109 駆け抜ける、初ダンジョン①
「ヴィヴィ、準備はいいですか?」
「ギャウー」
アストラが短く吠える。
「うん……ちゃんとついていけるように頑張る」
私たちは、ダンジョンの前室に立っている。
周囲には十数組のパーティがいて、それぞれが武器を確認したりと最終準備に余念がない。
誰もが背中に大きなバッグを背負い、今か今かとダンジョンリセット完了の時を待っている。
「罠は、地下二階まではないようですから――」
「安心して走る」
「目的は、地下四階にある最深部の宝箱だから、極力戦わないんでいいんだよね」
神斗は、腰に下げた剣の位置を指先でなぞり確認する。
鞘も、細部まで本物そっくりに作られていて、光を受けて鈍く輝いている。
というか、ちょっと派手なんだよね。
このレプリカの〖聖封の剣〗
周囲の視線が、ちらちらと私たちに向けられているのがわかる。
特にあの大人数のグループは、こちらをライバルにしているのか、あからさまな視線を送ってくる。
なぜ?
「魔物に出会うたびに倒していると時間がかかります。地の利は彼らにありますので、私たちは少人数の機動力を活かして、スピードで攻略しましょう」
通常の攻略はこうだと思う。
まず、先頭のパーティが魔物と遭遇して戦闘になる。
その戦闘を横目に、二番手のパーティが脇をすり抜けて先へ進む。
次に、二番手が魔物とエンカウントして、また戦闘が始まる。
その戦闘を横目に、三番手がさらに前へと進む。
そして、戦闘を終えた先頭パーティが、後方から追いかけてくる。
この流れを、階層ごとに繰り返していくんじゃないかな
「そこは、行き止まりに宝箱や遠回りルートがあるからそのパーティの回転討伐は崩れるんじゃないかな」
「なるほど……思ったよりも、単純じゃないんだね」
「それに、魔物ある一定時間たてば湧きますから」
「ほんと、ダンジョンって不思議だね……」
私たちは、今日一日で地下三階の手前まで行く。
道中にある宝箱も気になるけど、今回は手を出さずにスルーする。
階層が変われば魔物は追ってこられないから、その仕組みを利用して一気に駆け抜ける作戦だ。
少しズルい手口かもしれないけど、リセットで何度も潜れる仕様なんだし、他のパーティには、今回の最下層の宝箱はあきらめてもらおう。
さっきまで賑やかに話していた冒険者たちが、急に口を閉ざし、沈黙が広がっていく。
「時間ですね」
ウィルの声に、周囲の空気がさらに静まり返る。
その瞬間、リセット完了を告げる鐘が、前室の天井から低く鳴り響いた。
音は重く、鈍く、まるで地の底から響いてくるような不気味さがある。
前室の空気が一気に張り詰める。
そして、各パーティが一斉に雄叫びを上げ、まるで戦の始まりを告げる咆哮のように響き渡る。
ダンジョンの扉が、軋むような音を立ててゆっくりと開かれていく。
先頭のパーティが、待ち構えていたかのように一気に飛び出し、足音が石床に鋭く響いた。
「みんな勇ましいね」
「じゃあ、行きましょうか」
ウィルがふわりと微笑む。
緊張の空気の中で、その笑顔だけがやけに柔らかく見えた。
「うん!」
私も心なしか初ダンジョンにワクワクして頷く。
ウィルの手が私の腰に回り、ぐっと力を込めてきた。
「うん!?」
気づいたときには、地面が遠ざかっていた。
「え? え? なに!? ええええええええ!?」
そのまま、私はウィルの肩に担がれてしまった。
「なに!? なに? 何――!? どういうこと――!?」
ウィルが突然ダッシュを始める。
私を担いだまま、まるで風のように。
『準備はいいですか?』って、走る準備じゃなくて、担がれる心構えの準備ってこと!?
「舌をかまないように、しっかり口を閉じててくださいね」
ムグッ。
私は慌てて手で口を押さえた。
通路の手前で戦っていたパーティが、こっちを見て目を丸くしてる。
いや、ドン引きしてるよねこれ。
ダンジョンの通路は、思っていたよりもずっと広くて、走るには十分なスペースがある。
でも、魔物と戦っているパーティの周囲は一気に狭く感じられる。
「前のパーティが魔物と交戦しましたね。右側から抜けます」
「ギャウ」
「わかった」
視界には後ろの通路と神斗の姿しか映らない。
担がれてる以上、私はもう大人しくしてるしかない。
ふと神斗と目が合った。
……え、ちょっと待って。
あの目、絶対笑ってる。
私が担がれてるの、面白がってるでしょ!
魔物の咆哮が、通路の奥から響いてくる。
それでもウィルは一切足を止めず、私を担いだまま、まるで風のように通路を駆け抜けていく。
アストラが楽しそうに先頭を飛び、神斗が後方を守る。
一階にいた、たぶん弱めの魔物が「アレ?」とでも言いたげに首をかしげながら、私たちが通り過ぎるのを見送る。
「次の分岐はY字通路です! 右は最短ルートで宝箱もありますが魔物が密集。私たちは左に行きます!」
「了解!」
「はーい……」
後方には何体か魔物がついてきているけれど、ウィルは気にする様子もなく、ただひたすら走り続ける。
暇だな……。
ただ、振動で胃が痛いけど。
「アストラ、フロストいけますか!」
「シュゥウウウッ!」
冷気が通路を這い、足を凍りつかせて動けなくなった魔物と、ふと目が合ってしまう。
その目がちょっと切ない。
……なんか、ごめん。
次に来る冒険者と、思いっきり戦ってください……。
通り過ぎる私たちの後ろをついてくる魔物が五匹いる。
途中で少しずつ距離が開いて、体力が尽きた魔物は脱落していく。
とはいえ、魔物にずっとついてこられるのも困るし、後続のパーティが階段前で不意打ちを食らうのは、ちょっとかわいそうかもしれない。
なら、私にできることは一つだけ。
担がれてても、魔法くらいは撃てる。
「【追尾の矢】!」
魔力で具現化された矢が、一直線に飛び、魔物の頭部を鋭く貫いた。
だが、後続の魔物たちは怯むことなく、倒れた仲間を踏み越えて、なおもこちらを追ってくる。
「うーん……怯まないのかな。さすがダンジョン産」
「外の魔物に比べて、少し攻撃性が高いだけでしょう」
そうか、それならばもう一度!
「【追尾の矢】!」
矢は一番手前の、ひときわ大きな魔物の眉間に突き刺さり、鈍い音を立てて魔物がよろめいた。
本当にこの【追尾の矢】は便利だ。
担がれたままの情けない姿勢でも、矢はちゃんと狙い通りの場所に飛んでいく。
ありがたすぎて泣ける。
「や! 後ろの魔物が転んだ!」
転倒した魔物に後続がぶつかり、ドミノみたいに連鎖的に倒れていく。
その隙に距離が大きく開き、魔物たちの姿は通路の奥に消えていった。
どうやら、追跡を諦めたらしい。
「階段です!」
神斗が一瞬だけ剣に手を添えるが、魔物が追ってこないのを確認すると、静かに手を離した。
ウィルが階段をゆっくりと下りていく。
階段の途中には広い踊り場があり、壁に囲まれた小部屋のような空間が広がっている。
ウィルが私をそっと地面に下ろしてくれる。
着地した瞬間、足がふらついて、思わず壁に手をついた。
「お疲れさまでした」
ウィルが水筒を差し出してくれる。
私はそれを受け取って、口をつける。
冷たい水が喉を滑り落ちる。
「いや、違う! 私は疲れてないから!」
「ふふ、そうですね。二階まで来ましたから、ここで少し休憩しましょう」