交渉の場へと赴く。
ラルカが用意した悪意のステージへ、我が子のために足を踏み入れる。
「……ここだね。ラルカさんが交渉場所に指定した森林地帯ってのは」
「そうだな。ここから先はさらに注意を払っていくぞ。……俺の作戦通りに行けば大丈夫だ」
タケゾーのバイクに一緒に乗って陽の暮れた道を駆け、アタシ達は山の麓にある森林地帯の手前までやって来た。
ここがラルカさんの指定した交渉場所。ここでショーちゃんの身柄とパンドラの箱一式を交換する手筈になっている。
アタシもパンドラの箱と鍵を手に取り、この先で待ち構えている敵と対峙する覚悟を決める。
「……タケゾーの作戦はアタシも理解した。こうなったら、何が何でも成功させるよ……!」
「ああ。俺も最善を尽くす。ショーちゃんもパンドラの箱も、連中に渡しはしないさ」
ここに来るまでの間に、タケゾーから今回の交渉において、ある作戦を聞かされた。
ショーちゃんの身柄は第一だけど、パンドラの箱が星皇社長の手に渡ってしまえば、その先にどんな悲劇が待ち受けているかも分からない。
ベストなのはショーちゃんを取り返し、パンドラの箱も渡さないこと。そのための作戦はタケゾーが用意してくれた。
――うまく行くとか行かないとかじゃない。うまく行かせるしかない。
アタシとタケゾーはお互いに目を合わせて無言で頷いた後、緊張しながらも森林地帯へとバイクをゆっくり進めていく。
「……誰かいるな」
「戦闘服が二人……。早速、ラルカさんの手下がおでましか」
少し深いところまで入ると、そこには先程ショーちゃんを攫った二人組――ラルカさんの忠実なる部下がこちらを待つように立っていた。
だが、そこにショーちゃんとラルカさんの姿は見当たらない。
「……約束通りに来てやったよ。ショーちゃんはどこさ? あんた達の上官であるラルカさんはどこさ?」
「そう急かさないでください。そちらが約束通りに来てくださった以上、こちらも交渉には応じます」
「じゅ、隼さん……。武蔵さん……。ごめんなさい……」
「ッ!? ラルカさん!? それに……ショーちゃん!!」
最初はその場にいなかったラルカさんとショーちゃんだが、アタシ達の到着を確認したのか、森のさらに奥深くからゆっくり歩み寄ってくる。
ラルカさんは左手で人質のショーちゃんを抱きかかえ、右手に持った拳銃をショーちゃんのこめかみに突き付けている。
――本当に映画みたいな人質交渉の光景だ。
だが実際にやられると、思わず飛び込みそうになる衝動に駆られてしまう。
「落ち着け、隼。大丈夫だ。こっちが手出しをしない限り、ショーちゃんに危害はない」
「ミスター赤原の方が、こういう場面では冷静なようですね。警部だった御父上の遺伝でしょうか?」
「今回はそういう話をしに来たんじゃない。こっちも約束を守って来たんだから、早々に交渉といかないか?」
「それもそうですね。自分としても、無闇に時間を使いたくはありません」
そんなアタシの焦燥感を感じ取ったのか、タケゾーはアタシを制しながらバイクを降りる。
サイドカーに乗っていたアタシも降りてラルカさんへと目を向けるが、その背後には相手のものと思わしきバイクも見える。
この交渉を終えてパンドラの箱が手に入ったら即逃亡。向こうもそういう手筈を整えてるのは当然か。
「隼さん、ダメ! そのデータ渡すと、もっと大変なことになる! ボクのこと、構わない! 逃げて!」
「……ショーちゃんの気持ちは嬉しいけど、アタシにだって優先事項はあるさ」
「そんな……! ボクのせいで……!」
捕らえられたままのショーちゃんは声を荒げ、自らの身よりもパンドラの箱を優先するように叫んでくる。
拳銃まで突き付けられてるのに、本当に健気でできた愛しき我が子だ。こんな危険に巻き込んでしまったアタシの方が、母親として辛くなってくる。
――でも、今はまだ余計なことは口走れない。
時が来るまで、こちらも今は歯を食いしばってでも耐える。
「パンドラの箱と鍵については、ご用意いただけたでしょうか?」
「ああ。ここにあるUSBメモリとマイクロSDがそうさ」
「かしこまりました。では、そちらにいる自分の部下から、読み取りデバイスを受け取ってください。まずはそれが本物かを確認させていただきます」
そして、ついにラルカさんとの交渉が始まる。
ラルカさんの言葉を聞くと、アタシ達の傍で構えていた部下の一人がこちらに歩み寄り、何も言わずに一つの小型デバイスを手渡してきた。
アタシの方でも確認するが、このデバイスは記録媒体の相互関係を調べるためのもの。アタシの持つUSBメモリとマイクロSDが本物かを確認するだけで、それ以上の意図はない。
「疑わずとも大丈夫ですよ。この交渉において、自分も信頼を欠くような真似はいたしません」
「……そりゃどうも。だけど、こっちにだって疑う権利ぐらいはあるんじゃない?」
「それもそうですね。……とりあえず、その媒体が本当にパンドラの箱と鍵であるのは事実のようですね。こちらも安心しました」
ここはアタシも注意深くならざるを得ない。
ラルカさんはどこか慣れた様子を見せているが、こっちはさっきから頬を伝う冷や汗の感触が嫌になってくる。それぐらい緊張が収まらない。
ともあれ、ここまで周到なラルカさんに偽物を用意するなんて真似もできない。
アタシがデバイスにパンドラの箱と鍵を同時に刺し込むと灯された緑色のランプを見て、ラルカさんも納得した様子を見せてくれる。
「パンドラの箱と鍵はそのままでお願いします。右舷将隊、こちらへ退避願います」
「右舷将隊? それがラルカさんの率いてる部隊の名称ってこと?」
「右舷将というのが自分の肩書ではありますが、今はその程度の認識で結構です」
そうして交渉を進める中で、ラルカさんがふと口にした『右舷将』という言葉。そういえば、いつだったかに牙島も同じように『左舷将』なんて呼ばれてたっけ。
ラルカさんと牙島は星皇カンパニーに雇われたウォリアールの組織の人間だ。その組織における呼称なのだろう。
――もっとも、今そんなことは関係ない。
ラルカさんの部下二人もその命令に従い、アタシ達の傍を離れてラルカさんの隣へと移動する。
「では次に、あなたには自分とミス空鳥の真ん中の位置まで移動願います」
「ショーちゃん、安心して。今はそいつの言うことに従って」
「うん……分かった……」
こちら側がアタシとタケゾーの二人だけになると、今度はショーちゃんの身柄が一時的に解放される。
そのままショーちゃんはゆっくりこちらへと歩いてくるが、ラルカさんが持つ拳銃の銃口はショーちゃんの頭に向けられたままだ。
今はまだこちらも従うしかない。
――もう少し。もう少しだけチャンスを待つ必要がある。
タケゾーの作戦を信じ、アタシも今は必死に動き出そうとする肉体を堪える。
「……そこで止まってください。では、交換といきましょうか。デバイスに突き刺したままのパンドラの箱を、こちらへ投げてください」
「そうすれば、ショーちゃんに向けた銃口も外してくれるんだね?」
「もちろんです。こちらの狙いはパンドラの箱です。それ以上でも以下でもありません」
「……その言葉、今は信じてやんよ」
ショーちゃんが丁度アタシとラルカさんの中間に位置するところまで歩を進めると、ラルカさんはついにこの交渉の本題へと入る。
アタシがパンドラの箱を投げ渡し、それが行き渡ることでショーちゃんは完全に解放される。
タケゾーともわずかに目配せをし、アタシも手に持ったパンドラの箱を構えて準備にかかる。
「タイミングはお任せします。こちらがパンドラの箱を受け取れば、それでこの交渉は成立です」
「……分かった。それじゃ……しっかり受け取りなぁ!!」
ラルカさんの言葉を聞き、アタシは言われた通りにパンドラの箱をラルカさんへと投げ渡した。
銃口はまだショーちゃんを狙っているが、ラルカさんの目線は投げられたパンドラの箱へと向けられた。
――今こそ、作戦決行の時だ。
「行くぞ! 隼!」
「頼んだよ! タケゾー!」
そのタイミングでタケゾーは即座にバイクへと乗り、アタシは左腕に装着したガジェットを構えた。
我が子もパンドラの箱も守るための作戦が、今始まる。