼は魔王の最側近で、秘密の共有者だ。打ち明けても構わないだろう。
「……実は、『呪い』の調査が難航して、困っているのです」
「何を今さら。魔族が二十年かけても突き止められなかったことなのですよ。あなたのようなぽっと出の小娘一人が、ほんの数日で解明できるはずが——」
「いえ、ひとつ結果が出そうなのですが、確認作業に障害があって」
「……は!?」
ロトゥンハーシャは目をむいた。アマリアは声をひそめて、呪いの一部はおそらくマナが要因であること、魔族は周囲のマナを奪って吸収するかもしれないことを説明した。
彼は唇に指を添えて、「ふむ」とうなった。
「魔族の性質に関する考察は、公にはできませんね。仮に事実だったとしても、民からの反感を減らすためには、その性質を解決する方策と共に発表する必要があるでしょう」
「ですが、解決策を得るにも、仮説を検証するにも、調査のためにとれる手段が足りないのです。魔族に関する調査なのに、魔族に知られてはいけないなんて……」
「だとしても、陛下のご判断は賢明です。もしも他の大公たちに情報が流れた場合、あなたは八つ裂き間違い無しですよ」
「うう……」
アマリアはすっかり弱りはてた。八つ裂きは勘弁願いたい。
へなへなと卓に突っ伏し、思わず彼女は本音をこぼした。魔王の味方で、おまけに無礼なロトゥンハーシャ相手ならば、何を言ってもいいだろうという甘えがあった。
「一番わからないのが、大公たちの抱く、その頑なな復讐心なのです。どうして彼らは、そこまで殺戮にこだわるのでしょうか?
ラヤの昔語りによれば、『かつて土地を奪われ、北へと追いやられたから、異民族が憎い』ということでした。一方で、地下洞窟に辿り着いて以降の、現在の魔族王家は、二百年ほど続いているとも聞きました。二百年間も、ご先祖様と同じ強さの憎しみを、抱き続けられるものでしょうか?
わたくしは、イェラの生まれ。平和な国で過ごしてきましたし、当事者ではありませんから、大公たちの気持ちがいまいち想像できないのです」
応えは無かった。
一つ言えばすぐさま百も言い返すロトゥンハーシャが黙るとは。上目遣いで様子をうかがい、アマリアはどきりとした。
いつになく真剣な表情で、彼はアマリアをひたと見つめていた。赤々とした血色のまなざしに、常の気安さは欠片もなかった。
ロトゥンハーシャは静かにたずねた。
「ラヤは、魔族の抱く憎しみの所以を、そう説明したのですね」
「……はい」
「なるほど。あの子は、あなたを気遣ったようだ」
ふう、と息をつき、ロトゥンハーシャは椅子を引いて座った。重要な話の気配がして、アマリアも背筋を伸ばした。
「遠い祖先の受けた仕打ちに対して、憎しみを持ち続けられる理由がわからない、というのは、正直なところ、同感です。私の生まれは、北部の地下洞窟ではありません。現在『翼の属領』と呼ばれている、鳥族の国で生まれましたから」
「え……?」
「奴隷だったのですよ。遥か昔、魔族が北へと逃れた際、何らかの理由で各地に取り残された、少数の残留魔族たち。私の父母は、その末裔だったようです」
アマリアは目をみはった。そう言えば、ラヤは言っていた。『あの方も、昔は大変な苦労をされたのです』と……。
当のロトゥンハーシャは、つまらなそうに目を逸らして、銀の髪を指で弄びながら、淡々と言った。
「隠れ住んでいた家が見つかって、父は殺されましたが、母は美しく、そしてか弱い人だった。だから鳥どもは、母を殺さず奴隷にしました。幼い私も、ついでにね」
「……」
「当時の話は、やめておきましょう。くだらない。とにかく、私は他の多くの魔族と来歴を異にします。ですから、古よりの恨み辛みがわからないのは、私もあなたと同じです」
ふう、と鋭く息を吐き、仕切り直すように、彼は両手を組んだ。
「ですが。何百年も前の先祖のことはわからなくても、自分の親子、兄弟、そして恋人のためならば、いかがですか? 愛するそれらを無残に殺されれば、人は仇を強く憎む。いくらあなたが聖女といえども、民草のそうした心はおわかりでしょう?」
「……はい、もちろん」
「いまの魔族の原動力は、それです。殺されたのですよ。異民族どもに、愛する肉親を」
ロトゥンハーシャの伏せられた目は、暗くよどんだ血の色をして、鈍く光った。声を低めて、彼はささやいた。
「すべての始まりは、オルヴェステル様の母君の死でした」
ぞくりと背筋が震えた。部屋の温度が、急に下がったような気さえした。ロトゥンハーシャは、人目を憚った声音で、恐ろしい過去を物語った。
「お名前は、クトゥパシャトラ様とおっしゃいました。先王ダースラーン様の妹君でもあります。明るく活発で、誰にでも分け隔てなく接し、身分の差を感じさせない方でした。
ですから、あるとき洞窟に迷い込んだ竜族の子どもにも、優しかった。挫いた足首に包帯を巻き、背におぶって、洞窟の近くにあった獣族の村まで送り届けて差し上げたのです。
……そして、人さらいの魔女だなどと、正反対の言いがかりをつけられて、殺されました。
ひどい有様だったそうです。客人である竜族の子が行方しれずになって、面子を潰された獣族どもは焦っていた。もてなしのために呼ばれていた鳥族の旅芸人どもが、雇い主にごまをするため、魔族は悪魔だと囃したてて、その責任をなすりつけた。
クトゥパシャトラ様は、囲まれて殴られ、立ち上がれなくなったところへ、油を浴びせられて、生きながら焼き殺されたのです」
アマリアは言葉を失った。何の罪もない、無辜の女性が、寄ってたかってなぶり殺しにされたのだ。
ただ魔族だというだけで。
「先王ダースラーン様は、愛する妹を奪われて、憎悪と悲嘆に呑み込まれた。そうして『秘術』は生まれたのです。憎き仇に同じ痛みを返すため、先王は、際限のない力を魔族にお与えになった。ご自分の命を擲ってまで……」
ロトゥンハーシャは、苦々しく眉をひそめた。
「その後、異民族との戦いが始まり、他の魔族たちも自らの家族を失いました。戦っては失い、失っては立ち上がって、魔族は今でも戦い続けています。獣族、鳥族、竜族。始まりの悲劇を引き起こした三民族を、ひとり残らず根絶やしにするために」
アマリアは震えていた。自分は、なんと恐ろしいことに関わってしまったのだろう。
魔族たちは、れっきとした当事者だ。彼らの抱く復讐心は、今もまざまざと心に刻まれた生傷だ。やめろと言って簡単に止まるわけがない。
ただ、それにしても。アマリアは、血の気の失せた顔でつぶやいた。
「……事情を聞けば聞くほど、陛下が大公たちを止めようとしているのが、不思議に思えます……」
オルヴェステルは、あまりにもむごい経緯で、実の母親を殺されている。刃を握るに値する、誰よりも確かな理由をそなえている。
それなのに、どうして彼は、復讐に燃える大公たちを阻む側に回っているのだろう。
ロトゥンハーシャは、軽く肩をすくめた。
「すでにお聞き及びの通り、シシルエーネ様のためですよ。それ以上のことは、私も存じません」
「そう……。では、あなたは? 鳥族が憎くないのですか?」
「憎いことは、憎いですよ。ただ、私は怒りや憎しみよりも、オルヴェステル様への恩義のほうが強いのです」
「恩義?」
「奴隷だった私を救い出してくださったのが、他ならぬオルヴェステル様だったのですよ。あの方は、私に人間としての生をくださった。ならば私の命は、あの方の望む未来に捧げるのが道理でしょう」
ロトゥンハーシャは誇らしげに笑んだ。彼は、心からの忠誠を、オルヴェステルに誓っているらしかった。
アマリアは、頭を下げた。己の無知が恥ずかしかった。そして、言いにくいであろうことを惜しまず明かしてくれたことが、有り難かった。
「……わたくしは、あなたたち魔族のことを、なにも知りませんでした。教えてくださって感謝します」
「礼には及びません。誰にでもできる昔話です。ラヤは、あなたに血なまぐさい話を聞かせないため、この話を伏せてしまったようですがね」
ロトゥンハーシャは、指を組んで「ふむ、しかし」とつぶやいた。そして真剣な表情で、ぐっと身を乗り出した。
「大公たちを警戒し、城に籠もって守られているだけでは、あなたの調査が進まないことは事実です。いかがです、いっそ相手の懐に飛び込んで、その目で実情を確かめるというのは」
「それは、もしかして……城の外へ?」
「ええ。その中でも、最も危険で、最も調査意義のある最前線。大公が異民族の奴隷を治めている土地、『属領』がよいでしょう。動植物の観察だけでは、『呪い』は解決できません。我が国の人心や政治の内情も、あなたは深く理解する必要があるのでしょう?」
ロトゥンハーシャは、挑むような眼差しを向けてきた。あなたには、その勇気と覚悟があるか? と問われているようだった。
受けて立とう。アマリアは力強くうなずいた。
「……ええ、行きましょう、属領へ。わたくし自身が、大公や彼らの兵、そして他の民族の方々と、会って話さなくては!」
「結構、よい意気込みです。ちょうど最近、私の方で属領へ出向く用事があります。あなたも同行できないか、陛下に掛け合ってみましょう」
「お願いします! ありがとうございます、ロトゥンハーシャどの!」
ロトゥンハーシャは「お安い御用です」と笑んだ。心なしか、以前よりずっと親身な笑顔だった。
彼の願いが王に受け入れられ、属領訪問の許可がおりたのは、その二日後のことだった。