11話:呪いの謎をさぐれ
鉄の大公と涙の大公は、数日間の滞在ののち、それぞれの属領へと帰還していった。
アマリアは王妃として、謁見の間で、彼らと正式に顔を合わせる機会が設けられた。だが、事前の打ち合わせ通り、具合の悪そうなふりをして、ひと言、ふた言話しただけで、早々に退席した。
ギルンザディンは、聖女の能力について詳しく問い詰められず、不満そうにしていた。
その隣のネノシエンテは、王と王妃の睦まじさに笑みを隠さず、大喜びでとりなしてくれていた。
「あの方は、他人の色恋話が大好物なのですよ」と、ロトゥンハーシャが後から教えてくれた。医務室でオルヴェステルが仕掛けてきた小芝居も、どうやらそういうわけだったらしい。
こうして、大公たちとの直接の対面をなんとか乗り切ったアマリアは、晴れて自由の身となった。
軟禁解除の朝、部屋を訪れたロトゥンハーシャは、深々と頭を下げた。
「今までの非礼、お詫びいたします」
「事情は聞きました。陛下のご命令を受けてということですから、お気になさらず」
「痛み入ります。では気にしません」
「え?」
「引き続き、アマリア様の世話役として、誠心誠意務めます。改めてよろしくお願いいたします」
「え、ええ……」
有無を言わさぬ笑顔に気圧され、アマリアはそれ以上の追求を諦めた。
(この人が嫌味っぽいのは、単にこういう性格なのかも……)
さて、これまでは、閉じ込められて捨て置かれていたアマリアだったが、これからは違う。城内を自由に歩き回れるようになった。ただし、マナを扱う能力について、みだりに他者に見せたり話したりしない、という条件付きで。
ロトゥンハーシャに案内してもらい、アマリアがまず向かったのは、馬小屋であった。馬車の牽引や騎乗のために、城では数頭の馬が飼育されている。
アマリアは馬丁に話しかけて、思いつくことをあれこれと聞いた。そのついでに、勧めを受けて、気の優しい老いた牝馬をなでさせてもらった。
動物が苦手なのか、遠巻きに見ていたロトゥンハーシャは、満足して戻ってきたアマリアに言った。
「……馬がお好きなのですか?」
「たしかに好きですが、馬を可愛がるために来たのではありません」
「左様ですか」
「馬たちは、ほとんどが属領の獣族の手で育てられてから、城へと連れて来られるそうです。去年、ここで生まれたという仔馬を見せてもらったのですが、病がちで体も小さいみたい。老馬もいましたが、長生きできるのは、属領生まれの子に限られるのだとか」
「はあ……」
「さあ、休んでいないで、次へ行きますよ!」
続いて訪れたのは、厨房だ。朝食時が済んだばかりだろうに、彼らはすでに昼の支度を始めている。そのうちの一人が、アマリアを見つけて、笑顔で駆け寄ってきた。
「もしや王妃様ですか? このような場所へ、よく来てくださいました」
「あなたは……ジョサムね?」
「その通りです。あなたにお仕えできること、嬉しく思います。もしよろしければ、今から、軽くつまむものでもご用意いたしましょうか?」
「ありがとうございます。でも、そうではないの。食材を見せてくださいませんか?」
「食材? もちろん構いませんが……」
ジョサムは、食糧庫へ案内してくれた。巨大な倉庫だが、使っている棚は、手前側のごく一部だ。
(もとは獣族の居城だって言ってたっけ。いま、お城にいる人数と、建物の規模が合っていないんだ)
貯蔵されている食材は、肉も野菜も、基本的には塩漬けだった。アマリアは、失敗した、と思った。前世の感覚に引きずられて、冷蔵庫を覗くような気持ちでいたのだ。
「新鮮な野菜や果実もありますか?」
「ええ。ちょうどそろそろ、運ばれてきますよ」
ジョサムの言った通り、城へ荷馬車がやってきて、食糧庫の前まで直接乗り入れた。荷降ろしされる樽や木箱をいくつか開けさせてもらい、アマリアは次々と観察した。
かたわらのロトゥンハーシャが、重い箱を動かす手伝いをしながら、怪訝そうに問う。
「先ほどから、いったい何を見ているのです。つまみ食いの獲物探しというわけでもなさそうですが」
「違います。……意外と、普通だと思って」
「は?」
「呪いについて、陛下から伺ったのです。ですから、畑で採れる作物が、小さかったり、萎びたりしているのかなと。でも、特にそうした様子はないのですね」
ジョサムは、「そういうことでしたか」と苦笑した。
「確かに、平原全体では、そういうものも多いそうです。でも、ここは王城ですからね。属領から送られてくる物資の品質は、選りすぐりです」
「ああ……なるほど」
木箱に詰まったリンゴをひとつ取り、手渡しながらジョサムは言った。赤く色づき、つやつやと光っている。
「良かったらどうぞ。おいしいですよ。……穀物、野菜、肉類は、炎の大公が治める『牙の属領』から。果実と魚介は、涙の大公が治める『翼の属領』から、それぞれ送られてきます。
どちらの属領も、辺境地帯はまだ豊かなのだそうです。魔族が駐留する領都近辺は、かなり枯れてしまったそうですが、それでも、城にはできるだけ良いものを回してくれます」
「……では、ほんとうに魔族の周辺だけが、呪いの影響を受けているのですね」
「そういうことになります。天の神様は、どうやら相当意地が悪いらしい。……っと、すみません、王妃様の前でこんなことを……」
あわてるジョサムを、アマリアは笑顔でなだめた。
「大丈夫。……早く呪いが解決するよう、わたくしも日々、天に祈りましょう」
手伝ってくれた礼を告げ、二人は食糧庫を後にした。部屋に戻る道すがら、アマリアは通路脇の花壇をぼんやりと眺めた。
(……萎れているけれど、咲いてはいるのね)
ロトゥンハーシャも同じ花を見て、言った。
「キーラタの怠慢ではありませんよ。魔族の育てる植物は、すぐに萎れてしまうのです。切り花などにすると、枯れるのが特に早い」
「……寂しいものですね」
自室に戻ると、ラヤが待っていた。彼女は笑顔であるじを出迎えた。
「お帰りなさいませ、アマリア様! 久しぶりのお外はいかがでしたか」
「ただいま、ラヤ。馬小屋で馬をなでさせてもらったわ。それから、ジョサムとじかに会ってお話しできました。彼がリンゴをくれたから、一緒に食べましょう。ナイフはある?」
「あ、私が剥きます! お茶もお淹れしますね。ロトゥンハーシャ様もご一緒なさいますか?」
そこへ、従僕の一人が呼びに来た。
「大公様、王太子様がお目覚めです」
「おや。すぐ伺います。……ラヤ、そういうことですから、私のぶんは結構です。アマリア様、本日はこれにて失礼いたします」
「ええ、行ってあげてください。今日はありがとう」
「滅相もない。では」
去りゆく背を見送って、ラヤは嬉しそうにほほえんだ。
「陛下もロトゥンハーシャ様も、アマリア様と仲直りしてくださって、本当によかったです」
ラヤは、アマリアと王たちの対立に、心を痛めていた。ようやく訪れたこの平和は、彼女が望んでいた光景だろう。
(ロトゥンハーシャは、まだちょっと嫌味だけど。ま、許容範囲だし、いっか)
円卓に刺繍入りクロスを敷いて、二人はささやかなお茶会を開いた。新鮮なリンゴはシャリッと甘く、みずみずしい。ラヤと仲良く笑み交わしながら、アマリアはしばし歓談を楽しんだ。
ひと呼吸ついた頃、アマリアは真剣に切り出した。
「ラヤ。あなたにどうしても聞きたいことがあるの」
「はい、なんでございましょう」
「とっても失礼な質問なのだけれど、いい?」
「大丈夫です、どんとこいです!」
すっかり親身なラヤの態度に安心する。アマリアはぐっと身を乗り出し、声をひそめた。
「あのね……ラヤ、いま何歳?」
「そんなことでしたか。二十四歳です!」
「そう、にじゅ……ええっ! すごく年上……!」
「えへへ。魔族はみんな若作りです。『秘術』で、普通の半分しか老いませんから」
「そ、そうよね、なるほど。……それでね、その、キーラタとは、どこまで進んでるの?」
「えっ、あ、あの……まだ、き、キスだけです」
「わっ……! どうしましょう、わたくしまでドキドキしてきました」
「うう、彼が奥手なんです」
「確かに、そんな感じするわね。……あのね、これが最後の質問で、本当に申し訳ないのだけど……」
「ど、どんとこいです」
「……ラヤ、月のものは、来ている?」
ラヤは、リンゴより真っ赤になって、ついに言葉が継げなくなった。代わりに、こくこくと何度もうなずいた。
アマリアも恥ずかしくなって、彼女の両手を、自分の両手で、あわてて包んだ。
「ご、ごめんねラヤ、本当にありがとう。もう聞かないし、もちろん誰にも言わないわ」
「あう、あう、あう」
「ごめんなさい、ありがとう。ええと、お茶飲みましょう、お茶!」
二人は、浴びるようにお茶を飲んだ。ポットのお湯が空になって、ようやく落ち着いた後、アマリアは改めてお礼を言った。
「ラヤ、ありがとう。魔族の女性で、親しい仲の、あなたにしか聞けなかったの。調べもののために、どうしても知りたくて」
「調べもの、でございますか?」
「そう。今日、お城のあちこちに出かけたのも、そのためです」
アマリアは、居住まいをただして、打ち明けた。
「じつは、魔族が受けている『呪い』について、調べているのです。陛下と和解できたので、本格的に、この国についてきちんと勉強しなくてはと思いまして」
「あ。では、今の質問は、魔族の女性に子どもができない、ということの調査で……?」
「ええ。月経が止まっていないのなら、卵子は作られているのよね……」
馬小屋の馬たちは、やや弱り気味だった。生まれたときから魔族の近くにいた仔馬は、とくに弱々しい。
畑が衰えて作物が採れにくくなるのも、ジョサムによれば、事実らしい。庭の花壇が萎れていたのも、同じ現象だと思われる。
しかし、どちらも殖えはしている。子を授かりさえしないのは、魔族だけだ。
(動植物は、元気がないけれど、繁殖できる。魔族だけは、健康なのに、子ができない。呪いの原因は二種類あるのかな……?)
アマリアは、魔族を苦しめる『呪い』のことを、天罰や怨念のような超自然的なものだとは、考えていなかった。むしろ、必ず何かしらの原因があるはずだと仮定していた。
(日本でも、急激に産業が発達した後は、公害病が発生して、人や環境に悪影響を与えたって習った。
魔族の周辺に『呪い』が発生し始めたのは、二十年前から。その間、彼らの生活環境は大きく変わった。
……うーん、でも、原因を突き止めるには、まだまだ調べが足りないかも)
前世の知識で、何もかもずばっと解決、とはいかないらしい。
アマリアは、もっと地道に調査をしようと、ひとまず決意した。そのためには、同盟相手に許可を取る必要があった。
「……マナの実験?」
「はい。どうかお願いいたします」
オルヴェステルは、眉間にしわを寄せて、じっと黙り込んだ。怒っているかのようだ。
善は急げである。昼食を済ませてすぐに、アマリアは彼の政務室までやってきた。オルヴェステルが黙して何も語らないので、アマリアは説明を付け足した。
「大公たちが目論んでいる、『呪い』をわたくしの力で解決するという計画。あれを、実際に確かめたいのです。マナをあやつるわたくしの力が、本当に『呪い』に対して有効なのか、ということを。お許しさえいただければ、こちらの裁量で継続的に進めます。陛下のお手は煩わせません」
オルヴェステルは、目を閉じて、長々と息を吐いた。だめだろうか、とアマリアは気弱になったが、返事は意外なものだった。
「一人でおこなうのは、許可しない。実験には、必ず私が同行する。他の者は誰ひとり参加させない。場所と時刻も、事前に私が指定する。この条件でならば、許可しよう」
アマリアは、目をぱちぱちさせて、うなずいた。
条件つきの理由はわからないが、許可してくれるなら構わない。
こうして、さっそく二人は予定を立てた。日時は翌朝。場所は、最もひと気のない裏庭ということに決まった。