3話 逃避行と、はじめての対話
走って、走って、走って、走って、走って。
いくら走っても、後ろから警備隊の手が迫ってくるような気がしてならない。
わたくしは必死に走って、走って、走って、
「待ってください」
ピジン副隊長は後ろからわたくしを引っ張った。
「な、なんですか! 早く逃げないと、」
「そっちは崖です」
「崖?」
ぎょっとして後ずさる。
目をこらすと、足元に続いていた地面が途絶えていたのだ。
「き、気づかなかった……」
「参道以外の道は、崖や滝が至るところにあります。全力疾走は危険です」
ピジン副隊長は手を引く。
「岩かげに隠れましょう」
霧は時をたつほどに濃くなっていく。
隣にいるピジン副隊長の姿さえも、輪郭しかみえない。
警備隊の気配は感じないが、いつどこから彼らが手を伸ばしてくるか、不安で不安で仕方なかった。
すぐそこまで警備隊が迫っていると思い、わたくしは息をひそめる。
木葉が揺れる音でさえも怖くて、怖くて、怖くて、衝動的に走り出したくなる。
逃げないと、逃げないと。
とにかく、逃げないと。
……崖の下に逃げれば、彼らに捕まらないかもしれない。
わたくしはパニックになり、立ち上がろうとするが、ピジン副隊長が声をかける。
「リルイア様」
ピジン副隊長の、低く落ち着いた声が響く。
「大丈夫。僕が、あなたを守りますから」
そういった後、彼は照れるように笑う。
「いや、いま助けてもらっているのは、僕の方でした」
間の抜けた彼の言葉に、わたくしの過度に緊張していた心がほぐれる。
「……そうですわよ。あなたがトッキャ大臣に狙われるからいけないのですわ」
ピジン副隊長はふふっと笑う。
「そういわれても困ります。未だに、どうしてトッキャ大臣が僕を嫌っているのか理解ができませんから」
「その能天気なところでしょうね」
なんて軽口を叩く。
からだの震えがいつの間にか止まっていた。
不安はまだ残っていたが、さっきのようなパニックは収まっていた。
もしあのとき、ピジン副隊長が声をかけてくれなかったら、きっとわたくしは崖に向かって走り、落ちてしまっただろう。
自分のとろうとした選択に、わたくしはゾッとする。
同時に、ピジン副隊長があのタイミングで声をかけてくれてよかったと安堵する。
ひょっとすると、ピジン副隊長はわたくしの動揺を見越して声をかけてくれたのかもしれない。
緊張がほどよく緩んだところに、ピジン副隊長は天気でも聞くような気軽さで質問を投げ掛ける。
「リルイア様。なぜ、私を助けたのですか」
長く話そうとすれば、いくらでも言葉を紡げる。
初めて出会ったときの苛立ち。
ハトになった戸惑い。
愛してくれたと思っていた人たちの裏切り。
小汚ないわたくしを助けてくれたピジン副隊長。
彼の暗殺計画。
人に戻った自分。
実の両親が抱いてくれた愛情。
ピジン副隊長を守ると覚悟したこと。
しかし、わたくしは一言で思いを伝える。
「あなたのことが、好きだからです」
「……」
ピジン副隊長は、暫く無言だった。
気にくわない女の告白など、彼にとっては迷惑に違いない。
それでも、構わない。
わたくしは、彼のことを愛しているのだから。
「……そうですか」
風が吹き、一瞬だけ霧が晴れる。
霧の隙間から見えた、ピジン副隊長の表情は、
柔らかい笑みを浮かべていた。
予想外の反応に驚いていると、彼はくすりと笑う。
「リルイア様もお察しの通り、私はあなたとの婚礼に反対していました。理由はただ一つ。あなたの本当の気持ちが分からなかったから、です。けど、さっきのあなたの言葉は、真実だった」
「……わ、悪い!?真実で!!」
ついつい声を荒げると、彼はしかるようにやんわりと言う。
「あまり大声を出すと、ばれてしまいます」
「うっ……」
黙ると、彼はまた笑う。
「あなたのことを、勘違いしていました。ですが、今、わかりました。あなたは気性は荒いですが、頭がよく、優しい方だ」
今度は、小さな声で「気性が荒くて悪かったわね」と抗議すると、彼は首を大きく横にふる。
「悪い意味ではありません。あの子みたいだと思ったんです」
「あの子?」
「ほんの少し前に、ハートフルレンジャーという名前のハトを保護していたんです。あなたはあの子に似ている」
わたくしはどきりとする。
動揺を隠そうと、わたくしは不機嫌を装う。
「わ、わたくしは人です。ハトではありませんよ」
「わかっています。そんなに怒らないでください」
「い、いえ、怒っているわけでは……」
「ただ、あなたとこうして共にいるのは、あの子が引き合わせたおかげのような気がしたんです」
思えば、ピジン副隊長とここまで長く話せたのは、初めてだった。
ハトだったときは、当然ながらわたくしから会話はできない。
いつも彼が話しかけて、わたくしが心のなかで返すだけであった。
今は、違う。
彼と、話ができている。
それだけで、わたくしは天にものぼるほど嬉しかった。
きっとこれが、神様がくれた、最期のプレゼントだったに、違いない。
幸せな時間を切り裂いたのは、トッキャ大臣の野太い声だった。
「ピジン!諦めて出てきなさい!お前は包囲されている!!」




