3話 助けてくれた? いけ好かないおとこ
目の前は、真っ暗。
汚泥を掻き分けて、雨に打たれ、わたくしは進む。
進む。
進む。
行き先は、分からない。
誰にも愛されず、
誰からも、愛されない。
わたくしの行き先は、
分からない。
分からない。
……分からない。
何かに、つまずく。
わたくしは、倒れる。
凍えるような冷たい水は、むしろ暖かく感じて。
「……」
遠退く意識のなかで、
誰かの声を、聞いたような気がした。
○○○
わたくしが使うものは例外なく高級品だが、ベッドは特にお金をかけている。
暖かさ、肌触り。全てがパーフェクトになるよう、特注している。
寝心地は最高。
どんなに腹が立つことがあっても、一度ベッドにはいれば、柔らかな眠りに誘ってくれる。
わたくしは枕に頬をすりよせる。
枕の代わりに、暖かな毛布がわたくしを受け止める。
枕はどこにいったのかと目を開けると、
「……え!?」
一気に、目が覚めた。
わたくしがベッドだと思っていた場所は、ベッドではあったが、犬猫が使うような小さなベッドだった。良質な生地の毛布にくるまれている。
そんなもの、わたくしの家にはない。
混乱するわたくしの頭のなかに、ある二つの事実が蘇ってきた。
ひとつ、わたくしは鳩になっていること。
もうひとつ。
……わたくしは、両親からも愛されていなかったこと。
「……ふっ、はははっ」
わたくしは、から笑いする。
「わたくしは愛されている。そう思い込んでいましたわ。……わたくしは、愛されていなかったのね」
鳩になったことよりも、そっちの方が辛く、悲しい。
かちゃん、と、控えめに扉が開く。
わたくしは硬直する。
誰かが、帰ってきた。
わたくしは顔をあげ、驚愕する。
「あ、あなたは……!」
ピジン・コルンバ。
昨日のお茶会で、庭師を解雇したわたくしに激怒していた男だ。
ラフな服装をしている。おそらく、ここが彼の部屋なのだろう。
わたくしを自室につれてきて、どうするつもりなのか。
トッキャ大臣のように、蹴り飛ばすつもりか。
それとも、殴り付けてくるのか。
わたくしは怯え、震える。
彼は手をのばす。
わたくしは身を縮め、暴力に恐怖していると、
「怖がらなくていいよ」
あまりに優しい声色に、わたくしは弾かれたように顔をあげる。
ピジンは目を細め、微笑んでいた。
「大丈夫。僕は味方だよ」
彼は灰色の汚ならしい羽を、優しく撫でる。
「大丈夫。大丈夫。ここに、君を怖がらせるものはないよ」
ピジン副隊長は、いつの間にか落ちていた毛布をわたくしに被せる。
「さて、お腹すいているだろ?ごはん食べようか」
彼はキッチンに行き、棚を漁る。
「ここは、まさか彼の家?」
呆然としていると、ピジンが戻ってくる。
「鳩用のご飯はないんだ。これで我慢してくれる?」
小さな器には、たっぷりのトウモロコシや豆が入っていた。
わたくしがいつも口にしているのは、高級料理屋のシェフが最高級の食材を使った料理だ。
トウモロコシや豆は、わたくしにとって食べ物ではない。食材だ。
そんなものを食卓に出すなら、わたくしは速攻でコック長はもちろん、他のコックも首にする。
けれど今のわたくしの体は、それを食べ物と認めた。
余計なことを考える間もなく、わたくしは皿に首を突っ込んだ。
トウモロコシは安物で水っぽく、豆も固い。
けど、美味しい。
いままで食べたどんな料理よりも美味しい。
「ははっ、いい食べっぷりだな。水をいれてくるから、ちょっと待っててな」
水を飲んで、ごはんを食べて、水を飲んで、ごはんを食べて。
皿が空っぽになったときには、わたくしのお腹もいっぱいになっていた。
ピジン副隊長はわたくしの体をペタペタ触る。
「暖かいな。食欲もあるから、ひとまずは大丈夫だな。あとは、怪我をしていないか、だね」
ピジン副隊長はわたくしの羽を引っ張り、撫でるようにさする。
「ひ、ひやっ!」
むず痒くて、わたくしは身を縮める。
「や、やめなさい!」
もちろん、わたくしの言葉は届かない。
ピジン副隊長は触るのをやめず、尾羽の付け根までも触ってきた。
言いようもない、はじめての感覚に、わたくしは無我夢中で暴れる。
「ちょ、やめなさい!!」
必死に暴れていたら、彼の大きな手に、わたくしの嘴があたった。
人間からすると小さな動物だが、嘴は鋭く、彼の手にナイフで切ったような傷がぱっくり開く。
一拍遅れて、血が滴り落ちる。
わたくしは我にかえって、動きを止める。
「ご、ごめんなさい。わ、わたくし、あなたに怪我をさせるつもりはなかったの」
頭に浮かんだのは、女性に悲鳴をあげられ、トッキャ大臣に踏み潰された、小さな虫の姿。
わたくしも、あんな風に……。
ピジン副隊長は、急ぎ足でキッチンに向かう。水が流れる音がする。
棚をあさり、絆創膏を手に巻く。
応急措置が終われば、次は、わたくしに罰を与えるつもりだろう。
わたくしは窓を見上げる。開いていない。
扉も、開いてるはずはない。
そう思っていると、チープなブザー音が聞こえてきた。
ピジンは扉を開けにいく。
逃げるなら、今か。
けど、外に出たところで、人やカラスに襲われるかもしれない。
人間の時、わたくしは迷うことはなかった。
望めば、何でも手にはいった。
気にくわないものは、すべて排除できた。
けれど、鳩になって、わたくしの性格も変わってしまった。
わたくしは決断ができなかった。
迷っている間に、扉が閉まってしまった。