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12話:神が授けた力

 待ち合わせ場所に現れたオルヴェステルは、さながら朝日に溶かされる寸前の亡霊だった。

 これまでにないほど目つきが鋭い。眉間のしわは深く、唇は固く引き結ばれて、早朝のさわやかな大気を憎悪しているかのようだ。黒と濃紺の陰気な服装も、それに拍車をかけている。

 (すが)めに(すが)めたまなざしで、アマリアをにらみ、彼はぼそりとつぶやいた。


「……待たせたか」


 アマリアは苦笑いで応じた。


「いえ。わたくしも、つい先ほど」


「……その装い、神国の服か。ずいぶん薄着だが、寒くないのか」


「お心遣いに感謝します。ですが、平気です。これは(ごん)(ぎょう)のための作務衣(さむえ)なのです。故郷の神殿は、山頂なのでもっと冷えましたが、いつもこの装束でした」


「……なら、よいが……」


 眉間のしわはいよいよ険しい。そのわりに、存外気を遣ってくれるような物言いだ。奇妙な態度に、アマリアは少し首を傾げて、それから思い至った。


「もしかして、()がまぶしいのですか?」


「……」


 王はかすかにうなずいた。アマリアは、呆れ半分で納得した。そういえば、彼の部屋は暗すぎた。


(青い目の人はまぶしいのが苦手だって、確か前世でも聞いたなあ……)


 よくよく見れば、青白く光る両目の下には、はっきりと隈が浮いている。以前、シシルエーネが忍び込んできた時、言っていた。『従兄(にい)さまは、この時間はいつも寝てるし』――


「申し訳ございません。お休みの時間なのに、(わずら)わせてしまって」


「……問題ない。時刻を指定したのは私だ」


 とは言うものの、全身から疲労がにじみ出ている。放っておけば、立ったまま寝てしまいそうだ。いつも徹夜しているのだろうか。

 せめて早々に済ませなくては。「参りましょうか」と促すと、オルヴェステルはまたうなずいて、目的地へ向かってゆらりと歩き始めた。アマリアも、その背を追った。




 裏庭は、すっかり寂れて、荒れていた。

 ここは、来客や王族が使うような、大きな回廊に面した場所ではない。使用人のための通用口から脇に逸れて、さらに奥まった場所に位置する草むらだ。

 かつては、獣族(ガルー)の下男下女たちが、ここで作業したり、休憩したりしていたのだろう。城のあるじがすげ替えられ、住人が減った今では、手入れされることも無いようだ。あたりに人の気配はなく、物音といえば、どこかで小鳥がさえずるばかり。

 オルヴェステルは、かたわらのアマリアを見下ろして、尋ねた。


「……弱った植物があり、可能なら動物がいる場所がよい、とのことだったが、ここで問題ないか?」


 アマリアは、生い茂る草木をじっと見つめて、うなずいた。


「はい。申し分ない環境です」


 丈高く育って見える草花は、ひょろりと弱々しく()(ちょう)していた。色あせて枯れているものもある。木々は細く、枝葉も乏しい。その低い梢に、つがいの鳥が巣を作っているが、まだ卵はなく、鳴き声はか細い。


(元気のない動植物。魔族が受けている『呪い』の影響……。大公たちは、イェラの聖女の噂を聞いて、私ならこれを解決する可能性があると予想した)


 実際のところ、女神の力は万能ではない。神殿へやってくる巡礼者たちの中には、死病を患ったものや、戦で手足を失くしたものもいて、救いを求めて、アマリアにすがった。

 しかし、マナは病を消し去ることも、傷ついた肉体を再生することもできない。

 ただ、その人の体がもつ「生きたい」という力を、継ぎ足して活性化させる。その結果、痛みや倦怠感が失せ、軽い病やささいな怪我ならば治りやすくなるというだけだ。

 アマリアは、伏して願う巡礼者たちに、苦渋の思いで何度もそう告げ、せめてとその涙と痛みを拭ってきたのだ。


 彼女は、ゆっくりと前に進み出て、庭の中心に立った。深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせる。


(もし、『呪い』が病ならば……重いものなら癒やせない。軽いものなら、数日かけて徐々に癒える。ここの生き物たちにマナを与えることで、どの程度の病に蝕まれているのか、推測できる)


 背に、オルヴェステルの視線を感じる。この実験について、彼がどう思っているかは、わからない。彼は、呪いの解決を望んでいなかった。それでもアマリアは、マナが呪いの解決に役立つよう、願っていた。


(大公たちが行おうとする殺戮に、ブレーキをかけたい気持ちは、わかる。でも、そのために国を危うくさせたままで、本当にいいの?

 相手が欲しがる力を持っていれば、いざという時の切り札になる。それに、困っている人たちがいるのならば、助けたい。だから、呪いの正体をつかみ、解決策を見つけるのは、絶対に必要なことだ)


 集中が高まり、心が無我に近づいていく。鳥の鳴き声が大きく聞こえ、肌に触れる風のひとすじさえ鮮やかだ。世界のすべてを感じながら、それらと己の境目をほぐすように、アマリアは深く息をした。そして、静かに祝詞(のりと)をとなえた。


「天に(ましま)す父なるアドゥマよ。あなたの娘イェラの(すえ)より、(かしこ)み申し(たてまつ)る。イェラの如くに命を癒やす、天与の恵みを授け(たま)え——」




 建国神話によると、マナというものは、数多の生き物をその手で作りし天の神々が、命に与える最後の材料らしい。

 天の河原で泥を()ね、肉体が形作られる。天の蜜蜂が集めた蜜が、肉体の中に注がれる。すると、泥人形は起き上がる。その蜜こそが、マナなのだという。

 マナがなければ、生き物は泥の塊に過ぎない。だからこそ、マナを失った屍は、やがては土に還るのだ。


 アマリアの生国、イェラ神国の(おこ)りは、こうだ。

 あるとき、天の女神の一柱イェラが、地上の争いに心を痛め、苦しむ命を救うために、地に降りて、生き物たちにマナを与えた。そのさなか、一人の男と恋に落ちて、そのまま地上に留まった。

 男は、傷ついた人々を導いて、遥か山頂に国を建てた。そして、必ず争いのない国にすると、愛する女神と誓いあった……。


 このため、王家の血筋は、そのまま女神の血筋でもある。だからこそ、神々のみが持つマナの力を、王族たちは人の身で扱うことができる。


 現代日本の記憶を取り戻したアマリアだったが、真理(まり)としての常識が、ファンタジックなその神話を疑うよりも強く、一定の事実としてマナの存在を信じていた。

 自身にその力が備わっているのを、アマリアとしての十七年間が、証明し続けてきたからである。


(神様に会ったことはないし、神話の時代の出来事をこの目で見たことだって無い。けれど、命はマナを持っている。イェラ王族には、マナに関するいくつかの力がある。これが、この世界の確かな法則)


 イェラの王族が有する能力は、大きく分けて三つある。


 まず、マナをその身に貯め込む力。イェラ王族がやどす莫大なマナは、常人の数百倍とも、数千倍とも言われている。


 次いで、天の神々にマナを乞う力。心を鎮め、祝詞を唱えて天に祈れば、体の奥底から真新しいマナが湧き上がってくるのを、感じることができる。


 最後に、己のマナを他者に分け与える力。肉体から放射されるマナは、輝く黄金の斑紋を形作って、望んだ相手に注がれていく。


 これらの奇跡の(はつ)()こそが、神の確かな実在と加護を、人々に知らしめた。イェラ神国は、貧しい小国ながら、周囲の国々の尊敬を受けており、長きにわたって平和を享受することができている。


 なかでもアマリアは、歴代で突出した才覚を有しており、女神イェラの再来とまで謳われていた。


 ここ数代、王族に男児しか生まれなかったため、久方ぶりに生まれた女児をありがたがっているだけだろう。アマリアはそう考えて、『聖王女』なる仰々しい美名を、なるべく真に受けないよう心がけている。

 しかし、マナの放射を示す黄金の聖印は、父や弟に比べて、色鮮やかに、大きく強く浮き出ることは事実だった。


(父なるアドゥマよ、(しん)()イェラよ。この地の人々を苦しめる呪いを、解決させてください。マナと、それを正しく使うための知恵を、どうか私にお授けください)


 アマリアは、目を閉じたまま、静かに祈った。

 全身の皮膚を覆うように、慣れ親しんだぬくもりが広がっていくのを感じていた。




 オルヴェステルは、言葉を失った。

 アマリアは、口をぽかんと開けた。


 裏庭の風景は、すっかり様変わりしていた。

 細く伸びきって垂れ下がっていた野草が、姿勢を正して空へと力強く伸びている。

 庭木の葉は、つやを取り戻し、陽光をしっかりと受けとめている。

 鳥たちは、チィチィと盛んに鳴き交わしはじめた。もしやと思って近寄ってみると、生み落とされたばかりの卵が、ほかほかと湯気を立てていた。


「……うそでしょ?」


 あまりの効果に、アマリアは聖女らしからぬ口調でつぶやいた。

 我が子を守る意識に目覚めた鳥たちに追い払われ、あわてて巣から離れる。オルヴェステルと目が合って、アマリアはごまかすように笑った。


「あの……あはは、実験結果は、ご覧のとおりです」


 オルヴェステルはうなった。


「信じられん……。マナとは、こうも劇的な力なのか?」


「いえ、そんなはずでは……。本来は、弱った生命に活力を与えるだけのものです。例えば、風邪を引いた人に、薬を与えるのではなく、栄養のつく食事を与えて、その人の体が自然と立ち直るのを手助けする。そうした性質のものなのですが……」


 急激に賑々(にぎにぎ)しい生命に満ちた裏庭で、アマリアはすっかり混乱した。


(『呪い』が病であるならば、マナを与えても、こうもすぐには治らない。でも、マナによって、この庭はあっという間に元気になった。じゃあ、原因として考えられるのは……)


 思いついたことが、ぽろりと唇からこぼれ落ちる。


「……『呪い』の正体は、マナ欠乏……?」


 ふいに、ラヤの教えてくれた歴史が、脳裏をよぎった。散らばったパズルのピースに繋ぎ目が見えた気がした。アマリアは、ほとんど食って掛かるような勢いで、オルヴェステルに尋ねた。


「陛下、ひとつ教えてください。かつて、魔族は地上を追われ、地下洞窟での暮らしを余儀なくされた歴史があると伺いました。魔族が排斥を受けた原因は、何でしたか?」


「……『魔族が生気を吸い取る』という言い伝えのためだ。『畑を枯らし、家畜を病ませ、老人を死に至らしめる』と」


「生気とは、マナのことだったのでは? もしかして、魔族には、周囲の環境からマナを吸収する性質があるのではありませんか? そうだとすれば、言い伝えにも『呪い』にも、説明がついて——」


「では、過去数百年にわたる、異民族どもの手による魔族虐殺は、正当な理由のもと行われたと、お前はそう言いたいのか」


 アマリアは固まった。オルヴェステルの瞳には、見間違えようもない、冷たく厳しい怒りが燃えていた。

 ひらめきの熱に浮かされていたアマリアの、血の気がさっと引いた。氷の湖に頭から突き落とされたようだ。

 からからに渇いた喉から、謝罪の言葉を絞り出す。


「……申し訳ございません。(せん)(りょ)でした……」


 オルヴェステルは、抑えた声で言った。


「……仮に、お前が推測する性質が、我々にあったとしよう。しかし、それだけでは『呪い』を説明しきれない。もし、マナを奪う性質が、民族(せい)(らい)のものだったとすれば、我らが地下洞窟に暮らしていた間、なぜ我らの畑や家畜には、目立った影響が出なかったのだ?

 豊かな実りが失われるようになったのも、女たちが身ごもらなくなったのも、ここ二十年間の話だ。魔族の生来の(とが)であろうはずがない」


 アマリアは、肩を落としてうつむいた。長い沈黙の末、オルヴェステルは、付け足すように言った。


「……まだ、原因の断定には至らないということだ。古代の言い伝えと現代の『呪い』との間に、相似が認められるとしても、それらと地下生活時代とでは、明確な差異が残っている。そうだろう」


「はい」


「それを究明しきらないまま、不足した調査と先走った憶測だけで、我らを身勝手に分析することは許さない」


「はい……」


「……実験及び調査の、継続を許可する。ただし、その経過を他の魔族には決して知らせるな。特に、ロトゥンハーシャ以外の大公たちには」


 アマリアは、ぶるりと震えた。異民族の殺戮に()(みち)をあげているという大公たちに、『過去、魔族が憎まれたのには、理由がありました』などと言ったら、アマリアに向けられる怒りは、今のオルヴェステルの比ではないだろう。彼女はおとなしくうなずいた。


「わかりました。肝に銘じます。調査の継続について、寛大なお許しに感謝します」


 すっかり落ち込んだアマリアを、オルヴェステルはしばし見つめた。そして、ためらいがちに言った。


「お前に悪気がないのは、わかっている……。ただ、『呪い』に関わることは、我が国の、こじれた政治に関わることでもある。良かれと思って明かした事実が、思わぬ悲劇を招くことになる。用心するように」


 身を翻して、オルヴェステルはその場を去った。気づけば、太陽は中天に達しようとしていた。

 アマリアは、しばし裏庭の植物をぼうっと眺めた。若々しさを取り戻した草花が、風に吹かれて揺れている。オルヴェステルに受けた叱責の一言ひとことが、繰り返し胸をよぎる。その時、「あ」とアマリアは気づいた。


「……もしかして、心配して、励ましてくれてた?」


 彼の言い分は、つまりこうだ。『部分的には正しいかもしれない。しかしまだまだ情報が足りない。このまま調べ続けなさい。ただし気をつけなさい』——怒られたのが恐ろしくて、(とっ)()には気づかなかったが、ほとんどがアマリアへの助言だったように思われた。


「怖いけど、ちょっと良い人……かも?」


 鳥が、答えるようにチィ! と鳴いた。

 それがおかしくて、アマリアは吹き出した。

 元気が少し戻ってきた。

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