その怪物は住む世界が違う。
隼が相対する過去最強のヴィラン、バーサクリザード。
「な、なんだ……? 牙島の奴、こっちを見てるが――」
「あ、あんた達! 早くそこから逃げるんだよ!」
これまではアタシの方を向いて語っていた牙島だったが、不気味に笑いながらその視線をゆるりと大凍亜連合の三人の方へと向け始める。
アタシにはその意味が分かる。分かるからこそ、即座にその三人へ声をかける。
たとえショーちゃんを酷い目に遭わせた元凶であっても、アタシは見捨てることができなかったが――
「キシャァァアア!!」
「な、何をする!? 牙島――ガァ!?」
「ひいぃ!? や、やめてくれ――アガァ!?」
「ぐ、ぐるじい……!?」
――牙島は瞬く間に三人目がけて次々に飛び掛かり、その喉元へと食らいついた。
その動きはそれこそ蛇やトカゲといった爬虫類そのもの。あまりの速さに、アタシも止めに入る暇さえない。
標的たるアタシだけでなく、同じように自らの姿を目にした三人を噛み殺してしまった。
「キハハハ……! マズい血ぃやが、多少は栄養にもなるやろ……!」
「あ、あんた……!? そいつらは仲間じゃなかったのかい!? そんな奴らを、どうしてもそうも簡単に――」
「前から言うとるが、ワイは大凍亜連合に雇われとるだけや。仲間なんかやあらへん。それに、こいつらの上からも命令を受け取ったからな」
「め、命令……?」
アタシも思わず呆気に取られてしまうが、牙島は三人の血で赤くなった口元を拭いながら、どこか満足そうにニヤついている。
とにかく不気味だ。背筋の冷たさが収まらない。
どうにかしてアタシも口を開くが、それに対する牙島の返答にはそれなりの意味が用意されていた。
「大凍亜連合の総帥がやな、こいつらの不手際にお冠なんや。せやから、もしもケースコーピオン関係でまたしくじったりしたら、ワイの方で処分してくれとも言われとったんや」
「だから三人がいる場で正体もさらし、アタシの前座として始末したと……!?」
「まあ、そういうこっちゃ。仮にワイが見逃しとっても、こいつらに明日は拝めへんかった。ケースコーピオンの件が総帥の耳に入れば、どのみち一緒の結末って奴や。キハハハ!」
牙島はなおも呆気からんと語るが、アタシの方は色々と精神的にも苦しくなってくる。
一応はアタシも正義のヒーローとしてヴィランと戦ったりはするけど、その感覚としては『一般人の日常の延長』に近い。
だが、牙島は『人を殺すのが日常』となっている。
いくらアタシがどれほど強大な力をその身に宿していても、基準となっている日常が――住んでいる世界が根本的に違うことへの脅威。
鷹広のおっちゃんの時とは違う。人の命そのものが軽く扱われる世界を目の当たりにしたことへの恐怖。
どれだけアタシが強大な力をその身に宿していても、どれほどまでにアタシが一般人の域を出ていなかったのかを痛感する。
――牙島はアタシとはあまりに住む世界が違う、正真正銘に別次元のヴィランだ。
「なんや? 世間に名高き正義のヒーローたる空色の魔女が、ワイみたいなバケモノを相手にした程度で怖気づくんか?」
「……『程度』なんてレベルじゃ納まらないね。あんた、本当に一体何者なのさ?」
正直、こうも精神構造も住む世界も違う相手を前にして、アタシの中では戦う意志と牙島への疑問がせめぎ合ってしまう。
今は脱出を優先するべきなのは分かってる。そのために牙島を倒す必要があるのも分かってる。
だけど、あまりに想定外の現実が突き刺さったせいか、アタシも思わず牙島へ尋ねてしまった。
――ただ、ここで本当に大凍亜連合とは別に存在する牙島のバックを知れれば、後々のためにはなる。
ラルカというスナイパーや、電話越しで牙島を怒鳴っていた若い男の影。
それらを掴むことができれば、大きな収穫なのだが――
「キーハハハ! 姉ちゃんも何かしら勘付いとるのかもしれんが、そないなことはワイも口にするはずあらへんやろ!? キーハハハ!」
――そのことを牙島が語ることはなかった。笑いながらあっさりアタシの疑問を跳ねのけてくる。
そりゃそうだ。アタシもまだ一部に触れただけだが、牙島のバックには相当複雑で強大な力が控えている。
大凍亜連合のようなただ大きいだけの反社組織ではない、アタシには到底想像もできない世界の組織。
牙島からしてみても『大凍亜連合なんて小指でどうにかなる』ぐらいに考えていそうだ。逆に本当のバックの方は『その手の平には逆らえない』といったところか。
「さーて、いらんお喋りもここまでにしよかぁ。ワイはなぁ、いっぺん姉ちゃんとガチンコでやり合ってみたくて、ずっとウズウズしとったんや……!」
「……どうにも、アタシもあんたの相手だけを考えないとダメっぽいね」
思わぬ現実に思考が逃げるように逸れてしまったが、牙島自身も話を戻すように臨戦態勢をとってくる。
アタシもデバイスロッドを構え、逃げた思考を引き戻すように気を引き締める。
――疑問なんて後の話にしよう。その後の話をするためにも、まずはこの場を凌ぐしかない。
間違いなく過去最強のヴィラン、バーサクリザードのコードネームを持つ男、牙島 竜登。
これまでその正体を見た人間を殺して回り、世間でその正体を知って生存している人間は牙島曰く四人だけ。
――だったら、アタシが牙島の正体を知る五人目になるぐらいの気概で挑んでやる。
「さあ来なよ、バーサクリザードさん。あんたの正体を知って生存する五人目として、この空色の魔女の名を刻んでやんよ」
「ほぉう? なんや、ちーっといつもの調子に戻ってきおったなぁ?」
「まあ、アタシも余計なことは考えたくないからね。……まずはあんたを倒す。そして、ケースコーピオンと居合君を連れてここから脱出する……!」
「キハハハ! ええ気概や! ワイもそっちの方がやりがいがあるなぁ!」
今度こそ覚悟は決まった。この狂った怪物を打ち倒し、アタシは生き延びる。
――その先にはまだまだ、やるべきことだって残っている。
アタシはここで終われない。
「行くでぇえ! 空色の魔女がどれほどのもんか、このバーサクリザード様に味合わせてくれやぁぁああ!!」
ついにその戦いの火ぶたが切って落とされる。