時空の狭間へと潜り込んだ。
全ての元凶が待つ、ワームホールという時空の狭間の中へ。
「こ、これがワームホールの内部……!? 空間の合理性もあったもんじゃないよ。なんでこんなに中は広いのさ……!?」
意を決してワームホールに飛び込んだ先に見えた光景は、とてもさっきと同じドーム球場と同じとは思えない光景。
空間の法則も何もあったものではない。領域そのものが拡張され、歪んだ景色の中でステージが宙に浮いている。
重力こそあるけど、まるで宇宙空間に飛び込んだ気分だ。
「うぐぅ!? な、何これ!? あ、頭が……!?」
眼前に見えるステージを目指してアタシも飛行を続けるが、この歪んだ時空の影響なのか、突如として頭痛に襲われる。
こんな日常の対極に位置する空間なのだ。何が起こってもおかしくはない。
アタシの身に起こった頭痛についても、まるで何かが流れ込むように脳内へ光景を見せてくるが――
【隼は本当に優秀だな。父さんも鼻が高いぞ】
【だけど、あんまり先急いじゃダメよ? お母さん達は何よりも、隼のことが大切だからね?】
【ああ、分かってるさ。父さん、母さん】
「こ、これって……昔の記憶……?」
――アタシの脳内に流れ込むのは、まだ中学生時代の頃のアタシ自身の記憶。
両親もまだ生きていて、アタシがテストで好成績を残した時の何気ない光景だ。
どうして今、こんな光景が脳内に? これもまた、ワームホールの影響ってこと?
【赤原さんのところの武蔵君とは仲良くやれてるのか?】
【まあ、タケゾーとは相変わらずだねぇ。まさか幼稚園の頃からの付き合いが、今でも続くとは思わなかったや】
【高校は別のところを希望してるのよね? 寂しくないの?】
【寂しくない……って言うと、なんだか嘘を言ってる気がしちゃう。なんだろ、これ?】
「アハハ……。今じゃ付き合いの長さどころか、タケゾーとは結婚までしちゃったからねぇ……」
両親との思い出が脳内で鮮明に蘇り、アタシも思わず泣きそうになってくる。
タケゾーと結婚して養子まで迎え入れた今のアタシを両親が見たら、どんなコメントを残すのだろうね?
――いや、今はそんな感傷に浸る場合じゃない。
どうにか頭を振り払い、アタシは前方に見えるステージへ目を向け直す。
「ッ!? 氷山地を含めた、大凍亜連合の連中だ……! 何かデカい装置も見えるし、あれがこのワームホールを形成して――って、あれってまさか……?」
近づいていくステージの上を見ると、予想通りに氷山地達がそこで何かの装置をいじっていた。
まだ実験を続けているのは間違いない。そしてステージ中央にある装置こそ、このワームホールの発生装置と見える。
だがアタシはその装置の形状を見て、言いようのない悪寒を感じてしまう――
「メビウスの……輪……?」
――そう。ワームホーム発生装置は、メビウスの輪のような形状をとっていた。
そのメビウスの輪という無限の距離の中で、光る粒子のようなものが恐ろしいスピードで駆け巡っている。
おそらく、あの光る粒子は『時間そのもの』と思われる。メビウスの輪で時間を加速させることで、大凍亜連合は疑似的なタイムワープを可能としたと考えるのが妥当か。
――あのタイムマシン理論は、アタシも一度レプリカで目にしている。
「そ、総帥! これ以上は無茶です! 時間は確かにこの装置を起点に逆行を始めていますが、実際に過去へと戻っているわけでは――」
「黙れやぁ! このメビウスの輪と儂の反転させる能力がありゃぁ、過去に戻れるんやなかったんかぁ!? 過去を改変できるんやなかったんかぁ!?」
「そ、それはあくまで可能性の話です! 実際にはこうして『過去を閲覧する』ことしか……!」
そんなメビウスの輪の近くでは、氷山地と研究担当らしき構成員が何やら揉めていた。
メビウスの輪の周囲には、大昔のプロ野球選手の姿や、まだ発展途上だった頃のこの街の光景が、ホログラムのように映し出されている。
それはこの場所に眠る記憶と言うべきか、過去の魂とでも言うべきか。
ただその話と光景から、アタシにも大凍亜連合の目的が見えてきた。
以前に民家の『時間をプラスに加速させた』のは実験の第一段階に過ぎず、本当の目的は今のこの場所でやっているように『時間をマイナスに加速させる』こと。
メビウスの輪で時間を操作し、氷山地の能力で時間が進むベクトルを反転させる実験。
――星皇カンパニーでアタシが見たタイムマシン理論を、大凍亜連合は実現に移そうとしていたようだ。
「……諦めな、氷山地。たとえ時間をマイナスベクトルに加速させて、その時間という歯車を逆回転させても、本当に過去に戻れるわけじゃないよ」
「そ、空色の魔女!? まさか、自分からここに飛び込んでくるとはなぁ……!」
氷山地の『エネルギーを反転させる』能力があるからこそ、こうしてその片鱗にまでは辿り着いたのだろう。だが、机上の空論と実際の結果が同じになる保証などない。
氷山地は本当に過去へ戻り、その過去さえも改変できると考えていたらしいが、今の光景を見ればアタシには説明ができる。
アタシは氷山地の近くへ降り立つと、挑むより前にその説明を述べていく。
「そっちの人も言ってたけど、その装置とあんたの能力でできるのは、あくまで『過去の時間を覗き見る』だけさ。時間と空間を操るワームホールを作れたからって、実際にそこに干渉できるかは別の話さ。過去という時間は現物として存在するわけじゃない。エミュレートはできても、物として存在しないのならば、干渉なんて無理な話さ」
「だ、黙れぇ! 儂ぁこの力で過去を改変し、邪魔な連中も排除することで、天下を手に入れるつもりやったんや! こないにあと一歩のところまで来て、諦めきれるかいなぁ!!」
そうしたアタシの説明の中で、氷山地の願望も見えてくる。
氷山地はこのメビウスの輪を用いたタイムマシン理論で、本気で過去改変ができると信じ込んでいたようだ。
だが、それはとてもではないが無茶な話。ワームホールまで形成して時間を進めることはできても、過去に戻ることは簡単ではない。
特殊相対性理論でも、時計の針の速さを操作することはできても、実際に針を逆回転させるには至っていない。
――この理論でできたのは、過去を受信するだけ。
過去へこちらから送信することはできない。
「……成程ね。あんたは『人の過去を改変することで存在を抹消する』実験もしたかったから、こうやって大勢を実験に巻き込んだわけか。……だったら、あんたをぶっ飛ばす理由はそれだけで十分さ! そのくだらない夢ごと、アタシが叩き壊してやんよぉ!!」
ただ、今はそういう科学的な理論なんかどうでもいい。氷山地の自分勝手な願望は、アタシの怒りの琴線をはじきまくってくる。
人の過去を改変して、その存在を抹消する? 自分の思い描く通りに、歴史そのものを塗り替える?
確かにアタシにだって、取り戻したい過去はある。
両親のこと、タケゾー父のこと。アタシの大切な人が亡くなった事実を、もう一度書き換えたいと何度思ったことか。
――だけど、そのために今を生きる人達を犠牲にしていいはずがない。
過去への願望が個人的な欲望のためだけならば尚更だ。
「氷山地……! あんただけはアタシの手で止めてやる……! もうこれ以上、誰の時間も空間も壊させはしない!!」
「いきがるなや、魔女の小娘ごときがぁ……! こないなったら、実験も後回しや! 目障りなおどれをこのワームホール内の亜空間で葬り去り、全ての人間の記憶から消し飛ばしたるわぁあ!!」
ここまで気持ちが滾ったのも初めてか。アタシの頭の中には氷山地を倒すことしか浮かんでこない。
こいつをここで倒さないと、被害はまだまだ広がっていく。
――そうはさせないという、空色の魔女としての断固たる信念。
今この場でアタシは氷山地を倒し、大凍亜連合も含めた全ての元凶を終わらせてみせる。
今こそ、因縁深き大凍亜連合の頂点と雌雄を決する時。