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7.洗礼


「熱……」


「うう~……。あちゅい……」


 異世界に来て一か月弱。とうとうココが体調を崩した。

 数日前に咳をしはじめたときから危ないと思っていたが、案の定だった。できるだけ栄養と加湿と睡眠を十分に取らせたつもりだったが、赤い顔でぐったりと横たわるココにケイは不安な目を向ける。


「お水飲む? ジュースもあるよ」


「いらない……」


 同じ寮に住む同僚に話して、明日まで休みをもらった。食堂で作ってもらったとっておきのジュースを差し出しても、ココは力なく首を振るばかりだ。


(……どうしよう。病院に連れてく? いきなり行って診てもらえるの? お金は?)


 この世界の医療体制だとか保険制度まではまだ知識がなかった。聞こうにも、寮は人が出払っていて他に知り合いもいない。

 手を当てて測る限りはそこまで高熱ではなかったが、ケイは底知れぬ不安に体が固くなった。


(感染症とか、全然知らないものだったら――。予防接種だってまだ全部は終わってない。急変したら? 救急車もないのにどうすればいいの?)


「ママ……」


「うん? なに?」


「おうち、かえりたい……」


「……っ」


 ふいにココが漏らした言葉にケイは息を止めた。額の手ぬぐいを替えてやると、ココは大粒の涙をあふれさせる。


「今はここがココとママのおうちだよ」


「ちがう~! ここ、ココのおうちじゃないもん。テレビない。ゆーちゅーぶみたい!」


「そうだね。ママも見たいよ」


「ううっ……。キラキュアみたい。なんでみられないの~」


「……うん、ママも見たい。新しい戦士が登場する回だったのにね」


「うぇえええん……! まなせんせいにあいたい! みうちゃんとあそびたい!」


「うん。会いたいね……ママも会いたいよ……」


 とうとう大声を上げて泣き出したココをケイは抱きとめた。背中を撫でるとヒックヒックと震え、胸が痛くなる。

 こんな小さな体で、精一杯頑張っていたのだ。今までとまったく異なる世界と環境で、つらくないわけがなかったのに。


 向こうの世界に置いてきてしまったものを改めて突き付けられ、ケイの目にも涙がにじむ。熱いココの体を抱きしめながら、ケイも声を殺して泣いた。


「元気になったら……ピクニックに行こうね。きっとこっちにも、美味しいものがあるよ」


「……うん」


 今はこんな約束しかできないけれど。ココの笑顔を守るためならいくらでも頑張る。

 泣き疲れていつしか眠ってしまったココの横でケイは深くため息をついた。異世界で、病の我が子を前にして母はあまりにも無力だった。






「来たわよー。調子どう……って、ええ!? どういう事態!?」


「あれ、ラスタ……? なんでいるの〜」


「昼休憩だから様子見に来たのよ! ちょっと、なんで泣いてるのよ! ココちゃんそんなに悪いの!?」


「そうじゃないげど、なんがふだりでいるど泣げでぎぢゃっで〜!」


 あれから数時間。扉をノックして現れた人影にケイは真っ赤な目を向けた。休憩中に抜け出してきたラスタがぎょっと後ずさる。


「やだ、鼻水拭いてよ! ほらご飯持ってきたから!」


「神さば〜。ありがどう」


 ケイにハンカチを放り投げ、ラスタがてきぱきとテーブルに昼食を並べる。そこで初めて、正午を過ぎていたことに気付いた。


「ココちゃんは……寝てるわね。熱は?」


「そんなに高くない。咳してるけど」


「薬は?」


「飲ませてない。病院かかろうかとも思ったけど、かかり方が分からなくて……」


「そんなことだろうと思った。ほら、これ薬。院の薬師にすりつぶしてもらったから」


 ラスタがテーブルにポトポトと置いたのは、折り紙のように折りたたまれた紙の袋だった。薬包の中に黄緑色の粉が入っている。


「だいたいの風邪の症状によく効くわよ。甘み付けしてるから子供も好きなはず」


「神様なの? わざわざありがとう……」


「神じゃないから。そんなのうちの薬師に言えばすぐ作ってくれるわよ。それでも良くならなかったら、併設の病院に行くのね。夜でも診てくれるし子供優先だから待ち時間ほぼなしよ。もちろんタダ」


「本当に!? えっ、予約取り地獄とか待合室で熱出しながら泣く子を必死でなだめるとかないの!? 一般病院に子供連れてったらひんしゅく買わない?」


「なにそれ……そんなのないわよ。子供は国の宝でしょ。病気になったらすぐ医者にかかれるし、子供優先が徹底されてるわよ」


「マジか……」


 文化が遅れてるなんて、とんだ傲慢だった。これなら体調不良のときもだいぶ心強い。

 呆れたように告げるラスタに何度も感謝してランチボックスに手を伸ばすと、同じものを持参したラスタもハンバーガーもどきを頬張る。


「ま、うちの場合はヴォルク侯爵の方針も大きいけどね。あの方の管理する病院では子供優先がより徹底されてるわ。あたしたち従業員が病気になっても早めに診てもらえるし、ありがたいわよね」


「そうなんだ……。本当に就職して良かった……」


 ラスタが持ってきてくれた袋には、リゾットまで入っていた。これはココ用だろう。

 職場の昼食で通常リゾットは出ないから、わざわざ作ってもらったか居住者用の食事を分けてもらったのだ。それに気付き、胸がじんわりと熱くなる。


「あんたもね。一人でなんとかしようとするんじゃないわよ。分からないことだらけなんだから、あたしとか周りを頼りなさいよ。片親なんてただでさえ大変なんだから」


「うん……ありがとう」


 空いていた腹にハンバーガーもどきが収まると、またポロポロと涙が出てきてラスタを呆れさせた。




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