1話 三度目の、変化
トッキャ大臣は両手をあげて、膝をついた。
「私を捕まえたいのなら、好きにすればいい。抵抗はしない。だが、お前がリルイア様を連れ去った罪は消えやしないぞ」
「……リルイア様は無事です。あなたたちの動きがあまりに不穏でしたので、隠れてもらっているだけです」
「……まさか、あそこにいるのか?」
トッキャ大臣は見当違いの方向を指をさす。ピジン副隊長も、周りで固唾をのんで見守っていた市民たちも、操られたかのようにそちらを見る。
誰も見ていない、わたくししか見ていない隙に、トッキャ大臣はサーベルを手繰り寄せる。
トッキャ大臣は何事もなかったかのように、肩をすくめる。
「いや、違うか。霧が動いただけか。ならば、リルイア様はどこにいる?」
「……」
「ふん、私を捕まえない限りは言わないつもりか。分かった。好きにしろ」
ピジン副隊長は、転がっている警備隊員から手錠を借りると、トッキャ大臣に近づく。
そのときのトッキャ大臣は、
にやりと、笑っていた。
彼の手にはキラリと光るサーベルが握られていた。ピジン副隊長は気づかず近づく。十分に距離をつめたあとで、トッキャ大臣はサーベルをピジン副隊長に向けた。
「……っ!」
無我夢中だった。
わたくしは岩陰から飛び出し、トッキャ大臣にアタックした。
「うおっ!」
トッキャ大臣は体勢を崩す。
はじめは驚いていたトッキャ大臣だが、わたくしの姿を見て、憎しみに顔が歪んだ。
「この女……! 私の邪魔をするな!」
サーベルを取り上げようとするが、結局のところ、わたくしは非力な女性だった。サーベルは奪えず、むしろ彼に突き飛ばされ、
「死ね!」
サーベルが、わたくしに襲い掛かる。
その寸前、
ピジン副隊長が、わたくしとサーベルの間に割って入った。
……生暖かい液体が、わたくしの頬につく。
大きな背中が、ゆらりと揺れる。
「……ぴ、ピジン、副隊長……?」
ピジン副隊長はトッキャ大臣のサーベルを取り上げ、遠くに投げすてる。サーベルが地面に落ちる前に、彼はトッキャ大臣の両手をまとめあげ、手錠をかける。
そして彼は、
力尽きて、崩れ落ちる。
「ピジン副隊長……? ピジン副隊長!!!」
彼のお腹から、血があふれている。
「ピジン副隊長、ピジン副隊長!!!」
「心配、しないでください」
「だって、こんなに血がっ!」
今こうしている間にも、彼の服は血で汚れている。
わたくしは、どうすればいい。
どうすれば。
……分からない。
この国の歴史は分かるのに、人を懐柔する方法は知っているのに、血をとめる方法は教えてもらっていなかった。
ピジン副隊長は、動揺して立ち尽くす警備隊隊員に鋭く命令する。
「トッキャ大臣を拘束しなさい。今の時間にポポ山を降りるのは危険だ。まず式場にとどめ、霧が薄くなったら下山するように」
彼らはトッキャ大臣よりの隊員だが、動揺しているのか、副隊長の命令を速やかに聞き入れ、トッキャ大臣を連行していった。
「ちょ、ちょっとお待ちなさい!」
わたくしは慌てて残っている警備隊員に叫ぶ。
「ピジン副隊長も、治療をしないと。誰か、応急処置ができる人はいないの!?」
残った隊員たちは顔を見合わせる。
どうすればよいのか悩んでいるようだ。
「いいから、早くしてください!」
わたくしが怒鳴ると、警備隊員の人々を押し退けて、バスが駆けつけてきた。
「俺がやるっ!」
儀式用の制服が汚れるのも構わず、バスはハンカチで止血を試みる。
しかし、傷口からは絶え間なく血液が流れ出て、止まらない。
バスは舌打ちする。
「畜生、傷が深すぎる!医者を呼ばないとまずいぞ」
「わたくしがっ!医者を呼んできますっ!」
わたくしが懇意にしている医者が、ポポ山から下りたすぐそこに住んでいたはずだ。
呼んでこようと立ち上がるが、ピジン副隊長はわたくしの服を弱々しく引く。
「だめ、だ」
「ですがっ、」
市民の一人も、首を横にふる。
「ピジン副隊長の奥方様。昼時のポポ山の下山は大変危険です。頂上にあった霧が下に下りておりますので、登山道でさえも霧が立ち込めています」
「そんな、なにか方法はないの!?」
バスは止血の手を止めずに項垂れる。
「霧は山の周辺だけを覆っている。伝書鳩でもいれば、ふもとの医者に連絡ができるだろうが、ここは鳩を飼える環境にないから、伝書鳩を置いていないんだ」
バスはため息をつく。
「……霧が薄くなるまで、ピジンに耐えてもらうしかない」
「……」
わたくしは考えた。
考えて、考えて、考えて……。
わたくしは、決めた。
「鳩なら、ポポ山を下りることができるのですね?」
「ああ。だが、さっきも言った通り、ここには鳩が、」
「わかりました。ではバス、医者に見せる手紙を書きなさい」
「はあ?なんで俺が。つーか、どうして俺の名前を……」
「いいから!」
睨み付けると、バスは嫌々ながら手早く記入する。
「これでいいか」
乗り気ではなかったが、バスはしっかりと手紙を書いてくれていた。
わたくしは「ありがとう」と礼を言う。
バスは戸惑うようにこくりと頷く。
準備は整った。あとは、ハトを用意すればいいだけだ。
わたくしは目をつぶる。
頭のなかで声が響く。
「本当に、よろしいのですね?」
魔法使いは驚いたように首をかしげる。わたくしは心のなかで返事をする。
「……わかりました」
彼女は微笑む。
「では、いきなさい。愛する人を守るために」
わたくしの体が光輝いた。
「うわっ!」「な、なんだ!」
皆はひどく混乱している。けれど、わたくしの心は落ち着いていた。
小さな子供が母親に駆け寄るように、わたくしは光に身を委ねる。
わたくしの細い腕は、灰色の翼に。
白い喉は、鮮やかな赤紫色に、うなじはエメラルド色に。
大きな瞳は、豆粒のような目に。
わたくしは、
正真正銘、ハトとなっていた。
周りの人々は驚き騒いでいる。
バスはあんぐり口を開けているし、市民たちのなかにはびっくりしすぎて気絶している人もいる。
ピジン副隊長も、わずかに顔をあげてわたくしを見ていた。
目は大きく見開き、パクパクと口を開け閉めしている。
思えば、こんなに動揺しているピジン副隊長をみるのも、はじめてかもしれない。
わたくしはくすりと微笑み、翼を羽ばたかせる。
久しぶりのこの体だが、不思議と馴染んでいる。
「ピジン副隊長。待っていてください。必ず、医者を呼んできます」
そしてわたくしは、
空へと飛んだ。




