2話 甘い甘い、お菓子
朝ご飯を食べたあと、わたくしは勉強をする気力も起きなかった。
部屋にいても、胃がむかむかとする。
ふと思い立って、わたくしは紅茶を片手にベランダに出る。
前は「外で飲食をするなんて、砂埃で汚い」といって、お茶会など特殊な場面でなかったら、必ず部屋でのんびりしていた。
今は、少しでも気分転換をしたかった。
使われず、埃のかぶった椅子に座り、ぼうっと空を見上げる。
青空には、鳥がのんびりと飛び回っていた。
紅茶を飲むのも忘れて空を見上げていると、下の階を掃除しているであろう使用人たちの会話が耳に入る。
「お嬢様が誘拐されたのって、あれ、本当かしらね?」
「嘘に決まっているじゃない。可愛そうって言ってほしいだけよ」
「……」
わたくしはすぐに立ち上がり、部屋の中に入る。
紅茶は、もう飲む気もなくなっていた。
○○○
屋敷にいても気が滅入るだけだった。
わたくしは最低限の付き人だけつけて、外を散歩する。
たまたま通りかかったお店から、甘い香りがふわりと漂う。見ると、最近トッハ国に出店した、有名なお菓子屋さんだった。
店頭でもお菓子を食べられるらしく、テラス席や店内の席は埋まっていた。
甘い香りに、沈み込んでいた気持ちがわずかながら和らぎ、ふらふらと扉の近くに行く。
しかし、わたくしは足を止めた。
カフェのテラス席に、よくお茶会でお招きする女性たちが歓談していた。
話題は、運が悪いことに、わたくしのこと。
「リルイア様、誘拐されて落ち込んでいらっしゃるとか」
「こんなことを言ってはあれですけど、皆さんに酷い態度をとっていましたから、とうとう天罰が当ったのかもしれないわ」
「これで、あの人も真っ当な人間になってくれるといいのだけど」
「どうでしょうねえ」
わたくしの悲惨な話を嬉々として話しながら、彼女たちはお菓子をつまむ。
「……」
わたくしは、カフェから離れる。
わたくしを誘った甘い匂いも、今では吐き気を催す匂いとなっていた。
「……お嬢様、」
早く、帰らなければ。
けど、どこへ?
「あの、お嬢様」
わたくしが安心できる居場所は、ない。
あの人の、場所以外に。
「……お嬢様!」
目の前で叫ばれ、わたくしはハッと顔を上げる。
従者がわたくしに呼びかけているのかと思ったが、そこにいたのは、
「ぴ、ピジン副隊長……」
トッハ国には珍しい褐色の肌に、理知的な青い瞳、雪のような白髪の青年、ピジン・コルンバだった。
仕事中ではないのか、私服を着ている。
「お嬢様、いかがなされましたか。体調が悪いようですが」
「な、なんでもありません」
「そうですか」
ピジン副隊長は淡々と言う。
その声色はひどく冷たい。
わたくしがハトだったら、「ハートフルレンジャー、どうしたんだ? 病気か? よし分かった。病院に行こう。隣の国に、鳥に詳しい獣医がいると聞いたことがある」と言っていただろう。
今のピジン副隊長は、警備隊副隊長として、わたくしに声をかけただけ。
わたくしのことを思っての行動ではない。
「……」
わたくしは、皆が思い描く「リルイア・ヘロデ・トバラワカ」らしく返答する。
「質問はそれだけですか? 用がないなら、わたくしから離れてくれません?」
従者が眉を潜め、批判的な視線をわたくしに向ける。
彼はこう思っているに違いない。
ピジン副隊長はただ心配して声をかけてくれただけだ。
さらにいうと、ピジン副隊長はわたくし、リルイア・ヘロデ・トバラワカにとって、命の恩人だ。誘拐犯から逃れられたのは、彼が献身的に職務を遂行していたおかげである。
ならば、一言お礼を言うのが真っ当な人間の振る舞いであろう。
にも関わらず、このわたくし、リルイア・ヘロデ・トバラワカは冷たくあしらった。人として、真っ当な行いではなかろう。
……わたくしだって、お礼を言いたい。
ハトになり、行き場をなくなったわたくしを、守ってくれてありがとう、愛してくれてありがとう、と口にしたい。
けれど、人間に戻ってしまったわたくしに、お礼を言う資格はない。
わたくしは苦痛に震える心を無視し、冷たい態度をとる。
「用がないなら、わたくしの前からどいてくださらない?」
「……」
ピジン副隊長は動かない。
じっとわたくしを見ている。
「……な、なんでしょうか?」
沈黙に耐えかねて尋ねると、彼は持っていた紙袋をわたくしに押し付けてきた。
「あげます」
「……へ?」
紙袋には、わたくしが入ろうとしていたお菓子屋さんのロゴが記されていた。
「では、失礼します」
呆然とするわたくしを置いて、彼は敬礼をして、立ち去っていった。
「……へ??」
疑問しかわかない。
いらないからくれた?
いや、違う。
前に、彼はこのお菓子を食べて、美味しい美味しいと喜んでいた。
なら、どうして……?
「リルイア様」
従者が困った表情を浮かべる。
「どうしましょうか。いらないのでしたら、こちらで処分しますが」
従者は手を伸ばしてくる。
わたくしは無意識に紙袋をかばう。
「いえ、構いません。せっかくの頂き物です。わたくしが食べましょう」
睨みつけると、従者はそれ以上何も言わなかった。
どこにもよらずに家に帰る。両親との挨拶もそこそこに、わたくしは部屋に閉じこもる。
飲み物も頼まず、わたくしは紙袋を開ける。
甘く優しい香りが部屋いっぱいに広がる。紙袋の中には、カヌレがいくつか入っていた。
一つ取り出して、かじる。
「……おいしい」
ぽろり、と。
暖かいしずくが頬を伝う。
どうしてお菓子をくれたのかは、分からない。
分からない、けど。
嬉しい。
一人ぼっちの部屋で、わたくしはボロボロ涙を流しながら、甘いお菓子を頬張った。




